夕方になって、また雨が振り始めた。
(……ついてない)
委員会に参加をしていたら思ったよりも遅くなってしまい、またも予期せぬ通り雨に進むべく道を妨害された。
徐々に夕方も日は長くなってきているようだけど、今日は不気味なほどに薄暗い。
間違いなく雨雲のせいなんだろうけど。
そういえば、夏の夕方はよく空が突然暗くなり始めて、夕立が降ったとおばあちゃんが言っていた。
ぼんやり空を眺めて、こんな風にすべてに恵まれているわけではない……おばあちゃんの言う頃の便利ではなかった世界に生まれていたらどうだったのだろう、などとやっぱり考えてしまった。
今は、不可能なことはほとんどないと言われている。
『アムル』さえ使いこなせれば、なんだってできるのだ。
でも、それさえもない時代に生まれていたら……ここまで優劣の差をはっきりと見せられて悩むことはなかったのかもしれない。
どうしてあんなにも星来は可愛いんだろう。
まぁ、そんなことを今更考えたって仕方がないのだけど。
美人でしぐさも洗練されていて、そりゃモテるに決まっている。
「はぁ……」
アキちゃんももう少しわたしの生活に興味を持って寄り添ってくれたっていいのに……とふと思ってしまい、あわてて頭を振る。
アキちゃんとは心友だ。
そんなアキちゃんに一瞬でもこんな感情を抱いてしまうなんて……自分だけでは何から何までうまくできないからって人のせいにして……ますます自分自身に自己嫌悪してしまう。
利害関係など望んではいけないのだ。
「傘、持ってないの?」
「えっ……」
突然話しかけられて、はっとする。
隣に星来が大好きな松岡くんが立っていたからだ。
日頃から笑顔を見せない整った顔に生真面目そうなメガネをかけており、右耳にはいつものように赤いイヤホンをしている。
なんだかんだで話したことはなかったし、なぜ突然話しかけられたかはわからないけど、久志以外の異性と話すのは苦手で萎縮してしまう。
「だ、大丈夫! すぐにやむと思うから」
昨日もそうだったし。
そう、とだけ言って、松岡くんも傘を持っていないのか、そのまま隣に立ち、空を見上げる。
(き、気まずい……)
先にいたのはわたしなのに、一刻も早くこの場から立ち去りたくなる。
今日は部活動がないのだろうか。
いや、引退している可能性も高い。
本当にどうでもいいことを一生懸命考えながら、もっと星来から聞いておけば良かった……などと考えたほどだ。
「あと五分もすれば雲が晴れるって」
「……え?」
突然口を開くものだから、ぎょっとする。
「えっ……あっ、そうなの? なんでわか……あっ」
彼が自身の耳に指をさしているため、察した。
「なんて名前なの?」
それが、彼の『アムル』のようだ。
「名前なんてないよ」
そういうものなんじゃないの?という目を向けられてまた会話が途切れてまた困惑する。
それならそれで構わない。
けど、毎日一緒に過ごしているのに名前がないなんて淋しくないのかな?なんて思うもわたしもアキちゃん以外のものに名前なんてつけていないから同じようなものかもしれない。
アキちゃんは会話ができるから、命ある特別なものだと思ってしまう自分がいた。
「う、うちのアムルはアキちゃんっていうの。お母さんとの約束で、学校のある日はおうちでお留守番をしてもらっているんだけど、それがまた自由なアムルでね」
あと五分弱。
このタイミングでいきなり立ち去るのも変だし、雨が止むまでの辛抱だと一生懸命話題をつなぐ。
近くに星来はいないものかとあたりを見渡すも、誰もいない。
委員会がある日は先に帰ってもらっているのだから当然といえばそうなのだけど。
こんなときに『アムル』があったらもっと円滑に会話を楽しめたのかもしれないのに、と思うとやっぱりまたため息が出た。
「安西《あんざい》は、どうしたの?」
「え?」
安西……は、星来?
「さ、先に帰ったんだと思うけど」
またしても唐突な問いに、本当に星来の言うように掴みどころのない人だと思う。
星来はこういうミステリアスなところに惹かれてしまうらしいのだけど、わたしはよくわからない。
(うん。ミステリアスと言われてみれば……そのとおりなのだけど)
「気づかなかったの?」
「え?」
きっと、要点を少しずつしか話さないから困惑してしまうのだろう。
一つ話して十悟れと。
頭のいい人の考え方なのだろう。
試すような言葉に、今度はわたしが彼のことを凝視する番だった。
「距離感を間違えないほうがいい」
「………」
「まぁ、俺が接してたのはあっちだから、どっちがどうとか言える筋合いもないけど」
それだけつぶやいて、彼は一歩前に出た。
雨が上がったからだ。
「距離って……」
まったく意味がわからない。
「ねっ、ねぇ! 松岡くん、それって……」
どういうことかと聞きたいのに、松岡くんはそのままこちらに背を向けて歩いていく。
もう話すことはないと言わんばかりだ。
「まつ……」
「春奈」
「えっ……」
後ろから星来の声がして振り返る。
「星来……」
ぞくっとした。
松岡くんとふたりでいたこと?
