「あいつの一族は代々、魔法が使えるんですよ……」と前を向いたままパイナが抑揚のない声で言った。
「そしてあいつの親は40年ほど前、あの事件を起こした……」オクラーンがうつむいたまま言った。
「のちに悪魔の霧事件とよばれたやつです……」
しばらくの沈黙のあと、「ああ……」とさとじいはうなずいた。
「知っております、そのあと、悪魔たちはわがベジッタ町に入り込みましたから……」
さとじいはうなるような声をあげた、
「あのとき、ちいさかった悪魔の果物が、あのドルアなのですな……」
パイナはゆっくりとうなずいた。
それから、いまはじめて気がついたように、ソファからゆっくりと立ち上がった。
「さ、おすわりください……」ソファを指し示す。それを見てレタースンも腰をあげた。
「い、いえ、わたしらは大丈夫です……」と、さとじいは遠慮したが、町長と編集長はのろのろした動きで、部屋のすみにあったベッドに向かい、そのすみに腰をおろした。
「お客さんを……、いや、これからお仲間になるひとたちをずっと立たせておくわけにはいきません……」とパイナがいう。
「あ、いや……そうですか、じゃ、座らせてもらおう……」とさとじいはソファに向かい、ライムとさとちもうながした。ふたりはさとじいのとなりにちょこなんと座った。
「あの、……これからお仲間になるって……」
とのさとじいの問いにはこたえず、パイナ町長はまたゆっくりと話し始めた。
「あいつの親や祖父母が町に魔法の霧を流し、その霧をかぶったひとたちはみな狂暴になり……」
そのときのことを思い出したのか、パイナはすこしうつむいて目をつぶった。しばらくだまっていたが、やがて口を開いた。
「お互いに傷つけあったのです……」とパイナはそのときの様子を思い出したのか、顔をしかめた。
「その魔法の霧を被ると、目の前のひとが化けものとか、怪物に見えるのです……」
さとじいは目をみひらき、ゆっくりとうなずいた。
「そう、家族や恋人同士もお互いが怪物にみえて、傷つけあったのです……」と目をつぶったまま絞り出すようにつづけた。
サトチがそっと手をのばしてきた。ライムはその手を握った。
「わたしも……、被害にあった一人です…………」
パイナは苦し気に続ける。
「わたしはまだ若かった、子供といってもいいくらいの年だったのです、そのころ、好きになった女の子がいて……」
パイナはまたうつむいて目をつぶった。
「その子と公園でいっしょにいたところ……霧が……」
「い、いや、」とさとじいは身をのりだして、パイナにむかって手を差し伸べるようなしぐさをした。
「そんな、悲しいこと、思い出さなくてけっこうです……」
「もともと、ドリアンは、「悪魔のフルーツ」と呼ばれているんだ。あの一族は、たとえではなく、本物の悪魔のフルーツだったというわけだよ……」とレタースンが吐き捨てるように言った。
「幸い、わが町、ベジッタでは、あなたがたの町の話を聞いておりましたから、まえもって対策をうつことができました……」とさとじいが言った。「魔法の霧を使う前に、悪魔の家族をいためつけて、町から追い出したので、ことなきを得ました……」
「やられる前にやっつけたというわけですな、それは賢明な策でした」とパイナ町長がゆっくりと息を吐きながら言った。
「わたしは攻撃に参加はしませんでしたが、聞いた話からすると、かなり徹底的にやったそうです。なにしろ相手は悪魔の魔法使い集団なのですから……」さとじいは続けた。
「町じゅうの武器をもってやつらがすんでいる丘の上に向かいました。夜中、やつらが寝静まっている間を襲ったのです……やつらの家にはじいさん、ばあさんや子供もいましたが容赦しなかったそうです……」さとじいは口調に力を込めた。
「なんだかかわいそうな気もしますが、仕方なかった……」
さとじいはかすかに顔をしかめた。
「そうしないと、われわれはどんな目にあわされるかわからなかったからです……」
「それはそうです。同情などしている余裕はない。やつらはわたしたちとはまったく別の生き物なのですから……」
とパイナもうなずきながらいった。
「やつらはほうほうのていで逃げた。われわれはやつらの家を焼き払いました……」と抑揚のない声でさとじいはそう続けた。
「しかし、そもそもいったいやつらは、なんのためにくだもんさんらを魔物にする魔法などをかけたのでしょう……」と、少し声の調子をかえて、さとじいは聞いた。
「はらいせでしょう、われわれはやつらを忌み嫌っていましたから……」
パイナはため息をつきながら言った。
「やつらは町に住んではいたものの、完全に孤立していた。」
よごれた灰色の壁を見つめながらパイナはつづけた。
「子供を学校に通わせようとしていたようだが、入れてもらえず、じいさんかばあさんかが病院に行こうとしたが、断られたそうだ……」
「あいつらは魔法を使えるんだから、病気やけがは魔法で治しゃあいいんだよ」
と吐き捨てるようにレタースンは言った。
「そもそも、やつらの姿はそれはおそろしい。こどもたちは彼らの姿を見ただけで泣き出していました……」とパイナは静かな口調で言った。
「見かけだけじゃない、その心も恐ろしいものだったんだ……」
とレタースンが低い声で言った。
「やつらはもともと悪魔だ。悪魔は、周りのものが傷つき、悲しがったり、苦しんだりするのを見るのが何より楽しみなんだ……」とレタースンが吐き捨てるように言った。
「最初はおとなしくしていたんだが、やはり遺伝子にながれる悪魔性はおさえられなかったんだな……」。苦虫を?み潰したような顔でレタースンがいうと、
「そう、ついに悪魔の本性を発揮して、あの事件を起こしたのです……」
とパイナが暗い声で引き取った。
「黒い霧事件……」さとじいがつぶやくように言った。
「われわれはなんとか、ドリアン一族を町から追い出すことに成功し、事件もなんとか解決しました……」とパイナはうつむきかげんで言った。
「まあ、逃げ出した先が、野菜さんらの町だったことは申し訳ない限りではありますが……」と付け加える。
「だが、やっつけられたことを、やつらは恨みに思ってたんだろうな……深い恨みを……」とレタースンが額にふかいしわをよせていった。
「あのとき、子供だった悪魔のフルーツが成長して、復讐しにきた……」さとじいがひとりごとみたいに言った。
「まあ、戻ってきたのがドルアひとりだったのがせめてもの救いだな……」
とレタースンが唇のはしをかすかにゆがめながら言った。
「家族そろって戻ってきて、また悪魔の魔術をかけられたら、たまったもんじゃないからな……」
「しかし、それにしても家族の後ろに隠れるようにしていた、ちっこいドリアンの子供が、あのようにおそろしげな巨大な怪物になっているとは思いもしませんでした」とパイナは言った。
「といっても、そのことに気づいているひとはいないがな……」
とレタースンは苦笑した。
「というと……」
さとじいは首をかしげた。
「ドルアはわたしと、レタースンさん以外に姿をみせていないからです」とパイナは言った。
「本当の姿は、ということだが……」
とレタースン。
「ドルアは自分の正体を明かしたあと、わたしたちに化けて過ごしているからです……」とパイナはくぐもった声でうつむき加減に言った。
「フルーツェンでは、パイナ町長さん、ベジッタでは、フルベジタイムズのレタースン編集長としてね……」
といってレタースンはしわがれた声で笑った。
「そして本物のわれわれは、なにもかもとりあげられて、この薄暗い部屋にずっと閉じ込められているわけだ。もう何年になるか、何十年になるのかもわからない……」
「見ての通り、ここにはカレンダーも時計もないですからな……」とパイナが付け加える。
「そして、魔物さまに、それぞれの町でのふるまいかたを教えてさしあげているというわけだ……」とレタースンも自嘲的に口をゆがめていった。
「いったい、どうしてそんなひどいことを……」
とさとじいが、ソファから身体を乗り出すようにして聞いた。
「われわれふたりに化けて好き放題にするためだよ……」とレタースンがだるそうに口を開いた。
「フルーツェンの町長になって、はりぼての城をつくったり、ベジッタのマガジンの編集長になって、野菜たちに果物への嫉妬と憎しみをあおる記事をひたすら載せたり……」
「なんで、そんなばかばかしいことをするんだ」
とライムがいらだった声をあげた。
「政治とメディアをおさえればコントロールしやすく効果的と思ったのかもしれないな……」とレタースンが言った。
ライムはわけがわからず、何も言わなかった。
「これは推測にはすぎませんが……」とパイナが口を開いた。
「やつの魔力はたいしたことないんでしょう。せいぜい、化け狐みたいにばけることくらいしか……」
「両方の町から迫害されうらみがあるあいつは、両方とも暗黒に落とそうとおもった。だがたった一人で両方の町を地獄に落とすほどの魔力はない……」
「そこで、ふたつの町を対立させ苦しめる方法を考え出したというわけだ……」とレタースンが補足した。
「われわれベジッタ町には、フルーツェンの優雅で裕福なうその世界をみせつけ、悔しがらせる。そして自分たちの生活がつらくみじめなものだと思わせる……」
苦虫をかみつぶしたような表情で、レタースンが話をつづけた。
「果物町には、野菜レスラーなどのような、ならずものを、けしかけて、果物のひとびとを傷つけ、大切なものを奪わせる……」
「いや、もしかしたら……」メディア王がさらに声をひくめた。
「やつは、二つの町を喧嘩させ、うっぷん晴らしをしているだけではないのかもしれない……」
「というと……」
さとじいがくびをかしげた。
「やつは、もっとおそろしいことを考えているのかも……」
床をじっと見つめる。
「二つの町を喧嘩させたうえで、支配しようと考えているんだ。二つの町が手をとりあい、力をあわせて、ドリアンに立ち向かっていったら、なかなか手ごわいと思ったんじゃないか……」
「じゃ、こうしちゃ、いられないじゃないかっ」
ライムはその場でぴょん、といきおいよくジャンプした。
とたんに天井に頭が激しくぶつかってはねかえり、いきおいよく床にころがった。
壁にぶつかって止まる。
「いてててっ」
ライムはおもわず頭をおさえた。けれど……実際には、あまり痛くないことに気がついた。
(あ、そうだ、これはもともとはフルーツェンのゼリーハウスだからだ……)と思い当たった。
「あのとげとげとやろうを止めなくっちゃあ」みなを斜めにみあげながら、ライムはうなるような声をあげた。
「あいつはどんなひどいことを企んでいるかわかったもんじゃないぞっ」立ちあがりながら、きびしい表情できっぱりと言った。
ライムはドアに突進すると、ドアノブをはげしくつかんでがちゃがちゃまわした。だがやはりドアはあかなかった。思い切り押したり引いたりしてもダメだった。
ライムはドアからはなれると、向かいの壁まで下がった。ドアをきっとにらむと、すごいいきおいで走り出した。
「とおりゃあああーっ! 」
ドアにおもいきり飛び蹴りをくらわせた。
次の瞬間、「わあああっ!」ライムはすごい勢いではねかえされ、もといた反対の壁までふっとばされた。床にころがる。
「そんなことやってもダメだよ」と興奮したライムとは対照的に、しらけたしずかな声で、パイナ町長が言った。
「そんなこと、何百回、いや何千、何万回だってやってみたさ……」とレタースンも投げやりな口調で続けた。
ライムは、今度は窓際に走って行って、窓に手を伸ばした。
「やめなさい……」とベッドからふりかえってパイナがいう。
「どうやっても開かない。窓だってそうさ……けっして開かないし、たたいてもガラスじゃないからまったく割れない。ああ、われわれのゼリーハウスがこんなに丈夫だとはな……、まったく皮肉なことだ……」
と町長はため息をついた。
「だからあいつは、われわれを閉じ込める先として、ゼリーハウスを選んだんだろう……」とレタースンが言った。
「そう、わが町のゼリーオブジェは生き物めいたところがあり、ドルアはそのほうが魔法をかけやすいようなのです……」とパイナが付け加える。
「とことん、ずるがしこいやつだな……」
ライムは両方のこぶしを握りしめた。
怒りがさらに高まると、口の中に、にがいつばがたくさん湧き出てきた。ぺっ、と床にすっぱジュースをはきかける。
「くそ、くそっ!」
壁にもそこらじゅう、おもいきり、いきおいよくふきつけた。
「まったく、フルーツェンのもののくせに、あんなやつのいいなりになりやがって! 」
そう毒づきながら、へやじゅうにつばをはきかけた。
「魔法なんかにかかってんじゃないよ」
すると、どうだろう。
びくっと、部屋が震えたような気がした。
「え、地震? 」
サトチが高い声を出して腰をかがめた。
部屋は振動していた。
「いや……」とパイナがかすれた声をあげた。
「家が、いやがっているんだ……」
町長の目は見ひらかれていた。
「部屋に体当たりしたり、つばをはいたりしたからだ……」とレタースンも押し殺した声を出した。
みな、驚きと恐怖の表情をうかべて、ぴくん、ぴくんと心臓の鼓動みたいに脈動する壁や天井をみあげていた。
「ごめん、わるかった!」と突然、ライムはさけんだ。殺風景な部屋のなかほどに立って、部屋をみわたしながら話し続ける。
「おれっち、かっとなるとすぐこうなっちまって……」うつむいてしおらしい声を出す。
「ふるさとがなつかしくないか……」
突然、さとじいが壁に向かって話しかけだした。
「きみはこんな森の奥で、ひっそりと身を潜(ひそ)めているような存在ではないはずだ……」
とおちついた声で続ける。
「勝手にわが町につれてきてしまってもうしわけないが……」さとじいは頭をさげる。
それにこたえるように、ハウスはびくん、びくんと、大きく壁を震わせた。
「みんなが、おおぜい出入りして、わいわいとにぎやかな建物だったはず……」
ハウスは考え込むように動きをとめた。
「帰ろう!、フルーツェンに!」
ライムは力強く言った。
「そうだ、ふるさとに帰ろう」とさとじいもやさしげな口調で言った。
突然、分厚い暗い色のカーテンがしゃっ、という音とともにひとりでに勢(いきおい)よくあいた。
同時に、部屋じゅうが白いまぶしい光に満たされた。みなおもわず目を強くつぶった。
床が足の裏をぐうっと押し上げるような、奇妙な感覚があった。ふわりとライムは自分の体がうきあがるのを感じた。
ライムとさとじい、さとちはまぶしい光にまもなく慣れて、目をあけた。
だが、長年、暗いところに閉じ込められていた町長と編集長は、目を射るような日ざしに耐(た)えられないのか、床に倒れてしまった。両目を両手でしっかりと覆っている。
「だ、だいじょうぶか?」とライムはふたりを助けようと思ったが、窓の外のうごきに気を取られ、動きを止めた。
「え」
驚いて窓から外をみると、林の木々がどんどん縮んでいた。
いや、そうではない。家が浮き上がっているのだった。
どんどん木々は短くなってついに消え、視界は真っ青な空だけになった。家は空を飛んでいるのだった。
ライムはおそるおそる窓に手をかけうごかしてみた。窓は開いた。
おそるおそる窓から顔を突き出してみると、屋根の少し下のほうに巨大なまっしろいつばさがみえた。
白鳥のようなつばさをゆっくりとはばたかせながら、家は空を移動していた。
自分が飛べることのよろこびに、あっちにふわりと大きく飛んだり、きまぐれにはんたいがわに、いきおいよく向かったりした。そのうち、くるくる回転したりさえした。
「わあ、目がまわるう」ライムたちはゆかにしゃがみこんだり、はいつくばったりした。
ライムは必死に立ちあがり、よろけながら、窓にむかった。
ハウスのスピードがゆるんだ。さっき遠ざかっていた林が見えてきている。ハウスはもとの場所に戻ろうとしているのではないだろうか……とライムは思った。
窓からぐうっとからだをつきだすと、まっすぐにボンダ山を指さした。「あっちだ。あの山を越えるんだ」ふきつける風にまけないように大声をあげる。
「フルーツェンに帰ろうっ!」
ゼリーハウスは、その声に勇気づけられたように、くるりと方向をかえ、再び、上空にのぼりだした。翼に力を込めまっすぐに進む。塀のようにうねうねと続く小さく鋭い山が前方にみえてきた。
つづけてサトチやさとじいも窓から顔を出した。歓声とも恐怖の声ともつかない声をあげる。
パイナとレタースンも窓辺にやってきた。しんぱいそうにまゆをしかめて、家からはえている大きなまっしろい翼をみあげている。
「だいじょうぶですよ、ちからづよくはばたいている」
とさとじいが笑顔をふたりに向ける。
ぼんだ山をこえ、フルーツェンが見えてくると、みなは歓声をあげた。
パイナ町長が窓から大きく身を乗り出す。
「おおっ、あれはジュシーカントリー?楽部だっ」と眼下にひろがるゴルフ場を指さした。パイナは下側の窓枠につかまってぴょんぴょんはねている。雄大なゴルフ場は日差しを浴び、青々と輝いている。
「お、おれもベジ・フル合同ゴルフ大会のとき、取材に行ったぞっ」とすかさずレタースンもすっとんきょうな高い声で叫んだ。
「おお、なんだあれはっ?」
さらに身を乗り出しながらパイナは叫ぶ。その指さす先には、丘の上にそびえるお城があった。おとぎ話に出てくるようなお城は全身に日の光をいっぱいにあび、白く輝いている。
「あっはは」ライムは笑った。
「あれが張りぼてのハリー城だよ、自分でつくっといて忘れちゃったのかよ」とからかった。
町長はつんつん髪がとがった頭をかいた。
「そ、そうだったな、ぼくが作ったことになってるんだったな……」
そういって苦笑しながらためいきをついた。
「おお、あれもそうなんだな……」
とレタースンがあおじろい指をさす。
そこには青々と輝いている港にまっしろい豪華客船が浮かんでいた。
「あれもそうさ、豪華客船ボテール号。すごいだろ。とても発泡スチロールでできているとはみえないだろ」とライムはなぜか自慢した。
