手芸店での一件以来、黒川とは何も話さないまま6月も中頃を迎えた。
 この頃になると、しらさぎ高校は学校祭の準備で盛り上がりを見せ始めた。しらさぎ高校の学校祭は、毎年夏休みの直前に開催される。学生にとっては一世一代の大イベントだ。

 放課後の多目的室で、私はだらだらとを折り紙を折っていた。
 しらさぎ高校の学校祭では、生徒たちが3つの部隊に分かれて準備を進めることが習わしとなっている。学校祭初日の仮装パレードの準備をする『パレード隊』、学校祭2日目のクラス企画の準備をする『企画隊』、そして垂れ幕やクラス展示といった展示物の準備をする『展示隊』、の3つだ。
 この3つの部隊の中で、私が所属しているのは『展示隊』。ギャル仲間の鈴と花音も同じ展示隊だ。

「ねぇねぇ。マッキーってどこの部門で使ってるかわかる?」
「えー、どこだろ。企画隊かな?」

 2人のクラスメイトの会話が耳に流れ込んできた。

「使いたいんだけど、手が離せないから借りてきてもらっていい?」
「私も今は無理だなぁ。誰か、手が空いている人いない?」

 募集をかけられるや否や、私はさっと手をあげた。

「私、行ってくるわ」

 まさか私が手をあげるとは思っていなかったのだろう。クラスメイトは恐れおののいたような表情を浮かべ、ぶるぶると首を横に振った。

「相原さんっ……いーよいーよ! もう少ししたら手が空くから、そしたら私が行ってくるから!」

 いやいや、何でそんなかたくなに遠慮すんだよ。私が自分で行くっつってんだから別にいーじゃん。後から呼び出してシメたりしねぇわ。
 こういうとき周囲から怖がられている人種はつらい。私は大げさに伸びをして立ち上がった。

「座りっぱなしで腰が痛ぇんだわ。ちょっと休憩させて」
「あ……うん。そういうことならよろしくお願いします……」

 幸いにもクラスメイトは大人しく引き下がったので、私はぐるぐると手首を回しながら多目的室を出た。

 廊下を歩いていると、荷物を抱えたたくさんの生徒とすれ違った。学校祭という特別なイベントを前にして、学校全体が浮き足立っている。そんな状況に置かれていても、私は少しもわくわくできなかった。理由はわかっている。黒川のことが気にかかるからだ。あの日、手芸店で言われた言葉は、私の胸に深く突き刺さったまま。
 ――たまにいんだよね、面倒な絡みをして気を引こうとする奴。そんなことしても害悪認定されるだけだってこと、何でわかんねぇんだろな?

 私は黒川が嫌いだ。だから黒川に嫌われること自体は痛くも痒くもない。
 しかし黒川ひかりに言われたとなると話は変わってくる。私は黒川ひかりが好きで、ファンとして一途に彼女を崇拝している。だから黒川ひかりに「お前は害悪なファンだ」と言われることは、ファンの資格を剥奪されてしまったようで苦しかった。

 玄関口に差しかかったとき、偶然にも黒川と鉢合わせた。私は気まずさを感じながらも、あえて軽い調子で挨拶をした。変に下手に出るのは私らしくないと思ったから。

「よーっす」
「……っす」

 黒川は小さな声で返事をした。私を避けようとする様子はなく、いつもの猫かぶりの黒川だ。私は少し安心した。
 黒川の周囲には何人かのクラスメイトがいて、全員が大きな紙袋を下げていた。学校祭の準備に使う道具を買いに行っていたところなのだろう。みなが固唾を呑んで私と黒川のやりとりを見守っている。
 
 ……そんな怯えなくてもいきなり黒川に殴りかかったりしねぇわ。私のこと、猛獣か何かだと思ってんのか?
 しかし全ては自分の日頃の行いが悪いがゆえ。彼らの態度に文句を言うことはできないのだ。

「……じゃあもう行くから。衣装、作んなきゃなんねぇし」

 ぼそぼそと小さな声でそう言うと、黒川は私の真横をすりぬけた。すれ違いざま、黒川が持つ紙袋の中身がちらっと見えた。布とミシン糸だ。『駅前の手芸屋さん』で買ってきた物だとすぐにわかった。

「黒川、パレード隊だったのか。まぁ、そういうの得意だもんな」

 特に深い意味もなく言った言葉だった。パレード隊のメインとなる仕事は、仮装パレードで着る衣装を作ること。コスプレ衣装を自作する黒川にとって、これ以上の適役はない――それくらいの軽い気持ちで言った言葉だったのだが。

