ゆらり。影が揺らぐ。
オレンジ色の夕陽が色濃く射し込む部室の一角。そこで陽に滲むようにゆらりと揺れているのは二つの影。夕闇に溶けゆくのをただ待つだけの、しんと静まった空間に、色めいたテノールが響く。
「気持ちいいか? 頬が上気してきた」
「……ぁ、んっ」
それは大好きな声。幼なじみの芳賀克人が艶声とともに何度も降らせてくる口づけに、俺は夢中で応えている。
「ん、良い声だ」
いつからか、他の部員が帰った後の部室で行われるようになった二人だけの秘密の遊戯は、幼い頃から芳賀をずっと好きだった俺を舞い上がらせ、蕩けさせる至福の時間だ。
ついさっきまで部員同士がにぎやかに騒ぎ、喋っていた部室は、それまでとは真逆な淫らな色をまとい、とろりと濃い空気で満たされ始めていた。
「慎吾」
秀麗な面差しが俺の名を呼び、髪に指を通し、ゆっくりと後ろに梳いていく。
「キスだけでこんなに目を潤ませて。可愛いな、お前」
芳賀が俺にくれる『可愛い』が、とんでもなく嬉しい。前髪を梳いてくれる指の動きが優しいのも嬉しい。
目を閉じて、されるがままに甘えていると、頬にも唇が触れた。チュッ、チュッと頬にキスを落としながら移動した唇が耳に到達した。耳朶に吐息が降る。何度もそこを食まれる。既に熱くなっていた身体が、さらに熱を持ってしまう。
「んっ」
「耳を噛まれて感じるお前も可愛い。さて、質問だ。ここと唇、お前はどっちが好きだ? ただし、答えは今の二択から選ばなくても構わない」
しっとりと鼓膜を震わせた囁きは意地悪で愉しげな響きを宿し、大好きな相手の指が俺のTシャツの襟をくいっと引っ張った。
えーと、『好き』の選択肢は二つでなくても構わないってこと? つまり、耳と唇以外の場所を答えてもいい、と。そんで、その質問の最中にTシャツの襟が引っ張られたことには当然、意味があるわけで……だから俺の答えは……。
「なるほど。即答できないということは、俺との時間はもう終了してもいいと考えていると受け取るが、それでいいか?」
「えっ、違うよ! 待って! 熟考してただけだから! 今すぐ答えるから!」
十秒も待たせてないはずなのに、即答できてないから終了の危機になってる! 芳賀ってば、痺れ切らすの、早すぎだよー。
「えーと、えーと、俺が好きなのは全部! 芳賀がくれるものは全部! 『好き』も『快感』も『可愛い』も『嬉しい』も全部、俺の全身で受けとめたいです!」
「よし、合格」
「やった!」
「即答できていたら満点だったけどな。五点減点してある。でも合格は合格だ」
「えーっ、俺に出来る、最速の即答だったんだぞ。採点基準、厳しすぎだろ。でも次は満点を目指しますっ」
「ふふっ。お前の前向きで柔軟なところ、好きだ」
「え? 俺のほうが好きだけど? めっちゃ好きですけど?」
そうじゃなきゃ、男の恋人に愛想尽かされないよう、ここまで必死にならない。
「だからさ、さっきの続き、したいよ」
甘えた声でキスの続きなんて求めないよ。
「続きって、こっちのほうか?」
薄く笑い、顔を寄せてきた芳賀が、俺の唇をぺろっと舐めた。
即座にうんうんと頷き、もっと続けてほしくて顔を傾けると、芳賀の手が俺の背にまわった。待ってた体勢だ。俺も抱きしめ返す。芳賀の濃茶色の髪が頬に触れる。細くて柔らかくて、いつも良い匂いなんだ。
「芳賀ぁ」
「いつも甘え上手だな。褒美にたっぷりと悦くしてやるから、ちゃんと声をあげて舌を出せ。ほら、お前の良いところは、ここだろ?」
うん、そこ。待ってたのは、そこだよ。だから、もっとキスして。抱きしめて触れて、翻弄してくれよ。
