1

「……ううぅ……痛ぇよー、痛いぃ。めちゃ腰だるいわぁ。大丈夫か、俺」
「あっ、真田くん! おはよーっ」
「あ、美村(みむら)ちゃん。おいっすー」
 腰をさすりながらヨロヨロと入った校門の内側で、同級生の美村すずちゃんと出会った。腰以外は元気なので、陽気に朝の挨拶を交わす。
 背中まで届く綺麗なストレートの黒髪に、パッチリと大きな瞳。今どき珍しい、正統派の大和撫子的ビジュアルの女子は、いつも、こちらまで笑顔になれる気持ちのいい明るさだ。性格が良いから、整った容貌が五割り増し可愛く見える。
「真田くんがこの時間に登校してるなんて珍しいね。今朝は、バレー部の朝練なかったの? というか、心なしか元気がなさそうだけど、大丈夫?」
「あー、うん。ちょっと身体だるくてさー。今朝の自主練は休んだんだー」
「えっ、真田くんが部活休んだの? 第一印象がとても明るくて元気! 第二印象がすごく明るくて超元気! の真田くんが調子悪いの? それは大変っ! 今から保健室行く? 私、付き添うよ」
「いやいや、美村ちゃん。心配してくれんのは嬉しいけどさ。その第一と第二の印象のくだり、要る?」
 俺の取り柄、明るさと元気しかないみたいで、ちょい悲しくなるぜ。
「というか、保健室は行かなくても大丈夫だよ。朝練を休んだのは腰痛が原因なんだけど、ちゃんと湿布貼ってるし」
 昨日、芳賀が俺にくれた湿布だ。部室の備品だけど、芳賀が手渡しでくれた湿布だから効き目は抜群! のはず。
「そう? でも無理しないでね。――あっ、芳賀くんだ! 芳賀くーん、おはよっ!」
 えっ? うわ、ほんとだ。芳賀だ! 昨日のこと思い出してたら、早速、昇降口で会えたよ。ラッキー。  
「おはよう、美村さん。……慎吾も」
「あっ、おおお、おはようほほっ」
 やべっ。動揺しすぎて、語尾がゴリラ風になっちまった。
 だって、やべーんだよ。美村ちゃんと挨拶を交わした後に、一拍おいて俺に向けられた芳賀の流し目が! めちゃめちゃ色っぽくて心臓が痛い。やばい、やばい。もう俺、直立不動だよー。
 昇降口に充満してる生徒たちのざわめきが一瞬で周囲から消え去って、芳賀しか見えなくなってる。
「美村さん。明日、学園祭の実行委員会だけど、その前に二年の委員だけで集まる話が出てるの、聞いてる?」
「聞いてる。今日の放課後、1組に行けばいいんでしょ?」
「そう、俺のクラス。その時に——」
 俺は芳賀しか見えてないのに、芳賀が俺を見たのは挨拶の一瞬だけ。その後、ずっと美村ちゃんとだけ話してる。耳あたりのいいテノールが紡ぐ話題は、同じ実行委員の二人だけでわかり合ってる内容で、俺は連れ立って歩く二人の後ろをのそのそと付いていくのみだ。
 ……仕方ない、か。
 だって、芳賀にとっての俺は、単なるチームメイトだもんな。
 一晩寝ても腰の痛みが残ってたから朝練を休むメッセージを送った時は、心配してる言葉を返してくれた。それだけでもありがたいと思わなきゃだ。直接、顔を合わせた時にも心配してくれるかも、なんて期待を抱くのは図々しいんだよ。ちょっと、いや、かなり期待してたけどさ……。
 あーあ、あの夢、もう一回、見たいなー。
 夢の中ではあんなに優しかったのに、今日の芳賀はこんなにも素っ気ない。当然だ。こっちが現実なんだから。
 現実で叶わないから、俺の願望があの夢を見せてくれた。キスしたりハグしたり、いろんなことヤっちゃうエロい夢を見て、ベンチから落っこちるような間抜けな俺に、もう一度ラッキードリームが降ってくるだろうか。
 なぁ、芳賀? 俺、どんだけ長い間、お前に片想いしてんだろうなぁ。
「じゃあ、美村さん。また放課後に」
 美村ちゃんにだけ声をかけ、あっさりと背を向けた濃茶色の髪の長身が1組の教室に消えていった。
 あぁ、せめて同じクラスだったらなぁ。授業中に盗み見くらいできるのになぁ。そっと近づいて匂い嗅ぐとか、いろいろできそうなのになぁ。
 なんて、変態チックなことを普段から考えてるから、あそこまで濃厚でどエロな夢を見ちまったんだな。芳賀の声とか指の感触とか、めっちゃリアルだったし。俺、すげぇ喘いでた気がするし!