……ううん。そうじゃない。
なぜか寒気が止まらない。
「委員会、終わったんだ?」
帰ろっか。
星来はいつものように人懐っこい笑顔で近づいてきた。
松岡くんの言葉が頭をぐるぐる回る。
そして、今朝のアキちゃんの言葉も。
いろんな言葉が断片的に脳内をめぐり、蘇り始める。
「春奈?」
「……あなたは、誰?」
ずっと感じていた違和感は、言葉となって口から出ていた。
「あなた、星来じゃないでしょ?」
松岡くんの言うとおり、本当は気づいてなかったわけではない。
(……ついてない)
委員会に参加をしていたら思ったよりも遅くなってしまい、またも予期せぬ通り雨に進むべく道を妨害された。
徐々に夕方も日は長くなってきているようだけど、今日は不気味なほどに薄暗い。
間違いなく雨雲のせいなんだろうけど。
そういえば、夏の夕方はよく空が突然暗くなり始めて、夕立が降ったとおばあちゃんが言っていた。
ぼんやり空を眺めて、こんな風にすべてに恵まれているわけではない……おばあちゃんの言う頃の便利ではなかった世界に生まれていたらどうだったのだろう、などとやっぱり考えてしまった。
今は、不可能なことはほとんどないと言われている。
『アムル』さえ使いこなせれば、なんだってできるのだ。
でも、それさえもない時代に生まれていたら……ここまで優劣の差をはっきりと見せられて悩むことはなかったのかもしれない。
どうしてあんなにも星来は可愛いんだろう。
まぁ、そんなことを今更考えたって仕方がないのだけど。
美人でしぐさも洗練されていて、そりゃモテるに決まっている。
「はぁ……」
アキちゃんももう少しわたしの生活に興味を持って寄り添ってくれたっていいのに……とふと思ってしまい、あわてて頭を振る。
アキちゃんとは心友だ。
そんなアキちゃんに一瞬でもこんな感情を抱いてしまうなんて……自分だけでは何から何までうまくできないからって人のせいにして……ますます自分自身に自己嫌悪してしまう。
利害関係など望んではいけないのだ。
「傘、持ってないの?」
「えっ……」
突然話しかけられて、はっとする。
隣に星来が大好きな松岡くんが立っていたからだ。
日頃から笑顔を見せない整った顔に生真面目そうなメガネをかけており、右耳にはいつものように赤いイヤホンをしている。
なんだかんだで話したことはなかったし、なぜ突然話しかけられたかはわからないけど、久志以外の異性と話すのは苦手で萎縮してしまう。
「だ、大丈夫! すぐにやむと思うから」
昨日もそうだったし。
そう、とだけ言って、松岡くんも傘を持っていないのか、そのまま隣に立ち、空を見上げる。
(き、気まずい……)
先にいたのはわたしなのに、一刻も早くこの場から立ち去りたくなる。
今日は部活動がないのだろうか。
いや、引退している可能性も高い。
本当にどうでもいいことを一生懸命考えながら、もっと星来から聞いておけば良かった……などと考えたほどだ。
「あと五分もすれば雲が晴れるって」
「……え?」
突然口を開くものだから、ぎょっとする。
「えっ……あっ、そうなの? なんでわか……あっ」
彼が自身の耳に指をさしているため、察した。
「なんて名前なの?」
それが、彼の『アムル』のようだ。
「名前なんてないよ」
そういうものなんじゃないの?という目を向けられてまた会話が途切れてまた困惑する。
それならそれで構わない。
けど、毎日一緒に過ごしているのに名前がないなんて淋しくないのかな?なんて思うもわたしもアキちゃん以外のものに名前なんてつけていないから同じようなものかもしれない。
アキちゃんは会話ができるから、命ある特別なものだと思ってしまう自分がいた。
「う、うちのアムルはアキちゃんっていうの。お母さんとの約束で、学校のある日はおうちでお留守番をしてもらっているんだけど、それがまた自由なアムルでね」
あと五分弱。
このタイミングでいきなり立ち去るのも変だし、雨が止むまでの辛抱だと一生懸命話題をつなぐ。
近くに星来はいないものかとあたりを見渡すも、誰もいない。
委員会がある日は先に帰ってもらっているのだから当然といえばそうなのだけど。
こんなときに『アムル』があったらもっと円滑に会話を楽しめたのかもしれないのに、と思うとやっぱりまたため息が出た。
「安西《あんざい》は、どうしたの?」
「え?」
安西……は、星来?
「さ、先に帰ったんだと思うけど」
またしても唐突な問いに、本当に星来の言うように掴みどころのない人だと思う。
星来はこういうミステリアスなところに惹かれてしまうらしいのだけど、わたしはよくわからない。
(うん。ミステリアスと言われてみれば……そのとおりなのだけど)
「気づかなかったの?」
「え?」
きっと、要点を少しずつしか話さないから困惑してしまうのだろう。
一つ話して十悟れと。
頭のいい人の考え方なのだろう。
試すような言葉に、今度はわたしが彼のことを凝視する番だった。
「距離感を間違えないほうがいい」
「………」
「まぁ、俺が接してたのはあっちだから、どっちがどうとか言える筋合いもないけど」
それだけつぶやいて、彼は一歩前に出た。
雨が上がったからだ。
「距離って……」
まったく意味がわからない。
「ねっ、ねぇ! 松岡くん、それって……」
どういうことかと聞きたいのに、松岡くんはそのままこちらに背を向けて歩いていく。
もう話すことはないと言わんばかりだ。
「まつ……」
「春奈」
「えっ……」
後ろから星来の声がして振り返る。
「星来……」
ぞくっとした。
松岡くんとふたりでいたこと?
……ううん。そうじゃない。
なぜか寒気が止まらない。
「委員会、終わったんだ?」
帰ろっか。
星来はいつものように人懐っこい笑顔で近づいてきた。
松岡くんの言葉が頭をぐるぐる回る。
そして、今朝のアキちゃんの言葉も。
いろんな言葉が断片的に脳内をめぐり、蘇り始める。
「春奈?」
「……あなたは、誰?」
ずっと感じていた違和感は、言葉となって口から出ていた。
「あなた、星来じゃないでしょ?」
松岡くんの言うとおり、本当は気づいてなかったわけではない。



