「え、今日は私に会いに来てくれたんですか? 嬉しい、ありがとうございますー♡」

 夏休み某日。コスプレイベントの会場で、アイドルさながらのファンサービスを披露する黒川ひかりを、私は物陰から盗み見ていた。

 ……あいつ、イベントではいつもあーゆー風にファンサしてんのか? そりゃ客慣れもするよな。ミスコンで堂々としてたのも納得だわ。

 学校祭最終日に行われたミスコン。アイドル顔負けのパフォーマンスを披露した黒川は、見事にグランプリの座を勝ち取った。それも審査員満場一致でのグランプリという快挙だ。もしも学校祭の直後に夏休みが控えていなければ、黒川はしばらくのあいだまともな学校を送ることも叶わなかっただろう。

 慣れた様子でファンサービスをしていた黒川の視線が、唐突に私の方へと向いた。私はぎくりと肩を強張らせた。逃げ出すべきかどうかと考えるうちに、黒川は私の方へと歩み寄ってくる。そして物陰に顔をつっこんだかと思うと、低い声でささやいた。

「相原ー……こんなところで何してんだよ、てめぇ」
「うへ、えへへ」

 私はひたいに汗を流しながら曖昧に笑う。黒川は、そんな私の手首を強く引いた。

「さっさとこっち来いや。はるばる会いに来てくれたファンを待たせんじゃねぇよ」
「ふぁ⁉ いや、そのファンは黒川のファンであって私のファンではない……」
「つべこべ抜かすな。カプコスしてんだからどっちのファンとか関係ねぇんだよ。腹くくれボケ」

 今日も今日とて黒川の罵倒は小川のせせらぎのように滑らかだ。しかしいくら罵倒されたところでそう簡単に腹をくくれるはずもなく、私は「ひぇぇん」と泣き声をあげた。海兵をモチーフにした制服のすそが、視界の端でふわりと揺れる。

 ミスコン直後――私はステージ裏で黒川と話をした。黒川ひかりのオンステージを目の当たりにした高揚感と、ずっと黒川に八つ当たりしていた罪悪感に包まれながら。
 「俺に一言、言うことねぇ?」と黒川は尋ねてきた。その言葉の意図は「俺に一言謝罪しろ」ということだったのだと思う。しかし私は黒川に対して、自分でもびっくりするような言葉を口にしていた。

 ――私、あんたのことが好きなんだけど。付き合ってよ。

 罵倒混じりに断られるかと思いきや、黒川はあっさりと承諾した。

 ――別にいーけど。その代わり、イベントでカプコスすることが条件な。

 いや……OKすんじゃねぇよ。頭おかしいだろ。つーか私は何を血迷って黒川相手に告白してんだよ。黒川ひかりのオンステージを見て脳味噌がブットんだのか?
 自身の言動に狼狽しながらも、私はすぐに答えを見つけた。私は、どんな形でもいいから黒川のそばにいたかったのだ。人々の期待に応えながら生き生きと活動する黒川の姿を、1番近いところで見ていたかった。そうすれば私はほんの少しだけでも変われるかもしれない。周囲の人々の期待から逃げ続け、こじれにこじれてしまった人生をやり直すことができるかも。

 私と黒川は付き合うことになった。そして今日、黒川が出した『お付き合いの条件』に従い、私は人生で初めてのコスプレをしてイベントへと赴いてきたところだ。烏屋ユクネのコスプレをした黒川、伊崎ニノのコスプレをした私。ただコスプレをするというだけでも恥ずかしいのに、カップルコスプレという名称が恥ずかしさを助長させる。

「……うわぁー! やっぱり無理だぁー! 帰らせてくれぇー!」
「ふざけんなっつの。お前の化粧と髪のセットにどれだけ時間かけたと思ってんだ」
「やだー! のこのこ出てって『あの伊崎ニノはねーわ』って言われたら立ち直れねぇよー! どうせ誰も私に期待なんかしてないんだから、このまま帰らせてくれぇー!」

 私はじたばたと暴れるが、黒川は私の手首をしっかりと掴んで離さなかった。それどころか私にスマホの画面を見せつけてニヤッと笑った。

「それが結構、期待されてんだよ。俺の昨日の投稿、見てみ?」
「……え?」

 スマホの画面には、黒川ひかりのSNSのタイムラインが映し出されていた。投稿時間は昨日の21時、投稿内容はこうだ。『明日のコスイベでは黒魔女のカプコスをします♡ 最近つきあいはじめた彼女がコスプレデビューするよ! お楽しみに♡♡』
 
 いや待……え?

 その投稿はリアクション数が1万を超えていた。いわゆる万バズ状態というやつだ。コメント欄も大いに盛り上がっている。『黒川ひかりって実は男⁉ でもカプコス楽しみすぎてこの際どうでもいい!』『お付き合いおめでとうございますー!(祝祝)』『ちょっと仕事休んでカプコス見に行くわ』

「んな……な……なぁぁぁ……」

 目の前の出来事が衝撃的すぎて猫のように鳴いてしまった。顔が熱い。両手が小刻みに震えている。心臓がバクバク鳴っている。この気持ちは何だろう。必要以上の期待をかけられているという恐怖? いや違う。たくさんの人々に期待され、待ち望まれているという高揚感だ。

「わかったらとっとと行くぞ。無理にキャラ作りしろとは言わねぇけど、ある程度は伊崎ニノを意識して振る舞えよ。まぁ伊崎ニノは天真爛漫で無鉄砲な性格だから――わりとそのままイケそうではあるけど」

 黒川はこの状況が楽しくて仕方ないというように含み笑いを零した。
 黒川に手を引かれ、物陰から出た。たくさんの人々が首からカメラを提げて私たちのことを待っていた。金色の髪が揺れる。金髪で、無鉄砲で、ちょっと口が悪い。伊崎ニノはまるで私が演じるために作られたようなキャラだ。

 あえぐように息をする。
 涙をこらえて笑顔を作る。
 
 この日、黒川の隣で見た光景を、私は一生忘れない。  fin.