あの日から八年という歳月が流れた。
 私は姉さまが穢れを身に受けるたびに、それを肩代わりした。
 呪紋は広がり続け、やがて私の背を覆い尽くすほどになっていた。

「千草様は本当に気味が悪い」
「触れただけで……いや、目をあわせただけで呪いが移されるかもしれない」

 屋敷の者たちは皆私を忌み嫌い、避け続けた。
 やがて、私の体は全身包帯で覆われ、誰とも目を合わせぬようにと目隠しも施された。
 そして部屋は地上の蔵から、地下の座敷牢へと移された。食事は粗末な物になり、世話をしてくれる者はいない。 
 外に出られるのは姉さまに呼びだされたときの僅かな時間のみ――。

「千草、今日も宜しく頼むわね」
「……はい」

 姉さまが私に手をかざす。
 姉さまが祓い、身に宿した呪詛が私の体の中へと入ってくる。

「う、ううううっ――!」

 いつものように蹲り激痛に絶える。
 これを絶え凌げばやがて痛みが落ち着くはずだった。

「うっ、げほっ……げほっ……」

 突然私は咳き込んだ。何かを吐き出すような水音がする。

「――え」

 緩んだ目隠しのすき間から真っ赤な血が見えた。
 おそるおそる顔をあげると、神鏡に私の姿が映っていた。
 痛みにもがいたせいで包帯がはらりと解ける。
 私の全身には呪紋が伸びきっていた。

「これ……私……?」

 そんな恐ろしい姿を見て、姉さまは「あら」と笑みを零した。

「もう貴女もいっぱいになってしまったのね」

 なんてことはなさそうに、平然と私を見つめて姉さまは続ける。

「なんて醜い姿かしら。それではまるで貴女自身が呪いのよう」
「姉さま……私……」

 伸ばした手は払い除けられた。

「呪いを受けられない貴女なんて必要ないわ。そうね、貴女を遠い国に嫁がせましょう」

 良いことを思いついた、というように姉さまは上機嫌そうに笑う。

「常夜乃国の夜神という将がいるの。彼はどんな攻撃、呪いも通じない夜叉将軍。私たち煌都の敵――」

 札越しに私の手に姉様はむき身の小太刀を握らせた。

「貴女を夜神に捧げましょう。そして彼を殺して頂戴?」

 それが貴女の最後の仕事よ、そういって姉さまはいつものように微笑みを浮かべるのだった。

 そうして私はこの地に来た。
 常夜乃国――そこを治めるのは夜神という、夜叉のように恐ろしい将がいる。
 表向きは長年冷戦状態を続けてきた、煌都国と常夜乃国との同盟のための政略結婚。
 だが、その裏では私という呪いを用い夜神を討ち取るという暗殺計画。

 私は黒の無垢袖に身を包み、国へと送られた。
 黒い綿帽子に顔は隠れ、誰も私の全身が呪紋で覆われていることなど知る由もない。

「煌都の姫巫女よ、よくぞ常夜乃国へといらっしゃった。歓迎しよう」

 口ではそう言われたが、周囲からは冷たい視線が突き刺さる。
 恐ろしい野蛮な武者ばかりだ。一歩でも怪しい動きをすれば、私の息の根を奪わんと全員が殺気を放っている。

「――夜神様のご命令です。この部屋から決して出ぬよう」

 そして侍女が私をある部屋へと案内した。
 そこは窓一つない狭い部屋。周囲には札が張り巡らされている。

(ここでも幽閉されるのはかわりないの、か)

 唯一異なることがあるとすれば、目の前の卓には水と簡易的な食事が置かれていたこと。
 だけど、食事なんて喉を通らなかった。

(私は、今から人を殺す――)

 そして敵将を殺せば私もタダでは済まないだろう。
 懐に忍び込ませた小太刀を震える手で握る。静けさだけが密室を包み込んでいた。

 そして扉が開いたのは数刻後のことだった。

「お前が、煌都の姫巫女だな」

 現れた男の姿に、私は思わず息をのんだ。
 黒の軍服。顔の左半分を覆い隠す銀色の仮面。長く伸びた黒髪を無造作に束ねた男――。
 片方の眼差しは、底知れぬ闇のように冷たかった。

「はい。煌都より参りました名は――」

 頭を下げても、彼は眉一つ動かさなかった。
 そして彼はゆっくりと私に歩み寄り、言葉が終わる前に勢いよく腕を引いた。

「きゃっ!?」
「――ほう。これは、面白い」

 露わになった腕に伸びる呪紋が紫黒の光を帯びる。

「呪紋の姫――といったところか。お前、この俺を殺すつもりできただろう」

 その瞬間、私の計画は全て崩れ落ちた。
 私を見下ろす夜神の唇が微かに歪んだ。
 それが、笑みだったのかどうか、私にはわからなかった。