授業が終わり、わたしがさっさと教室から出ると、よそのクラスの女の子に声をかけられた。
「わたし、実は」
目の前で女の子が、もじもじしながら言い淀んでいる。
「西村のこと好きなの?」
彼女の言葉の続きを待っていたら、いつまでたっても帰れなさそうなので、切り出した。
すると彼女、え、と驚いた顔を見せる。
いや、意味わかんないから。そもそも、お前、要件の前に名を名乗れ。彼女の背中の向こうで、わたしたちの様子を見守っている数名の女子。あいつら付き添いなんだろうなあ、と思った。わたしが彼女たちの意に沿わぬ返事をしたら、ボコってくるのだろうか。いいよ、なんならかかってこい、と先走ってしまいそうになった。
放課後の廊下で、通り過ぎる生徒たちがわたしたちをじろじろと眺めていた。
「そう……なんだ」
超長いタメ。
「ふうん、頑張って」
宣言は聞いた、とわたしは立ち去ろうとした。
「ちょっと待って!」
これまでのもじもじぶりから豹変して、彼女が呼び止めた。
「なんすか」
「だから、木下さんとお友達になりたいんだけど」
「無理でーす」
わたしは背を向けたまま手をひらひらさせた。
「なんで」
なんでって、意味がわからん。
「それって、西村の命令だよね」
わたしはいやいや振り返った。その、名も知らぬ女の子(とうしろの取り巻きたち)がびくりとした。
「そんな命令とかじゃ」
彼女はたじろぎながら言った。
「うん、知ってるから。手足の指の数超えてからもう数えてないけど、あんたみたいなコいっぱいいるし」
わたしはその場から立ち去った。
最悪だ。
あいかわらず西村は、わたしをネタにして断っているのだ。
逃げ込むように、わたしは図書館に入った。勢いよくドアを引いたら、わりと大きな音が立ち、いけない、とゆっくり閉めた。
ぎー、という不愉快な音。ここのドア、ちょっと油でもひいたほうがいいんじゃなかろうか、といつも思う。
「いらっしゃい」
カウンターで、本を広げていた、司書の沢口さんがわたしに声をかけた。
「なんとかなりませんか、ドア」
なんとなく気恥ずかしくなり、ドアの立て付けの悪さに対して不平を言うと、
「いや、予算がねえ。ドア直すより、本が増えたほうがいいでしょ」
と困ったように笑った。
わたしは沢口さんの笑い方を気に入っていた。なんというか、笑うことが罪深いとどこかで思っているように見えた。いまの西村の笑いかたとは正反対だった。
「ま、いいんですけど」
沢口さんは二十五歳だ。ついでに彼女はいない。大学の頃に付き合った人もいたけれど、別れてしまった。
なぜそんなことをわたしが知っているかというと、この学校で、放課後に図書館にくるような生徒はわたししかいないから、自然と仲良くなってしまったのだ。
沢口さんには、「木下さんくらいだよ、本を読もうなんて殊勝な心がけの人は」なんて言われる。
「今日はなに読んでいるんですか」
わたしは沢口さんの手元にある本の表紙を見た。
「ああ、べつにたいしたもんじゃないんだ」
隠そうとする沢口さんからわたしは本を取った。
「浅野和三郎」
わたしは著者名を読み上げた。その古びた本には、でかでかと『心霊講座』と書いてあった。
「まーたそんな顔して」
沢口さんはわたしの顔を見て言った。
「どうぞ」
本をそっとカウンターに戻して、わたしは言った。
沢口さんはよく、心霊がどうとか超常現象がどうというオカルト本を読んでいる。そして、わたしが読んでいるのを見つけるたびに「学校の本じゃないからね」と言い訳するように慌てた。職権濫用なんてしていない、と伝えたいのだろう。もし学校の予算でそんなマニアックな本を買ったとしても、べつにいいんじゃないかな、ってわたしは思う。だって、沢口さんの涙ぐましい努力をこれまで聞いていたから。