「ふーん、すごいね、」
「すごいなあ」
パイナとレタースンにおしのけられていたさとじいとさとちが、みなの間にわりこんで首を突き出しながら言った。
やがて、“飛行ハウス”の速度が緩やかになってきた。バナナの形をした公園の展望塔が見えてくる。公園の芝生広場やサイクリングロード、ボート池なんかが大きくなってくる。やがてかすかなショックとともに、公民館ハウスは止まった。芝生広場に降り立ったようだった。
しばしの沈黙のあと、レタースンが言った。
「と、とまった?……」
「あ、ああ、公園に降り立ったようですな……」
とパイナ編集長もなかばつぶやくように言った。
「すばらしい着地ですな、ほとんどショックはなかった……」
さとじいが笑みをみせる。
パイナ町長はよろよろと部屋を横切り、ドアに向かった。おそるおそるふるえる手でドアをあける。
「あ、あいた……」ドアをあけ、よろけながら一人出ていく。
みなもあとに続いた。
町長はいまにもころびそうに、へっぴり腰で廊下の先の玄関に向かった。玄関は光にあふれている。
両開きの玄関ドアは開いていた。
「あいてる……」とつぶやいたきり、パイナ町長は広い玄関で突っ立っている。
まるで玄関の外にはてしなくひろがる光を恐れているかのようだった。
「さあ、お二人ともいきましょう……」と声をかけて、サトジイはふたりのわきをそっとすりぬけて前に進んだ。
それでもふたりは、まぶしそうに手を目のうえにかざしたままうごかない。
(長い間、閉じ込められていたから、足腰がすっかりよわくなっているのかも……)とライムは思って、立ちすくむ二人の間に割って入った。
「さあ、おれっちの肩につかまって」
ふたりはぼんやりと手をのばした。だが、……ライムは小さすぎて、肩につかまるとかえってバランスを崩しそうなことに気がついた。
「い、いや、その、気持ちだけで十分……」とパイナはいった。
そしてよろよろと公園のひろばに歩みだした。レタースンもあとに続く。
芝生広場にいた人たちは突如、空から舞い降りた赤い三角屋根の建物に驚いた。目をまるくし、口をぽかんとあけている。そこからあらわれた人たちにも驚きの声をあげる。
「あっ、パイナ町長! 」クリが声をあげる。
「なんでそんなところに……」
ゼリーハウスと町長たちを交互に見比べている。
「あ」とキウイが声をあげる。
「あれ、この建物見たことある」
目を大きく見開いて公民館を指さしている。
「羽はなかったような気がするけど……」
「これ、昔あった公民館じゃないの……」
デコポンのおばさんが叫ぶ。
「あ、そうだ。たしかずっと前に野菜たちに奪われたやつだよっ」
と、びわも興奮した声をあげた。
色とりどりのフルーツたちがざわざわする。
「パイナ町長、あいつらから公民館、取り返してくれたんだね」とイチジクがさけんだ。
「さっすが、町長だっ」
「はりぼてばかりつくったり、へんなことばかりしているって思ってたけど、ちゃんと、やることはやっていたんだね! 」
と信頼に満ちた目をきらきらさせて桃が叫ぶように言う。
「あ、いや、その……」町長はとまどった目をきょときょとと動かす。
「あれ、」デコポンが素っ頓狂な声をあげた。
「町長、ずいぶんやせたね、それにひげがぼおぼお……」
「あ、ほんと、さっきから気になっていたんだけど……」とハッサクもいった。目をぱちぱちさせている。
「どうして急にそんなにやつれちまったんだよぉ」などと心配する声があがった。
「わかった」とポンカンが軽快な声をあげ、ぽんと手を打った。
「それだけ、野菜たちから公民館を取り戻すのが大変だったってわけだよ」
「なるほど」
みな納得して、そろってうなずいた。
「でも、あれ……」急にけわしい顔になってハッサクがレタースンを指さした。
「あいつ、野菜じゃないか……」
「あ、そうだ。それにあいつらも……」
と桃が今度は、さとじいとサトチを指さす。
「あいつらはたしか、イボ……」
「いやちがう、イモだ。二匹もいやがる……」
と洋ナシが叫ぶように言う。
「町長さん、な、なんで野菜といっしょに……」
「わかった」
ぽんかんがぱん、といきおいよく手を打った。
「あいつらは捕虜だ、パイナさんは、わが公民館を戦い取って、ついでに捕虜も取った、というわけだ」
「なるほどっ」、みなもぽんかんの真似をして手を打った。
「英雄だ、英雄だっ、」
「ばんざい、ばんざーい!」
みな大声をあげて飛び上がった。
「あれっ」ハッサクが急にばんざいをとめて、指さした。
「おい、あれ……」
顔をしかめている。
「わ、悪ガキライムもいるぞっ、ライム小僧……」
とタンゴールが叫んだ。
「うわ、なんかちっこくて気づかなかったよ」
とみかん。
「ちぇっ、せっかく最近みかけなくて、町が平和だったのに……」とオレンジが舌打ちした。
「ライムは捕虜だっていらないけどな……」とバンペイユが低い声でつぶやくように言った。
「なにが捕虜だっ!」ライムがこぶしをふりあげて叫びかけたときだった。
「ほお、にぎやかだな、みなさん……」とどすのきいた低い声がライムたちの背後からひびいた。
ふりかえると、ドルアが立っていた。すこしふらふらしている。顔が赤い。酔っぱらっているようだ。まぶしそうに眼をほそめてあたりを見渡してから、太い首をゆっくり何度か横に振った。
「なんでここにいる……」ひとりごとみたいに低くつぶやく。
かたわらにレタスとオクラも首をかしげたり、目をぱちぱちさせたりしている。
「おい、これはどうしたことだ……おまえら、どんな魔法を使ったんだ……」
ドルアはぎょろ目でライムたちをにらみつけた。
「もしかしたら、ハウスが空を飛んだことに気がついていないんじゃないだろうか……」
とさとじいが、みなに小声で言った。
「どうやら、飛行中、よっぱらって寝ていたんじゃないか……」
とレタースンも声を潜めて言った。
「でかけたわけじゃなかったんですな……」パイナも声をひそめて返した。
「ああ、さっき、けっこうワインをがぶがぶ飲んでましたからな……」とサトじいが言った。
「なにをごちゃごちゃ言ってるんだ、おまえら」とドルアは真っ赤な目をして、すこしふらつきながら、パイナやレタースンたちのほうに近づいてきた。
「おまえら、いつ、家から出ていいっていった……」
とげだらけの太い腕を町長たちにむけて突き出す。
「お前たちは枯れはてるまで、ずっとわが家にいるはずだろう……」
パイナは逃げ出そうとしたが、脚がもつれて転びそうになった。
「チョウチョ、あぶないっ」
ライムはジャンプすると、すっぱジュースをドルアにふきかけた。
顔をねらったがはずれ、頑丈そうな肩にあたった。じゅっと、なにかが焦げるような音がしたが、ドルアの赤黒くぶあつい皮膚はなんともなかった。
パイナは体勢を立て直し、走り出した。オクラーンも続く。かれらのせなかにむかってドルアは大きな手のひらを向けた。
「リド、アドリリド……」
赤く濁った眼でにらみつけ、低い異様な声でうなる。
ドルアの口から、もわあと黄土色の煙みたいなものが出た。それは霧のように広がってパイナとオクラーンをつつみこんだ。
同時に、「うわ、くさっ!」みな、鼻をつまんでうずくまったりした。
何かが腐ったみたいな強烈なにおいがあたりに広がった。
黄土色の煙が消えると、そこにはツタのようなものに脚をからめとられたパイナとオクラーンがいた。ふたりが悲鳴をあげながらころぶ。
「おい、だいじょうぶかっ」とライムはかけより、パイナの脚にからみつくツタをひきちぎった。サトチはオクラーンのツタをはぎ取る。
ふたりは再び、ひいいというような情けない声をあげて逃げ始める。
「くそっ、酔いがまわっているせいか、うまくきかんなっ」
とドルアは毒づくと、また、手のひらをパイナとレタースンに向けた。
「しつこいやつめっ」ライムは助走をつけてから、思い切りジャンプした。そしてドルアにとびげりを見舞った。
「どりっ!」ドルアはうめいた。肩の当たりにキックがあたった。べきっ、妙なにぶい音がした。赤茶色のとげがおれた。汁のようなものがすこしにじんでいて、そこからしゅうしゅうと、赤黒い煙のようなものが漂い出た。
ドルアはかまわず、再び逃げ出したパイナとレタースンに向けて手のひらを差し出す。
「ドルルリア、リドルラリドル……」低くうなる。
煙がかかると、もつれる足取りで逃げていたパイナとレタースンの足が突如、止まった。ふたりの足に黒々とした太いへびのようなものがまきついている。それはよくみるとねじくれた木の根っこで、ふたりの脚(あし)をしめつけていた。そして二人の足と一体化してぐねぐねとうごめきながら地面にもぐりこんでいった。
パイナとレタースンのもじゃもじゃのひげにおおわれた口から悲鳴があがった。血走った目が大きく見開かれている。ふたりは、なにかにすがりつこうとするように両手をふりまわしたが、地面からのがれることはできなかった。
「おい、しっかりしろ」
近くにいた人たちがふたりを地面からひきずりだそうとした。だが、体格のいい男たちがうなりながら、ふたりのからだをひっぱってもびくともしないようだった。パイナとレタースンはさらにふかく、ゆっくりと沈み込んでいった。
「魔法だっ」広場から悲鳴のような声があがった。
「あいつは魔法を使うドリアンだっ」
「も、もしかしたら、あのときの……」
ドルアを力なくゆびさしたまま、年老いたあんずのドライフルーツが震えて立っている。
「まさか……」同じくしわがれた老人の声が続いた。いちじくのドライフルーツだった。
「そ、そうだ、思い出したぞ。悪魔のドリアン一家……」
「こいつはあの時の、親玉だ!」
「また懲りずにやってきたのかっ」
「あんなに痛めつけてやったのに」
広場にいた年寄りのドライフルーツたちは口々にさけんだ。
「いえ、違うんです」と地面にしばりつけられたままのパイナがうめきながら言った。
「あいつはあのときの親玉ではありません」
「あのとき、こどもだったドリアンなのです……」ともはや観念して身動きひとつしないオクラーンが続けた。
「あ、そうか……たしかに相当、昔のできごとでしたよな……」
「ああ、のろわしいできごと……」
「たしかに、悪魔一家にはこどももいた……」
「だが、あんなにおそろしげな姿に成長しているとは……」
驚きと恐怖の声が交錯した。
「さあ、詳しいことを教えてさしあげます。ここから出してください」パイナはあわれな表情で、みなに訴えかけた。
しかし、みな、パイナたちにかまっている余裕などなかった。
おそれながらも、ドルアをにらみつける。
「なぜ、またやってきたんだっ!」
「地獄の底から来た醜い悪魔のフルーツめっ!」
「地獄に戻れっ!」
憎悪と恐怖に顔をゆがめながら、ドライフルーツたちは細い枯れ枝みたいな腕を振り回した。
ドルアは何も言わず。赤い目をドライフルーツたちに向けた。とげが折れた肩のあたりから、青紫色の煙のようなものが湧き出て、空中を漂い、ドライフルーツたちの方に向かう。
同時に、なにか生ごみが腐ったような強烈なにおいがひろがった。
「わああっ! 」広場にいたひとたちは鼻をつまみ、その場にうずくまった。
「ドリリリル、アドル……」低くひびく不気味な呪文をとなえながら、手のひらをドライフルーツたちに向けた。
青紫色の煙がドライフルーツたちのからだを覆い隠す。やがてその煙はうすくなって、風にふきはらわれた。
するとどうだろう。そこにいたドライフルーツたちはみるみる、青紫色っぽく変色していき、やがて漆黒の闇のような真っ黒になった。
そして手から足から、顔から、赤や青、黄色などの毒々しい色のおできのようなものが生えだしたのだ。ドルアはじっと彼らをみながら呪文を続ける。からだじゅうを覆う無数のおできはみるみる、長く伸び、先端がするどくとがり……つの、というかとげのようなものになっていった。
近くにいた人たちはその無数のとげに覆われた姿をみてひめいをあげた。
「わああ、ばけものっ」そうさけばれたトゲトゲフルーツは自分の手を見おろした。
「なんだ、これは……」
そして顔にさわる。「いたっ」顔のとげが刺さったみたいだった。手のひらから血がしたたる。
「わあ、たすけてえ」と友達に、すがるみたいに血まみれのとげだらけの両手をつきだして迫る。友達は悲鳴をあげるとあわてて逃げ出す。
そういう友達もトゲが生えだし成長し、全身、とげだらけになっていった。
「ドム、ドリリルンンア……」
ドルアは今度は別の方向に向き、また手のひらを差し出しながら呪文を唱えた。青紫色の煙が漂い出る。煙をかぶったオレンジやりんごたちの顔や体がみるみる黒ずんでいった。同時に空気がぬけた風船みたいに、しなびて小さくなっていく。しだいに枯れて、どろどろと解けはじめ、ついには土の地面に混ざり合ってしまった。
「やめろーっ!」ライムはさけぶと、猛烈ないきおいで走り出した。そしてドルアのとげだらけの背中に飛び蹴りをくらわした。
するとまたとげが折れ、根元からしゅうしゅうと青紫の煙が噴出した。からだから漂よい出た煙は近くにいるフルーツを包む。すると彼らもまた不気味に変化して争いあった。
ドルアは驚きと歓喜の声をあげた。
「おお、おれがこんな強い魔法を使えるとはおもわなかったぞ……」
「ドリリ、アドル……」ドルアは呪文を唱えながら、あたりを勢いよく歩き回った。煙はどんどん広い範囲に広がっていった。
広場中に悲鳴と怒声があふれ、つかみあい争う人々の姿でいっぱいになった。
「知らなかった。こんなことは……ライム小僧よ、ありがとう……。」
ドルアは、必死に霧をよけながら動き回るライムを見やった。
「とげを折ったらこんなに強い魔法を出せるとはな……」
ドルアのからだは赤みを増し、全身に血管が浮き出している。大きな体が一段と大きくなったようにみえた。
「おれの傷の霧がかかれば魔法の力は各段に強力になる。こんなに効く魔法はかけたことがない。こんなことだと知っていたならもっと早く、こうしていればよかったな……。」
ドルアは喜びと力に満ちた声を張り上げた。
ドルアは霧をふりまきながら、さらにまがまがしい呪文をつぶやきつづけた。地面を揺るがすほどの低音で。しかもそれはつぶやきなのに、なぜか、どこまでも届くみたいによく通った。
「やめろーっ」
ライムは、ドルアを追いかけ、走った。が、もう飛び蹴りなどの攻撃をすることはできない、と思った。トゲを折れば折るほど、あの霧が体から出て、魔法が強まるだけということがライムにもようやくわかったのだった。
ドルアのからだは、もとの二倍、三倍へと巨大化していた。全身のとげもそれぞれが巨大な刀剣のように、からだからそそり立っている。
赤茶色だった体の色はどんどん濃くなっていき、ついには闇のような真っ黒になった。吸い込まれるような漆黒の闇の中で、目だけがらんらんと赤く光っていた。
そのとき、あたりに風がわきおこった。ライムがふりかえると、三角屋根のドルアの家が芝生広場に着陸するところだった。どこかに飛んでいたのだろか。両開きの玄関ドアが大きくあけられ、中からサトじいとサトチが出てきた。
「おーい」とライムに手をふる。
「強力なすけっとたちを連れてきたよっ!」とサトチが叫んだ。
ふたりの後ろから、窮屈そうにからだをかがめながら、巨大な影があらわれた。その姿をみて、ライムは声をあげそうになった。キャベツ、ダイコン、そしてはくさい……。野菜レスラーたちだった。
さっと体の奥が冷たくなったような感じがした。
からだをこわばらせて身構えていると、キャベルが声をかけてきた。
「おう、ライム、ひさしぶりだなっ」
ごつい腕をふっている。
おだやかな声と表情。
「娘がいつも世話になっているようで……」
と笑顔で続ける。
「え」と思ったつぎの瞬間、おもいあたった。あの公園の芽キャベツ、キャベッチュは、キャベルの子供だったのではないだろうか。
「うちの子もいつも遊んでもらっているらしくて、ありがとうな」
「お世話になってまーす」とハクサイックとダイコもにこやかに大声でいって笑顔をむけた。ライムはタイニーシュシュとねずみ大根の顔を思い浮かべた。
それから、キャベルはきっと表情を変えると、どら声を放った。
「おう、よっぱらって暴れているってのはどいつだっ!」
野菜レスラーたちは足音をひびかせ、あたりを見回した。
戦うべき相手はすぐにわかった。
巨大なドルアのからだはさらに、三倍ほどの大きさになっていた。からだのあちこちからくすぶるように煙が出ている。
野菜レスラーたちは体をこわばらせた。だがひるむことなく、じり、じりとドルアを囲んだ。
なんとか霧をよけながら、キャベルたちはドルアに迫った。だが、野菜レスラーたちの数倍の大きさに巨大化したドルアはいともかんたんに野菜レスラーたちを蹴散らした。
つきとばされ、あおむけにころんだハクサイックは立ち上がろうともせずに虚空に向け、目を見開いている。黒い霧が彼の巨体に忍び寄っている。
「おい、だいじょうぶかっ」
ライムはあわててかけよると、近くにあったそこらにあったビニールシートをあおいで、ハクサイックにまとわりつく霧を吹きはらった。
ハクサイックはきょとんとした顔でのろのろと上半身を起こした。
「そうだ!」ライムは思いついてさけんだ。
「あいつから出ている煙をふさぐんだ!」といって近くのビニールハウスを指さした。
野菜レスラーたちは畑に踏み込んで、「ちょっとわるいな」、などといいながら、ビニールハウスからビニールをべりべりとひきはがした。それからドルアに突進してかぶせた。ドルアはぐるぐるまきにされ、煙は封じ込められた。だが、すぐさま、彼はビニールの中で、うなり声をあげながら、すごい勢いで巨大な体を回転させた。全身のとげがビニールをひきさき、ずたずたになったビニールから出てきた。
そしてまた呪文を唱えだした。
ドルアは煙の出が悪くなると、自分でからだのとげを折ったり、むしり取ったりした。そのたびに、ぎぼっ!というような異様な音がして、血のようなものが噴き出た。つぎに濃い煙が漂い出る。ドルアはさけび、顔をひどくしかめた。だが食いしばった歯の間から、低くひびく呪文を紡ぎだした。
