「それでは、失礼いたします」そう言ってアルベルトが退室してすぐ、リーゼロッテはその身をソファ上に横たえた。
 はしたない、見苦しい、そんな言葉がすぐにでも飛んできそうなものだが、ここにはリーゼロッテの行儀の悪さをバルタザールに言いつける侍女もいなければ、そんな行為を目にして眉間にしわを寄せるエーリックもいない。
 リーゼロッテは好き勝手やっていたはずのこれまで以上の自由を手に入れたのだ。

 専属の侍女がいないことがなんだというのだ。これまで付けられていた侍女はバルタザールによるお目付け役。バルタザールに叱られる理由を増やすためだけに居るような者はこちらからお断りだと、一緒に連れてこなかったのはリーゼロッテの責任だ。
 アルベルトが頭を下げることではない。

(それにしても、本当に立派な家具)

 ソファから眺める景色に映りこむ家具は、どれも高級品なのがわかる。
 ロイエンタールの経済事情を知っていれば、シュレンタットからもっとたくさんの家具を持ってきたのにと、ベルンハルトに任せっきりにしてしまった自分の失態を後悔した。

 ふと思い立って窓から外を見下ろすと、先ほど通ってきた立派な庭が見える。
 あの書類の量を見れば、ベルンハルトが忙しいのは子供でもわかるだろう。そんなベルンハルトを誘うのは諦めて、リーゼロッテは一人で庭へと降りていくことにした。


 庭に出ていけば、広々とした敷地にいくつもの木々や花々が植えられていた。シュレンタットよりも少し北にある気候のせいか、見たこともない植物も多い。
 王城の温室にあるのは温かな地域の花たちばかりで、見慣れぬ花たちがリーゼロッテの目に映る。

「あら?」

 たくさんの植物たちに囲まれ、一人の人物が一つ一つ丁寧に世話をしているのを見つけた。

「あのっ」

「はい。奥様、何か御用でしょうか」

 リーゼロッテが声をかければ、その人物は手を休めて返事をする。
 リーゼロッテはその顔に見覚えがあった。

「あなた、御者ではなかったかしら? お庭のお手入れもされるの?」

「庭の手入れも……といいますか、こちらが本来の仕事ですね。申し遅れました、庭師のヘルムートと申します」

 その顔はリーゼロッテをシュレンタットまで迎えに来てくれた御者である。

「に、庭師の方だったんですね」

「はい。旅の道中はお世話になりました。今後は庭で会うことがほとんどだと思います。改めてよろしくお願い致します」

「こちらこそ、よろしくお願いします。移動の間は本当に楽しかったのです。また会えて嬉しいわ」

 御者とは、移動のために数日間一緒に旅をすることで、随分打ち解けられた。
 話上手なヘルムートは、緊張で固くなっていたリーゼロッテの心をほぐし、移動の旅路を楽しいものに変えてくれたのだ。

「それは何よりでございます。何せ御者の真似をするのも久しぶりでしたので、不快に感じていらっしゃらないだろうかと、心配しておりました」

「久しぶり?」

「えぇ。普段は庭で植物の相手ばかりしております。ここには御者はおりませんので、馬を扱える者が交代で役目を果たしているのです」

 ヘルムートの話を聞いたリーゼロッテの顔に驚きが広がっていく。交代で御者を務めるなど、聞いたこともない。

「御者が必要になることなど少ないですからね。交代で十分なんです」

「それも、経済事情があってのこと?」

「アルベルトですか? 到着した初日にお耳に入れる話でもないでしょうに。申し訳ありません」

「いえ! 専属の侍女をつけられないとのお話から、少し伺っただけです」

「やはり、専属は雇えませんでしたか。ご不便をおかけします。すいません」

「そんなものいりませんから、大丈夫です。アルベルトさんにも、そう伝えました」

 リーゼロッテの言葉を聞いたヘルムートの目が、一瞬大きく開かれた様に見える。
 だが、すぐに穏やかな笑みを浮かべるヘルムートから、もう少し話が聞けないものかとリーゼロッテは思いを巡らす。

「そうでしたか。お気遣い、感謝致します」

「こちらのお城には、そんなに人がいないんですか?」

 新たな侍女はともかく、御者までいないとは。それほどひっ迫した状況なのだろうか。それでは、やはりあの部屋は相当な負担だったのではないか。
 リーゼロッテの顔が少しずつ青ざめていく。
 リーゼロッテと結婚することで、ベルンハルトやこの城の人たちに多大な負担をかけているのではないか。
 結婚しなければ良かったなどと、思われているのではないか。
 不吉な考えが、リーゼロッテの心を覆い尽くそうとしていた。