本を読もうとしない我が校の生徒たちのために、映像化したものやアニメになったライトノベルをチェックして入れたり、校内の掲示板に張り出す図書新聞を毎月一人で作っているのだ。そんなの、図書委員にやらせりゃいいじゃない、とわたしは思うのだが、そもそもそういう役割をクラスで決めた記憶はない。つまり、沢口さん一人でやるしかないわけだ。手伝ってもいいかな、と思うのだけれど、沢口さんはわたしに頼み事をするようなことはしなかった。
「で、なに、今日は」
沢口さんは言った。
「よくわからん女に凸された」
「女って、しかもトツって、どういうこと?」
わたしがさっきのことを話すと、
「いやあ、何十回もおんなじこと聞いてるけど、毎回楽しいねえ」
と沢口さんが言った。
「楽しかないでしょ。こっちの身にもなってくださいよ」
「いやあ、きみはきみ、ぼくはぼくでしかないから、きみの気持ちになってあげられなくってごめんね」
いつも誰も寄りつかないこんな場所で本を読んでるくせに、沢口さんは言う。
わたしたちはいつも、本を読め、本を読め、と大人に言われる。人生が豊かになるから、とか見識を広めることができるとか、他人のことを思いやる感情を育てるとか、偉そうなことを言う。けれど、わたしはその意見に承服しかねる。
なぜ本じゃないとだめなのか、動画でだっていいだろ。そもそも文字の連なりをただじーっと読むなんて、暇すぎんか、と。
さすがに沢口さんにそんなことを言ったりはしない。図書館司書なんて仕事をしているのだから、さぞかし本が好きなのだろう。……読書傾向的に偏ってはいるけど。そんな人にマジメ面して議論をふっかけるなんてことはしない。無駄だし、沢口さんとの関係が悪くなるのは嫌だ。
なにせ、いまではこの図書館が、唯一自分の気の休まる場所なのだ。
西村の幼馴染、というだけで、わたしの高校生活は破綻しているのだから。
「とにかく、高校を卒業したら、絶対にあいつとは関係ない場所で過ごすんだ」
「どうだろうねえ」
沢口さんが唸った。
「そこは『ガンバレ』でしょ」
わたしは口を尖らせた。
「きみの側からの話しか聞いていないから、断定はできないけれど、どうもきみたちには、切るに切れない謎の運命みたいなものを感じるんだよね」
「そういう本を読みすぎですよ、沢口さん」
わたしはカウンターにある本を見て言った。この本の前には、タイトル忘れたけれど、神様が乗り移って自動書記したとかなんとかっていう予言書を読んでいた。
「そう言われたらぐうの音も出ないけど、西村くんにとって、きみは特別な人なんじゃないかな」
「は」
わたしはすごく、顔をしかめたのだろう。沢口さんが困った顔をした。
「幼い頃はきみのうしろを追っかけていた弱虫くんな彼が、あるときを境に急に変わってしまった。自信がつき、顔つきが変わり、急に身長がよく水やりされたひまわりみたいに伸びた」
「ひまわり?」
「いや、ごめん紋切り型比喩で」
「比喩?」
「うん、そこはもうスルーで。とにかく、急に君以外の人が、彼に注目しだす。で、異性と付き合うけれど、すぐに別れてしまう」
「雑なあらすじ」
「まあ聞きなさいな。でも、どうやら彼は告白されたらとりあえず付き合ってみるというタイプではない。きみのジャッジをかなり重要視している」
「違いますよ。ただ面倒だからわたしと友達になったら付き合ってやるって、無理難題を女の子たちにふっかけてるだけ」
「竹取物語だなあ」
「あいつ、わたしを関わらせようとするから」
「関わってほしいんでしょ」
「いや、きっとそういうんじゃないと思う」
「ほう」
沢口さんが興味深けにわたしを見た。
「わたしに、見せつけたいんですよ。もう昔の自分じゃないって。いいかげん認めろって」
