ミスコンが開催される予定の体育館には、多くの生徒たちが集まっていた。しらさぎ高校のNO.1美女を決めるこのミスコンは、学校祭最終日の目玉ともいえるステージイベントだ。
まだ一般公開の時間は終わっていないから、学生全員がこのイベントを見られるわけではない。しかし、手が空いている生徒は全員が体育館に集まっているのではないかと思うくらいの盛況ぶりだった。
私が体育館の隅っこで人波を眺めていると、目の前に鈴が現れた。スマホを片手に不満そうな表情を浮かべている。
「やっぱりここにいた。シフトが終わったら連絡してって言ったじゃん」
「……あ! わり、うっかりしてたわ」
慌ててポケットからスマホを取り出してみると、鈴から何件かの着信が入っていた。シフト中にマナーモードを設定し、そのままになっていたようだ。ま、別にいーけどさ、と言って鈴は私の横に並んだ。
「結局さ、黒川はミスコンに出るの?」
「実行委委員会から聞いた話だと出るっぽい」
「本人に確認はしてないんだ?」
「してねー……てか無理だろ。100%嫌がらせで推薦したんだし。話しかけたら真正面から刺されるわ」
「はは、言えてる」
肩を揺らして笑い、鈴は言葉を続けた。
「実は私、結構楽しみにしてんだよね。SNSに女装姿をあげてるってことは、黒川的に自信があるってことでしょ? クラスメイトが本気で女装した姿って普通に気になるわ」
そういう鈴の瞳は黒川への期待に輝いていて、私はいらだちを覚えた。
何でお前はこんな状況でも期待されてんだよ。根暗で冴えない猫かぶり野郎のくせに。黒川ひかりの姿になったって結局は見た目だけなんだから、ステージ上で恥かいて死ね。
ミスコンの出場者は、ただ美しければいいというわけではない。各出場者には自己アピールタイムが設けられており、審査員たちに自分の魅力をアピールしなければならないのだ。アピールタイムの使い方は出場者によって様々で、ダンスや新体操を披露する者もいれば、水着姿で審査員の心を掴みにくる者もいる。
しかしSNS上のコスプレ写真が評価されているだけの黒川が、他の出場者に劣らないだけの何かを披露できるとは到底思えなかった。
間もなくしてステージ上には司会者が現れ、ミスコンはつつがなく始まった。
エントリーナンバー1番は小柄な女子だった。目元がくりくりとしていて、愛嬌のある顔立ちをしている。鈴がこそっと私に話しかけてきた。
「あの子、うちの中学で有名だった子。顔は可愛いんだけど、愛美と戦えるくらい性格が悪い」
「おい、勝手に戦わせんな」
1人、また1人と出場者のアピールタイムが終わった。お世辞にも上手とはいえないダンスタイムが2度続き、観客がだれはじめたときのことだった。
唐突に、彼女はステージ上に姿を現した。腰まで流れた金色の髪、ぱっちりと大きな瞳と陶器のように白い肌、作り物のように細い手足。青と白を基調とした架空の制服に身を包んだ黒川ひかりが。
「あれって……『黒魔女』の伊崎ニノじゃね?」
「え、コスプレ出場ってこと? 完成度たっか」
「あれ、何組の奴? ちょっとパンフレット見てみて」
ざわざわと色めき立つ観客たち。私は我を忘れて立ち尽くした。
――あの野郎、やりやがった。
そうかもしれないと予想はしていたが、まさか本当に黒川ひかりの姿でステージにあがるなんて。それも『黒魔女』の主人公である伊崎ニノのコスプレをして。
髪も服も黒のイメージが強い烏屋ユクネとは対照的に、伊崎ニノは主人公らしく派手な見た目をしている。髪は金色だし、定番衣装は海兵モチーフのセーラー服だ。ステージ映えを狙うなら、間違いなく烏屋ユクネよりも伊崎ニノだということ。
いやいや……いくらステージ映えしたって駄目だろ! その格好で何をするつもりなんだよ! 黒川ひかりといえども、審査員たちにアピールできなきゃ出オチで終わり――
瞬間、黒川ひかりはマイクを持ち上げた。まるで自分の立っている場所が世界の中心だとでもいうように、見る者を魅了する満面の笑顔を浮かべて。
「みなさん、こんにちはー♡ 3年1組の黒川光こと、コスプレイヤーの黒川ひかりです! 今日はよろしくー♡♡」