俺、お前の手でおかしくなりたい。大好きなんだ。
もっと、くれよ。いくらでも、舌、差し出すから――。
「――おい。なんだ、この手は」
「え? 何って、続きをもっとしたくて」
なんだろ。芳賀の声が一気に冷たくなったような……。
「何の続きだ。というか、いつまで寝ぼけてる。いい加減に起きろ。俺の手も離せ。ばかたれ」
「えっ、何? 起きろ? なんで、そんなこと言うんだよ……って! ちょっと待って! ここ、どこ……うわぁっ!」
突然、下半身にものすごい衝撃が走った。尻から床に落ちたんだ。
「大丈夫か? ベンチの上で寝返りをうったら落ちるのは当たり前だけどな。そもそも部室のベンチで寝たお前が悪い」
「……返す言葉もありません」
説教口調になった芳賀に、返す言葉なんて無い。項垂れて小さく返事するのが精いっぱい。床に落ちた衝撃で完全に目が覚めたから、余計にだ。
どうやら、俺は夢を見てたらしい。
身体の痛みもだけど、今まで芳賀とあんなことしたり、されたりしてた至福の時間が全部、夢だったなんて。大ショックだよー。
「聞いてるのか、慎吾。だいたい、お前には――」
お前にはレギュラーの自覚が云々、と厳しい言葉が続く芳賀の前で、俺は身体をへにょりと丸めた。ちょっとだけ休むつもりでベンチに寝転がったら爆睡してたみたいだけど、その反省の気持ちを姿勢で表明してるわけじゃない。
こんな、悲劇度MAXの夢オチが待ってるってわかってたら、夢の中でもっと積極的になってたら良かったんじゃね? って悔しくて堪んねぇんだ。絶賛、後悔中なんだ。
せっかく幸せな夢だったのに! どうせ覚める夢なら、しかも居眠り現場を当の芳賀に発見されてお説教くらう羽目になるんなら、もっといっぱいチュッチュしてたら良かったよ! これからってとこで! 一番いいとこで目ぇ覚めちゃって、俺ってば最悪! マジで大ばか!
「反省したか?」
「した。しました。もう練習着のままで寝ません。身体を冷やしたりしません。レギュラーの自覚を持って行動します」
「なら、いい。もう一回、ベンチに座れ」
「へ? うん」
床で正座してた俺に、またベンチに座れと芳賀が言った。理由がわかんねぇまま素直に座ると、備品が入ったロッカーを閉めたソイツが戻ってきた。
「ほら、これ貼っとけ。さっき、腰をぶつけてたろ」
「あ、湿布。サンキュ」
ベンチに落ちた時のこと、気にしてくれてたのか。めちゃ怖い顔で説教が始まったから、ダラダラしてる俺に呆れて怒ってると思ってた。
「身体は大事にしろよ。少しの気の緩みが取り返しのつかない怪我に繋がることもあるんだからな。俺はこれからもお前と一緒にバレーやりたいんだぞ」
やや乱暴に、俺の頭にポンと手を置いた芳賀は、それからすぐに部室を出ていった。
「うん。これから、ちゃんとする。気をつけるよ。お前に迷惑も心配もかけないように」
閉められたドアの向こうにこの返事が届かないことは承知で宣言した。今の俺、今日一番の真剣な表情してるって言い切れる。
「あーあ! 全く、アイツめ!」
これだから諦められないんだ。
ただのチームメイトに向けた言葉だって知ってる。芳賀は幼馴染として心配してくれてるだけ。ちゃんとわかってる。でもさー。
「普段、あんな風に笑わないヤツがさ。『俺はこれからもお前と一緒にバレーやりたい』なんて、照れくさそうに微笑んで言ってくれたら、十年以上もアイツを想ってる片想い猛者の慎吾ちゃんのハートはひび割れまくりじゃん」
これ以上、好きにさせて、どうすんだよ。芳賀克人ってヤツは、本当に罪な男だ。
