優しくない君でいい


「良い人だね」という言葉を、俺は正直あまり信用していない。
『いいひと』という言葉自体には二種類あって。
善い人と、良い人。
善い人は、自分の言動に全員が肯定的に反応してくれるようなもので。
良い人は、相手にとって都合の良いだけのもの。
俺はどちらかといえば後者だ。

まぁ、そもそも「いい人だね」と言われる事自体少ないのだが。
顔もそこそこ、成績もスタイルも平均程度。こんな人間を好む方が珍しい。
だが、こんな人間でもこっちから好意を抱く事はあるわけで。人並みに恋愛経験もある。振った事も振られた事もある。ごくごく普通の男子高校生なのに。
とにかく偏見がひどい。クズだとか、女たらしだとか。人の事好きになる事あるの?とか。取り敢えず酷い言われよう。どうやら俺は人の反感を買うのがとても得意らしい。

中学が一緒だった、とある女の子がいた。
若宮渚。黙ってれば大人しい割に口を開けば罵詈雑言。
自分でも気付かないうちに彼女の反感を買ってしまっていたのか、俺に対しては暴力的だった。
男勝りな感じの、強い女の子だった若宮は高校に上がって変わった。

俺が通う高校には、特進科、普通科、国際科と三種類の学科がある。
俺は特進科を選び、彼女は国際科に進んだ。
関わりもなくなって、彼女の存在すら忘れていた頃だった。



 とある雨の日。廊下で誰かとぶつかった。相手がバランスを崩したのが見えて咄嗟に手を伸ばした。
 誰だ、後輩か?と思って顔を覗き込むと、若宮がいた。
「……っ、ごめん」
「俺に対してごめんとか言えたんだ、お前。」
 口をついて、嫌味が飛び出した。こういうところで反感を買いやすいんだろうな、と少し反省する。

「……あはは、言えるよ? 失礼だなぁ」
 前のお前なら、こうやって俺が煽ったら蹴るなり殴るなりしてきたはずだろ。いつもの威勢がない。
 掴んだ手首は凍ってるのかと思うほどに冷たくて、小さく震えていた。

「どうした、体調悪い?」
「……そんなこと、ないよ。大丈夫」
 笑った顔がやけに苦しそうで。いつかに見たあの日の笑い方とはまた違う苦しさを感じた。隠すのが上手い彼女の弱った姿を放っておけるはずがなかった。

「まさかこのまま授業出るとか言わないよな」
「……? 出るよ」
 馬鹿なんじゃねぇの。言いかけた言葉を飲み込み、黙って手首を掴んで保健室に向かう。若宮の意識が朦朧としているのに気付いて、抱き上げた。

「……ちょ、それ、お姫さ、やめ、」
 途切れ途切れでも言いたい事は伝わった。ちょっと、それお姫様抱っこじゃん。やめて。と言いたかったんだろう。
 でも俺は聞こえないふりをして、保健室に足を運んだ。
 こんな状態になってまで授業授業って、何事だよ。馬鹿なのか?
 多分馬鹿なんだ。

 行儀が悪いのを理解した上で、足でドアを開ける。両手が塞がってるから、これくらい許してくれるだろう。
「すみません、1年の若宮(わかみや)(なぎさ)。体調不良なんでベッドで休ませてやってください。」
 養護教諭にそう伝えて、空いたベッドにゆっくり下ろす。
「あぁ、そうなの? いつから?」
「わかんないっす。」
「……あらそう? わかった、ありがとう」
「俺、授業終わったらこいつの荷物持って迎えに来るんで。目が覚めるまでそっとしておいてやってください。」
 柄にもなく、授業中もずっと頭から若宮が離れなかった。



 保健室に行くと、ドアに『保健室の先生は不在です』というプレートがかかっていた。荷物を持ったまま、ドアを静かに開ける。
 ベッドにいたのは、一人じゃなかった。

「……なんで避けるんだよ」
「だ、だってもう別れたし……」
 ベッドの上で、布団をかけて座っている若宮と。若宮の肩に手を置いて逃げる隙を与えない男。恐らく先輩。
 あぁ、なんだ元彼か、と会話の内容から納得がいく。荷物を置いて帰るべきか、助けるべきか。
 他人の恋愛に首を突っ込むべきでは無いとわかってはいても、すぐに置いて帰ろうと判断できるほど薄情でもない。

「じゃあより戻そ? 俺が悪かったよ、変わるからもう一回……」
 もう一歩若宮に詰め寄ったところで、つい行動に出てしまった。
 初めて見る、過度に怯える若宮の姿と、あからさまに弱いものいじめをしているという構図を。

「若宮、そいつ彼氏?」
 ぶんぶん、と若宮は首を振る。
 そうだよな、知ってる。会話の内容で若宮とこの男が付き合ってないのはわかった。
「……んー、じゃあストーカーか? スリッパの色からして高三でしょ、推薦とか関わってきません? 大丈夫ですかね、せーんぱいっ」
 後輩に煽られたのが気に食わなかったのか、ギリッと奥歯を噛んで「渚がそう思ってなければ推薦にも関わらない」と苛立ちを抑えて言う。
 あーあ、典型的なDV彼氏じゃん。しかも思考まで縛ってくる束縛系。若宮って男の趣味悪いよな。

 近付いて、バシッと男の手を振り払う。
「あの、手掴んで圧かけんのやめましょーよ。先輩が後輩を力でねじ伏せるってカッコ悪いですよ」
「ってめ」
「あ、ちなみにさっきからこれ、面白半分で動画回してたんすよねー。逆らわない方が身のためじゃないですか? 」
 片手にはスマホ。もちろん途中からしか回してない、ハッタリだ。
 これで信じてくれるといいけど。
「ほら、不調でか弱い後輩から離れてもらって……そんで、二度と現れないでください」
「推薦かかってんだから勘弁してくれよ」
 男はあからさまに不機嫌なまま、舌打ちをして保健室を去っていった。流石に証拠を持ち出されたら言い逃れできないとわかってのことだろう。推薦もかかってて、高三だからというのもあるのかもしれない。
 タイミングが良かったな。本当に。

「……なぁ。誰あいつ。元彼?」
「そうだけど」
 苛立ちが声に含まれている。その声には怯えも感じた。
 そりゃそうか。俺より筋肉量は少ないとはいえ、力量も体格も違う年上の男に詰め寄られたんだ。怖いと思うのも至って普通の事。
 ただ、ここで俺が過剰に心配しても気持ち悪い。若宮が望んでるのはきっと、いつも通りの態度。

「お、いつもの暴力的攻撃的若宮じゃん」
「……るさい、ほっといて。」
「んーそれは無理だな。心配だからほっとかない」
 気持ち悪い、みたいな反応をされるかと思いきや。返ってきたのは「いやだ、一人にして。当たっちゃうから、嫌なの」という涙声。
 相当弱ってるな。あの若宮をここまで弱らせるって、あいつどれだけやばい奴だったんだよ。

 ふぅ、と息を吐く。
「当たっていーよ、別に。しんどい時くらい我慢してやるよ。話したいなら話も聞く」
 黙ったまま俯く若宮の顔をガッと掴んで上を向かせる。
「若宮さ、今からなんか用事ある?」
「っわ、びっくりした……特に無いけどなに。」
 きっと、このまま帰してもいいのかもしれない。
 だけど若宮の事だから今日あった事は、なかった事にして一人で消化させようとするような気がした。
 やらない善よりやる偽善とも言うし。

「駅前のケーキ屋とかどう?」と提案した時、若宮の目の色が変わった。