「はいはい! みなさん静粛に。ピアノ担当の生徒を決めてしまいますから。これで最後ですよ」

 ざわめきが収まるのを見計らい、注目を集めるべく、音楽担当の教師が声を張った。

 今日の音楽の授業では、ひと月後に開催される学内合唱コンクールに向けた選曲を行っていたのだ。勿論、天麗(あめり)の意識はそぞろであった。離れてしまった薮の、データ探索の進捗(しんちょく)ばかりが気になっていたから。
 そんな中、教師と真面目に授業を受ける生徒らによって、曲はいつの間にか多数決で確定していたのである。

「まず立候補する人はいませんか」

 教師の声に、二人の手が上がる。合唱コンクールのピアノ演奏は、内申点アップの要素と成り得る重要な機会だ。演奏経験のある者ならば、親からもよくよく言い含められているし、学校側も各クラスに技術を持つ者を割り振ることになっている。

「二人……ですか」

 やや間を開けて戸惑いを見せたのは、教師の記憶によればもう「一人」候補となる人物が居たからだ。けれど、その《《彼女》》は悔し気に唇を引き結んで、じっと下方を見詰めている。

 やりたいけれど、言い出せない。

 そんな雰囲気が彼女から滲み出ているのだ。だから、教師は彼女の意志を確かめようと、ほんの少しだけ間を開けて様子を見る。すると予想通り「先生!」と声が上がった。けれど、声を発したのは想像していた女生徒ではなく、彼女と親友である(いかり) 亜美の方だ。

「一色さんが、適任だと思います!」

 亜美の言葉に、恵利花がギクリと身を強張らせる。

「恵利花は控え目で、なかなか自分じゃ手を上げられない子だって、アタシ分かってるから」

 ね? と優し気に微笑んで片目を瞑ってみせる。
 そうすれば、聞いた者たちはもれなく亜美の言葉が、親友の背中を押す優しさの表れだと理解した。だかそれは錯覚。

「待って……私、そんな」

 顔色悪く、押し殺した声で、恵利花が唇を戦慄かせる。

「そうだな、俺も恵利花に一票! 小学校の時から、メッチャ上手かったからな。恵利花になら安心して任せられるよ」

「だよねー! 稜斗(りょうと)もアタシと一緒で、そう思うんだ?」

「私っ課題が、あって、大変で、ピアノの練習まで……」

 悔しげに所々唇を噛みつつ、恵利花は涙を堪えて目を充血させる。できるなら、こんな注目を浴びた場所で言いたくなかった言葉だ。だからこそ、押し黙って居たというのに、親友によって引っ張り出されていまった。
 《《本来》》AIが生徒個々人に出す課題は、無理なく継続出来る配慮がなされている——決して、ひと月に及んで睡眠時間が三時間に削られることなど無い——はずなのだ。

 けれど現状の彼女は、そうしなければ熟せない。
 完璧な指示を与えてくれるはずのAIが、誤ることなどない。現に他の学園生みんなで、連日に及び彼女ほど疲労の色を濃くしている者を見かけることは無い。
 みんな出来ていて、自分だけが出来ていない。

 とするなら、恵利花の身に今降り掛かっている辛い状況は、彼女がこの学園の誰よりも、著しく能力が欠如していることの証左になってしまう。

 だから、言いたくなかった。
 認めたくなかった。

 ましてや、こんな注目を浴びた場面で。

「課題なんて、みんなAIから同じように受けてるんだから。恵利花だけができないなんて。そんなわけ無いでしょ」

 呆れ混じりのからかい口調で、亜美が「分かってる」とばかりに微笑んでみせる。

「恵利花が、自分で気持ちを伝えるのが苦手なコだってのは、アタシがよく分かってるから」

 亜美が、恵利花の本当の状況に気付かないはずはない。昨日など「眠れてる?」と、声さえ掛けてきたのだ。とするなら、この会話の根底にある感情は——悪意。

「そうなのか? 亜美」

「そうなのよ。ついこの間も協力を頼まれたアタシが言うんだから間違いないわ」

 好きな人と、親友による、恵利花に負担を掛けたいだけの遣り取り。

「止めてよっ!!」

 現実を認めたくなくて、気付けば恵利花は全てを振り切ろうと叫んでいた。

 しんと静まり返った教室に、自身の失態を悟るも手遅れだ。

「やる。やるから。立候補、しますから」

 友人からの好意を踏みにじる叫び。
 ソレをリカバリーするには、最早受け入れるしかないと恵利花は、弱々しく宣言して俯く。

 丸く、収まったかに見えた場。

「あの、おかしくないですか? 今のって他薦ゴリ押しですよね? 立候補って認められちゃうんですか」

 けれど再び場を荒立てる声が、真っ直ぐ頭上に挙げられた手と共に上がった。
 天麗(あめり)だって、転入早々目立つマネはしたくない。ゴロニャン猫被りして、平穏で理想のAI生活を送りたい。

(けど、どうにも気分が悪いのです! 体質(アレルギー)で出来ないことがあるわたしに、厄介事を押し付けようとした嫌いサンに似た空気を感じるのです)

 違和感しか感じない状況に、黙って居ることが出来なかったのだ。だが、そんな天麗(あめり)の肌感覚を、亜美は軽い笑いで聞き流す。

「ヨソから来たばっかしの惣賀(そうが)サンには分かんないかも知んないけどさ。付き合いの長いアタシには分かってるの。恵利花には能力があるの。先生だって分かってらっしゃるわ」

 言葉を向けられた教師は、問う視線を向けた天麗(あめり)に「ええ……そうね」と同意の言葉を返してきた。
 昨日から何度となく強い視線を向けてくるツインテール女子は、嫌でも印象に残っている。隠しきれない疲労がにじみ出ていることも。だから釈然とはしない天麗(あめり)の表情は曇ったままだ。生徒の中には、彼女の言葉を受けて「確かに」などと、同意する声も聞こえ始めている。

「では、皆さんの状況をきちんと把握しているAIに、決めてもらいましょう」

 教師が、適切な判断を下すためAIに裁可を求めた結果——選ばれたのは 一色 恵利花 だった。