ライムはそれを見ているうち、なんともさびしいような悲しいような思いにとらわれた。
「そうだっ!」、ライムは叫んだ。さっき、公民館の廊下を通ったとき、すみにバケツや雑巾がいくつか置いてあったのを思い出した。
走り出すと、「ちょっとごめんよ」と公民館に声をかけながら入っていった。
バケツをふたつ手にさげて、ハウスを飛び出ると、今度はドルアから距離をおいてにらんでいるキャベルのもとに走り出す。
「なあ、キャベル、頼みがあるんだ」
ライムはキャベルを見上げた。
「あのときみたいに、おれっちを吹っ飛ばしてくれ」
「はあ……」とキャベルはライムを見下ろして首をかしげた。
「ほら、相撲大会のときに……」
「あ、ああ、」
キャベルは太い首をきまりわるげにかいた。
「あのときはわるかったな……」
「いや、いいんだ」
といってライムは指さした。
「ほら、湖の向こうの林を超えたところ……」
「でもどうして……」キャベルは太い首をかしげる。
「いや、今は説明しているひまはないんだ、頼むよ」とライム。
「お、おう、わかった……」
キャベルはライムの真剣なかおつきを見て、決心をしたようだった。
キャベルはバケツをもったライムをむんずとつかんで抱えると、大きな体を回転しはじめた。回転はだんだん速くなっていく。
それがマックスになったところで、ライムをはなした。
バケツをもったままライムはいきおいよくふっとんだ。
町を超え、林を超え、湖の上を超える。
ライムは野原に着地すると走り出した。丘みたいに小高くもりあがったところを探す。
草にかくれてわかりづらかったが、あのドラゴンの形の岩をさがしだし、急いで穴にもぐりこんだ。真っ暗な穴を進むと、先のほうに青白い光がゆらいでいるのがみえた。
岩の間からもれるその光はゆっくりと、七色に色をかえていく。なにもかもこのまえと同じだった。
バケツを泉にひたし、“びっくら水”をくみあげる。もう一つのバケツにも。
(この水でおれっちは、けががたちまち治った……)
バケツのとってを握りしめる。
「これをかければあいつの傷もたちまち治るはずだ……」とライムはひとりつぶやいた。
重いバケツをさげてよろよろと歩き出す。行きはあっというまだったが、帰りはそうはいかなかった。一歩一歩、大地を踏みしめて進んでいかなければならない……得意のジャンプを使うこともできない。水はおもいし、だいいちこぼれてしまう。
どんなに歩いても林の向こうの公園の塔の大きさは同じように見える。いつまでたっても小さいままだ。
からだじゅうから汗がふきだした。だらだら額から流れ落ちる汗が目にはいるので、ときどきバケツをおろして汗をぬぐわなければならなかった。
のどがからからだった。足元のバケツには水がたっぷりと入っている。
いやだめだ……とライムは目をつぶって、水のことは考えないようにして、先を進んだ。でも反対に頭の中は水のことでいっぱいになる。日差しはさらにつよくなっていった。
「ちょっとだけならいいだろう……」
もうろうとしてくる頭で考える。
「ほんの一口……」
(いや、まてまて、やめろ)という心の声があったが、もう勝手に、自然に手がうごいていた。バケツを草原におくと両手ですくって、水を口にふくんだ。とたんにからだじゅうに生気がよみがえった。まさに生き返った、という感じだった。
「うわあ、うめえ!」
ライムはさらに黄緑色の手を、きよらかに澄んだ水の中につっこんだ。
どんどん続けて飲んでしまいそうだった。でもそこで頭を強く左右にふった。
「だめだ、だめだ、これはドルアにかける大切な水なんだ」
目をぎゅっとつぶって、両手を水から引き出した。そしてバケツのとってをぐいと、しっかりつかむと、再び、草原をあるきはじめた。草が足をくすぐっていった。脚に、いや体全体に力がみなぎる。ライムはかけだした。水はこぼれなかった。ライムは自分でもびっくりするような軽やかさとスピードで公園に向かってかけつづけた。
ドルアの巨大な姿はすぐにみつかった。公園を出たところの街中で、低くうなる呪文が地響きのように伝わってくる。
あたりには猛烈なにおいと、青紫だったり、赤紫だったりする霧が漂っている。ライムはあわててバケツをおろし、両腕で鼻や口をおおった。
ちかづいてよくみると、鳥肌がたった。ドルアの上半身にはもはやほとんど、とげがなかった。とげをぬいたあとなのだろう、からだじゅうの傷あとから青紫だったり、赤紫だったりする霧のようなものがうっすらと出ていた。
ドルアはふとい腕を力なくあげ、巨体をよろよろさせながら、さまよいあるいている。その口から洩れる呪文は、どこか死者のものを思わせた。もはやその目は宙をさまよい、何を見ているのかはわからなかった。
周りの住宅や商店の間で人々は争い続けている。こずきあいや殴り合い。とげだらけの姿で目を血走らせ、お互いにつかみあっている者もいる。お互いのとげが刺さって、悲鳴があがる。
ライムはもはやへとへとだったが、両腕のバケツを握りなおすと、口を一文字にひきしめ、ドルアに向かっていった。
ドルアはライムに気がつき、動きを止めるとにごった目でみおろした。
ライムはまけじとにらみかえすと叫んだ。
「魔法はやめろ、おまえ、傷だらけだぞっ」
ドルアは低い、抑揚のない声で言った。
「なんだ、そのバケツは……水が入っているのか。火事は残念ながら起きてないぞ……」
ドルアの赤黒いおおきな顔には表情がなかった。
「たしかに魔法煙が出ているから、火事とまちがえたんだな。相変わらずまぬけなやつだ……」と力なくせせらわらってみせる。
「目をさませ、おれっちはおまえを助けようとしてんだ!」
ドルアのうつろな目をみすえたまま、叫ぶように言った。
「だから火事なんかおこってないから助けなくていいんだよ、おれは火元じゃないんだよ」とドルアは投げやりに言った。
ライムはさらに巨大化したドルアをみあげて、こころのなかでつぶやいた。(やっぱ、これっぽっちの水じゃ足りなかったか……)
「あのさ、じつはこの水はさ……」ライムは自分の表情をやわらげようと努力した。「ただの水じゃなくて……」
ライムは「びっくら水」のことを説明しようとした。
きいているのかいないのか、ドルアはゆっくりからだのむきをかえるとのっしのっしとあるきだした。
「おい、待ってくれっ」
ライムがバケツをかかえようとしたときだった。ドルアはいきなりくるりとふりかえると、かがみこんで、すねのあたりのとげをひきぬいた。
「よせ、やめろっ」とライムは叫んだ。けれど遅かった。
ドルアは上体を起こしたかと思うと、なげつけた。とげはバケツに命中し、衝撃音とともに一瞬にしてバケツは吹っ飛ばされた。バケツの水はぜんぶこぼれて、地面を濡らした。地面からしゅうしゅうと青白いあわい霧のようなものがたちのぼった。
さらにもう一本、太い脚から引き抜いたとげをなげつけ、地面においてあったもう一つのバケツもひっくり返した。
ライムは一滴でもすくいとれないかと地面にはいつくばったが、水はあっというまに地面に吸い取られて消えてしまった。
ライムはあわててふっとばされたバケツを起こしたが、その中には水はまったく残ってなかった。ライムはからのバケツをみつめたまま、固まってしまった。じっとみつめているうちに、そのなかが何か不思議な力で再び水が満たされるのではないか、と思っている自分に気づいた。はっとして顔をあげる。
ライムは大きくとびあがった。ドルアの頭上をくるくる回転しながら飛ぶ。そして真上まで来たとき、自分のおなかをおもいきり強く押した。
口からぴゅーっと、いきおいよく水が飛び出した。
びっくら水は霧状にひろがり、ドルアの巨体にふりかかった。
「なにをしやがるっ」ドルアは両目をおさえるとうずくまった。
「すっぱジュースをかけやがったな」
すると、しゅううというような音がし、ドルアの体から白い、湯気のようなものが立ちのぼった。それは霧のように広がったかと思うと、ゆるやかにうねりながら、ドルアの体を包み込んだ。
ドルアの体を隠したミルクのような霧はぼおとやわらかい光を宿した。
やがて、光はうすれ、霧はうすくなってどこかへ静かに流れ去った。
ドルアの姿があらわれた。目をつぶりしずかにうずくまっている。
それを見て、ライムはあっと声をあげた。
「と、とげが戻っている。」
肩にも、腕にも、胸にも、全身にあわい栗色のとげがはえていた。からだも、どす黒いような赤紫色だったのに、つやのある黄色みをおびた優しい色あいになっている。
大きさも元に戻っていた。まがまがしい雰囲気は完全に消えている。
ドルアはゆっくりとした動作で自分のからだを見下ろした。うでのとげにそっとさわってみたりしている。それからあたりを見まわした。
まゆを下げ、自分はどこにいるのだろう、と考えているような様子だった。
「あんなにちょびっとの水で効(き)いたんだ……」
と、ライムはつぶやいた。
「傷が治っただけでなく、とげがぜんぶ生えてくるなんて……さすが、びっくら水だ……」
ほおと感心したみたいな息をつく。
「それとも、おれっちのおなかの中ですっぱジュースとまざったから効き目が超パワーアップ化したのかな……」
半分、眠っているかのようなおだやかな表情をたたえていたドルアだったが、やがてはっとしたように顔をあげた。
さっと立ちあがると、あらためてあたりをみまわす。町のあちこちで、怪物化し、ののしりあい、つかみあう果物たちの姿があった。怒鳴り声、悲鳴や金切り声が飛び交う。
ドルアは、彼らのほうに向かった。
目を半眼にし、両手をしずかにあげて、何かつぶやきだした。それは呪文のようだったが、さっきのまがまがしく狂暴な調子はなかった。
すると、手のひらから、ミルクみたいなやさしい、やわらかい白い光が漂い出た。さっき、ドルアを包み込んだ光とよく似ていた。光は霧のようにしずかに広がっていく。
光の霧につつまれると、争っていた人たちは動きをとめた。霧が消えると、そこにはきょとんとつったっている果物たちがいた。からだじゅうに生えていたとげはなくなっている。つのやきば、いぼ、こぶみたいなものも消えている。
いったい、何をしていたのだろう、と目をぱちぱちさせて、いままで争っていた相手を見たり、不審げにあたりを見渡したりした。
乳白色の霧はどこまでもひろがっていき、すべての争ったり逃げ惑ってたりする人たちをもとにもどした。
怒声や悲鳴はまったく消え、おたがいにあやまったり、いたわりあったりする声や姿で満たされた。
やがて町から喧噪がきえ、静けさに満たされた。
やがて、ドルアは公園広場に戻ってきて、ライムの前にどっかとあぐらをかいた。あっけにとられてつったっていたライムもつられたように芝の上に腰をおろした。
「お前も魔法が使えるのかい?」
しずかな、穏やかな声で聞く。
ライムは首を横にふった。
そして、偶然、洞窟の中の泉を発見して、そこに浸かったら自分のからだじゅうの傷がたちどころに治ったことを話した。
ふうん、とドルアはうなずいた。
「不思議な水だな……」つぶやくように言う。
さっきまでの荒れ狂っていた果物と同じ果物とはとても思えなかった。
「ま、腹んなかで、おれっちのすっぱジュースと混ざったから魔法みたいな力が出たんだろうけどな」
と得意げにライムは言った。
ドルアはほほえんだ。
いつのまに、二人のまわりには、フルーツェンの住民たちがあつまっていた。みな芝生の上で体育ずわりや、あぐらなど思い思いの恰好をして座っている。野菜レスラーたちもいた。さとじいとさとちはもちろん、ライムのそばにいた。
柔らかい日ざしが一面にひろがる芝生をあわく照らしていた。
「おれたちは悪魔のフルーツと呼ばれてきた……ずっと昔からな……」
さっき、ドルアの放った白い霧につつまれたひとたちは不思議と澄んだ目をして、しずかにドルアの話に耳をすます。
「おれたち一族は、うっぷん晴らしのはけ口として使われてきたんだ。災害、飢饉、戦争……みんなおれたちのせいだとされた。おれたちがそれらをひきおこす魔法をかけたとな……」
ドルアは口をゆがませて、笑い顔のようなものをみせた。
「おれたちにそんな魔力があるわけがない。だいたい、なんでそんなことをする必要がある。なんの得があるんだ……」
誰もこたえず、あたりは静まり返っていた。
「そして、われわれはある村で襲われた。すべての不幸をつくりだす悪魔のフルーツの家族を襲撃というわけだ。おれたちが寝静まっていた夜中に、「悪魔よ消えよ、悪魔よ消えよ……」と取りつかれたように繰り返しながら……村のやつらはやってきた。手に手にかまやすき、なたなんかをもって……家には火をつけられた……。
幸い、眠りの浅いうちのばあちゃんが直前にかんづいて、襲撃のやつらが来る前に家族全員、逃げ出したがな……。
別の町や村に行っても同じことだった。「悪魔のフルーツ」ということばは知れ渡っていて、どこにいても俺たちは憎まれ、恐れられ、追われた……。
そうやっておれたちは町から町、村から村へと旅の暮らしを続けた。そうするしかなかった。どこへ行ってもよそ者なので、よけい疎んじられた……。
そして、俺たち家族はこのフルーツェンに流れついた。そして日の当たらない谷の底近くでひっそりと暮らしていた。暗くて寒くじめじめしたところさ……」
ドルアは口をゆがめて皮肉な笑みを浮かべた。
「おれたちは本来、温かくて、日のさんさんと降り注ぐところで暮らすものだがな……」
「まあ、南国のフルーツだからな……」とドリアを囲んだフルーツの一人がつぶやくように言った。
「……それはともかく、とくに何事もなく日々が過ぎた……。町に行くと、うさんくさげな眼で見られたものの、騒がれたり、襲われたりするようなことはなかった。ここではうまくやっていけるのではないかと思った……。」
ドルアはひとつ大きなため息をついた。
「だがそれは幻想にすぎなかった……。ある日のことだった。それは突然、起こった……」
ドルアの声は低くなり、暗さを増した。
「最初、俺たちは町のその異変に気づかなかった……」
ドルアはやや視線をあげて、遠くを見やるような目つきをした。
「やはり、そのときも異変に気付いたのは、じいちゃんだった……」
その声には、どこかなつかしさのようなものがにじみでていた。
「町から妙なにおいが漂ってくる、というのだ……町から離れた谷底にいてもその匂いに気づいたのは、じいちゃんの魔力のおかげだ……」。
一息ついたあと、またドルアは淡々と話し続ける。
「どこかあまずっぱいにおい……。だが、それは腐ったような、なんとも不快なものが含まれていた……
町にちかづくにつれ、その匂いは強くなる。
そして町に入ると、とんでもないことになっていた。
あたりはどんよりと暗かった。まるで夜に入りかけた時間みたいだ……
天気のいい日が多いフルーツェンにしたら異例のことだ。
一面が黒い霧におおわれていた。
そしてなにか得体のしれない、悲鳴のような声が聞こえてきた。怒号のようなものも交じっている。町の中央部のほうからだ。
おれたち家族はいそいでそっちにむかった。
進んでいくにつれ黒い霧が濃く、深くなっていった。
霧はまるで生き物のように、つめたくぬめぬめとからだにまとわりついてくる。それに覆われるにつれ、なにかいらいらとし、どこか不安は気持ちにおそわれた……
「この霧を吸うな、息を止めろ」と、とうさんは、緊迫した声をあげた。そして両手を静かに上げると何やら呪文をとなえた。かあさんも、じいちゃん、ばあちゃんも立ち止まり同じことをした。
そしておれはすぐに、みなが呪文をかけだした理由を知った。
町のひとびとは化け物になり、お互いに争っていた。
メロンからは無数のつるがはえ、それがぐねぐねと動いている。よく見たらそれはみな黄緑色の蛇だった。柿が蛇たちにまきつかれ、悲鳴をあげている。だがその柿もまた、口が耳までさけ、するどい牙がずらりと並んでいた。次の瞬間、柿は蛇をつぎつぎにかみきりはじめた。叫び声をあげるのは今度はメロンの番だった。
町のあちこちで「バケモノめーっ!」「消え失せろーっ!」などと叫びながら、つかみあい、殴り合う怪物の姿があった。
とうさんは「黒い霧は魔法の霧だ。これを吸い込んだがために、怪物になったのだ」と叫ぶように言った。
ブドウはつぶのひと粒ひとつぶが目玉になり、それがむぎゅむぎゅという感じの不気味な音とともに際限もなく増え続けている。膨らんだふさはついに破裂した風船みたいにはじけ、無数の目玉がそこらに飛び散った。目玉は地面をころがりながら、ぎょろぎょろとあたりを見まわす。
そしてどんよりと黒ずんだ空には、ドラゴンフルーツが数百匹、飛びまわっていた。するどいきばのならぶ口をあけて、真っ赤な炎をはきながら、ばっさばさと、なにか不穏なつばさのはばたく音をにぶくひびかせていた。
真っ赤にふくれあがり、全身から、だらだらと血を流しているようにみえるイチゴが、そのあたりを漂うように、ふらつきながら歩いていた。
おれはその光景をみて、わなわな震え、座り込んだ。いまでもときおり、そのときの光景を夢にみる……
「おい、ひきかえすぞっ」
とうさんはどなった。
「いつまでこの防御魔法がもつかわからん、この霧をすいこんだら、おれたちも怪物になってしまうっ」
そして俺たち家族は、回れ右をすると、走って帰り道についた。
苦しみもがいている果物たちを放置しておくのは気の毒だったが、自分たちが怪物になってしまったら、助けられるものも助けられない。おれたちはあともふりかえらずただ走っ走ってにげた……」。
「なんだって」とドライフルーツのいちじくじいさんが口をはさんだ。
「町の人々を怪物にする魔法をかけたのは、おまえらドリアン一族じゃなかったのか……」
「なんでおれたちがそんなことをしなくちゃならないんだ……」
ドルアは苦笑した。
「われわれではない。第一、そんなことをしていったい何の得があるんだ……」