「わたし、実は」
目の前で女の子が、もじもじしながら言い淀んでいる。
「西村のこと好きなの?」
彼女の言葉の続きを待っていたら、いつまでたっても帰れなさそうなので、切り出した。
すると彼女、え、と驚いた顔を見せる。
いや、意味わかんないから。そもそも、お前、要件の前に名を名乗れ。彼女の背中の向こうで、わたしたちの様子を見守っている数名の女子。あいつら付き添いなんだろうなあ、と思った。わたしが彼女たちの意に沿わぬ返事をしたら、ボコってくるのだろうか。いいよ、なんならかかってこい、と先走ってしまいそうになった。
放課後の廊下で、通り過ぎる生徒たちがわたしたちをじろじろと眺めていた。
「そう……なんだ」
超長いタメ。
「ふうん、頑張って」
宣言は聞いた、とわたしは立ち去ろうとした。
「ちょっと待って!」
これまでのもじもじぶりから豹変して、彼女が呼び止めた。
「なんすか」
「だから、木下さんとお友達になりたいんだけど」
「無理でーす」
わたしは背を向けたまま手をひらひらさせた。
「なんで」
なんでって、意味がわからん。
「それって、西村の命令だよね」
わたしはいやいや振り返った。その、名も知らぬ女の子(とうしろの取り巻きたち)がびくりとした。
「そんな命令とかじゃ」
彼女はたじろぎながら言った。
「うん、知ってるから。手足の指の数超えてからもう数えてないけど、あんたみたいなコいっぱいいるし」
わたしはその場から立ち去った。
最悪だ。
あいかわらず西村は、わたしをネタにして断っているのだ。
逃げ込むように、わたしは図書館に入った。勢いよくドアを引いたら、わりと大きな音が立ち、いけない、とゆっくり閉めた。
ぎー、という不愉快な音。ここのドア、ちょっと油でもひいたほうがいいんじゃなかろうか、といつも思う。
「いらっしゃい」
カウンターで、本を広げていた、司書の沢口さんがわたしに声をかけた。
「なんとかなりませんか、ドア」
なんとなく気恥ずかしくなり、ドアの立て付けの悪さに対して不平を言うと、
「いや、予算がねえ。ドア直すより、本が増えたほうがいいでしょ」
と困ったように笑った。
わたしは沢口さんの笑い方を気に入っていた。なんというか、笑うことが罪深いとどこかで思っているように見えた。いまの西村の笑いかたとは正反対だった。
「ま、いいんですけど」
沢口さんは二十五歳だ。ついでに彼女はいない。大学の頃に付き合った人もいたけれど、別れてしまった。
なぜそんなことをわたしが知っているかというと、この学校で、放課後に図書館にくるような生徒はわたししかいないから、自然と仲良くなってしまったのだ。
沢口さんには、「木下さんくらいだよ、本を読もうなんて殊勝な心がけの人は」なんて言われる。
「今日はなに読んでいるんですか」
わたしは沢口さんの手元にある本の表紙を見た。
「ああ、べつにたいしたもんじゃないんだ」
隠そうとする沢口さんからわたしは本を取った。
「浅野和三郎」
わたしは著者名を読み上げた。その古びた本には、でかでかと『心霊講座』と書いてあった。
「まーたそんな顔して」
沢口さんはわたしの顔を見て言った。
「どうぞ」
本をそっとカウンターに戻して、わたしは言った。
沢口さんはよく、心霊がどうとか超常現象がどうというオカルト本を読んでいる。そして、わたしが読んでいるのを見つけるたびに「学校の本じゃないからね」と言い訳するように慌てた。職権濫用なんてしていない、と伝えたいのだろう。もし学校の予算でそんなマニアックな本を買ったとしても、べつにいいんじゃないかな、ってわたしは思う。だって、沢口さんの涙ぐましい努力をこれまで聞いていたから。
