ゼロに沈む眠り姫は、破滅に導くプログラム


(薮りん。逃げましたね)

 帰りの会終了から一時間が経過した教室。
 ほんの少し前までは、友人同士でおしゃべりをしながら時間を潰す数人が居たものの、今では天麗(あめり)以外だれの姿もない。

 彼らは帰り際、天麗(あめり)に「薮さん来ないね」「待ち合わせ忘れちゃったのかねぇ」などと、声を掛けて行った。どうやら天麗(あめり)と薮 孝志郎の待ち合わせは、教室中に知れ渡っているようだ。
 そのせいで、内気で臆病な齧歯(げっし)類属性の薮が姿を隠したのだろうか。不安が頭をもたげる。

「放課後に改めて話すって言うから、すごくすごーく我慢して、ワクワクして待ってたのにぃ」

 唇を尖らせてボヤきつつ、現れない薮の席に腰を下ろして観察する。鞄はあるが、彼が肌身離さず持ち歩いている相棒のタブレットは無い。まさか鞄を天麗(あめり)引き留め用のダミーとして、薮本人は先に帰ったのだろうか。

 むむむ、と思案に眉を顰めたところで、廊下から近付いてくる足音が響いた。

惣賀(そうが)ちゃん」

「げ」

「酷いな。俺のこと嫌ってたりするワケ? ま、いーけど」

 皮肉げに片方の口角だけを吊り上げた、歪な笑みを浮かべて現れたのは来生(きすぎ) 稜斗(りょうと)だ。

「何だか雰囲気が違いますね」

 咄嗟に言ってしまうくらいには、彼の天麗(あめり)に向ける態度が違っている。三浦による聞き取りを行っていた昼までは、もう少し友好的だった。
 けれど今は、じんわりと滲み出る敵意を感じる。

「何の用です?」

 薮の席から立ち上がりつつ、前方扉から入って来た稜斗(りょうと)に、警戒心も露わな視線を向ける。

「つれないな。ちょっと聞きたいことがあって。俺も、惣賀(そうが)ちゃんを待ってたんだわ」

 約束した覚えは、ない。とするなら、彼の『待っていた』のはタイミングと云うことだ。しかも、訪れるかどうか分からない天麗(あめり)単独となるシチュエーションを狙ったとは穏やかでない。

「わたしからは何の用もないわ」

「あれ? 話し方、いつもの惣賀(そうが)ちゃんとは違うね」

「一般向けの話し方はこっちよ」

 ゆっくり、教室の中を、来生が歩を進めてくる。
 薮の席は廊下側の最奥だ。天麗(あめり)は、椅子の背もたれを握る手に力を込めつつ、側の後方扉にチラリと視線を送る。

「薮りんに、何かしたんじゃないでしょうね」

 稜斗(りょうと)の進んで来る席横の通路に、ダンと音を立てて椅子を置く。拒絶と警戒を込めて。

「あー、俺の友達が、薮の話し相手になってくれてっから。そんだけ。薮は、友達少ないから嬉しいんじゃね?」

 ヘラリと笑う表情は、とてもイビツだ。

「わざわざ邪魔してくれたんだ? もう一度言うけど、わたしから来生さんには何の用もないわ」

「俺の方には用があるんだ」

「何よ」

「お前だろ!? 亜美にあんな濡れ衣を着せたのは! ツクリモノの通話画像を貼り付けたんだろ!?」

「はぁ!? んなわけないわ」

「いや。音楽の時、亜美に食って掛かった惣賀(そうが)ちゃんしか考えられない」

 言うなり、大きく踏み出して来る。
 その一歩の荒々しさに、本能が警鐘を鳴らした。穏やかな話し合いは望めなさそうだ。無人の教室に敵意か害意の在る男子と二人。
 当然の防衛反応として、通路に障壁として掴んでいた薮の椅子を滑り出させ、天麗(あめり)は、身を反転して後方扉を開く。

「逃げんな!!」

 視界の隅を過るのは、眉を吊り上げた険しい形相の来生(きすぎ) 稜斗(りょうと)だ。大きな手を荒々しく伸ばして、天麗(あめり)を捕まえようとする。

 間一髪、天麗(あめり)は扉を抜けて教室から走り出た。