午前も音楽の授業を最後に、あと10分で昼休みが始まる。弛緩しきったタイミング。

「(みつけた)」

 不意に、いつものダイブポーズでタブレットに齧りついていた薮 孝志郎が、がばりと身を起こして呟いた。

 はっきりとした声が聞こえた訳では無く、微かに唇が言葉を象る。それだけの変化。

 それでも未練タラタラで、今朝からずっと彼を見つめていた天麗(あめり)にとっては、目を惹き付ける劇的な動作だったわけで――

「え? ちょ!? 待って!!」

 決定的瞬間見逃しの驚愕に、焦りのまま言葉が漏れ出る。薮に視線を釘付けたまま、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がろうとしたところで、ツンと袖を引かれた。

惣賀(そうが)ちゃんこそ待ちなって!」

 声を掛けたのは来生(きすぎ) 稜斗(りょうと)で、さっと手を伸ばしたのは隣の(いかり) 亜美だ。物理的に引き留められれば、さすがの天麗(あめり)も止まらざるを得ない。つんのめりつつ振り返った彼女の目に飛び込んだのは「惣賀(そうが)ちゃん」呼びで、鋭くなった亜美の視線だ。

(ぎゃー、怖い怖いっ! 勝手に呼んだのは来生(きすぎ)さんの方ですよぅ。わたしは薮りんのもとに飛んでいきたいだけで、軽々しくチャン呼びしちゃうカレピには興味無いですからぁ)

 アワアワとするばかりの天麗(あめり)に、亜美が大きく口角を吊り上げた笑顔を向ける。引き攣り笑いだ。恐ろし過ぎて、天麗(あめり)は更に口籠るしかない。

「まだ授業中だよ。稜斗(りょうと)まで、アタシを手伝って惣賀(そうが)サンに注意すんの、大変なんだからねー。終わるまで、立・ち・上・が・ら・な・い。ワカル?」
「ひっでーなぁ、亜美。惣賀(そうが)ちゃんを子供扱いするなんて、ねっ」

 隣の亜美の形相など目に入っていない風で、ニコ・とキメ顔で目配せする稜斗だ。強心臓すぎる。

(ひぃぃぃっ、ちゃん呼びは止めるのです! 軽薄サンは苦手なのです! 女子の敏感レーダーを各所で逆撫でしてるのわかってるんですか!? いえ、その爽やかすぎる笑顔は、分かったうえでの敢えてのもの……女子の気持ちを弄ぶ危険な男なのですよね!?)

 恐ろしい決めつけである。しかも、朝の悪夢再びとはかりに、後方からまたツインテール女子の冷たい視線までもが突き刺さって居る気がする……。

(齧歯系男子、薮りんの癒しプリーズぅぅぅぅ!)

 薮に縋る視線を送るが、勿論タブレット内の「0」に夢中の彼が気付くはずはない。

「「あ」」

 ――ワケではなかった。教室の遠く離れた位置で丸く開いた口の形が揃った、薮と天麗(あめり)だ。

 こちらは癒しの面影を引き寄せたい想いを込めて。あちらはヨロコビを伝えて分かち合いたい想いを込めて。多少のズレはあるけれども、求めるタイミングが揃い、カチ合った視線。

「うにゃぁぁぁあぁ」

 ボフンと頬を上気させた天麗(あめり)が顔を両手で覆えば、教室最奥の薮もがばりと顔を伏せる。ただし、この二人のリンクに気付いている者はいない。

「どっ……ど・したのよ!? 急に奇声なんか上げて」
「なに!? 亜美に子供扱いされちゃって怒ったの!?」

 お陰で、ジェラシーを向ける者、煽る者の微妙な張り詰めた空気が霧散する。

「なんでもないのです! 思いがけず甘い空気に見舞われて、やっつけられちゃっただけなのですぅぅぅ」

 耳まで赤く染まった天麗(あめり)が、顔面を覆った両手の指の間から亜美と稜斗(りょうと)を覗き見れば、亜美と稜斗(りょうと)は顔を見合わせ、ポッと頬を赤くした。周囲の生徒は、勘違いではあるが、甘酸っぱい空気に当てられて生暖かい雰囲気が辺りを包む。けれど、ただひとり、ツインテールの一色 恵利花だけは暗い視線を二人に向けていた。