 あー、マジでばかだ。現実との落差にこんなにも胸が痛くなるっていうのに、ほんと、なんであんな夢を……。
「ねぇ、真田くん。やっぱり、どこか具合悪いんじゃない? ちょっと顔色悪いよ」
「えっ、美村ちゃん? まだ居たの?」
 1組のドアをじーっと見つめていた俺の視界にぴょこんっと飛び込んできた可愛い笑顔に、びくっとのけぞった。
「やだなぁ。クラス一緒なんだから、居るよー。というか真田くん、ほんとに大丈夫なの?」
「あ、あぁ、大丈夫。全然、大丈夫っ」
 やべ。俺、フツーに芳賀しか見てなかったから、美村ちゃんの存在、まるっと忘れてたわ。変に思われてないかな?
 まぁ、俺が芳賀を大好きなのは昔からで、その頃からの同級生には全然隠してないんだけどさ。
 でも、その『大好き』が幼馴染の友情じゃなくて本気の恋愛感情だってバレたら、アイツに迷惑かかるじゃん? というか、気持ち悪がられるじゃん? 芳賀に。
 だって俺、男だし。そうなったら、もう友だちとしてすら見てもらえない。きっと、汚い物体でも見るような冷淡な目が向けられるに決まってる。
 それだけは、嫌だ。ただでさえ、ちっさい頃からうるさく纏わりついてはウザがられてるのに。湿布くれた時みたいに優しくしてくれることもあるけど、素っ気なくあしらわれる時のほうが断然多いのに。
 いくら脳天気な俺でもさ。いくら、いつもチャラチャラとお調子者キャラの俺でもさ。好きなヤツに冷たい目で見られるのは、すげぇ堪える。
 うっ、だめだぁ。柄にもなく泣きそう。今後、一生、拒絶されるなんて耐えらんないよ。

     2

「真田くん。昨日、学園祭の実行委員会に行ってきたんだけど、準備品のことで相談してもいい?」
「うん、いいよーん」
「まず、衣装なんだけど」
 昼休み、美村ちゃんが俺の席までやって来た。
 もうすぐ開催される学園祭の実行委員に、夏休み明けに編入してきた美村ちゃんがなってくれた。まだ学校に慣れていないだろうに、行事に携わりたいと引き受けてくれたから、クラス委員の俺が、いろいろとサポートしてる。今日は、衣装や諸々の準備品の打ち合わせだ。
「んじゃ、白装束は生地を買って縫うほうが安くあがるんだな。てか生地、シーツでいいのか? シーツ製の衣装、動きにくいってことはない?」
 クラスの出し物は、お化け屋敷。必要な衣装、準備物についての意見を聞いてる。
「反物を買うと高くつくでしょ。それに、どうせ血糊とかで汚しちゃうから。そのぶん、景品に予算を回したほうがいいと思って」
「あー、そうだな。参加者の皆さんには楽しんで帰ってもらいたいもんな。あ、その景品なんだけどさ」
 俺が座っている窓際の席には、昼下がりの眩しい陽射しが降り注いでる。
 俺の隣に座ってる美村ちゃんも当然その光の範囲にいる。今年の春に編入してきたこの子はこうして陽光を浴びてると、さながら日本人形のような可愛らしさがさらに引き立ってる。
 けど、その屈託のない笑顔を見る度に、俺の胸はじくじくと疼いてしまう。
 だって、たぶん、芳賀は美村ちゃんを好きだから。
 今まで、もしかしたらって思ったことはあった。いつだったか美術部のデッサンの参考にしたいって頼まれて、俺と芳賀が所属してるバレー部の練習見学に誘った時、いつも少なからず来てる見学の女子たちに全く興味を示さない芳賀がわざわざ自己紹介しに寄ってきたんだ。驚いた。ズキンって胸が痛んだ。言葉にできない黒い不安が痛んだ部分から広がっていく感覚があった。
 それで、一昨日の朝のアレだ。偶然にも同じ実行委員になった二人はにこやかに話す仲になってた。俺をスルーして美村ちゃんとだけ話す芳賀を見て、嫌な予感は当たってたと気づいた。
 ずっと芳賀を想ってきた俺は知ってる。アイツは、今どき珍しいストイックな硬派タイプなんだ。同じ実行委員になったからとはいえ、別のクラスの、しかも半年前に編入してきた女の子とかなり打ち解けた様子で会話してた姿に、俺はすげぇショックを受けた。
 芳賀は、美村ちゃんのどこが好きなんだろう。この白い肌が好みなのかな。それとも綺麗な黒髪? ぷるんっと艶めいてる薄桃色の唇にもそそられるだろうし、控えめで清楚な見た目が好きなのかな?
