お風呂を出てすぐリビングに向かうとお母さんがお父さんと電話をしているところだった。

 お父さんは単身赴任で県外にいるため、こうしてよくお仕事終わりにお母さんと話していることがある。

 お母さんのスマホからお父さんの映像がゆらゆら揺れて見える。

 安否確認も兼ねているらしいけど、映像の中のお父さんはどうやら元気そうで安心した。

 わたしが現れたのを見て、変わる?というジェスチャーをされるも特に話すことはないため、大丈夫という動作を返して、こちらを振り向くお父さんに手だけ振った。

 冷蔵庫から麦茶を取り出し、お気に入りのマグカップにそそぐ。

 さぁ、あとひと踏ん張りだ……なんて思いながら、ひんやりとしたお茶を体内に流し込み、誰が見ているわけでもなく永遠とひとりで話し続けるテレビの映像をぼんやり眺める。

 今日、突然降った夕立(あれはたしかにひどかった)のことから始まり、『アムル』で作られた女の子のキャラクターに恋をして結婚してしまった男性のお話、そして、人格を失ってしまった人……すなわち『脳機能が停止』した人が小さなマンションから運び出される映像が流れていた。

「こわいわねぇ」

 お父さんとの電話を終えたらしいお母さんが同じく画面を眺め、ぽつりとつぶやいていた。

 よくある映像だけど、自ら考えることを放棄してしまった人の末路をああして映像で永遠と流されるため、お母さんはそうなってしまうことを恐れて、子供たちはあまり長い時間『アムル』を使うことには反対らしい。

 自分自身をコントロールできるようになったうえで活用するのはいいそうなのだけど、そうでないうちは自分で考える時間も持ってほしいとよく言っている。献立や明日のお買い得情報まで、ことあるごとに『アムル』に相談しているお母さんこそ、自分自身をコントロールできているのかは謎であるが、そんなことは言えやしない。

 『アムル』ができてから、様々なことが変化したという。

 もちろん、写真や映像越しではあるものの死んだ人間をまるで生きた人間のように動かすことが叶うため、お葬式のときに故人からのメッセージがあったり、今まではあり得なかったことが当たり前になったのだと、おばあちゃんはテレビ番組を見るたび怯えていた。

 それくらい、今では『アムル』はわたしたちの身近な存在なのである。

 自分で考えることを忘れずに使い方さえ間違えなければ、とてもよい仲間なのである。

「あ……」

 自分で考える……ということで思い出したのは、わたしが今日更新すべく物語を楽しみにしてくれているアキちゃんのことで、彼女がリビングの『アムル』にリンクしてきて声高らかに苦言してくる前に、わたしは慌てて自室につながる階段をかけ上ったのだった。