マイク音の余韻が消える頃には、会場は水を打ったように静まり返った。痛いほどの静寂だ。しかし静寂は徐々に興奮へと塗り替えられていく。興奮と好奇心と羨望と、様々な感情がごちゃまぜとなって会場を包み込んでいく。
「うわー! やっべぇ、3年の黒川って何者⁉⁉」
「待って待って、黒川ひかり知ってるんだけど! コスプレ写真バズってた!」
「動画撮った方がいいって、絶対!」
喧噪の中、私はまばたきをすることもできずに茫然と立ち尽くしていた。隣から「愛美……これどゆこと?」と鈴の声がするが、答える気力はなかった。
あいつ……こんなこともできんの? ステージ上でファンサできるとか聞いてないんだけど。出オチどころか有り得ないくらい盛り上がってんだけど。完全に、私の方がしてやられた感じになってんじゃん。
会場中から注がれる期待の眼差しをものともせずに黒川ひかりは笑う。
「SNSに他のコスプレ写真ものせてるので、興味がある人は見てみてね♡ じゃあアピールタイムいっちゃいます! 『黒魔女』のOP主題歌より『フォルス・エデン』、歌は苦手だから口パクだけど許してねー♡♡」
黒川ひかりの合図とともに、ステージ上のスピーカーからは軽快な音楽が流れ出す。つい最近、アニメ公式サイトから発表されたばかりOP主題歌だ。黒川ひかりはマイクを口元にあて、本当に自分が歌っているのだと言わんばかりに身体を揺らした。アイドル顔負けのパフォーマンスだ。
――ああ……かっけーな。
ステージ上の黒川ひかりを見ていると目頭が熱くなった。黒川に対する恨みも、憤りも、もう全て忘れてしまった。
私は黒川ひかりが好きだ。現実と創作の境界があいまいになるほど美しいコスプレをする黒川ひかりが好きだ。原作を愛し、コスプレを愛する黒川ひかりが好きだ。逆境をものともせずに観客を魅了する黒川ひかりが好きだ。
でも好きと嫌いは表裏一体だ。憧れと妬みはいつでも踏み越えられる場所にある。私は黒川ひかりに憧れ、そして同時に妬んでいた。誰かに必要とされていることを、愛されていることを、期待されていることを、そしてそれを楽しいと思える心を妬んでいた。だってそれは私が捨ててしまったものだから。
私は黒川光が嫌いだ。だって彼はもう一人の黒川ひかりだから。黒川ひかりに向けられない妬みの感情を、私は身勝手にも黒川光へと向けていた。ささいな衝突を言いがかりにして。
――ああ……悔しーな。
認めると涙が零れてきた。結局、私は自分が持たないものを羨んでいただけだ。私は周囲の人々に期待されることが嫌で、期待されることから逃げ出した。もしもあのとき逃げ出さなければ、意気地にならずどこかで元の私に戻っていれば、今の私はもっと輝いていたかもしれないのに。黒川ひかりのように、黒川光のように。
「……羨ましーな」
つぶやきは熱狂に飲み込まれて消えた。
◇
アピールタイムを終えた黒川は、たくさんの声援に背中を押されてステージから退場した。
私はそうなることを見越し、ステージ裏の出入り口で黒川のことを待ち構えていた。目的は――よくわからない。ただ漠然と、直接会って話をしたいと思っただけ。
「……っす」
私が控えめに右手をあげると、黒川はにんまりと嫌味たらしく笑った。
「見たか、ざまぁみろ」
見たっつーの。失神するかと思ったわ。何で今まであんな大技隠してたんだよ。もうそれで食ってけよ。つーか高校中に正体バラしてどうすんだよ。後先のこと考えてんのかよ。
いろいろな思いが頭に浮かんだが、胸がいっぱいで言葉にならなかった。私の沈黙をどう捉えたのだろう。黒川は私の顔を覗き込みながら、わかりやすく挑発してきた。
「相原ぁ。お前のせいで死ぬほど大変な思いをしたんだけど。コスプレ衣装とパレード衣装のダブルワークになるし、黒魔女OP曲の使用許可も取らなきゃならなかったし。なーんか俺に一言、言うことねぇ?」
間近にある黒川の顔は息を呑むくらい美しかった。初めて黒川ひかりのコスプレ写真を見たあの日のように、気分が高揚して幸福感に包まれる。