「じゃあ、景品は真田くんにお任せするね。それから衣装の話に戻るけど、幽霊役の準備品に足袋を加えてもらえないかな? いくら教室でも出し物の間ずっと裸足でいるのは女子にはきついと思うの。お化け屋敷の幽霊さんが足袋履いてたら変だけど、お客様からは絶対に足元が見えないようにするから許可ください」
 やっぱり、決め手はこの性格の良さだろうな。芳賀なら、そこを重視する。
「いいよー。女子は足元を冷やしちゃ、いかん。もちろん、足袋の着用オッケーだよ」
「ありがとう。真田くん、優しいね」
「や、そんなことないよ。企画段階で気づくべきことだったよ。逆にサンキューな」
 性格の良さが窺える裏表のない笑顔が俺に向けられてる。可愛い。芳賀が好きになるわけだ。
 しかし、俺、さっきから残念すぎるな。この子のどこを芳賀が好きでも、俺には関係ないじゃん。男の俺が、美村ちゃんになれるわけないんだから。
「あっ、いけない! 私、三年の教室に行かなきゃなのに、忘れてた!」
 柄にもなく落ち込んだ俺が、打ち合わせノートを見るふりをして可愛い姿から目を逸らしてると、頭上で、これまた可愛い叫び声があがった。
「三年の教室? 昼休みの間に行かなきゃなのか?」
「うん、昨日の議事録のコピーを先輩に持っていくの。ほんとは芳賀くんの仕事なんだけど、一緒にコピーとったから私が立候補したの。じゃ、行ってくるね」
 芳賀と一緒にとったコピー?
「待って、美村ちゃん。俺も……」
「俺が行くよ。美村さん」
 え?
「えっ、芳賀くんっ?」
「はっ、芳賀っ?」
 芳賀の突然の登場に、美村ちゃんと俺の驚く声がかぶった。美村ちゃんへの『俺も一緒に行く』も綺麗に消された。
「元々は俺が頼まれたことだから、美村さんに行ってもらうのは悪いと思って、議事録をもらいに来た。返してもらえる?」
 不意打ちの芳賀の供給は俺を最高にドキドキさせたけど、コイツの目的は美村ちゃんだった。
「でも、せっかく芳賀くんのお手伝いをしたくて預かった書類だから、私が行きたいんだけど」
「いや、いいよ。コピーを手伝ってくれただけでかなり助かったから」
 このやり取り、もう見ていたくない。俺と話す時とは段違いに優しい口調で接してる芳賀を、これ以上、見ていたくない。見せられたくないよ。
「あのさ、芳賀!」
 あれっ? 俺の口、勝手に動いてる!
「おっ、俺が!」
 身体も動いてる!
「議事録の提出、俺が行く! 俺も手伝いたい!」
 気づいた時には、椅子を蹴るように勢いよく立ち上がり、美村ちゃんとの会話に割り込んでいた。
「は? お前が?」
「えっ、真田くんも行きたいの?」
 芳賀と美村ちゃん、二人が同時に俺を見た。というか、芳賀の目が怖い。眉間にくっきりと皺が寄ってる。急に立ち上がって驚かせたことを割り引いても、かなり不機嫌そうだ。
「お前が行くのか? 学園祭の実行委員じゃないのに?」
 あ、しまった。二人の仲のいいやり取りを聞いていたくなくて、つい割り込んじまったけど、なんも考えてねぇ。理由、絞り出さなきゃ。
「えーと、そのう……実は水泳のオリンピック候補になってる先輩に前から興味があって、お話できる機会をずっと狙ってたので、一緒に行きたいなー、と」
 訝しげに向けられるきつい目線に怯みつつも、咄嗟に思いついた理由をボソボソと答えてる途中で芳賀の顔色が変わった。
「なんだ、それ。ふざけてるのか。こっちは委員会の用で行くんだぞ。お前はもう黙れ。——美村さん、議事録を渡してくれる?」
「は、はい。これですっ」
「ありがとう。じゃあ、また」
「ああっ。芳賀くんの迫力に負けて、うっかりコピー渡しちゃった! 待って、芳賀くん! 私の仕事だから、私も行く!」
 冷たい口調で言い放って、さっと背中を向けた芳賀を美村ちゃんが慌てて追いかけていく。その美村ちゃんを途中で立ち止まった芳賀が待つ姿が、ふらふらと廊下に出た俺の目に入った。並んで歩き出した二人が次第に視界から消えていく。
 あれ? 俺、いつの間にか置いてきぼりになってる。なんで? 結局、仲良く並んだ二人の後ろ姿を見せられてる。どうして?
「あーあ、またやっちまった」
 また、空気の読めない脳天気なヤツって思われたよなぁ、俺。
 去り際に芳賀が向けてきた視線、めっちゃ冷たかったもん。
 きっと思われただろうな。『むかつく、お邪魔虫』って。絶対……。