ドルアはうつむいて、低い声で言った。そしてまた話し始めた。
「……そんなある日、街はずれの丘の上に忽然と光り輝く巨大な樹が現れた。まるで塔のようにまっすぐ、空に突き刺さるようにそびえる樹だった。黒ずんだ雲が渦巻くような空に向かい、それは赤味をおびたにぶい黄金色に輝いていた。高いところにひろがる枝や葉もまた黄金色にぼおとかがやいている。まるで黒い空から降りてくる邪悪なものから人々を守るかのように。
その樹は空から降りてきた、といううわさがひろがった。空の上の神の国からおりてきたのだと……
その巨大な樹のてっぺんには、ときどきにぶい金色にかがやくキンカンが姿を現した。何も語らないが、両腕をおおらかにひろげ、みなを救うというメッセージを示された。
人々はその樹を天樹塔となづけ神のように崇め奉った。天からつかわされた、ありがたい樹、みたいな意味なんだろう……
その塔のような樹のそばにいくと、その病がおさまるような気がしたからだ……」。
「いや、気がした、ではない。じっさいに治ったんだ……」とドライフルーツのいちじくじいさんが口をはさんだ。
「そのとおりよ、あんなにありがたいことはなかった……」とあんずのドライフルーツばあさんも両腕で胸をおさえ、口をそろえた。
「天樹塔が現れ、しばらくして、誰かが気がついたんだ……」とドライいちじくはしわがれた声をはりあげるようにして言った。
「その樹のそばにいると、症状が治まることに……まあ、ほんのしばらくの間だがな……」
「そう、樹からは、癒しの“気”のようなものが出ていたんだよ……」
ドライあんずが身を乗り出し、なぜか声をひそめて言った。
「そのうち、その効果をもっと長引かせる方法が発見された……」
ドライあんずはもったいぶって、みなの顔を見渡した。
「そのとおり……」といってから一呼吸おいて、ドライいちじくが話し出した。
「誰かが、感謝のしるしに、樹の根元に、貢物を置いたんだ。すると……効果はあらたかになった……」
「幹から出てくる気の量は増え、力強くなり……」とおちくぼんだ目にあやしげな光をたたえ、ドライあんずが続けた。
「そう、最初のその人は、どうやって感謝を伝えたらよいかわからなかった。その樹の神さまは、何も語らず、めったに姿をお現しにならなかったからな……」とドライイチジクが言った。
「翌日になると、その貢物は消えていた。まるで樹木に吸い込まれるように……そして、病にかかった人たちはこぞって、樹の根元に争うように貢物をおくようになった……」
「そう、あのときの感触はよく覚えている……」
ドライあんずはうっとりと目を閉じる。
「……あまずっぱいかんきつ系の香りとともに幹や枝葉から“気”が漂い出て、あたしをつつみこんでくれた……」
夢でもみているような緩んだ顔つきになる。
「俺もそうだ……まさにあれは神がつかわされた救いの気だった……」ドライイチジクも穏やかな顔つきで目をつぶる。
「たこみたいな化け物の姿だったおれは徐々にもとの姿に戻っていった……」
自分のからだをだきしめるようなしぐさをする。
「もちろん、感謝のしるしにさらにお宝を根元に置いたさ。あるだけの金細工、銀細工を。女房のブレスレットやネックレスなんかもみんなささげたよ。」
ほほえみをうかべたままつづける。
「すると、樹から出る癒しの気は一段と強くなり、たこみたいな触手はさらに減っていった。」
ドライイチジクはばんざいするみたいに両腕をあげた。でも細く節くれだった腕はまっすぐにあがらず、なにをしているのかよくわからないポーズになった。
「それでとうとう、すっかりもとのイケメンに戻れたというわけだ……」
「あたしもべっぴんさんに……」といって二人はしわだらけの顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。
「町長はそのことをみなに伝え、新聞や雑誌にものり、みな競うように、より豪華な貢物を天樹塔に供えるようになった。……」
ドライイチジクはおだやかな笑みを浮かべ話し続けた。
「塔の下には宝石、金貨や宝飾品などがうずたかく積み上げられた。キンカーン様は神の力で、だれがどれほどの財宝を貢いだか、ちゃんと把握されていた。財宝の価値によって癒しの気の量はきっちり決まっていた。」
「そう、あたしもいっしょうけんめい、町長の話をきいたり、ベジタイムズを読んだりして勉強したわ……」
そして思い出すみたいに、うーんとうなった。人差し指をぴんとたてて唇のはしにあてている。
「ほら、ちゃーんと思い出した。ぜんぜんぼけてなーい」
とはしゃいだような声をあげる。
「お宝は命の樹に吸い込まれ、癒しの気に変わる……」
目をつぶって暗唱するみたいに話しはじめる。
「財宝を供出(きょうしゅつ)するということは、身を切られるほどつらいこと。貧しき者にとってはなおさらのこと……しかし、だからこそ、効験(こうげん)あらたかなの。苦しい生活のなかで財産を差し出す心が、キンカーン様の心を動かし、キンカーン様も命をけずって癒しの気を絞りだしてくださるの……」
と一気にいうとにっこりした。しわがさらに深くなる。
ドライいちじくが話をひきとって話し出した。
「そう、キンカーン様にとって、“気”を出すのは大変な消耗を伴う。それでも、みなの気持ちにこたえて、御身(おんみ)をすり減らしてまで天樹塔に“気”を吹き込んでくださったのだ……」
そのときのことを思い出したのか、ドライいちじくは鼻をすすってうつむいた。
「でも……」と急に悲し気な顔になってドライあんずが口を開いた。
「ものごとはそう簡単にはいかなかった……」
みな、ゆるみつつあった顔をひきしめて、彼女に目を向けた。
「キンカーン様が癒しの気を出してくださった一方、黒い霧のほうも、それ以上に濃く、強くなっていったの……」
「そうだな、怪物になる人の数は残念ながらさらにふえていった……。怪物はより醜く、より狂暴に、より強力になっていった……」とドライいちじくも低く抑揚のない声で言った。
「みな、前にもまして、競(きそ)いあって高価な貢物をささげるようになった。でもよほどの金持ちでもない限り、財産は尽きるものだ。みな、貢物を買うため、必死に働いた。だが、それでも追いつくものではなかった。なかには体をこわして、もう二度と働けなくなった者もいた……」
ドライいちじくは表情のない顔で続けた。
「ついには、貢物を手に入れるために、店や他人の家から盗んだり、暴力で財産を奪う、という者も出始めたんんだ……。そのため争いはさらにひどくなっていった……」。
「もう、そのくらいでいいだろう」ドルアは太い腕をあげて、ドライフルーツたちの話をさえぎった。
「これからキンカーン様とやらの種明かしをしてやろう……」
としずかに話しだした。
「……キンカーンは、まず、ひっそりと目立たないように、フルーツェンに入った。なにしろやつは小さいからな、変装でもしていたんだろう。誰にも知られずに、その仕掛けをほどこすことができた。
やつはたくさんの「魔キンカン」の種を町のあちこちに埋めたのだ。
埋めこまれた種は芽は出さずに、地下にものすごいいきおいで、黒い根を張り巡らせる。数日のうちにその黒い根は土の中で網の目のように町じゅうに広がっていた。
無数ともいえる根の先端は、地面からほんのわずかに顔を出し、そこから、呪いの霧をうっすらと出していたのだ。それは空中で集まり、黒い霧へと変化していった。一本の根から出る霧はごくわずかだったから、誰も地面から、そして根っこからその魔の霧が出ていることには気づかなかった。
そして黒い霧につつまれた人は、次々に怪物に変化していった。
そして、そのあとに奇跡の樹の登場だ。キンカーンは別の魔法の種を丘の上に埋める。それは芽を出し、すごい勢いで成長し、空をつく高さへと伸びる。その太い幹やひろがる黄金色の葉からは、貢物の大小によって、強かったり、弱かったりする癒しの気が出る、
それは黒い霧によって怪物になった者たちを元に戻す。どんな医者や、祈祷師でも治せなかった病を……。
つまり、根からは化け物をつくる魔の霧を、幹や枝葉からは、それをいやす気を同時に出していたというわけだ。
自分で不幸をばらまいておいて、それを自分で解決して大金を稼いでいたんだよ……。
やつは、この手であちこちの町をわたりあるき、財宝を築き上げてきた。その町の財宝を食いつくしてはほかの町に……というふうにな……」
「そんなばかな……」「きっとうそよ……」とドライアンズとイチジクはいったが、その声に力はなかった。
ドルアは話し続ける。
「……われわれは町に向かった。キンカーンは、財宝をむさぼることに夢中で、しずかに忍び寄るわれわれには気がついていないようだった。
おれたち家族は魔樹塔をかこむと、手のひらを向けた。子供だったおれももちろんそうした。ちなみにおれたち家族は、町のやつらが天樹塔と呼ぶ樹を魔樹塔といいかえていた。だって、その名前のほうがはるかに的確に体を表しているからな……
そして、力を合わせて、大木にかかった魔法を解く魔法をかけた。
とうさんは以前にすいこんできた呪いの霧を調べていたからな。それに対抗する魔法の呪文もあみだしていた。
すると、われわれの魔力で塔は姿をかえはじめた。ぼおと鈍い光沢を放つ黄金色はみるみるあせていき、腐った古木みたいなどす黒い姿が現れた。こぶがあちこちに出、ごつごつとねじくれた不気味な姿……。
おれたちはなおも、意識を最大限に集中して、魔法の波を送り続けた。
あまずっぱい匂いは次第に腐敗臭に変わっていった。どす黒い樹皮はボロボロと落ちていく。
しかし、それからのキンカーンの判断は早かった。
半分、崩れ落ちた大樹は上に伸び始めたようにみえた。それはまるでロケットのように空にむかい飛び立ったのだ。ところどころにあいたうろから、財宝がぽろぽろと零れ落ちた。
大樹はあっというまに空のかなたにきえた。……
それからキンカーンが戻ってくることはなかった。おれは、やつがおれたちの魔法力におびえたからだと思っている。……
われわれはキンカーンを倒すことができて、ほっとしていた。
これでもう白い目でみられなくてすむ、それどころか、明日から英雄扱いされるんじゃないか……とこどもだったおれは思った。
「ところが、つぎの日の新聞にのった記事はこうだった……」。深いため息をついたあと、ドルアは再び話しはじめた。
「写真つきで、塔を囲んでいるわれわれの写真がのっていた。まさか、あのとき、誰かに写真を取られているとは思わなかったよ……。見出しはこうだ、
『悪魔のフルーツ、救世主を追い出す』
まさか、あいつら、そこまでの忠誠心があるとはな。よっぽどひどい脅され方をしたんだろう……」
とドルアはあきれたような声を出した。
そしてあたりを見回す。
「やっぱりいないか。どこかに逃げたんだろう。パイナとレタースンは。……」
「パイナ町長がどうした。町長はおまえたちをたおした英雄だぞ」と今までだまっていたプラムが言った。
「おまえ、いったいおれの話を聞いていたのか……」
ドルアはあきれたように言って、プラムに目をむけた。プラムはおもわず、といった感じで、うつむいた。
「まあ、いいか……とにかく……」
ドルアはため息まじりに話し続ける。
「パイナは声を大にして、“キンカーン様”をおれたち家族が邪悪な魔術で追いやったことを非難し、レタースンもその内容を大々的に記事にした……。
きっと、またご主人であるキンカーンが戻ってくると思っていたんだろうな……。
パイナをしめつけて聞き出したから知っている……あいつは町のトップつまり責任者として、キンカーンに近づいたんだ。自分が悪夢のような事態をなんともできないでいるのに、キンカーンは町を部分的にせよ、救っているんだからな……
パイナはこともあろうに、その手柄を横取りしようとした。この町にいることをゆるして、いろいろ便宜(べんぎ)をはかってやるかわりに。その癒しの気はパイナの命令によって出している、ことにしろとな……
まったくばかなやつだよ。あいつは逆に脅されて。キンカーンの手下にされた。パイナの悪友であるレタースンもひきこまれた。
パイナとレタースンはぐるになって、それぞれキンカーンの手下として彼の悪事に協力していたんだ。
キンカーンの秘密を彼らが知ったからといって、キンカーンにとってはなんでもなかった。きっと、ばらしたらひどい目にあうぞなどと脅して、二人にいうことを聞かせたのだろう。
ふたりは忠実だった。パイナは町のひとびとに、キンカーン様にお布施をするよう話し、レタースン編集長はそのことを熱心に自分の媒体(ばいたい)、つまり新聞や雑誌なんかにのせて宣伝した……。」
ドライフルーツをはじめ、皆、驚いたように声もなく、ドルアの話に耳を傾けていた。
「だいたい、やつが去ってからは、誰も魔物になることはなかったんだから、キンカーンの仕業だったことは 誰の目にも明らかだったはずなんだが……」
とドルアは皮肉まじりのため息をついた。
「そ、そんなことはない。キンカーン様は去るまぎわに、すべての癒しの気を放ったのだ。永久に効果があるほどの強烈な気をな。自分の命とひきかえといえるほどのなっ」
とプラムが再び口を開いたが、その声にはそれほどの自信は感じられなかった。
「だいたい、こういったことが真実の話だ……」と、話し終えたのか、ドルアは深いため息をついた。
「まあ、そうはいっても信じないだろうがな、おれの言うことなど……」
沈黙が広がった。
ぽかんとした表情だったライムだが、やがて口を開いた。
「じゃあ、おれっちとつきあってくれていたのは、ドルアだったということか……ほんものの町長じゃなくて……」
ライムはぽかんとした顔つきで、ドルアをみた。
「けっこうやさしくしてくれていたよな……」
「ああ」とドルアは穏やかな表情でしずかにうなずいた。「おまえは、おれとどこか似てたからな…」
「じゃ、なんでライッチにひどいことしたんだよ」とさとちがドルアをにらんだ。
「おまえ、野菜町で人気者になっていったろう……」とドルアは力ない口調でライムに顔を向ける。「おれから離れていくような気がしたんだ……」と付け加える。
「おれだけおいていかれるような……ひとりぽっちになるような……」
ドルアは深くため息をついた。
「われながら、まったく勝手だよな…それにこどもじみている……どうかしていたんだ、」おれは…」
ドルアはゆっくりと立ち上がった。
そのときだった。ドルアとライムたちを黒い大きな影が覆った。と思ったら、上から強い風が吹きつけてきた。空から猛烈ないきおいで迫りくるのは、真っ白い翼を鋭く畳(たた)んだ公民館ハウスだった。次の瞬間、ふたりはすごいいきおいで飛びのいた。地面に激突しそうになった公民館ハウスが大きなつばさを広げて急浮上した。強い風がまきあがる。
ドルアたちの上空でハウスは旋回する。窓から顔を突き出したのはパイナだった。
「悪魔のフルーツめっ、また、わがまちを地獄にするつもりだなっ!。そんなことはさせんぞっ!」と叫ぶ。
「今度こそ退治してやるっ!」とレタースンもパイナの隣から首を突き出して怒鳴った。
あっけにとられて上をみあげていたライムだったが、「まだ、あんなこといっていやがる……」やっとのことでそういった。
公民館ハウスは上空をぐるぐる回りながら狙いを定めているようだ。
あんなものがぶつかってきたら、さすがのドルアもひとたまりもないだろう。
ライムはおもいきりジャンプした。だがハウスは空中でひょいとよけた。
ライムは必死に何度もジャンプしながら、ハウスにつかまろうとした。
だがハウスはからかうように、つばさをなめらかに動かしてライムから逃げた。
「くっそお」ライムはジャンプしながらハウスにむかってすっぱジュースをはきかけた。でもそれはかすりもせずに。霧となって宙にひろがった。
ライムは息がきれて地面にうずくまった。
地面をにらんで荒い息をついていたライムだったが
突然、「そうだっ」と叫んで立ち上がった。
苗を助けたときのことを思い出した。
「ドルアっ、あれ、やってくれ、苗救出のときのっ」
それだけで通じた。
ドルアはいきなりライムをつかむと、ひょいと上にほうりなげた。そして両方の手のひらを肩のところで上に向ける。ライムはぴたっとその上に両足をつける。
「いくぞっ」とドルアがいうとドルアはしゃがみこんだ。
それからのびあがると同時に、ライムはドルアの手のひらを思い切りけった。
すごい勢いでライムは空へと上っていく。
あわててハウスは逃げようとしたが間に合わず、ライムは窓枠につかまった。
窓から部屋にころがりこむと、すぐにハウスの中から悲鳴があがった。パイナとレタースンの声だった。
ハウスはコントロールをうしなったようにふらふらと飛ぶと、下におちはじめた。かろうじてつばさをはばたかせ、ころがりながら着地する。
横倒しになったハウスから二つの影がとびだし逃げ始める。もちろんパイナとレタースンだった。
すっぱジュースなんかをくらったのだろう。
顔をおさえながら、もつれる足取りで走っていく。
ドルアとライムは走り去るふたりはほうっておって、横倒しになったハウスにかけよった。
ハウスからは妙なにおいがただよっていた。
「灯油だ……」とドルアが低い声で言った。
「いうことをきかないと火をつけるぞ、とおどして、ハウスをコントロールしたんだろう。あいつらのやりそうなことだ……」
と吐きすてるように言う。
ドルアは野菜レスラーの助けも借りてハウスを助け起こす。
それからドルアはみなに背を向け、ゆっくりと歩き始めた。
向かっている先がぼんだ山だと、ライムは気づいた。
ライムはドルアの背中に向かって声をかけた。
「おまえはフルーツだぞ。ここがおまえの町だろう」
ドルアは大きな背中を向けたまま足を止めた。
数か月後、ライムの姿はフルーツェンにあった。
公園でフルーツの子供たちにジャンプを教えていた。
野菜の子供たちもいた。
みな、カラフルなフルーツキャップをかぶっている。
