街頭ストームの、そして小花奪還の決行日は好天に恵まれた。作戦は藤嗣が中心になって立てた。いつもストームの反撃で失敗しているから大丈夫かとからかわれたが、今回ばかりは自信があった。

「園田には感謝している」

 学生たちではどうにもならない部分は、園田の兄にも協力を仰いだ。

「未だに学生気分が抜けていないんだ。喜んで手伝うってさ」

 談話室で地図を広げ、将棋の駒を置いて最後の確認をする。そのために、今日まで準備をしてきたのだ。

「僕は知らないよ、こんな無茶な計画」

 突き放すような物言いで、千種が輪から抜ける。皆が黙ってその後姿を見送った。

「大丈夫か?」

「千種、無茶だって言ってたが――」

「大丈夫だ!」

 湧き上がる不安の声を一括する。

「誰になんと言われても、成功させる」

「そう――だな、うん」

 今更後には引けない。

「気合入れていくぞ!」

「おう!」

「任せとけ!」

 不安を払拭するように、皆が声を上げた。



 それぞれが寮を出て持ち場に向かったのは夕方頃だった。藤嗣は園田の兄たちと行動を共にする。彼らにはとにかく騒いでもらって、見世側の意識を逸らしてもらうのだ。その支度だが。

「変じゃないか?」

 初めて着る背広に違和感を覚えながら訊ねると、園田は頭から爪先までを見て頷いた。

「変だな」

「……」

 もう少し言いようがあるだろうにと思ったが、嘆いたところで似合っていないのは変わらない。

「ま、兄貴たちに紛れていればどうにかなるさ」

 ため息を漏らした藤嗣を元気づけてくれたのだろう。園田は威勢よく肩を叩いてくれた。



 園田の兄は、帝国大学を出て実家の事業を手伝っているのだそうだ。それゆえに、今回の作戦についてあまりいい顔をされないのではないかと不安だった。待ち合わせは品川の停車場。

「騒がしい兄だが、許してくれよ」

 そんな前置きがあった。程なくして、背広姿の一団が現れる。

「兄貴、こっちだ」

「おう、主税」

 園田の兄は弟と同じく背が高かった。兄はくせ毛を後ろになでつけ、鼻の下には威厳を出すためか髭を貯えている。

「君が松原くんか!」

 友人を大勢引き連れてやって来た彼は、底抜けに明るかった。

「なんでも、面白いことを思いついたんだってね」

「いや、まあ……面白いかどうかは……」

 うつむきがちに返すと、ばしばしと強く肩を叩かれる。

「なんだ、高校生がそんなことではいかんな!」

 それに引き連れられた友人大勢も頷く。

「楽しんだ者勝ちだぞ」

「そうだ、そうだ!」

 それならば、開き直って手伝ってもらうのがいいのか。脇で園田が呆れている。

「しかし、今日は本当にありがとうございます。見世を借り上げるなんて、学生の身分ではどうしても無理だったので」

「そりゃあそうだ。学生は学ぶもの、遊ぶもの。金については大人に頼るものだ」

 周りも大きく頷く。

「兄貴もそうだったもんな」

「当たり前だ」

 弟の茶化しに、兄は悪びれもせず、むしろ堂々と胸を張る。

「じゃあ、俺は持ち場に向かうぞ。兄貴、羽目を外さないでくれよな」

「主税、お前もせいぜい頑張れよ」

 園田が見送られながら人混みに姿を消す。周りは徐々に夜の帳が下りはじめていた。



 事前に園田から説明を頼んでいたが、彼らは必要以上にやる気に満ちていた。

「松原くん。我々は騒いで、何をすればいいんだ?」

「とにかく騒いでください」

「それで?」

 期待に目を輝かせて、先を促される。

「後は、きっと作戦に穴が出ると思うんです。その時に、思うように動いて下さい」

「作戦というのは」

「ええと――」

 大まかな流れを説明する。皆が騒いでいる間に裏で行われることだ。

「面白そうじゃないか!」

「よし、穴が出た時は任せてくれ!」

「大船に乗ったつもりでな」

「俺たちは百戦錬磨だからな」

 そんな心強い言葉をかけられる。

「よろしくおねがいします」

 おう、と勢いよく肩を叩かれる。げほっと咳き込んでしまったのが情けなかった。

「見世は三松屋だったな」

「はい」

「主税のやつ、総揚げしろなんて言いやがって。兄を良いように使いやがる」

 そう言ってはいるものの、口調は楽しげだ。

 総揚げ――つまり、見世を借り切ることだ。園田曰く、いつも無駄使いしている兄だからそれくらいなんてことはないということだ。

 総揚げすれば、他の客に気を遣うこともない。

 品川遊廓の門をくぐり、目的の三松屋へと向かう。

 さすがに付き合いがあるのだろう、園田の兄は遊廓に行き慣れていた。松原のようにおどおどと周りを伺うこともなければ、あちこちからかかる誘いも軽く流す。

「園田です。今夜はどうぞよろしく」

「いやあ、お待ちしておりました。ささ、どうぞ」

 見世の主人だろう、恰幅の良い男が迎えてくれた。靴を脱ぎ、ぞろぞろと通されるまま廊下を歩く。服装を変えて髪を後ろに撫で付けているとはいえ、藤嗣は顔を知られている。気付かれまいと必死に顔を伏せていた。それを見た娼妓が、囁き声で耳を擽る。

「まあ、初めていらっしゃるの?」

「い、いや……その」

 初めてではない。だが、こうして近い距離で囁かれるのは落ち着かない。娼妓はくすくすと笑った。

「ふふ、かわいい」

 通されたのは、一階にある一番広い座敷だった。床柱には細かな彫刻が彫られ、格天井には格子ごとに花が咲いている。

「総揚げなんて。今日は、何のお祝い?」

 別の娼妓がしなをつくり園田の兄に訊ねる。

「さて、何だったかな。天女たちに囲まれて騒ぎたくなったんだよ」

「おじょうずね」

 甘ったるい笑い声が耳を擽る。周りはこの雰囲気を楽しんでいるようだったが、藤嗣にはどうにも居心地が悪かった。歳を重ねれば慣れるものなのだろうか。もっとも、今日は慣れなくていい。藤嗣の目的は座を楽しむのではなく、黒田が無事に部屋から抜け出したかどうかを確認する。それまでこの場をできる限り盛り上げる。それが今日の役目なのだから。