「アナ《《ナ》》タタチ!! ナニ やて るん ですか!!!」
三浦と思しき声の、奇妙なセリフが大音量で響く。
窮地のシチュエーションを無視した、間の抜けた言葉だ。さすがはユル教師ミュウーラ。
姿なき声に一瞬和まされた天麗。そして両肩を撥ねさせた亜美と、ギクリと顔を強張らせた稜斗。
反応は三者三様だったが、隙が出来たのは一緒だった。
「こっち!!」
亜美の手を跳ね上げて、大きな手が天麗の腕を力強く引く。
「早く!」
聞き慣れた声が繰り返し放たれ、聴覚に視覚が追いついた天麗の心が、じんわりと温かさを取り戻してゆく。
「薮りんっ」
呼び掛ければ、前方を見詰めて必死に駆けていた薮が、僅かに振り返って力強く頷いて見せた。一緒に逃げるよ。そんな言外の意志が伝わって来る。
我武者羅に走るブレた視界の中、薮が大切に抱え込んだタブレットの画面には「アナ《《ナ》》タタチ ナニ やて るん ですか」の文字が映っている。どうやらさっきの三浦の声は、彼が端末を操作して自動音声で発生させたニセ三浦だったようだ。
とすれば、この場に助けてくれる教師・三浦はいない。
(自力で逃げるしかないってことですか)
天麗は、ギュッと唇を噛み締める。もう充分に走ったのだ。運動誘発性アレルギーを持つ体質のため、激しい運動は控えて来た。そんな彼女だから、体力は既に限界に近い。
現れたのが映画のヒーローだったなら、か弱いヒロインを抱き上げ、颯爽と窮地から脱出するのだろう——が、現実は齧歯系男子・薮だ。子リスちゃんや、ハムはむハムスターにお姫様抱っこを要求する無茶ぶりは、誰だってしない。
どう見ても運動に適さない2人に、スラリとした量産型イケメンの稜斗が追い付くのはすぐだった。
「待てよ!」
稜斗の声に振り返れば、亜美も間近に迫っている。
後ろを走っている天麗が、稜斗に袖口を捕まれ、つんのめる。その反動が薮にも伝わったところで、鬼気迫る表情の亜美が大きく腕を振り被って殴りかかる。
「アタシのこと、バカにしてっ晒し者にした酬いよっ!!」
腹の底からの怒りの吐露と、まさかの凶行に、天麗と薮だけでなく、彼女の側の稜斗までもが目を剥く。
(うにゃあぁぁぁ! 避けられませんっ、せめて一番痛くない場所にっ!! おでこっ!)
ぐっと身を屈めて頭を突き出す迎撃スタイルを取ったところで、一層強く腕を引かれて背後に仰け反る。
目に入ったのは、天麗と身体の位置を入れ替えた薮だ。反射的な防御本能で、タブレットを掲げて亜美の拳を受けようとするも、慌てて下げ、結果無防備な首にパンチを受けている。
「っふぐ」
女子の攻撃でも、流石に息が詰まったらしく、薮は俯いて悶絶している。その隙に、稜斗が薮に掴み掛かろうと手を伸ばす。
「させません!!」
態勢を立て直した天麗が、首を大きく振って、額を稜斗の手の平向けて突き出す。
「は!?」
思い掛けない反撃に稜斗が怯み、攻撃の手が緩んだ——そのとき。
「三浦先生! こっちです!!」
一色 恵利花が、今度こそホンモノの三浦を連れて駆け付けた。