私が黒川に伝えなければならないことは、ずっと前からたった一つしかないのだ。
「私――……」
まだ一般公開の時間は終わっていないから、学生全員がこのイベントを見られるわけではない。しかし、手が空いている生徒は全員が体育館に集まっているのではないかと思うくらいの盛況ぶりだった。
私が体育館の隅っこで人波を眺めていると、目の前に鈴が現れた。スマホを片手に不満そうな表情を浮かべている。
「やっぱりここにいた。シフトが終わったら連絡してって言ったじゃん」
「……あ! わり、うっかりしてたわ」
慌ててポケットからスマホを取り出してみると、鈴から何件かの着信が入っていた。シフト中にマナーモードを設定し、そのままになっていたようだ。ま、別にいーけどさ、と言って鈴は私の横に並んだ。
「結局さ、黒川はミスコンに出るの?」
「実行委委員会から聞いた話だと出るっぽい」
「本人に確認はしてないんだ?」
「してねー……てか無理だろ。100%嫌がらせで推薦したんだし。話しかけたら真正面から刺されるわ」
「はは、言えてる」
肩を揺らして笑い、鈴は言葉を続けた。
「実は私、結構楽しみにしてんだよね。SNSに女装姿をあげてるってことは、黒川的に自信があるってことでしょ? クラスメイトが本気で女装した姿って普通に気になるわ」
そういう鈴の瞳は黒川への期待に輝いていて、私はいらだちを覚えた。
何でお前はこんな状況でも期待されてんだよ。根暗で冴えない猫かぶり野郎のくせに。黒川ひかりの姿になったって結局は見た目だけなんだから、ステージ上で恥かいて死ね。
ミスコンの出場者は、ただ美しければいいというわけではない。各出場者には自己アピールタイムが設けられており、審査員たちに自分の魅力をアピールしなければならないのだ。アピールタイムの使い方は出場者によって様々で、ダンスや新体操を披露する者もいれば、水着姿で審査員の心を掴みにくる者もいる。
しかしSNS上のコスプレ写真が評価されているだけの黒川が、他の出場者に劣らないだけの何かを披露できるとは到底思えなかった。
間もなくしてステージ上には司会者が現れ、ミスコンはつつがなく始まった。
エントリーナンバー1番は小柄な女子だった。目元がくりくりとしていて、愛嬌のある顔立ちをしている。鈴がこそっと私に話しかけてきた。
「あの子、うちの中学で有名だった子。顔は可愛いんだけど、愛美と戦えるくらい性格が悪い」
「おい、勝手に戦わせんな」
1人、また1人と出場者のアピールタイムが終わった。お世辞にも上手とはいえないダンスタイムが2度続き、観客がだれはじめたときのことだった。
唐突に、彼女はステージ上に姿を現した。腰まで流れた金色の髪、ぱっちりと大きな瞳と陶器のように白い肌、作り物のように細い手足。青と白を基調とした架空の制服に身を包んだ黒川ひかりが。
「あれって……『黒魔女』の伊崎ニノじゃね?」
「え、コスプレ出場ってこと? 完成度たっか」
「あれ、何組の奴? ちょっとパンフレット見てみて」
ざわざわと色めき立つ観客たち。私は我を忘れて立ち尽くした。
――あの野郎、やりやがった。
そうかもしれないと予想はしていたが、まさか本当に黒川ひかりの姿でステージにあがるなんて。それも『黒魔女』の主人公である伊崎ニノのコスプレをして。
髪も服も黒のイメージが強い烏屋ユクネとは対照的に、伊崎ニノは主人公らしく派手な見た目をしている。髪は金色だし、定番衣装は海兵モチーフのセーラー服だ。ステージ映えを狙うなら、間違いなく烏屋ユクネよりも伊崎ニノだということ。
いやいや……いくらステージ映えしたって駄目だろ! その格好で何をするつもりなんだよ! 黒川ひかりといえども、審査員たちにアピールできなきゃ出オチで終わり――
瞬間、黒川ひかりはマイクを持ち上げた。まるで自分の立っている場所が世界の中心だとでもいうように、見る者を魅了する満面の笑顔を浮かべて。
「みなさん、こんにちはー♡ 3年1組の黒川光こと、コスプレイヤーの黒川ひかりです! 今日はよろしくー♡♡」