新しい町長にたのんで、ライムがプレゼントしたものだった。
「そしてあいつの親は40年ほど前、あの事件を起こした……」オクラーンがうつむいたまま言った。
「のちに悪魔の霧事件とよばれたやつです……」
しばらくの沈黙のあと、「ああ……」とさとじいはうなずいた。
「知っております、そのあと、悪魔たちはわがベジッタ町に入り込みましたから……」
さとじいはうなるような声をあげた、
「あのとき、ちいさかった悪魔の果物が、あのドルアなのですな……」
パイナはゆっくりとうなずいた。
それから、いまはじめて気がついたように、ソファからゆっくりと立ち上がった。
「さ、おすわりください……」ソファを指し示す。それを見てレタースンも腰をあげた。
「い、いえ、わたしらは大丈夫です……」と、さとじいは遠慮したが、町長と編集長はのろのろした動きで、部屋のすみにあったベッドに向かい、そのすみに腰をおろした。
「お客さんを……、いや、これからお仲間になるひとたちをずっと立たせておくわけにはいきません……」とパイナがいう。
「あ、いや……そうですか、じゃ、座らせてもらおう……」とさとじいはソファに向かい、ライムとさとちもうながした。ふたりはさとじいのとなりにちょこなんと座った。
「あの、……これからお仲間になるって……」
とのさとじいの問いにはこたえず、パイナ町長はまたゆっくりと話し始めた。
「あいつの親や祖父母が町に魔法の霧を流し、その霧をかぶったひとたちはみな狂暴になり……」
そのときのことを思い出したのか、パイナはすこしうつむいて目をつぶった。しばらくだまっていたが、やがて口を開いた。
「お互いに傷つけあったのです……」とパイナはそのときの様子を思い出したのか、顔をしかめた。
「その魔法の霧を被ると、目の前のひとが化けものとか、怪物に見えるのです……」
さとじいは目をみひらき、ゆっくりとうなずいた。
「そう、家族や恋人同士もお互いが怪物にみえて、傷つけあったのです……」と目をつぶったまま絞り出すようにつづけた。
サトチがそっと手をのばしてきた。ライムはその手を握った。
「わたしも……、被害にあった一人です…………」
パイナは苦し気に続ける。
「わたしはまだ若かった、子供といってもいいくらいの年だったのです、そのころ、好きになった女の子がいて……」
パイナはまたうつむいて目をつぶった。
「その子と公園でいっしょにいたところ……霧が……」
「い、いや、」とさとじいは身をのりだして、パイナにむかって手を差し伸べるようなしぐさをした。
「そんな、悲しいこと、思い出さなくてけっこうです……」
「もともと、ドリアンは、「悪魔のフルーツ」と呼ばれているんだ。あの一族は、たとえではなく、本物の悪魔のフルーツだったというわけだよ……」とレタースンが吐き捨てるように言った。
「幸い、わが町、ベジッタでは、あなたがたの町の話を聞いておりましたから、まえもって対策をうつことができました……」とさとじいが言った。「魔法の霧を使う前に、悪魔の家族をいためつけて、町から追い出したので、ことなきを得ました……」
「やられる前にやっつけたというわけですな、それは賢明な策でした」とパイナ町長がゆっくりと息を吐きながら言った。
「わたしは攻撃に参加はしませんでしたが、聞いた話からすると、かなり徹底的にやったそうです。なにしろ相手は悪魔の魔法使い集団なのですから……」さとじいは続けた。
「町じゅうの武器をもってやつらがすんでいる丘の上に向かいました。夜中、やつらが寝静まっている間を襲ったのです……やつらの家にはじいさん、ばあさんや子供もいましたが容赦しなかったそうです……」さとじいは口調に力を込めた。
「なんだかかわいそうな気もしますが、仕方なかった……」
さとじいはかすかに顔をしかめた。
「そうしないと、われわれはどんな目にあわされるかわからなかったからです……」
「それはそうです。同情などしている余裕はない。やつらはわたしたちとはまったく別の生き物なのですから……」
とパイナもうなずきながらいった。
「やつらはほうほうのていで逃げた。われわれはやつらの家を焼き払いました……」と抑揚のない声でさとじいはそう続けた。
「しかし、そもそもいったいやつらは、なんのためにくだもんさんらを魔物にする魔法などをかけたのでしょう……」と、少し声の調子をかえて、さとじいは聞いた。
「はらいせでしょう、われわれはやつらを忌み嫌っていましたから……」
パイナはため息をつきながら言った。
「やつらは町に住んではいたものの、完全に孤立していた。」
よごれた灰色の壁を見つめながらパイナはつづけた。
「子供を学校に通わせようとしていたようだが、入れてもらえず、じいさんかばあさんかが病院に行こうとしたが、断られたそうだ……」
「あいつらは魔法を使えるんだから、病気やけがは魔法で治しゃあいいんだよ」
と吐き捨てるようにレタースンは言った。
「そもそも、やつらの姿はそれはおそろしい。こどもたちは彼らの姿を見ただけで泣き出していました……」とパイナは静かな口調で言った。
「見かけだけじゃない、その心も恐ろしいものだったんだ……」
とレタースンが低い声で言った。
「やつらはもともと悪魔だ。悪魔は、周りのものが傷つき、悲しがったり、苦しんだりするのを見るのが何より楽しみなんだ……」とレタースンが吐き捨てるように言った。
「最初はおとなしくしていたんだが、やはり遺伝子にながれる悪魔性はおさえられなかったんだな……」。苦虫を?み潰したような顔でレタースンがいうと、
「そう、ついに悪魔の本性を発揮して、あの事件を起こしたのです……」
とパイナが暗い声で引き取った。
「黒い霧事件……」さとじいがつぶやくように言った。
「われわれはなんとか、ドリアン一族を町から追い出すことに成功し、事件もなんとか解決しました……」とパイナはうつむきかげんで言った。
「まあ、逃げ出した先が、野菜さんらの町だったことは申し訳ない限りではありますが……」と付け加える。
「だが、やっつけられたことを、やつらは恨みに思ってたんだろうな……深い恨みを……」とレタースンが額にふかいしわをよせていった。
「あのとき、子供だった悪魔のフルーツが成長して、復讐しにきた……」さとじいがひとりごとみたいに言った。
「まあ、戻ってきたのがドルアひとりだったのがせめてもの救いだな……」
とレタースンが唇のはしをかすかにゆがめながら言った。
「家族そろって戻ってきて、また悪魔の魔術をかけられたら、たまったもんじゃないからな……」
「しかし、それにしても家族の後ろに隠れるようにしていた、ちっこいドリアンの子供が、あのようにおそろしげな巨大な怪物になっているとは思いもしませんでした」とパイナは言った。
「といっても、そのことに気づいているひとはいないがな……」
とレタースンは苦笑した。
「というと……」
さとじいは首をかしげた。
「ドルアはわたしと、レタースンさん以外に姿をみせていないからです」とパイナは言った。
「本当の姿は、ということだが……」
とレタースン。
「ドルアは自分の正体を明かしたあと、わたしたちに化けて過ごしているからです……」とパイナはくぐもった声でうつむき加減に言った。
「フルーツェンでは、パイナ町長さん、ベジッタでは、フルベジタイムズのレタースン編集長としてね……」
といってレタースンはしわがれた声で笑った。
「そして本物のわれわれは、なにもかもとりあげられて、この薄暗い部屋にずっと閉じ込められているわけだ。もう何年になるか、何十年になるのかもわからない……」
「見ての通り、ここにはカレンダーも時計もないですからな……」とパイナが付け加える。
「そして、魔物さまに、それぞれの町でのふるまいかたを教えてさしあげているというわけだ……」とレタースンも自嘲的に口をゆがめていった。
「いったい、どうしてそんなひどいことを……」
とさとじいが、ソファから身体を乗り出すようにして聞いた。
「われわれふたりに化けて好き放題にするためだよ……」とレタースンがだるそうに口を開いた。
「フルーツェンの町長になって、はりぼての城をつくったり、ベジッタのマガジンの編集長になって、野菜たちに果物への嫉妬と憎しみをあおる記事をひたすら載せたり……」
「なんで、そんなばかばかしいことをするんだ」
とライムがいらだった声をあげた。
「政治とメディアをおさえればコントロールしやすく効果的と思ったのかもしれないな……」とレタースンが言った。
ライムはわけがわからず、何も言わなかった。
「これは推測にはすぎませんが……」とパイナが口を開いた。
「やつの魔力はたいしたことないんでしょう。せいぜい、化け狐みたいにばけることくらいしか……」
「両方の町から迫害されうらみがあるあいつは、両方とも暗黒に落とそうとおもった。だがたった一人で両方の町を地獄に落とすほどの魔力はない……」
「そこで、ふたつの町を対立させ苦しめる方法を考え出したというわけだ……」とレタースンが補足した。
「われわれベジッタ町には、フルーツェンの優雅で裕福なうその世界をみせつけ、悔しがらせる。そして自分たちの生活がつらくみじめなものだと思わせる……」
苦虫をかみつぶしたような表情で、レタースンが話をつづけた。
「果物町には、野菜レスラーなどのような、ならずものを、けしかけて、果物のひとびとを傷つけ、大切なものを奪わせる……」
「いや、もしかしたら……」メディア王がさらに声をひくめた。
「やつは、二つの町を喧嘩させ、うっぷん晴らしをしているだけではないのかもしれない……」
「というと……」
さとじいがくびをかしげた。
「やつは、もっとおそろしいことを考えているのかも……」
床をじっと見つめる。
「二つの町を喧嘩させたうえで、支配しようと考えているんだ。二つの町が手をとりあい、力をあわせて、ドリアンに立ち向かっていったら、なかなか手ごわいと思ったんじゃないか……」
「じゃ、こうしちゃ、いられないじゃないかっ」
ライムはその場でぴょん、といきおいよくジャンプした。
とたんに天井に頭が激しくぶつかってはねかえり、いきおいよく床にころがった。
壁にぶつかって止まる。
「いてててっ」
ライムはおもわず頭をおさえた。けれど……実際には、あまり痛くないことに気がついた。
(あ、そうだ、これはもともとはフルーツェンのゼリーハウスだからだ……)と思い当たった。
「あのとげとげとやろうを止めなくっちゃあ」みなを斜めにみあげながら、ライムはうなるような声をあげた。
「あいつはどんなひどいことを企んでいるかわかったもんじゃないぞっ」立ちあがりながら、きびしい表情できっぱりと言った。
ライムはドアに突進すると、ドアノブをはげしくつかんでがちゃがちゃまわした。だがやはりドアはあかなかった。思い切り押したり引いたりしてもダメだった。
ライムはドアからはなれると、向かいの壁まで下がった。ドアをきっとにらむと、すごいいきおいで走り出した。
「とおりゃあああーっ! 」
ドアにおもいきり飛び蹴りをくらわせた。
次の瞬間、「わあああっ!」ライムはすごい勢いではねかえされ、もといた反対の壁までふっとばされた。床にころがる。
「そんなことやってもダメだよ」と興奮したライムとは対照的に、しらけたしずかな声で、パイナ町長が言った。
「そんなこと、何百回、いや何千、何万回だってやってみたさ……」とレタースンも投げやりな口調で続けた。
ライムは、今度は窓際に走って行って、窓に手を伸ばした。
「やめなさい……」とベッドからふりかえってパイナがいう。
「どうやっても開かない。窓だってそうさ……けっして開かないし、たたいてもガラスじゃないからまったく割れない。ああ、われわれのゼリーハウスがこんなに丈夫だとはな……、まったく皮肉なことだ……」
と町長はため息をついた。
「だからあいつは、われわれを閉じ込める先として、ゼリーハウスを選んだんだろう……」とレタースンが言った。
「そう、わが町のゼリーオブジェは生き物めいたところがあり、ドルアはそのほうが魔法をかけやすいようなのです……」とパイナが付け加える。
「とことん、ずるがしこいやつだな……」
ライムは両方のこぶしを握りしめた。
怒りがさらに高まると、口の中に、にがいつばがたくさん湧き出てきた。ぺっ、と床にすっぱジュースをはきかける。
「くそ、くそっ!」
壁にもそこらじゅう、おもいきり、いきおいよくふきつけた。
「まったく、フルーツェンのもののくせに、あんなやつのいいなりになりやがって! 」
そう毒づきながら、へやじゅうにつばをはきかけた。
「魔法なんかにかかってんじゃないよ」
すると、どうだろう。
びくっと、部屋が震えたような気がした。
「え、地震? 」
サトチが高い声を出して腰をかがめた。
部屋は振動していた。
「いや……」とパイナがかすれた声をあげた。
「家が、いやがっているんだ……」
町長の目は見ひらかれていた。
「部屋に体当たりしたり、つばをはいたりしたからだ……」とレタースンも押し殺した声を出した。
みな、驚きと恐怖の表情をうかべて、ぴくん、ぴくんと心臓の鼓動みたいに脈動する壁や天井をみあげていた。
「ごめん、わるかった!」と突然、ライムはさけんだ。殺風景な部屋のなかほどに立って、部屋をみわたしながら話し続ける。
「おれっち、かっとなるとすぐこうなっちまって……」うつむいてしおらしい声を出す。
「ふるさとがなつかしくないか……」
突然、さとじいが壁に向かって話しかけだした。
「きみはこんな森の奥で、ひっそりと身を潜(ひそ)めているような存在ではないはずだ……」
とおちついた声で続ける。
「勝手にわが町につれてきてしまってもうしわけないが……」さとじいは頭をさげる。
それにこたえるように、ハウスはびくん、びくんと、大きく壁を震わせた。
「みんなが、おおぜい出入りして、わいわいとにぎやかな建物だったはず……」
ハウスは考え込むように動きをとめた。
「帰ろう!、フルーツェンに!」
ライムは力強く言った。
「そうだ、ふるさとに帰ろう」とさとじいもやさしげな口調で言った。
突然、分厚い暗い色のカーテンがしゃっ、という音とともにひとりでに勢(いきおい)よくあいた。
同時に、部屋じゅうが白いまぶしい光に満たされた。みなおもわず目を強くつぶった。
床が足の裏をぐうっと押し上げるような、奇妙な感覚があった。ふわりとライムは自分の体がうきあがるのを感じた。
ライムとさとじい、さとちはまぶしい光にまもなく慣れて、目をあけた。
だが、長年、暗いところに閉じ込められていた町長と編集長は、目を射るような日ざしに耐(た)えられないのか、床に倒れてしまった。両目を両手でしっかりと覆っている。
「だ、だいじょうぶか?」とライムはふたりを助けようと思ったが、窓の外のうごきに気を取られ、動きを止めた。
「え」
驚いて窓から外をみると、林の木々がどんどん縮んでいた。
いや、そうではない。家が浮き上がっているのだった。
どんどん木々は短くなってついに消え、視界は真っ青な空だけになった。家は空を飛んでいるのだった。
ライムはおそるおそる窓に手をかけうごかしてみた。窓は開いた。
おそるおそる窓から顔を突き出してみると、屋根の少し下のほうに巨大なまっしろいつばさがみえた。
白鳥のようなつばさをゆっくりとはばたかせながら、家は空を移動していた。
自分が飛べることのよろこびに、あっちにふわりと大きく飛んだり、きまぐれにはんたいがわに、いきおいよく向かったりした。そのうち、くるくる回転したりさえした。
「わあ、目がまわるう」ライムたちはゆかにしゃがみこんだり、はいつくばったりした。
ライムは必死に立ちあがり、よろけながら、窓にむかった。
ハウスのスピードがゆるんだ。さっき遠ざかっていた林が見えてきている。ハウスはもとの場所に戻ろうとしているのではないだろうか……とライムは思った。
窓からぐうっとからだをつきだすと、まっすぐにボンダ山を指さした。「あっちだ。あの山を越えるんだ」ふきつける風にまけないように大声をあげる。
「フルーツェンに帰ろうっ!」
ゼリーハウスは、その声に勇気づけられたように、くるりと方向をかえ、再び、上空にのぼりだした。翼に力を込めまっすぐに進む。塀のようにうねうねと続く小さく鋭い山が前方にみえてきた。
つづけてサトチやさとじいも窓から顔を出した。歓声とも恐怖の声ともつかない声をあげる。
パイナとレタースンも窓辺にやってきた。しんぱいそうにまゆをしかめて、家からはえている大きなまっしろい翼をみあげている。
「だいじょうぶですよ、ちからづよくはばたいている」
とさとじいが笑顔をふたりに向ける。
ぼんだ山をこえ、フルーツェンが見えてくると、みなは歓声をあげた。
パイナ町長が窓から大きく身を乗り出す。
「おおっ、あれはジュシーカントリー?楽部だっ」と眼下にひろがるゴルフ場を指さした。パイナは下側の窓枠につかまってぴょんぴょんはねている。雄大なゴルフ場は日差しを浴び、青々と輝いている。
「お、おれもベジ・フル合同ゴルフ大会のとき、取材に行ったぞっ」とすかさずレタースンもすっとんきょうな高い声で叫んだ。
「おお、なんだあれはっ?」
さらに身を乗り出しながらパイナは叫ぶ。その指さす先には、丘の上にそびえるお城があった。おとぎ話に出てくるようなお城は全身に日の光をいっぱいにあび、白く輝いている。
「あっはは」ライムは笑った。
「あれが張りぼてのハリー城だよ、自分でつくっといて忘れちゃったのかよ」とからかった。
町長はつんつん髪がとがった頭をかいた。
「そ、そうだったな、ぼくが作ったことになってるんだったな……」
そういって苦笑しながらためいきをついた。
「おお、あれもそうなんだな……」
とレタースンがあおじろい指をさす。
そこには青々と輝いている港にまっしろい豪華客船が浮かんでいた。
「あれもそうさ、豪華客船ボテール号。すごいだろ。とても発泡スチロールでできているとはみえないだろ」とライムはなぜか自慢した。
「ふーん、すごいね、」
「すごいなあ」