本を読もうとしない我が校の生徒たちのために、映像化したものやアニメになったライトノベルをチェックして入れたり、校内の掲示板に張り出す図書新聞を毎月一人で作っているのだ。そんなの、図書委員にやらせりゃいいじゃない、とわたしは思うのだが、そもそもそういう役割をクラスで決めた記憶はない。つまり、沢口さん一人でやるしかないわけだ。手伝ってもいいかな、と思うのだけれど、沢口さんはわたしに頼み事をするようなことはしなかった。
「で、なに、今日は」
沢口さんは言った。
「よくわからん女に凸された」
「女って、しかもトツって、どういうこと?」
わたしがさっきのことを話すと、
「いやあ、何十回もおんなじこと聞いてるけど、毎回楽しいねえ」
と沢口さんが言った。
「楽しかないでしょ。こっちの身にもなってくださいよ」
「いやあ、きみはきみ、ぼくはぼくでしかないから、きみの気持ちになってあげられなくってごめんね」
いつも誰も寄りつかないこんな場所で本を読んでるくせに、沢口さんは言う。
わたしたちはいつも、本を読め、本を読め、と大人に言われる。人生が豊かになるから、とか見識を広めることができるとか、他人のことを思いやる感情を育てるとか、偉そうなことを言う。けれど、わたしはその意見に承服しかねる。
なぜ本じゃないとだめなのか、動画でだっていいだろ。そもそも文字の連なりをただじーっと読むなんて、暇すぎんか、と。
さすがに沢口さんにそんなことを言ったりはしない。図書館司書なんて仕事をしているのだから、さぞかし本が好きなのだろう。……読書傾向的に偏ってはいるけど。そんな人にマジメ面して議論をふっかけるなんてことはしない。無駄だし、沢口さんとの関係が悪くなるのは嫌だ。
なにせ、いまではこの図書館が、唯一自分の気の休まる場所なのだ。
西村の幼馴染、というだけで、わたしの高校生活は破綻しているのだから。
「とにかく、高校を卒業したら、絶対にあいつとは関係ない場所で過ごすんだ」
「どうだろうねえ」
沢口さんが唸った。
「そこは『ガンバレ』でしょ」
わたしは口を尖らせた。
「きみの側からの話しか聞いていないから、断定はできないけれど、どうもきみたちには、切るに切れない謎の運命みたいなものを感じるんだよね」
「そういう本を読みすぎですよ、沢口さん」
わたしはカウンターにある本を見て言った。この本の前には、タイトル忘れたけれど、神様が乗り移って自動書記したとかなんとかっていう予言書を読んでいた。
「そう言われたらぐうの音も出ないけど、西村くんにとって、きみは特別な人なんじゃないかな」
「は」
わたしはすごく、顔をしかめたのだろう。沢口さんが困った顔をした。
「幼い頃はきみのうしろを追っかけていた弱虫くんな彼が、あるときを境に急に変わってしまった。自信がつき、顔つきが変わり、急に身長がよく水やりされたひまわりみたいに伸びた」
「ひまわり?」
「いや、ごめん紋切り型比喩で」
「比喩?」
「うん、そこはもうスルーで。とにかく、急に君以外の人が、彼に注目しだす。で、異性と付き合うけれど、すぐに別れてしまう」
「雑なあらすじ」
「まあ聞きなさいな。でも、どうやら彼は告白されたらとりあえず付き合ってみるというタイプではない。きみのジャッジをかなり重要視している」
「違いますよ。ただ面倒だからわたしと友達になったら付き合ってやるって、無理難題を女の子たちにふっかけてるだけ」
「竹取物語だなあ」
「あいつ、わたしを関わらせようとするから」
「関わってほしいんでしょ」
「いや、きっとそういうんじゃないと思う」
「ほう」
沢口さんが興味深けにわたしを見た。
「わたしに、見せつけたいんですよ。もう昔の自分じゃないって。いいかげん認めろって」


