翌朝の教室には、何かおかしな空気が漂っていた。
挨拶の声とともに教室に入るなり、どこか白けた空気が身に突き刺さる。しかも、距離を取りつつ彼女を追う視線は、どこまでも纏わり付いて執拗だ。碇 亜美は、微かに首を傾げつつ席に着いた。
そして急遽授業時間に食い込んで、行われることとなったホームルーム。教室には殆ど顔を合わせたことのない副担任がやって来て、情報リテラシーの講義が始まる。その間に、出席簿順に生徒が三浦の待つ相談室へ足を運ぶ。
そこでようやく亜美は、今朝の雰囲気の理由を知った。
「アタシ、知らないっ!!」
職員室とは半透明なガラス張りの壁で仕切られた室内。完全な遮音ではないこの場所は、生徒のプライバシーと、教員との距離感に配慮した空間だ。故に、男性教師でも、女生徒と一対一で向き合うことが許される学園内唯一の場所として設けられている。その場で大声を上げた亜美に、職員室に居合わせた教員らが視線を向けた。
「誰かがアタシを嵌めようとしてんのよ! 先生信じて!」
必死に、三浦に言い募る。
亜美が、自身でそんなメッセージを送る訳が無い。自分の首を絞めることにしかならないのだから。そのくらいの分別はある。
だからこそ、リアルの友人たちではなく、パーソナルAIにひっそりと相談していたのだ。
私立多聞学園中等部のAIと情報を統括すべく、学園内へ設置されたマザーコンピュータにも暗号化して通信する様、亜美はAIに指示を出していた。
だから、漏れるはずなど無かったのだ。
「恵利花とは親友なんだよ!? そりゃあ、昨日はちょっと、キモチの面で行き違いがあったりしたけどさ? 相談も受けたりする、仲なんだよ」
「そうだとは思う。けど、あの画像を技術科職員に見てもらったんだが、加工の形跡は無いって言うんだ。保存されてるトークの記録を辿っても、他の生徒の端末で不審な会話がされり、画像加工を行った形跡は無い。
ただ……、碇さん。君のトーク履歴が何故か暗号化されて判別出来なくなっているところが、幾つも見付かったんだ」
「なっ」
確かに、暗号化を求めたのは亜美自身だ。それは、万が一教員に会話内容を知られても、疑いを持たれぬため。
けれど暗号化して見えなくしたことが、自分の首を絞めるとは思いもよらなかった。見られた場合は完全に黒なのだが、流出の《《事態》》に混乱を極めた亜美は必死で《《公開》》に対しての反論を試みる。けれど、下手に話せば隠したい部分をも知られる恐れがある。結果、苦悶の表情で口籠ることしかできない。
何も言えなくなった亜美に、三浦が冷静な口調で慎重に声を発する。怒っていない。相談に乗る心積もりがあると、伝わるように。
「オレは、碇さんを責めたいわけじゃないんだ。ただ、悩みがあるなら相談して欲しいし、困ったことがあるなら解決のために力を貸したいと思ってる」
「別にっ……。こんな勝手な画像が出て、皆が、アタシに嫌な目を向けるのはっ……ひどすぎますっ」
間違いなく亜美とAIとの会話だ。けれど、嫉妬心に満ち、親友と言いつつもライバルとなった恵利花を陥れようと企む。そんな自分の心を暴かれた衝撃に声が震え、喉が狭まる。
一見すれば、他人から受けた覚えのない悪意に憔悴しきったか弱い女生徒だ。
「碇さんは今、誰かと喧嘩したり、上手くいっていなかったりするかい?」
「ケンカ、ですか?」
罪を明らかにされて注意を受けることを、ひたすら警戒していた亜美だ。三浦の言葉は、相談のきっかけに水を向けたものだった。けれど、都合の良い展開を希求する彼女は、被害者ぶった誤魔化しが通じたのだと胸を撫で下ろす。
だから三浦に、相談を行おうとは欠片も考えなかった。
「ハッキリとケンカになった人なんていませんけど、ちょっとだけ言葉の行き違いになった人なら……」
ただひたすら、取り繕った自分の姿を信じさせるため、都合の悪い事実から話を逸らして、疑惑の目を向けられる人間を増やすことに尽力し始める。
「もしかして、その人が犯人なんですか?」
コチラは本心からの疑問。
真実の気持ちを織り込みつつ、煙に巻く言葉を連ねる。これまで相談し続けたパーソナルAI以上の信頼を、三浦に寄せてはいない。
三浦の差し伸べる手が、亜美に届くことはない——。