パイナとレタースンにおしのけられていたさとじいとさとちが、みなの間にわりこんで首を突き出しながら言った。
やがて、“飛行ハウス”の速度が緩やかになってきた。バナナの形をした公園の展望塔が見えてくる。公園の芝生広場やサイクリングロード、ボート池なんかが大きくなってくる。やがてかすかなショックとともに、公民館ハウスは止まった。芝生広場に降り立ったようだった。
しばしの沈黙のあと、レタースンが言った。
「と、とまった?……」
「あ、ああ、公園に降り立ったようですな……」
とパイナ編集長もなかばつぶやくように言った。
「すばらしい着地ですな、ほとんどショックはなかった……」
さとじいが笑みをみせる。
パイナ町長はよろよろと部屋を横切り、ドアに向かった。おそるおそるふるえる手でドアをあける。
「あ、あいた……」ドアをあけ、よろけながら一人出ていく。
みなもあとに続いた。
町長はいまにもころびそうに、へっぴり腰で廊下の先の玄関に向かった。玄関は光にあふれている。
両開きの玄関ドアは開いていた。
「あいてる……」とつぶやいたきり、パイナ町長は広い玄関で突っ立っている。
まるで玄関の外にはてしなくひろがる光を恐れているかのようだった。
「さあ、お二人ともいきましょう……」と声をかけて、サトジイはふたりのわきをそっとすりぬけて前に進んだ。
それでもふたりは、まぶしそうに手を目のうえにかざしたままうごかない。
(長い間、閉じ込められていたから、足腰がすっかりよわくなっているのかも……)とライムは思って、立ちすくむ二人の間に割って入った。
「さあ、おれっちの肩につかまって」
ふたりはぼんやりと手をのばした。だが、……ライムは小さすぎて、肩につかまるとかえってバランスを崩しそうなことに気がついた。
「い、いや、その、気持ちだけで十分……」とパイナはいった。
そしてよろよろと公園のひろばに歩みだした。レタースンもあとに続く。
芝生広場にいた人たちは突如、空から舞い降りた赤い三角屋根の建物に驚いた。目をまるくし、口をぽかんとあけている。そこからあらわれた人たちにも驚きの声をあげる。
「あっ、パイナ町長! 」クリが声をあげる。
「なんでそんなところに……」
ゼリーハウスと町長たちを交互に見比べている。
「あ」とキウイが声をあげる。
「あれ、この建物見たことある」
目を大きく見開いて公民館を指さしている。
「羽はなかったような気がするけど……」
「これ、昔あった公民館じゃないの……」
デコポンのおばさんが叫ぶ。
「あ、そうだ。たしかずっと前に野菜たちに奪われたやつだよっ」
と、びわも興奮した声をあげた。
色とりどりのフルーツたちがざわざわする。
「パイナ町長、あいつらから公民館、取り返してくれたんだね」とイチジクがさけんだ。
「さっすが、町長だっ」
「はりぼてばかりつくったり、へんなことばかりしているって思ってたけど、ちゃんと、やることはやっていたんだね! 」
と信頼に満ちた目をきらきらさせて桃が叫ぶように言う。
「あ、いや、その……」町長はとまどった目をきょときょとと動かす。
「あれ、」デコポンが素っ頓狂な声をあげた。
「町長、ずいぶんやせたね、それにひげがぼおぼお……」
「あ、ほんと、さっきから気になっていたんだけど……」とハッサクもいった。目をぱちぱちさせている。
「どうして急にそんなにやつれちまったんだよぉ」などと心配する声があがった。
「わかった」とポンカンが軽快な声をあげ、ぽんと手を打った。
「それだけ、野菜たちから公民館を取り戻すのが大変だったってわけだよ」
「なるほど」
みな納得して、そろってうなずいた。
「でも、あれ……」急にけわしい顔になってハッサクがレタースンを指さした。
「あいつ、野菜じゃないか……」
「あ、そうだ。それにあいつらも……」
と桃が今度は、さとじいとサトチを指さす。
「あいつらはたしか、イボ……」
「いやちがう、イモだ。二匹もいやがる……」
と洋ナシが叫ぶように言う。
「町長さん、な、なんで野菜といっしょに……」
「わかった」
ぽんかんがぱん、といきおいよく手を打った。
「あいつらは捕虜だ、パイナさんは、わが公民館を戦い取って、ついでに捕虜も取った、というわけだ」
「なるほどっ」、みなもぽんかんの真似をして手を打った。
「英雄だ、英雄だっ、」
「ばんざい、ばんざーい!」
みな大声をあげて飛び上がった。
「あれっ」ハッサクが急にばんざいをとめて、指さした。
「おい、あれ……」
顔をしかめている。
「わ、悪ガキライムもいるぞっ、ライム小僧……」
とタンゴールが叫んだ。
「うわ、なんかちっこくて気づかなかったよ」
とみかん。
「ちぇっ、せっかく最近みかけなくて、町が平和だったのに……」とオレンジが舌打ちした。
「ライムは捕虜だっていらないけどな……」とバンペイユが低い声でつぶやくように言った。
「なにが捕虜だっ!」ライムがこぶしをふりあげて叫びかけたときだった。
「ほお、にぎやかだな、みなさん……」とどすのきいた低い声がライムたちの背後からひびいた。
ふりかえると、ドルアが立っていた。すこしふらふらしている。顔が赤い。酔っぱらっているようだ。まぶしそうに眼をほそめてあたりを見渡してから、太い首をゆっくり何度か横に振った。
「なんでここにいる……」ひとりごとみたいに低くつぶやく。
かたわらにレタスとオクラも首をかしげたり、目をぱちぱちさせたりしている。
「おい、これはどうしたことだ……おまえら、どんな魔法を使ったんだ……」
ドルアはぎょろ目でライムたちをにらみつけた。
「もしかしたら、ハウスが空を飛んだことに気がついていないんじゃないだろうか……」
とさとじいが、みなに小声で言った。
「どうやら、飛行中、よっぱらって寝ていたんじゃないか……」
とレタースンも声を潜めて言った。
「でかけたわけじゃなかったんですな……」パイナも声をひそめて返した。
「ああ、さっき、けっこうワインをがぶがぶ飲んでましたからな……」とサトじいが言った。
「なにをごちゃごちゃ言ってるんだ、おまえら」とドルアは真っ赤な目をして、すこしふらつきながら、パイナやレタースンたちのほうに近づいてきた。
「おまえら、いつ、家から出ていいっていった……」
とげだらけの太い腕を町長たちにむけて突き出す。
「お前たちは枯れはてるまで、ずっとわが家にいるはずだろう……」
パイナは逃げ出そうとしたが、脚がもつれて転びそうになった。
「チョウチョ、あぶないっ」
ライムはジャンプすると、すっぱジュースをドルアにふきかけた。
顔をねらったがはずれ、頑丈そうな肩にあたった。じゅっと、なにかが焦げるような音がしたが、ドルアの赤黒くぶあつい皮膚はなんともなかった。
パイナは体勢を立て直し、走り出した。オクラーンも続く。かれらのせなかにむかってドルアは大きな手のひらを向けた。
「リド、アドリリド……」
赤く濁った眼でにらみつけ、低い異様な声でうなる。
ドルアの口から、もわあと黄土色の煙みたいなものが出た。それは霧のように広がってパイナとオクラーンをつつみこんだ。
同時に、「うわ、くさっ!」みな、鼻をつまんでうずくまったりした。
何かが腐ったみたいな強烈なにおいがあたりに広がった。
黄土色の煙が消えると、そこにはツタのようなものに脚をからめとられたパイナとオクラーンがいた。ふたりが悲鳴をあげながらころぶ。
「おい、だいじょうぶかっ」とライムはかけより、パイナの脚にからみつくツタをひきちぎった。サトチはオクラーンのツタをはぎ取る。
ふたりは再び、ひいいというような情けない声をあげて逃げ始める。
「くそっ、酔いがまわっているせいか、うまくきかんなっ」
とドルアは毒づくと、また、手のひらをパイナとレタースンに向けた。
「しつこいやつめっ」ライムは助走をつけてから、思い切りジャンプした。そしてドルアにとびげりを見舞った。
「どりっ!」ドルアはうめいた。肩の当たりにキックがあたった。べきっ、妙なにぶい音がした。赤茶色のとげがおれた。汁のようなものがすこしにじんでいて、そこからしゅうしゅうと、赤黒い煙のようなものが漂い出た。
ドルアはかまわず、再び逃げ出したパイナとレタースンに向けて手のひらを差し出す。
「ドルルリア、リドルラリドル……」低くうなる。
煙がかかると、もつれる足取りで逃げていたパイナとレタースンの足が突如、止まった。ふたりの足に黒々とした太いへびのようなものがまきついている。それはよくみるとねじくれた木の根っこで、ふたりの脚(あし)をしめつけていた。そして二人の足と一体化してぐねぐねとうごめきながら地面にもぐりこんでいった。
パイナとレタースンのもじゃもじゃのひげにおおわれた口から悲鳴があがった。血走った目が大きく見開かれている。ふたりは、なにかにすがりつこうとするように両手をふりまわしたが、地面からのがれることはできなかった。
「おい、しっかりしろ」
近くにいた人たちがふたりを地面からひきずりだそうとした。だが、体格のいい男たちがうなりながら、ふたりのからだをひっぱってもびくともしないようだった。パイナとレタースンはさらにふかく、ゆっくりと沈み込んでいった。
「魔法だっ」広場から悲鳴のような声があがった。
「あいつは魔法を使うドリアンだっ」
「も、もしかしたら、あのときの……」
ドルアを力なくゆびさしたまま、年老いたあんずのドライフルーツが震えて立っている。
「まさか……」同じくしわがれた老人の声が続いた。いちじくのドライフルーツだった。
「そ、そうだ、思い出したぞ。悪魔のドリアン一家……」
「こいつはあの時の、親玉だ!」
「また懲りずにやってきたのかっ」
「あんなに痛めつけてやったのに」
広場にいた年寄りのドライフルーツたちは口々にさけんだ。
「いえ、違うんです」と地面にしばりつけられたままのパイナがうめきながら言った。
「あいつはあのときの親玉ではありません」
「あのとき、こどもだったドリアンなのです……」ともはや観念して身動きひとつしないオクラーンが続けた。
「あ、そうか……たしかに相当、昔のできごとでしたよな……」
「ああ、のろわしいできごと……」
「たしかに、悪魔一家にはこどももいた……」
「だが、あんなにおそろしげな姿に成長しているとは……」
驚きと恐怖の声が交錯した。
「さあ、詳しいことを教えてさしあげます。ここから出してください」パイナはあわれな表情で、みなに訴えかけた。
しかし、みな、パイナたちにかまっている余裕などなかった。
おそれながらも、ドルアをにらみつける。
「なぜ、またやってきたんだっ!」
「地獄の底から来た醜い悪魔のフルーツめっ!」
「地獄に戻れっ!」
憎悪と恐怖に顔をゆがめながら、ドライフルーツたちは細い枯れ枝みたいな腕を振り回した。
ドルアは何も言わず。赤い目をドライフルーツたちに向けた。とげが折れた肩のあたりから、青紫色の煙のようなものが湧き出て、空中を漂い、ドライフルーツたちの方に向かう。
同時に、なにか生ごみが腐ったような強烈なにおいがひろがった。
「わああっ! 」広場にいたひとたちは鼻をつまみ、その場にうずくまった。
「ドリリリル、アドル……」低くひびく不気味な呪文をとなえながら、手のひらをドライフルーツたちに向けた。
青紫色の煙がドライフルーツたちのからだを覆い隠す。やがてその煙はうすくなって、風にふきはらわれた。
するとどうだろう。そこにいたドライフルーツたちはみるみる、青紫色っぽく変色していき、やがて漆黒の闇のような真っ黒になった。
そして手から足から、顔から、赤や青、黄色などの毒々しい色のおできのようなものが生えだしたのだ。ドルアはじっと彼らをみながら呪文を続ける。からだじゅうを覆う無数のおできはみるみる、長く伸び、先端がするどくとがり……つの、というかとげのようなものになっていった。
近くにいた人たちはその無数のとげに覆われた姿をみてひめいをあげた。
「わああ、ばけものっ」そうさけばれたトゲトゲフルーツは自分の手を見おろした。
「なんだ、これは……」
そして顔にさわる。「いたっ」顔のとげが刺さったみたいだった。手のひらから血がしたたる。
「わあ、たすけてえ」と友達に、すがるみたいに血まみれのとげだらけの両手をつきだして迫る。友達は悲鳴をあげるとあわてて逃げ出す。
そういう友達もトゲが生えだし成長し、全身、とげだらけになっていった。
「ドム、ドリリルンンア……」
ドルアは今度は別の方向に向き、また手のひらを差し出しながら呪文を唱えた。青紫色の煙が漂い出る。煙をかぶったオレンジやりんごたちの顔や体がみるみる黒ずんでいった。同時に空気がぬけた風船みたいに、しなびて小さくなっていく。しだいに枯れて、どろどろと解けはじめ、ついには土の地面に混ざり合ってしまった。
「やめろーっ!」ライムはさけぶと、猛烈ないきおいで走り出した。そしてドルアのとげだらけの背中に飛び蹴りをくらわした。
するとまたとげが折れ、根元からしゅうしゅうと青紫の煙が噴出した。からだから漂よい出た煙は近くにいるフルーツを包む。すると彼らもまた不気味に変化して争いあった。
ドルアは驚きと歓喜の声をあげた。
「おお、おれがこんな強い魔法を使えるとはおもわなかったぞ……」
「ドリリ、アドル……」ドルアは呪文を唱えながら、あたりを勢いよく歩き回った。煙はどんどん広い範囲に広がっていった。
広場中に悲鳴と怒声があふれ、つかみあい争う人々の姿でいっぱいになった。
「知らなかった。こんなことは……ライム小僧よ、ありがとう……。」
ドルアは、必死に霧をよけながら動き回るライムを見やった。
「とげを折ったらこんなに強い魔法を出せるとはな……」
ドルアのからだは赤みを増し、全身に血管が浮き出している。大きな体が一段と大きくなったようにみえた。
「おれの傷の霧がかかれば魔法の力は各段に強力になる。こんなに効く魔法はかけたことがない。こんなことだと知っていたならもっと早く、こうしていればよかったな……。」
ドルアは喜びと力に満ちた声を張り上げた。
ドルアは霧をふりまきながら、さらにまがまがしい呪文をつぶやきつづけた。地面を揺るがすほどの低音で。しかもそれはつぶやきなのに、なぜか、どこまでも届くみたいによく通った。
「やめろーっ」
ライムは、ドルアを追いかけ、走った。が、もう飛び蹴りなどの攻撃をすることはできない、と思った。トゲを折れば折るほど、あの霧が体から出て、魔法が強まるだけということがライムにもようやくわかったのだった。
ドルアのからだは、もとの二倍、三倍へと巨大化していた。全身のとげもそれぞれが巨大な刀剣のように、からだからそそり立っている。
赤茶色だった体の色はどんどん濃くなっていき、ついには闇のような真っ黒になった。吸い込まれるような漆黒の闇の中で、目だけがらんらんと赤く光っていた。
そのとき、あたりに風がわきおこった。ライムがふりかえると、三角屋根のドルアの家が芝生広場に着陸するところだった。どこかに飛んでいたのだろか。両開きの玄関ドアが大きくあけられ、中からサトじいとサトチが出てきた。
「おーい」とライムに手をふる。
「強力なすけっとたちを連れてきたよっ!」とサトチが叫んだ。
ふたりの後ろから、窮屈そうにからだをかがめながら、巨大な影があらわれた。その姿をみて、ライムは声をあげそうになった。キャベツ、ダイコン、そしてはくさい……。野菜レスラーたちだった。
さっと体の奥が冷たくなったような感じがした。
からだをこわばらせて身構えていると、キャベルが声をかけてきた。
「おう、ライム、ひさしぶりだなっ」
ごつい腕をふっている。
おだやかな声と表情。
「娘がいつも世話になっているようで……」
と笑顔で続ける。
「え」と思ったつぎの瞬間、おもいあたった。あの公園の芽キャベツ、キャベッチュは、キャベルの子供だったのではないだろうか。
「うちの子もいつも遊んでもらっているらしくて、ありがとうな」
「お世話になってまーす」とハクサイックとダイコもにこやかに大声でいって笑顔をむけた。ライムはタイニーシュシュとねずみ大根の顔を思い浮かべた。
それから、キャベルはきっと表情を変えると、どら声を放った。
「おう、よっぱらって暴れているってのはどいつだっ!」
野菜レスラーたちは足音をひびかせ、あたりを見回した。
戦うべき相手はすぐにわかった。
巨大なドルアのからだはさらに、三倍ほどの大きさになっていた。からだのあちこちからくすぶるように煙が出ている。
野菜レスラーたちは体をこわばらせた。だがひるむことなく、じり、じりとドルアを囲んだ。
なんとか霧をよけながら、キャベルたちはドルアに迫った。だが、野菜レスラーたちの数倍の大きさに巨大化したドルアはいともかんたんに野菜レスラーたちを蹴散らした。
つきとばされ、あおむけにころんだハクサイックは立ち上がろうともせずに虚空に向け、目を見開いている。黒い霧が彼の巨体に忍び寄っている。
「おい、だいじょうぶかっ」
ライムはあわててかけよると、近くにあったそこらにあったビニールシートをあおいで、ハクサイックにまとわりつく霧を吹きはらった。
ハクサイックはきょとんとした顔でのろのろと上半身を起こした。
「そうだ!」ライムは思いついてさけんだ。
「あいつから出ている煙をふさぐんだ!」といって近くのビニールハウスを指さした。
野菜レスラーたちは畑に踏み込んで、「ちょっとわるいな」、などといいながら、ビニールハウスからビニールをべりべりとひきはがした。それからドルアに突進してかぶせた。ドルアはぐるぐるまきにされ、煙は封じ込められた。だが、すぐさま、彼はビニールの中で、うなり声をあげながら、すごい勢いで巨大な体を回転させた。全身のとげがビニールをひきさき、ずたずたになったビニールから出てきた。
そしてまた呪文を唱えだした。
ドルアは煙の出が悪くなると、自分でからだのとげを折ったり、むしり取ったりした。そのたびに、ぎぼっ!というような異様な音がして、血のようなものが噴き出た。つぎに濃い煙が漂い出る。ドルアはさけび、顔をひどくしかめた。だが食いしばった歯の間から、低くひびく呪文を紡ぎだした。
