目覚めたら、見知らぬ天井だった。
けれど場所は異世界なんてことはなく、ただ初めてお世話になる私立多聞学園中等部の保健室ではあった。
ベッドに横たわった天麗がパチパチと大きく瞬けば、側でガタリと物音がする。
「惣賀さんっ」
鼻に丸めた脱脂綿を詰めた薮が、心配の二文字を張り付けた表情でのぞき込んだ。いや、その赤く染まった綿を付けた貴方の方が心配なんですけど? との言葉は、空気を読んで飲み込む。
けれど釘付けとなった視線は、本人にしっかりと伝わったらしい。薮が頬を染めて俯き、片手で鼻を隠しつつ、前髪の隙間から天麗を窺って言い訳する。
「あんまり見ないで。いっぱい走ったのと、大急ぎで三浦先生の声を生成するのに頭もフル稼働したら、鼻の中の毛細血管がオーバーヒートで破裂したんだ」
どうやら、物理的な攻撃を受けたせいではないようだ。天麗がホッと胸を撫で下ろしていると、彼の奥からもう一人、ツインテールがピョコリと揺れる。
「よかった! 惣賀さんの目が覚めたんだね。私、先生呼んでくる!」
恵利花が薮の隣から覗き込み、安堵で頬を綻ばせて保健室を出て行く。
――そして天麗と薮は、狭い保健室で二人きりになってしまった。
薮 孝志郎のことを、今ではすっかり「薮りん」の愛称呼びで定着させている天麗ではあるが、間に共通の話題を挟まなければ思春期男女らしい気恥ずかしさが、大波となって襲い来る。
気まずさを紛らわすために、とにかく話題を振ってみた。
「薮りんが、来ない間に大変な目に遭いましたよ。けど、あれって約束を破ったんじゃなく、来生さんのお友達が足止めをしてたんですね」
「うっ……。うぅ、ごめん」
ただ肯定されるだけだと思った話に、思わぬ謝罪が返る。
「正直に話す勇気がなかったんだ。それで、延々延々延々延々……」
悩んでいたのは理解したが、泣き言じみた『えんえん』はいつまで続くのだろうかと半眼になってしまった天麗だ。
「そんな顔しないで。うぅ、けど危ない目に遭った惣賀さんにはその権利があるよね。ほんとに、ごめん。ごめんなさい」
しおしおと背中を丸める薮は、内気な小心者そのものの風貌だ。そんな彼なのに――
「それでも、いっぱい、いーっぱいがんばって、来生さんのお友達を振り切って、来てくれたんですよね」
ニカリと、分かりやすい大きな笑みを作って見せれば、薮はキョトリと大きく瞳を見開き、ようやく安堵に表情を和らげる。
「三浦先生に、大丈夫だってお話しした後でいいですから、薮りんが話そうとしてたことを教えてくれますか?」
「うん。……ううん。三浦先生の居るときに、一緒に聞いてほしい。惣賀さんに迷惑を掛けてしまったから。せめてもの、僕の罪滅ぼしとして」
苦し気に、それでも決意を込めた玲瓏たる輝きを瞳に宿した薮。
愛らしい系の齧歯類男子だとばかり思っていた彼だったが、その覚悟に凛々しさを感じ、迂闊にも気持ちが跳ねた。それがトキメキだとは気付かない天麗ではあるが、これからは今以上に目を離せない存在になるんだろうと――確信じみた思いが湧き上がると共に頬が染まった。
ほとんど間を置かずに、息を切らせて三浦がやって来た。
教師たるものが廊下を走ったのかと、じっとりとした視線を向ければ「早歩きだ」と胸を反らせる。
けれど、のんびりとした雰囲気が漂ったのは、そこまでだった。
「僕が悪いんです! あの投稿も、きっと僕のせいなんです!!」
悲痛に声を上げて、膝の上に握った両拳に額を付ける勢いで、薮が頭を下げる。
「いや、どういうことか分からないよ? 順を追って説明してくれるかな。聞き取りの時、薮さんはあの投稿をしていないと言ったし、現実問題として君の送信履歴に怪しいものは無かったよ」
「それでも、僕のせいなんです」
頑なに言い募る薮は、思い切った様にタブレットを開き、機械文字が羅列された画面を三浦に向ける。
「これが、言い逃れの出来ない、僕の罪の証拠です」
「いやいやいやいやいやいやいや。わかんないからね!?」
突き出した両掌と頭をブンブン横に振る三浦同様、天麗と一色 恵利花も困惑に眉を顰めて「0」「1」だらけの画面を眺める。意味など分かるわけもなく、ただ目がチカチカするだけの不思議な文字列だ。
「碇さんが、惣賀さんのせいだって勘違いして、こんな騒ぎを起こすなんて思ってもみなくてっ! 僕の起こしたAIが、動き出すなんて、あんな投稿するなんて思ってもみなくって! 先生に聞かれたとき、ちゃんと言えばよかったって、後悔ばっかりで!! 本当に、ごめんなさい!!!」
真剣に謝罪を繰り返す薮だが、彼が何をしたのか、証拠となるコードも理解した上でハッキリと判断出来る者は居ない。
だが、三浦は俯いたままの薮の両肩にそっと手を添え、優しく微笑む。
「薮さん、大それたことをしたかもしれないと、恐ろしくなって逃げてしまうことは誰にでもあるだろう。けど、君はちゃんと問題に向き合って、先生であるオレに伝えてくれた。それは、凄く勇気のあることだと思う」
「三浦先生……」
教育者の鑑とも思える、毅然として懐の深い態度を示した三浦に、薮が感謝と後悔をない交ぜにした声を震える唇で紡ぐ。
(やるじゃん、先生)
ちょっぴり評価を改めつつ見守る天麗の傍では、恵利花も口元に微笑を湛えている。本来の指導者の意義を成し、教育者と生徒の心の交流が為された、この感動の光景に、口を挟む無粋な真似は――出来ない。
「で、改めて聞くんだけど、薮さんはその数字で何をやったのかな?」
「ミュウーラ……」
感動を返して欲しい。そう思ったのは、生徒三人揃って同じだった。
