あのピクニックのことはいまでもありありと思い出すことができる。
 わたしは林の奥へと進んでいった。
 地面は整備されておらず、長めの草が生い茂っていて、もう石なんて見つからないのはすぐわかった。でも、九亮を怖がらせてやりたいと意地悪な気持ちになっていて、どんどんと進んでいった。
 はじめのうちは、背後から、莉央ちゃん莉央ちゃんと九亮の情けない声が聞こえてきた。草はどんどんと高くなっていて、ちょうど五歳児だったわたしの胸あたりまで伸びていた。さすがのわたしも、気味が悪くなってきた。地面が見えないし、虫とか動物が潜んでいそうだ。
 そんなことを想像してしまったら、急に怖くなった。見えてもいないのに、あるのではないか、と感じる。それが恐怖を募らせる。
 引き返そうかな、でもいまのこのこ帰ったらわたしの面目は丸潰れではないか、なんて思ったときに気づいた。
 声がしない。
「九亮?」
 振り向いて、聞こえるわけもない小さな声をあげた。
 しかし、声は聞こえない。木々で暗いその場所にいると、入ったときは涼しくて心地よかったというのに、もう寒くなっていた。
 戻らなくちゃ。
 意地なんてどうでもいいときたほうへ戻ろうとしても、さっきまでいた明るい場所が見えない。どっちに向かえばいいのか、わからない。
 なんだよこれ。
 うろうろとしているとき、指に痛みが走った。葉で軽く切れてしまい、血が滲んだ。余計に怖くて寂しくなった。
 どうしたらいい?
 どこへ向かえば?
 泣きたくなった。震えて、声をあげてしまいそうになった。
 でも、うまくできなかった。
 いつも我慢しすぎていて、泣き方を忘れてしまっていたのかもしれなかった。
 九亮はそばでいつもめそめそとするから、いつだってわたしは泣きそびれる。親の前ですら頑固だった。
 こんなふうになったのは。
 わたしはとにかく歩き続けた。
 きっとかならず元ののんきな原っぱに戻れる。だから。
 こんなふうになったのは、みんな九亮のせいだ。
 あいつが弱いからいけないんだ。
 まわりからいじめられて、ただ泣いて。
 なぜ泣くのかを大人にいいつけることもできないばかだから、余計にみんなに遊ばれる。
 でも、自分だってばかだった。
 ばかだったから、九亮をいじめた相手をぶったり蹴ったりして。
 でも、わたしは悪くない。
 だって、いじめたほうが悪いし。
 九亮がなにしたというのか。
 いや、九亮だっていじめられる理由はたくさんある。
 のろいし、いつもおどおどしているし。
 そうだ、九亮が悪い。
 わたしがいま怖いのも九亮のせい。
 九亮なんて相手にしなかったら、こんなことなんて起こらなかった。
 九亮なんて、
 死んじゃえばいい、
 いなくなればいい、
 そう思ったとき、わたしの目が滲んだ。
 あ、泣くんだ、と冷静に思ったときだ。
一筋、細い光が降りた。
 それはレーザーみたいだった。
 そのときはうまく説明できなかった。まるで、コンサートの演出みたいな、一本の光が木々で見えない空から降ってきた。
 わたしはびっくりして尻餅をついた。頬に草木が被り、痛みを感じた。さっきみたいに切れたのかもしれない、と思った。でも、そんなことを気にすることはなかった。
 光の先が、まるでなにかを探しているみたいに、グラグラかき混ぜるみたいに動いた。
 そして、見つけた、と言わんばかりに一直線だった光が、曲がり、林の先へと伸びていった。
 わからなった。
 ただ、好奇心よりも恐怖のほうが先だった。光の向かっていたほうへと行ったら、大変なことになる。
 でも、光の先が輝き出した。
 それは、五歳の子供の人生のなかでも一番美しい光だった。
 いま、書いているときも、思い出すだけで、奇妙に落ち着く。
 喜びとか、祝福とか、そんな陳腐な言葉が頭に浮かぶ。
 思い出すことなんてないけれど、まるで母の身体から、この世に生まれ出たときの眩しさを遠くで見ているみたいだった。
 地上にいたならなんの変哲もない、ありふれた景色なのに、空の上から覗いたら、その遠さと小ささに、かけがえなさを感じてしまうような。
 わたしは、怖いのに、はじめは這いつくばりながら、そして立ち上がり、急いで、しまいには走ってその先へ向かった。
 まるで光に飛び込んだみたいに白よりも白いあかりの先へ駆け込むと。
「え」
 さっきまでいた原っぱだった。なにも変わっていない。
 ありふれた日曜日のピクニックをしている人々。
 帰ってこれたんだ。
 わたしはへたり込んで、手で頬に触れた。指にわずかに血がついていた。
「莉央!」
 声がして、母が駆けつけてきた。
「お母さん」
 わたしはその言葉に泣いた気がした。なんていい言葉なんだろう、と思った。知っている言葉のなかで、一番きれいな言葉だった。
「どこに行ってたのよ! 九亮ちゃんは!?」
 また九亮だ。実の母すら自分よりもあいつのことが心配なのだ、と急に冷めた。
「知らない」
「何言ってるの?」
「林に入ったとき、一緒にいなかった」
「林? 何言ってるの?」
「え?」
 すぐそばにあるじゃないか、と振り向いたとき、柵の向こうは、崖だった。
 たしかに、山の上まで行ったのだ。林なんてあるわけがない。
「九亮ちゃん探さなくちゃ」
 母が顔を青くして立ち上がり、わたしを離した。
 九亮は、その日、行方不明になった。