ライムはそれを見ているうち、なんともさびしいような悲しいような思いにとらわれた。
「そうだっ!」、ライムは叫んだ。さっき、公民館の廊下を通ったとき、すみにバケツや雑巾がいくつか置いてあったのを思い出した。
走り出すと、「ちょっとごめんよ」と公民館に声をかけながら入っていった。
バケツをふたつ手にさげて、ハウスを飛び出ると、今度はドルアから距離をおいてにらんでいるキャベルのもとに走り出す。
「なあ、キャベル、頼みがあるんだ」
ライムはキャベルを見上げた。
「あのときみたいに、おれっちを吹っ飛ばしてくれ」
「はあ……」とキャベルはライムを見下ろして首をかしげた。
「ほら、相撲大会のときに……」
「あ、ああ、」
キャベルは太い首をきまりわるげにかいた。
「あのときはわるかったな……」
「いや、いいんだ」
といってライムは指さした。
「ほら、湖の向こうの林を超えたところ……」
「でもどうして……」キャベルは太い首をかしげる。
「いや、今は説明しているひまはないんだ、頼むよ」とライム。
「お、おう、わかった……」
キャベルはライムの真剣なかおつきを見て、決心をしたようだった。
キャベルはバケツをもったライムをむんずとつかんで抱えると、大きな体を回転しはじめた。回転はだんだん速くなっていく。
それがマックスになったところで、ライムをはなした。
バケツをもったままライムはいきおいよくふっとんだ。
町を超え、林を超え、湖の上を超える。
ライムは野原に着地すると走り出した。丘みたいに小高くもりあがったところを探す。
草にかくれてわかりづらかったが、あのドラゴンの形の岩をさがしだし、急いで穴にもぐりこんだ。真っ暗な穴を進むと、先のほうに青白い光がゆらいでいるのがみえた。
岩の間からもれるその光はゆっくりと、七色に色をかえていく。なにもかもこのまえと同じだった。
バケツを泉にひたし、“びっくら水”をくみあげる。もう一つのバケツにも。
(この水でおれっちは、けががたちまち治った……)
バケツのとってを握りしめる。
「これをかければあいつの傷もたちまち治るはずだ……」とライムはひとりつぶやいた。
重いバケツをさげてよろよろと歩き出す。行きはあっというまだったが、帰りはそうはいかなかった。一歩一歩、大地を踏みしめて進んでいかなければならない……得意のジャンプを使うこともできない。水はおもいし、だいいちこぼれてしまう。
どんなに歩いても林の向こうの公園の塔の大きさは同じように見える。いつまでたっても小さいままだ。
からだじゅうから汗がふきだした。だらだら額から流れ落ちる汗が目にはいるので、ときどきバケツをおろして汗をぬぐわなければならなかった。
のどがからからだった。足元のバケツには水がたっぷりと入っている。
いやだめだ……とライムは目をつぶって、水のことは考えないようにして、先を進んだ。でも反対に頭の中は水のことでいっぱいになる。日差しはさらにつよくなっていった。
「ちょっとだけならいいだろう……」
もうろうとしてくる頭で考える。
「ほんの一口……」
(いや、まてまて、やめろ)という心の声があったが、もう勝手に、自然に手がうごいていた。バケツを草原におくと両手ですくって、水を口にふくんだ。とたんにからだじゅうに生気がよみがえった。まさに生き返った、という感じだった。
「うわあ、うめえ!」
ライムはさらに黄緑色の手を、きよらかに澄んだ水の中につっこんだ。
どんどん続けて飲んでしまいそうだった。でもそこで頭を強く左右にふった。
「だめだ、だめだ、これはドルアにかける大切な水なんだ」
目をぎゅっとつぶって、両手を水から引き出した。そしてバケツのとってをぐいと、しっかりつかむと、再び、草原をあるきはじめた。草が足をくすぐっていった。脚に、いや体全体に力がみなぎる。ライムはかけだした。水はこぼれなかった。ライムは自分でもびっくりするような軽やかさとスピードで公園に向かってかけつづけた。
ドルアの巨大な姿はすぐにみつかった。公園を出たところの街中で、低くうなる呪文が地響きのように伝わってくる。
あたりには猛烈なにおいと、青紫だったり、赤紫だったりする霧が漂っている。ライムはあわててバケツをおろし、両腕で鼻や口をおおった。
ちかづいてよくみると、鳥肌がたった。ドルアの上半身にはもはやほとんど、とげがなかった。とげをぬいたあとなのだろう、からだじゅうの傷あとから青紫だったり、赤紫だったりする霧のようなものがうっすらと出ていた。
ドルアはふとい腕を力なくあげ、巨体をよろよろさせながら、さまよいあるいている。その口から洩れる呪文は、どこか死者のものを思わせた。もはやその目は宙をさまよい、何を見ているのかはわからなかった。
周りの住宅や商店の間で人々は争い続けている。こずきあいや殴り合い。とげだらけの姿で目を血走らせ、お互いにつかみあっている者もいる。お互いのとげが刺さって、悲鳴があがる。
ライムはもはやへとへとだったが、両腕のバケツを握りなおすと、口を一文字にひきしめ、ドルアに向かっていった。
ドルアはライムに気がつき、動きを止めるとにごった目でみおろした。
ライムはまけじとにらみかえすと叫んだ。
「魔法はやめろ、おまえ、傷だらけだぞっ」
ドルアは低い、抑揚のない声で言った。
「なんだ、そのバケツは……水が入っているのか。火事は残念ながら起きてないぞ……」
ドルアの赤黒いおおきな顔には表情がなかった。
「たしかに魔法煙が出ているから、火事とまちがえたんだな。相変わらずまぬけなやつだ……」と力なくせせらわらってみせる。
「目をさませ、おれっちはおまえを助けようとしてんだ!」
ドルアのうつろな目をみすえたまま、叫ぶように言った。
「だから火事なんかおこってないから助けなくていいんだよ、おれは火元じゃないんだよ」とドルアは投げやりに言った。
ライムはさらに巨大化したドルアをみあげて、こころのなかでつぶやいた。(やっぱ、これっぽっちの水じゃ足りなかったか……)
「あのさ、じつはこの水はさ……」ライムは自分の表情をやわらげようと努力した。「ただの水じゃなくて……」
ライムは「びっくら水」のことを説明しようとした。
きいているのかいないのか、ドルアはゆっくりからだのむきをかえるとのっしのっしとあるきだした。
「おい、待ってくれっ」
ライムがバケツをかかえようとしたときだった。ドルアはいきなりくるりとふりかえると、かがみこんで、すねのあたりのとげをひきぬいた。
「よせ、やめろっ」とライムは叫んだ。けれど遅かった。
ドルアは上体を起こしたかと思うと、なげつけた。とげはバケツに命中し、衝撃音とともに一瞬にしてバケツは吹っ飛ばされた。バケツの水はぜんぶこぼれて、地面を濡らした。地面からしゅうしゅうと青白いあわい霧のようなものがたちのぼった。
さらにもう一本、太い脚から引き抜いたとげをなげつけ、地面においてあったもう一つのバケツもひっくり返した。
ライムは一滴でもすくいとれないかと地面にはいつくばったが、水はあっというまに地面に吸い取られて消えてしまった。
ライムはあわててふっとばされたバケツを起こしたが、その中には水はまったく残ってなかった。ライムはからのバケツをみつめたまま、固まってしまった。じっとみつめているうちに、そのなかが何か不思議な力で再び水が満たされるのではないか、と思っている自分に気づいた。はっとして顔をあげる。
ライムは大きくとびあがった。ドルアの頭上をくるくる回転しながら飛ぶ。そして真上まで来たとき、自分のおなかをおもいきり強く押した。
口からぴゅーっと、いきおいよく水が飛び出した。
びっくら水は霧状にひろがり、ドルアの巨体にふりかかった。
「なにをしやがるっ」ドルアは両目をおさえるとうずくまった。
「すっぱジュースをかけやがったな」
すると、しゅううというような音がし、ドルアの体から白い、湯気のようなものが立ちのぼった。それは霧のように広がったかと思うと、ゆるやかにうねりながら、ドルアの体を包み込んだ。
ドルアの体を隠したミルクのような霧はぼおとやわらかい光を宿した。
やがて、光はうすれ、霧はうすくなってどこかへ静かに流れ去った。
ドルアの姿があらわれた。目をつぶりしずかにうずくまっている。
それを見て、ライムはあっと声をあげた。
「と、とげが戻っている。」
肩にも、腕にも、胸にも、全身にあわい栗色のとげがはえていた。からだも、どす黒いような赤紫色だったのに、つやのある黄色みをおびた優しい色あいになっている。
大きさも元に戻っていた。まがまがしい雰囲気は完全に消えている。
ドルアはゆっくりとした動作で自分のからだを見下ろした。うでのとげにそっとさわってみたりしている。それからあたりを見まわした。
まゆを下げ、自分はどこにいるのだろう、と考えているような様子だった。
「あんなにちょびっとの水で効(き)いたんだ……」
と、ライムはつぶやいた。
「傷が治っただけでなく、とげがぜんぶ生えてくるなんて……さすが、びっくら水だ……」
ほおと感心したみたいな息をつく。
「それとも、おれっちのおなかの中ですっぱジュースとまざったから効き目が超パワーアップ化したのかな……」
半分、眠っているかのようなおだやかな表情をたたえていたドルアだったが、やがてはっとしたように顔をあげた。
さっと立ちあがると、あらためてあたりをみまわす。町のあちこちで、怪物化し、ののしりあい、つかみあう果物たちの姿があった。怒鳴り声、悲鳴や金切り声が飛び交う。
ドルアは、彼らのほうに向かった。
目を半眼にし、両手をしずかにあげて、何かつぶやきだした。それは呪文のようだったが、さっきのまがまがしく狂暴な調子はなかった。
すると、手のひらから、ミルクみたいなやさしい、やわらかい白い光が漂い出た。さっき、ドルアを包み込んだ光とよく似ていた。光は霧のようにしずかに広がっていく。
光の霧につつまれると、争っていた人たちは動きをとめた。霧が消えると、そこにはきょとんとつったっている果物たちがいた。からだじゅうに生えていたとげはなくなっている。つのやきば、いぼ、こぶみたいなものも消えている。
いったい、何をしていたのだろう、と目をぱちぱちさせて、いままで争っていた相手を見たり、不審げにあたりを見渡したりした。
乳白色の霧はどこまでもひろがっていき、すべての争ったり逃げ惑ってたりする人たちをもとにもどした。
怒声や悲鳴はまったく消え、おたがいにあやまったり、いたわりあったりする声や姿で満たされた。
やがて町から喧噪がきえ、静けさに満たされた。
やがて、ドルアは公園広場に戻ってきて、ライムの前にどっかとあぐらをかいた。あっけにとられてつったっていたライムもつられたように芝の上に腰をおろした。
「お前も魔法が使えるのかい?」
しずかな、穏やかな声で聞く。
ライムは首を横にふった。
そして、偶然、洞窟の中の泉を発見して、そこに浸かったら自分のからだじゅうの傷がたちどころに治ったことを話した。
ふうん、とドルアはうなずいた。
「不思議な水だな……」つぶやくように言う。
さっきまでの荒れ狂っていた果物と同じ果物とはとても思えなかった。
「ま、腹んなかで、おれっちのすっぱジュースと混ざったから魔法みたいな力が出たんだろうけどな」
と得意げにライムは言った。
ドルアはほほえんだ。
いつのまに、二人のまわりには、フルーツェンの住民たちがあつまっていた。みな芝生の上で体育ずわりや、あぐらなど思い思いの恰好をして座っている。野菜レスラーたちもいた。さとじいとさとちはもちろん、ライムのそばにいた。
柔らかい日ざしが一面にひろがる芝生をあわく照らしていた。
「おれたちは悪魔のフルーツと呼ばれてきた……ずっと昔からな……」
さっき、ドルアの放った白い霧につつまれたひとたちは不思議と澄んだ目をして、しずかにドルアの話に耳をすます。
「おれたち一族は、うっぷん晴らしのはけ口として使われてきたんだ。災害、飢饉、戦争……みんなおれたちのせいだとされた。おれたちがそれらをひきおこす魔法をかけたとな……」
ドルアは口をゆがませて、笑い顔のようなものをみせた。
「おれたちにそんな魔力があるわけがない。だいたい、なんでそんなことをする必要がある。なんの得があるんだ……」
誰もこたえず、あたりは静まり返っていた。
「そして、われわれはある村で襲われた。すべての不幸をつくりだす悪魔のフルーツの家族を襲撃というわけだ。おれたちが寝静まっていた夜中に、「悪魔よ消えよ、悪魔よ消えよ……」と取りつかれたように繰り返しながら……村のやつらはやってきた。手に手にかまやすき、なたなんかをもって……家には火をつけられた……。
幸い、眠りの浅いうちのばあちゃんが直前にかんづいて、襲撃のやつらが来る前に家族全員、逃げ出したがな……。
別の町や村に行っても同じことだった。「悪魔のフルーツ」ということばは知れ渡っていて、どこにいても俺たちは憎まれ、恐れられ、追われた……。
そうやっておれたちは町から町、村から村へと旅の暮らしを続けた。そうするしかなかった。どこへ行ってもよそ者なので、よけい疎んじられた……。
そして、俺たち家族はこのフルーツェンに流れついた。そして日の当たらない谷の底近くでひっそりと暮らしていた。暗くて寒くじめじめしたところさ……」
ドルアは口をゆがめて皮肉な笑みを浮かべた。
「おれたちは本来、温かくて、日のさんさんと降り注ぐところで暮らすものだがな……」
「まあ、南国のフルーツだからな……」とドリアを囲んだフルーツの一人がつぶやくように言った。
「……それはともかく、とくに何事もなく日々が過ぎた……。町に行くと、うさんくさげな眼で見られたものの、騒がれたり、襲われたりするようなことはなかった。ここではうまくやっていけるのではないかと思った……。」
ドルアはひとつ大きなため息をついた。
「だがそれは幻想にすぎなかった……。ある日のことだった。それは突然、起こった……」
ドルアの声は低くなり、暗さを増した。
「最初、俺たちは町のその異変に気づかなかった……」
ドルアはやや視線をあげて、遠くを見やるような目つきをした。
「やはり、そのときも異変に気付いたのは、じいちゃんだった……」
その声には、どこかなつかしさのようなものがにじみでていた。
「町から妙なにおいが漂ってくる、というのだ……町から離れた谷底にいてもその匂いに気づいたのは、じいちゃんの魔力のおかげだ……」。
一息ついたあと、またドルアは淡々と話し続ける。
「どこかあまずっぱいにおい……。だが、それは腐ったような、なんとも不快なものが含まれていた……
町にちかづくにつれ、その匂いは強くなる。
そして町に入ると、とんでもないことになっていた。
あたりはどんよりと暗かった。まるで夜に入りかけた時間みたいだ……
天気のいい日が多いフルーツェンにしたら異例のことだ。
一面が黒い霧におおわれていた。
そしてなにか得体のしれない、悲鳴のような声が聞こえてきた。怒号のようなものも交じっている。町の中央部のほうからだ。
おれたち家族はいそいでそっちにむかった。
進んでいくにつれ黒い霧が濃く、深くなっていった。
霧はまるで生き物のように、つめたくぬめぬめとからだにまとわりついてくる。それに覆われるにつれ、なにかいらいらとし、どこか不安は気持ちにおそわれた……
「この霧を吸うな、息を止めろ」と、とうさんは、緊迫した声をあげた。そして両手を静かに上げると何やら呪文をとなえた。かあさんも、じいちゃん、ばあちゃんも立ち止まり同じことをした。
そしておれはすぐに、みなが呪文をかけだした理由を知った。
町のひとびとは化け物になり、お互いに争っていた。
メロンからは無数のつるがはえ、それがぐねぐねと動いている。よく見たらそれはみな黄緑色の蛇だった。柿が蛇たちにまきつかれ、悲鳴をあげている。だがその柿もまた、口が耳までさけ、するどい牙がずらりと並んでいた。次の瞬間、柿は蛇をつぎつぎにかみきりはじめた。叫び声をあげるのは今度はメロンの番だった。
町のあちこちで「バケモノめーっ!」「消え失せろーっ!」などと叫びながら、つかみあい、殴り合う怪物の姿があった。
とうさんは「黒い霧は魔法の霧だ。これを吸い込んだがために、怪物になったのだ」と叫ぶように言った。
ブドウはつぶのひと粒ひとつぶが目玉になり、それがむぎゅむぎゅという感じの不気味な音とともに際限もなく増え続けている。膨らんだふさはついに破裂した風船みたいにはじけ、無数の目玉がそこらに飛び散った。目玉は地面をころがりながら、ぎょろぎょろとあたりを見まわす。
そしてどんよりと黒ずんだ空には、ドラゴンフルーツが数百匹、飛びまわっていた。するどいきばのならぶ口をあけて、真っ赤な炎をはきながら、ばっさばさと、なにか不穏なつばさのはばたく音をにぶくひびかせていた。
真っ赤にふくれあがり、全身から、だらだらと血を流しているようにみえるイチゴが、そのあたりを漂うように、ふらつきながら歩いていた。
おれはその光景をみて、わなわな震え、座り込んだ。いまでもときおり、そのときの光景を夢にみる……
「おい、ひきかえすぞっ」
とうさんはどなった。
「いつまでこの防御魔法がもつかわからん、この霧をすいこんだら、おれたちも怪物になってしまうっ」
そして俺たち家族は、回れ右をすると、走って帰り道についた。
苦しみもがいている果物たちを放置しておくのは気の毒だったが、自分たちが怪物になってしまったら、助けられるものも助けられない。おれたちはあともふりかえらずただ走っ走ってにげた……」。
「なんだって」とドライフルーツのいちじくじいさんが口をはさんだ。
「町の人々を怪物にする魔法をかけたのは、おまえらドリアン一族じゃなかったのか……」
「なんでおれたちがそんなことをしなくちゃならないんだ……」
ドルアは苦笑した。
「われわれではない。第一、そんなことをしていったい何の得があるんだ……」
ドルアはうつむいて、低い声で言った。そしてまた話し始めた。