オレンジ色の夕陽が色濃く射し込む部室の一角。そこで陽に滲むようにゆらりと揺れているのは二つの影。夕闇に溶けゆくのをただ待つだけの、しんと静まった空間に、色めいたテノールが響く。
「気持ちいいか? 頬が上気してきた」
「……ぁ、んっ」
それは大好きな声。幼なじみの芳賀克人が艶声とともに何度も降らせてくる口づけに、俺は夢中で応えている。
「ん、良い声だ」
いつからか、他の部員が帰った後の部室で行われるようになった二人だけの秘密の遊戯は、幼い頃から芳賀をずっと好きだった俺を舞い上がらせ、蕩けさせる至福の時間だ。
ついさっきまで部員同士がにぎやかに騒ぎ、喋っていた部室は、それまでとは真逆な淫らな色をまとい、とろりと濃い空気で満たされ始めていた。
「慎吾」
秀麗な面差しが俺の名を呼び、髪に指を通し、ゆっくりと後ろに梳いていく。
「キスだけでこんなに目を潤ませて。可愛いな、お前」
芳賀が俺にくれる『可愛い』が、とんでもなく嬉しい。前髪を梳いてくれる指の動きが優しいのも嬉しい。
目を閉じて、されるがままに甘えていると、頬にも唇が触れた。チュッ、チュッと頬にキスを落としながら移動した唇が耳に到達した。耳朶に吐息が降る。何度もそこを食まれる。既に熱くなっていた身体が、さらに熱を持ってしまう。
「んっ」
「耳を噛まれて感じるお前も可愛い。さて、質問だ。ここと唇、お前はどっちが好きだ? ただし、答えは今の二択から選ばなくても構わない」
しっとりと鼓膜を震わせた囁きは意地悪で愉しげな響きを宿し、大好きな相手の指が俺のTシャツの襟をくいっと引っ張った。
えーと、『好き』の選択肢は二つでなくても構わないってこと? つまり、耳と唇以外の場所を答えてもいい、と。そんで、その質問の最中にTシャツの襟が引っ張られたことには当然、意味があるわけで……だから俺の答えは……。
「なるほど。即答できないということは、俺との時間はもう終了してもいいと考えていると受け取るが、それでいいか?」
「えっ、違うよ! 待って! 熟考してただけだから! 今すぐ答えるから!」
十秒も待たせてないはずなのに、即答できてないから終了の危機になってる! 芳賀ってば、痺れ切らすの、早すぎだよー。
「えーと、えーと、俺が好きなのは全部! 芳賀がくれるものは全部! 『好き』も『快感』も『可愛い』も『嬉しい』も全部、俺の全身で受けとめたいです!」
「よし、合格」
「やった!」
「即答できていたら満点だったけどな。五点減点してある。でも合格は合格だ」
「えーっ、俺に出来る、最速の即答だったんだぞ。採点基準、厳しすぎだろ。でも次は満点を目指しますっ」
「ふふっ。お前の前向きで柔軟なところ、好きだ」
「え? 俺のほうが好きだけど? めっちゃ好きですけど?」
そうじゃなきゃ、男の恋人に愛想尽かされないよう、ここまで必死にならない。
「だからさ、さっきの続き、したいよ」
甘えた声でキスの続きなんて求めないよ。
「続きって、こっちのほうか?」
薄く笑い、顔を寄せてきた芳賀が、俺の唇をぺろっと舐めた。
即座にうんうんと頷き、もっと続けてほしくて顔を傾けると、芳賀の手が俺の背にまわった。待ってた体勢だ。俺も抱きしめ返す。芳賀の濃茶色の髪が頬に触れる。細くて柔らかくて、いつも良い匂いなんだ。
「芳賀ぁ」
「いつも甘え上手だな。褒美にたっぷりと悦くしてやるから、ちゃんと声をあげて舌を出せ。ほら、お前の良いところは、ここだろ?」
うん、そこ。待ってたのは、そこだよ。だから、もっとキスして。抱きしめて触れて、翻弄してくれよ。