マイク音の余韻が消える頃には、会場は水を打ったように静まり返った。痛いほどの静寂だ。しかし静寂は徐々に興奮へと塗り替えられていく。興奮と好奇心と羨望と、様々な感情がごちゃまぜとなって会場を包み込んでいく。
「うわー! やっべぇ、3年の黒川って何者⁉⁉」
「待って待って、黒川ひかり知ってるんだけど! コスプレ写真バズってた!」
「動画撮った方がいいって、絶対!」
喧噪の中、私はまばたきをすることもできずに茫然と立ち尽くしていた。隣から「愛美……これどゆこと?」と鈴の声がするが、答える気力はなかった。
あいつ……こんなこともできんの? ステージ上でファンサできるとか聞いてないんだけど。出オチどころか有り得ないくらい盛り上がってんだけど。完全に、私の方がしてやられた感じになってんじゃん。
会場中から注がれる期待の眼差しをものともせずに黒川ひかりは笑う。
「SNSに他のコスプレ写真ものせてるので、興味がある人は見てみてね♡ じゃあアピールタイムいっちゃいます! 『黒魔女』のOP主題歌より『フォルス・エデン』、歌は苦手だから口パクだけど許してねー♡♡」
黒川ひかりの合図とともに、ステージ上のスピーカーからは軽快な音楽が流れ出す。つい最近、アニメ公式サイトから発表されたばかりOP主題歌だ。黒川ひかりはマイクを口元にあて、本当に自分が歌っているのだと言わんばかりに身体を揺らした。アイドル顔負けのパフォーマンスだ。
――ああ……かっけーな。
ステージ上の黒川ひかりを見ていると目頭が熱くなった。黒川に対する恨みも、憤りも、もう全て忘れてしまった。
私は黒川ひかりが好きだ。現実と創作の境界があいまいになるほど美しいコスプレをする黒川ひかりが好きだ。原作を愛し、コスプレを愛する黒川ひかりが好きだ。逆境をものともせずに観客を魅了する黒川ひかりが好きだ。
でも好きと嫌いは表裏一体だ。憧れと妬みはいつでも踏み越えられる場所にある。私は黒川ひかりに憧れ、そして同時に妬んでいた。誰かに必要とされていることを、愛されていることを、期待されていることを、そしてそれを楽しいと思える心を妬んでいた。だってそれは私が捨ててしまったものだから。
私は黒川光が嫌いだ。だって彼はもう一人の黒川ひかりだから。黒川ひかりに向けられない妬みの感情を、私は身勝手にも黒川光へと向けていた。ささいな衝突を言いがかりにして。
――ああ……悔しーな。
認めると涙が零れてきた。結局、私は自分が持たないものを羨んでいただけだ。私は周囲の人々に期待されることが嫌で、期待されることから逃げ出した。もしもあのとき逃げ出さなければ、意気地にならずどこかで元の私に戻っていれば、今の私はもっと輝いていたかもしれないのに。黒川ひかりのように、黒川光のように。
「……羨ましーな」
つぶやきは熱狂に飲み込まれて消えた。
◇
アピールタイムを終えた黒川は、たくさんの声援に背中を押されてステージから退場した。
私はそうなることを見越し、ステージ裏の出入り口で黒川のことを待ち構えていた。目的は――よくわからない。ただ漠然と、直接会って話をしたいと思っただけ。
「……っす」
私が控えめに右手をあげると、黒川はにんまりと嫌味たらしく笑った。
「見たか、ざまぁみろ」
見たっつーの。失神するかと思ったわ。何で今まであんな大技隠してたんだよ。もうそれで食ってけよ。つーか高校中に正体バラしてどうすんだよ。後先のこと考えてんのかよ。
いろいろな思いが頭に浮かんだが、胸がいっぱいで言葉にならなかった。私の沈黙をどう捉えたのだろう。黒川は私の顔を覗き込みながら、わかりやすく挑発してきた。
「相原ぁ。お前のせいで死ぬほど大変な思いをしたんだけど。コスプレ衣装とパレード衣装のダブルワークになるし、黒魔女OP曲の使用許可も取らなきゃならなかったし。なーんか俺に一言、言うことねぇ?」
間近にある黒川の顔は息を呑むくらい美しかった。初めて黒川ひかりのコスプレ写真を見たあの日のように、気分が高揚して幸福感に包まれる。
私が黒川に伝えなければならないことは、ずっと前からたった一つしかないのだ。
「私――……」