「……そんなある日、街はずれの丘の上に忽然と光り輝く巨大な樹が現れた。まるで塔のようにまっすぐ、空に突き刺さるようにそびえる樹だった。黒ずんだ雲が渦巻くような空に向かい、それは赤味をおびたにぶい黄金色に輝いていた。高いところにひろがる枝や葉もまた黄金色にぼおとかがやいている。まるで黒い空から降りてくる邪悪なものから人々を守るかのように。
その樹は空から降りてきた、といううわさがひろがった。空の上の神の国からおりてきたのだと……
その巨大な樹のてっぺんには、ときどきにぶい金色にかがやくキンカンが姿を現した。何も語らないが、両腕をおおらかにひろげ、みなを救うというメッセージを示された。
人々はその樹を天樹塔となづけ神のように崇め奉った。天からつかわされた、ありがたい樹、みたいな意味なんだろう……
その塔のような樹のそばにいくと、その病がおさまるような気がしたからだ……」。
「いや、気がした、ではない。じっさいに治ったんだ……」とドライフルーツのいちじくじいさんが口をはさんだ。
「そのとおりよ、あんなにありがたいことはなかった……」とあんずのドライフルーツばあさんも両腕で胸をおさえ、口をそろえた。
「天樹塔が現れ、しばらくして、誰かが気がついたんだ……」とドライいちじくはしわがれた声をはりあげるようにして言った。
「その樹のそばにいると、症状が治まることに……まあ、ほんのしばらくの間だがな……」
「そう、樹からは、癒しの“気”のようなものが出ていたんだよ……」
ドライあんずが身を乗り出し、なぜか声をひそめて言った。
「そのうち、その効果をもっと長引かせる方法が発見された……」
ドライあんずはもったいぶって、みなの顔を見渡した。
「そのとおり……」といってから一呼吸おいて、ドライいちじくが話し出した。
「誰かが、感謝のしるしに、樹の根元に、貢物を置いたんだ。すると……効果はあらたかになった……」
「幹から出てくる気の量は増え、力強くなり……」とおちくぼんだ目にあやしげな光をたたえ、ドライあんずが続けた。
「そう、最初のその人は、どうやって感謝を伝えたらよいかわからなかった。その樹の神さまは、何も語らず、めったに姿をお現しにならなかったからな……」とドライイチジクが言った。
「翌日になると、その貢物は消えていた。まるで樹木に吸い込まれるように……そして、病にかかった人たちはこぞって、樹の根元に争うように貢物をおくようになった……」
「そう、あのときの感触はよく覚えている……」
ドライあんずはうっとりと目を閉じる。
「……あまずっぱいかんきつ系の香りとともに幹や枝葉から“気”が漂い出て、あたしをつつみこんでくれた……」
夢でもみているような緩んだ顔つきになる。
「俺もそうだ……まさにあれは神がつかわされた救いの気だった……」ドライイチジクも穏やかな顔つきで目をつぶる。
「たこみたいな化け物の姿だったおれは徐々にもとの姿に戻っていった……」
自分のからだをだきしめるようなしぐさをする。
「もちろん、感謝のしるしにさらにお宝を根元に置いたさ。あるだけの金細工、銀細工を。女房のブレスレットやネックレスなんかもみんなささげたよ。」
ほほえみをうかべたままつづける。
「すると、樹から出る癒しの気は一段と強くなり、たこみたいな触手はさらに減っていった。」
ドライイチジクはばんざいするみたいに両腕をあげた。でも細く節くれだった腕はまっすぐにあがらず、なにをしているのかよくわからないポーズになった。
「それでとうとう、すっかりもとのイケメンに戻れたというわけだ……」
「あたしもべっぴんさんに……」といって二人はしわだらけの顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。
「町長はそのことをみなに伝え、新聞や雑誌にものり、みな競うように、より豪華な貢物を天樹塔に供えるようになった。……」
ドライイチジクはおだやかな笑みを浮かべ話し続けた。
「塔の下には宝石、金貨や宝飾品などがうずたかく積み上げられた。キンカーン様は神の力で、だれがどれほどの財宝を貢いだか、ちゃんと把握されていた。財宝の価値によって癒しの気の量はきっちり決まっていた。」
「そう、あたしもいっしょうけんめい、町長の話をきいたり、ベジタイムズを読んだりして勉強したわ……」
そして思い出すみたいに、うーんとうなった。人差し指をぴんとたてて唇のはしにあてている。
「ほら、ちゃーんと思い出した。ぜんぜんぼけてなーい」
とはしゃいだような声をあげる。
「お宝は命の樹に吸い込まれ、癒しの気に変わる……」
目をつぶって暗唱するみたいに話しはじめる。
「財宝を供出(きょうしゅつ)するということは、身を切られるほどつらいこと。貧しき者にとってはなおさらのこと……しかし、だからこそ、効験(こうげん)あらたかなの。苦しい生活のなかで財産を差し出す心が、キンカーン様の心を動かし、キンカーン様も命をけずって癒しの気を絞りだしてくださるの……」
と一気にいうとにっこりした。しわがさらに深くなる。
ドライいちじくが話をひきとって話し出した。
「そう、キンカーン様にとって、“気”を出すのは大変な消耗を伴う。それでも、みなの気持ちにこたえて、御身(おんみ)をすり減らしてまで天樹塔に“気”を吹き込んでくださったのだ……」
そのときのことを思い出したのか、ドライいちじくは鼻をすすってうつむいた。
「でも……」と急に悲し気な顔になってドライあんずが口を開いた。
「ものごとはそう簡単にはいかなかった……」
みな、ゆるみつつあった顔をひきしめて、彼女に目を向けた。
「キンカーン様が癒しの気を出してくださった一方、黒い霧のほうも、それ以上に濃く、強くなっていったの……」
「そうだな、怪物になる人の数は残念ながらさらにふえていった……。怪物はより醜く、より狂暴に、より強力になっていった……」とドライいちじくも低く抑揚のない声で言った。
「みな、前にもまして、競(きそ)いあって高価な貢物をささげるようになった。でもよほどの金持ちでもない限り、財産は尽きるものだ。みな、貢物を買うため、必死に働いた。だが、それでも追いつくものではなかった。なかには体をこわして、もう二度と働けなくなった者もいた……」
ドライいちじくは表情のない顔で続けた。
「ついには、貢物を手に入れるために、店や他人の家から盗んだり、暴力で財産を奪う、という者も出始めたんんだ……。そのため争いはさらにひどくなっていった……」。
「もう、そのくらいでいいだろう」ドルアは太い腕をあげて、ドライフルーツたちの話をさえぎった。
「これからキンカーン様とやらの種明かしをしてやろう……」
としずかに話しだした。
「……キンカーンは、まず、ひっそりと目立たないように、フルーツェンに入った。なにしろやつは小さいからな、変装でもしていたんだろう。誰にも知られずに、その仕掛けをほどこすことができた。
やつはたくさんの「魔キンカン」の種を町のあちこちに埋めたのだ。
埋めこまれた種は芽は出さずに、地下にものすごいいきおいで、黒い根を張り巡らせる。数日のうちにその黒い根は土の中で網の目のように町じゅうに広がっていた。
無数ともいえる根の先端は、地面からほんのわずかに顔を出し、そこから、呪いの霧をうっすらと出していたのだ。それは空中で集まり、黒い霧へと変化していった。一本の根から出る霧はごくわずかだったから、誰も地面から、そして根っこからその魔の霧が出ていることには気づかなかった。
そして黒い霧につつまれた人は、次々に怪物に変化していった。
そして、そのあとに奇跡の樹の登場だ。キンカーンは別の魔法の種を丘の上に埋める。それは芽を出し、すごい勢いで成長し、空をつく高さへと伸びる。その太い幹やひろがる黄金色の葉からは、貢物の大小によって、強かったり、弱かったりする癒しの気が出る、
それは黒い霧によって怪物になった者たちを元に戻す。どんな医者や、祈祷師でも治せなかった病を……。
つまり、根からは化け物をつくる魔の霧を、幹や枝葉からは、それをいやす気を同時に出していたというわけだ。
自分で不幸をばらまいておいて、それを自分で解決して大金を稼いでいたんだよ……。
やつは、この手であちこちの町をわたりあるき、財宝を築き上げてきた。その町の財宝を食いつくしてはほかの町に……というふうにな……」
「そんなばかな……」「きっとうそよ……」とドライアンズとイチジクはいったが、その声に力はなかった。
ドルアは話し続ける。
「……われわれは町に向かった。キンカーンは、財宝をむさぼることに夢中で、しずかに忍び寄るわれわれには気がついていないようだった。
おれたち家族は魔樹塔をかこむと、手のひらを向けた。子供だったおれももちろんそうした。ちなみにおれたち家族は、町のやつらが天樹塔と呼ぶ樹を魔樹塔といいかえていた。だって、その名前のほうがはるかに的確に体を表しているからな……
そして、力を合わせて、大木にかかった魔法を解く魔法をかけた。
とうさんは以前にすいこんできた呪いの霧を調べていたからな。それに対抗する魔法の呪文もあみだしていた。
すると、われわれの魔力で塔は姿をかえはじめた。ぼおと鈍い光沢を放つ黄金色はみるみるあせていき、腐った古木みたいなどす黒い姿が現れた。こぶがあちこちに出、ごつごつとねじくれた不気味な姿……。
おれたちはなおも、意識を最大限に集中して、魔法の波を送り続けた。
あまずっぱい匂いは次第に腐敗臭に変わっていった。どす黒い樹皮はボロボロと落ちていく。
しかし、それからのキンカーンの判断は早かった。
半分、崩れ落ちた大樹は上に伸び始めたようにみえた。それはまるでロケットのように空にむかい飛び立ったのだ。ところどころにあいたうろから、財宝がぽろぽろと零れ落ちた。
大樹はあっというまに空のかなたにきえた。……
それからキンカーンが戻ってくることはなかった。おれは、やつがおれたちの魔法力におびえたからだと思っている。……
われわれはキンカーンを倒すことができて、ほっとしていた。
これでもう白い目でみられなくてすむ、それどころか、明日から英雄扱いされるんじゃないか……とこどもだったおれは思った。
「ところが、つぎの日の新聞にのった記事はこうだった……」。深いため息をついたあと、ドルアは再び話しはじめた。
「写真つきで、塔を囲んでいるわれわれの写真がのっていた。まさか、あのとき、誰かに写真を取られているとは思わなかったよ……。見出しはこうだ、
『悪魔のフルーツ、救世主を追い出す』
まさか、あいつら、そこまでの忠誠心があるとはな。よっぽどひどい脅され方をしたんだろう……」
とドルアはあきれたような声を出した。
そしてあたりを見回す。
「やっぱりいないか。どこかに逃げたんだろう。パイナとレタースンは。……」
「パイナ町長がどうした。町長はおまえたちをたおした英雄だぞ」と今までだまっていたプラムが言った。
「おまえ、いったいおれの話を聞いていたのか……」
ドルアはあきれたように言って、プラムに目をむけた。プラムはおもわず、といった感じで、うつむいた。
「まあ、いいか……とにかく……」
ドルアはため息まじりに話し続ける。
「パイナは声を大にして、“キンカーン様”をおれたち家族が邪悪な魔術で追いやったことを非難し、レタースンもその内容を大々的に記事にした……。
きっと、またご主人であるキンカーンが戻ってくると思っていたんだろうな……。
パイナをしめつけて聞き出したから知っている……あいつは町のトップつまり責任者として、キンカーンに近づいたんだ。自分が悪夢のような事態をなんともできないでいるのに、キンカーンは町を部分的にせよ、救っているんだからな……
パイナはこともあろうに、その手柄を横取りしようとした。この町にいることをゆるして、いろいろ便宜(べんぎ)をはかってやるかわりに。その癒しの気はパイナの命令によって出している、ことにしろとな……
まったくばかなやつだよ。あいつは逆に脅されて。キンカーンの手下にされた。パイナの悪友であるレタースンもひきこまれた。
パイナとレタースンはぐるになって、それぞれキンカーンの手下として彼の悪事に協力していたんだ。
キンカーンの秘密を彼らが知ったからといって、キンカーンにとってはなんでもなかった。きっと、ばらしたらひどい目にあうぞなどと脅して、二人にいうことを聞かせたのだろう。
ふたりは忠実だった。パイナは町のひとびとに、キンカーン様にお布施をするよう話し、レタースン編集長はそのことを熱心に自分の媒体(ばいたい)、つまり新聞や雑誌なんかにのせて宣伝した……。」
ドライフルーツをはじめ、皆、驚いたように声もなく、ドルアの話に耳を傾けていた。
「だいたい、やつが去ってからは、誰も魔物になることはなかったんだから、キンカーンの仕業だったことは 誰の目にも明らかだったはずなんだが……」
とドルアは皮肉まじりのため息をついた。
「そ、そんなことはない。キンカーン様は去るまぎわに、すべての癒しの気を放ったのだ。永久に効果があるほどの強烈な気をな。自分の命とひきかえといえるほどのなっ」
とプラムが再び口を開いたが、その声にはそれほどの自信は感じられなかった。
「だいたい、こういったことが真実の話だ……」と、話し終えたのか、ドルアは深いため息をついた。
「まあ、そうはいっても信じないだろうがな、おれの言うことなど……」
沈黙が広がった。
ぽかんとした表情だったライムだが、やがて口を開いた。
「じゃあ、おれっちとつきあってくれていたのは、ドルアだったということか……ほんものの町長じゃなくて……」
ライムはぽかんとした顔つきで、ドルアをみた。
「けっこうやさしくしてくれていたよな……」
「ああ」とドルアは穏やかな表情でしずかにうなずいた。「おまえは、おれとどこか似てたからな…」
「じゃ、なんでライッチにひどいことしたんだよ」とさとちがドルアをにらんだ。
「おまえ、野菜町で人気者になっていったろう……」とドルアは力ない口調でライムに顔を向ける。「おれから離れていくような気がしたんだ……」と付け加える。
「おれだけおいていかれるような……ひとりぽっちになるような……」
ドルアは深くため息をついた。
「われながら、まったく勝手だよな…それにこどもじみている……どうかしていたんだ、」おれは…」
ドルアはゆっくりと立ち上がった。
そのときだった。ドルアとライムたちを黒い大きな影が覆った。と思ったら、上から強い風が吹きつけてきた。空から猛烈ないきおいで迫りくるのは、真っ白い翼を鋭く畳(たた)んだ公民館ハウスだった。次の瞬間、ふたりはすごいいきおいで飛びのいた。地面に激突しそうになった公民館ハウスが大きなつばさを広げて急浮上した。強い風がまきあがる。
ドルアたちの上空でハウスは旋回する。窓から顔を突き出したのはパイナだった。
「悪魔のフルーツめっ、また、わがまちを地獄にするつもりだなっ!。そんなことはさせんぞっ!」と叫ぶ。
「今度こそ退治してやるっ!」とレタースンもパイナの隣から首を突き出して怒鳴った。
あっけにとられて上をみあげていたライムだったが、「まだ、あんなこといっていやがる……」やっとのことでそういった。
公民館ハウスは上空をぐるぐる回りながら狙いを定めているようだ。
あんなものがぶつかってきたら、さすがのドルアもひとたまりもないだろう。
ライムはおもいきりジャンプした。だがハウスは空中でひょいとよけた。
ライムは必死に何度もジャンプしながら、ハウスにつかまろうとした。
だがハウスはからかうように、つばさをなめらかに動かしてライムから逃げた。
「くっそお」ライムはジャンプしながらハウスにむかってすっぱジュースをはきかけた。でもそれはかすりもせずに。霧となって宙にひろがった。
ライムは息がきれて地面にうずくまった。
地面をにらんで荒い息をついていたライムだったが
突然、「そうだっ」と叫んで立ち上がった。
苗を助けたときのことを思い出した。
「ドルアっ、あれ、やってくれ、苗救出のときのっ」
それだけで通じた。
ドルアはいきなりライムをつかむと、ひょいと上にほうりなげた。そして両方の手のひらを肩のところで上に向ける。ライムはぴたっとその上に両足をつける。
「いくぞっ」とドルアがいうとドルアはしゃがみこんだ。
それからのびあがると同時に、ライムはドルアの手のひらを思い切りけった。
すごい勢いでライムは空へと上っていく。
あわててハウスは逃げようとしたが間に合わず、ライムは窓枠につかまった。
窓から部屋にころがりこむと、すぐにハウスの中から悲鳴があがった。パイナとレタースンの声だった。
ハウスはコントロールをうしなったようにふらふらと飛ぶと、下におちはじめた。かろうじてつばさをはばたかせ、ころがりながら着地する。
横倒しになったハウスから二つの影がとびだし逃げ始める。もちろんパイナとレタースンだった。
すっぱジュースなんかをくらったのだろう。
顔をおさえながら、もつれる足取りで走っていく。
ドルアとライムは走り去るふたりはほうっておって、横倒しになったハウスにかけよった。
ハウスからは妙なにおいがただよっていた。
「灯油だ……」とドルアが低い声で言った。
「いうことをきかないと火をつけるぞ、とおどして、ハウスをコントロールしたんだろう。あいつらのやりそうなことだ……」
と吐きすてるように言う。
ドルアは野菜レスラーの助けも借りてハウスを助け起こす。
それからドルアはみなに背を向け、ゆっくりと歩き始めた。
向かっている先がぼんだ山だと、ライムは気づいた。
ライムはドルアの背中に向かって声をかけた。
「おまえはフルーツだぞ。ここがおまえの町だろう」
ドルアは大きな背中を向けたまま足を止めた。
数か月後、ライムの姿はフルーツェンにあった。
公園でフルーツの子供たちにジャンプを教えていた。
野菜の子供たちもいた。
みな、カラフルなフルーツキャップをかぶっている。
新しい町長にたのんで、ライムがプレゼントしたものだった。
