嫌になるほど太陽が眩しかった八月の記憶。
 山の緑と焼けた砂の匂い、蝉時雨の奥から響く川のせせらぎ。彼方まで広がる高い空が、俺達の足を遠くまで運んだ。必死に自転車のペダルを漕いで、山道の先に見える家を目指した。
 ――家の軒先でいつも待っていた、麦わら帽子の女の子に会いに行くために。
 「カズくん! みっちゃん! いらっしゃい」
 一回り背丈の小さくて、線の細い身体。夏の暑さに溶けてしまいそうな真っ白い肌に、小鳥のさえずりに似た声音。夏の暑苦しさも忘れてしまいそうな満面の笑みは、まるで向日葵のよう。
 それが俺達の幼馴染、金橋つばめだった。

 「つばめ~遊びにきたぞー!」
 「つばめの好きなアイスキャンディ、持ってきたよ~」
 「やったぁ! つばめうれしい」
 会う度に無垢な笑みをしていたつばめを、俺と実里は妹のように想っていた。
 つばめはお母さんを病気で早くに亡くしていた。実里と俺の両親はつばめのお母さんと同級生で、つばめとは小一の夏に母親の葬式で出会った。
 その夏から、俺達はつばめの住む山奥の家で遊ぶようになった。打ち解けるまで時間はそうかからなかった。
 「きゃっはは、あはは」
 「ほらほらつばめ、実里に捕まるぞー!」
 「待てこらー!」
 俺と実里は飽きるまで山を駆けずり回って、つばめも一緒になって遊んで、疲れるまで過ごした。何が楽しいかも分からないような走り回る遊びも、三人でやるだけで何時間でもやってられた。何年も山で遊んでいたと思うぐらい沢山過ごした。

 ヒコウキ山で紙飛行機対決をした。
 俺と実里の勝負の行方を、丘の下からつばめが見守って。どっちの紙飛行機が遠くまで飛ぶか、つばめの審判に一喜一憂した。
 さびさびカーの周りでよく、かくれんぼしてた。
 トラクターに隠れてた時、中にいたカエルにびっくりした俺達が飛び出したこともあった。それでつばめにあっさり見つかって、実里は涙目になってたっけ。
 イスの木でカブトムシ相撲をした。
 急に飛んだカブトムシがつばめの頭に乗って、三人で笑い転げた。その後は宿題を広げたり、かごめかごめをやったり、自由に切り株を使ったな。
 ティラノの庭はつばめが名付けた。
 部屋で図鑑ばかり見てたつばめは動物に詳しくて、あの草の上に寝転がって実里と俺はつばめの話を聞いてた。つばめの家の周りにある物のほとんどに、三人だけの思い出が刻まれている。秘密基地で、子どもだけが過ごせる小さな世界だった。
 
 そんな楽しい時間は、突然終わることもあった。
 「けほっ、げほげほ、げほっ!」
 「つばめ、大丈夫か!?」
 「大変っ、おじさん! つばめが!」
 ピーピーと喉を鳴らし、苦しそうに咳き込むつばめの姿は、俺らにとって珍しいものじゃなかった。
 「つばめ、どうした!」
 激しい咳を聞くと、家の方から彼女の父親が急いで来てつばめを抱きかかえた。
 「おとうさん……あついよ」
 「今日は陽射しが強いからな。家の中に入りなさい」
 楽しい時間はそれで終わってしまう。仕方ないと思いながらも、終わる時はいつも寂しい気持ちに包まれていた。
 つばめは病弱だった。お母さんの体質に似て、免疫機能が弱かったらしい。学校へ登校するのも難しいと話していた。
 「おじさん、またちょっと痩せたよね」
 「うん、顔も疲れてるみたい。目の下、黒くなってた」
 つばめのお父さんは親戚や頼れる知り合いもなく、一人でつばめを養ってた。昼間の肉体労働に、家では内職も休みなく働いてた。それが理由で、俺の親も実里の親もつばめの面倒をほいほい見れる状態じゃなかったんだ。
 「不便なここに住んでいるのも、つばめの治療費が貯まるまで。元気になったら、普通に学校へ通わせてあげたい」
 それがつばめの親父さんの口癖だった。きっと体の弱いつばめを遊ばせてくれたのも、せめて少しでも子の寂しさを軽くしてやりたい親心だったのだと今なら分かる。
 だから俺たちは夏が終わる日、指切りをした。
 「つばめ、おれたちと約束しようぜ!」
 「やくそく?」
 「つばめの病気治ったら、一緒に学校行こ!」
 「がっこう……楽しい?」
 「学校は楽しい場所だぜ。ドッジボールもサッカーもできるし、グラウンドはここよりよっぽど広いんだ」
 「勉強は嫌いだけど、友だちに会えればへっちゃらだよ」
 「だからさ、約束!」
 実里と一緒に差し出した小指を、つばめは両手の指で結んだ。
 「うん、やくそくする!」
 寂しそうにしてたつばめの顔は一気に晴れて、夏空の笑顔に戻った記憶が鮮やかに蘇る。

 そこから一年、連休や長い休みになる度に俺と実里はつばめの家に遊びに行った。実里と俺は予定を合わせて、なるべく何度も会いに行けるように予定まで立てて。学校の話を持ち帰ったり、面白いことがあればつばめに全てを話した。
 つばめが笑った顔が見たくて、俺も実里も一緒になって話題作りを頑張ったこともあった。三人だけの特別な毎日だったんだ。
 ――すっかりその習慣も当たり前になって、小学二年生の夏休みも終わりかけだったある日。
 その日はつばめ家の居間でテレビを観ていた。
 「ねえ、カズくん!」
 「どうしたんだ、つばめ?」
 「あのねっ」
 輝かせた瞳を真っすぐに向け、つばめはお願いしてきた。
 「つばめが元気になったら、水族館に、一緒に『でぇと』行ってくれる?」
 少し固まった後、体温がグッと上がった。俺の顔は沸騰していたと思う。
 「で、ででっ、デートって!」
 ポカンとしたまま首を傾げるつばめが、不思議で仕方なかった。
 「つばめ、何言ってるか分かってるか!?」
 「へ?」
 「デートってのは、その……オトナが、するやつだよ……」
 「そうなの? でも行きたい!」
 「子どもだから! 遊びなら、行くけどさ」
 つばめは少し寂しそうに俺の名前を呼んだ。
 つばめに抱いていたのは恋心じゃなくて親愛だったと思う。でもその違いを子供だった俺は自分でもよく分からず、気恥ずかしさだけが胸にあった。何て答えたら良いのか思いつかなくて、強引で曖昧にその話を切り上げてしまった。
 「と、とにかく! デートは大人になってから!」
 それ以上、つばめは何も言おうとしてこなかった。
 「そしたら、考える……」
 照れ臭かった俺は、つばめがどんな顔してたかも見ないまま、逃げるように家に帰った。

 その罪を、十字架を自ら背負った愚かさを、俺は後になってから思い知ることになった。記憶喪失にでもならなかったら、生涯忘れることがなかったであろう後悔だ。


 その翌日、金橋つばめは死んだ。