俺、お前の手でおかしくなりたい。大好きなんだ。
もっと、くれよ。いくらでも、舌、差し出すから――。
「――おい。なんだ、この手は」
「え? 何って、続きをもっとしたくて」
なんだろ。芳賀の声が一気に冷たくなったような……。
「何の続きだ。というか、いつまで寝ぼけてる。いい加減に起きろ。俺の手も離せ。ばかたれ」
「えっ、何? 起きろ? なんで、そんなこと言うんだよ……って! ちょっと待って! ここ、どこ……うわぁっ!」
突然、下半身にものすごい衝撃が走った。尻から床に落ちたんだ。
「大丈夫か? ベンチの上で寝返りをうったら落ちるのは当たり前だけどな。そもそも部室のベンチで寝たお前が悪い」
「……返す言葉もありません」
説教口調になった芳賀に、返す言葉なんて無い。項垂れて小さく返事するのが精いっぱい。床に落ちた衝撃で完全に目が覚めたから、余計にだ。
どうやら、俺は夢を見てたらしい。
身体の痛みもだけど、今まで芳賀とあんなことしたり、されたりしてた至福の時間が全部、夢だったなんて。大ショックだよー。
「聞いてるのか、慎吾。だいたい、お前には――」
お前にはレギュラーの自覚が云々、と厳しい言葉が続く芳賀の前で、俺は身体をへにょりと丸めた。ちょっとだけ休むつもりでベンチに寝転がったら爆睡してたみたいだけど、その反省の気持ちを姿勢で表明してるわけじゃない。
こんな、悲劇度MAXの夢オチが待ってるってわかってたら、夢の中でもっと積極的になってたら良かったんじゃね? って悔しくて堪んねぇんだ。絶賛、後悔中なんだ。
せっかく幸せな夢だったのに! どうせ覚める夢なら、しかも居眠り現場を当の芳賀に発見されてお説教くらう羽目になるんなら、もっといっぱいチュッチュしてたら良かったよ! これからってとこで! 一番いいとこで目ぇ覚めちゃって、俺ってば最悪! マジで大ばか!
「反省したか?」
「した。しました。もう練習着のままで寝ません。身体を冷やしたりしません。レギュラーの自覚を持って行動します」
「なら、いい。もう一回、ベンチに座れ」
「へ? うん」
床で正座してた俺に、またベンチに座れと芳賀が言った。理由がわかんねぇまま素直に座ると、備品が入ったロッカーを閉めたソイツが戻ってきた。
「ほら、これ貼っとけ。さっき、腰をぶつけてたろ」
「あ、湿布。サンキュ」
ベンチに落ちた時のこと、気にしてくれてたのか。めちゃ怖い顔で説教が始まったから、ダラダラしてる俺に呆れて怒ってると思ってた。
「身体は大事にしろよ。少しの気の緩みが取り返しのつかない怪我に繋がることもあるんだからな。俺はこれからもお前と一緒にバレーやりたいんだぞ」
やや乱暴に、俺の頭にポンと手を置いた芳賀は、それからすぐに部室を出ていった。
「うん。これから、ちゃんとする。気をつけるよ。お前に迷惑も心配もかけないように」
閉められたドアの向こうにこの返事が届かないことは承知で宣言した。今の俺、今日一番の真剣な表情してるって言い切れる。
「あーあ! 全く、アイツめ!」
これだから諦められないんだ。
ただのチームメイトに向けた言葉だって知ってる。芳賀は幼馴染として心配してくれてるだけ。ちゃんとわかってる。でもさー。
「普段、あんな風に笑わないヤツがさ。『俺はこれからもお前と一緒にバレーやりたい』なんて、照れくさそうに微笑んで言ってくれたら、十年以上もアイツを想ってる片想い猛者の慎吾ちゃんのハートはひび割れまくりじゃん」
これ以上、好きにさせて、どうすんだよ。芳賀克人ってヤツは、本当に罪な男だ。