「黒川くんって、裁縫得意なの?」
「手芸部には入ってないよね? 趣味で何か作ったりしてるの?」

 黒川の周囲にいた何人かのクラスメイトが、私の発言に興味を持ったようだった。失言だったか、と少し焦る。黒川はクラスの中で存在が危ぶまれるほど地味で目立たない存在だ。そんな冴えない男が実は裁縫を趣味にしていると知ったら、私でも詳しいことを訊きたくなってしまうだろう。

 はらはらしながら黒川の顔を盗み見る。いつものように睨みつけられているかと思いきや、黒川は私の方を見ようともせずさらりと言った。

「姉貴が服飾系の仕事してるから、ときどき教えてもらってる」
「そうなんだー、お姉さんいくつ?」
「……23」

 そんなやりとりをしながら、黒川とクラスメイトたちは教室の方へと向かって行った。黒川がうまく躱してくれてよかったと胸を撫で下ろしながら、私はマッキーを求めてまた歩き出した。

 企画隊からマッキーを借りて多目的室へ戻ると、花音と鈴の姿があった。クラス展示に必要な道具を買いに出ていたはずだが、私が席を外しているあいだに帰ってきたようだ。
 声をかけるために口を開いた。そのとき、ポケットのスマホがブブッと鳴った。

「……ん?」

 ロック画面には思いがけない通知が届いていた。『黒川ひかりさんからDMが届いています』つまり黒川ひかりから、SNSを通して私個人宛てにメッセージが届いたということだ。

 ……え、どういうこと?
 私はおそるおそる黒川ひかりから届いたDMを開いた。送られてきたメッセージはたった二文字――『死ね』

「…………っやかましいわ! お前が死ね!」

 怒りのあまりスマホを叩き壊してしまいそうになった。
 さっき私が口を滑らせたこと根に持ってやがんな⁉ だとしても暴言を吐くために黒川ひかりのアカウントを使うんじゃねぇ! ひらがな二文字くらい直接伝えてこいや!

「愛美、どうしたの?」

 鈴が怪訝な面持ちで話しかけてきた。隣には花音の姿もある。私はギリギリとスマホを握りしめながら、鈴と花音に抱きついた。

「うわぁぁぁん! 鈴、花音、私を助けろ! ムカつきすぎて頭が沸騰しそうだよぉぉ!!」
「お、何だ何だ」
「どうしたのぉ?」

 それから私は多目的室の隅っこに座り込んで、鈴と花音にイライラの原因を語った。語った、と言っても黒川ひかりと黒川の繋がりを明かすわけにはいかないから、私が話したことといえば『うっかり黒川の秘密を漏らしそうになったら暴言を吐かれた』とただそれだけ。
 鈴と花音は、いまいち腑に落ちないという表情で私のことを見つめた。
 
「それは、秘密を漏らしそうになった愛美が悪いんじゃないのぉ?」
「前に黒川のことパシろうとしてたよね? 暴言吐かれても仕方ないんじゃない?」

 そう口々に言われてしまえば、私は言い返すことができなかった。
 ううう……そんなことわかってるっつーの。確かに私が悪いんだよ。でもムカつくもんはムカつくんだよぉ!
 
 感情の発散先が見つからずガシガシ頭を掻き乱していると、鈴が声の調子を変えて尋ねてきた。

「ちなみにだけどさぁ……黒川の秘密って何なの? ここまで引っ張られると気になるんだけど」
「あ、それ、あたしも気になるぅ」

 花音も同調したので、私は頭を掻き乱すのを止めて考え込んだ。他人の秘密をバラすのはいけないことだと理解しながらも、少しくらい鬱憤を晴らしても大丈夫だろうと悪魔がささやいた。

「……黒川の奴、女装した写真をSNS上にあげてんだよ。フォロワーにちやほやされて喜んでんの」

 結局、私は悪魔のささやきに負けた。鈴と花音の驚いた顔を見ると、黒川に対するイライラが少しだけ治まった気がした。

「えー! 女装写真⁉ 人は見かけによらないねぇ」

 と花音。

「へー、そんなことしてんだ。でも言われてみれば似合いそう。黒川、普通にイケメンだよね? 体育のときに素顔を見たことあるけど」

 と鈴。

 ……黒川はイケメン? イケメンか? 黒川ひかりは神がかって綺麗だけど、黒川の顔がどうかなんて考えたこともなかったな。

 何はともあれ、鈴と花音に黒川の秘密を話したことで頭はいくらか冷静になった。だからといって『害悪ファン』呼ばわりされたショックや、DMで暴言を送りつけられた鬱憤をそう簡単に忘れられるはずはないのだが。
 溜息を吐くと、無意識に本音が零れてしまう。

「あー……一泡吹かせてやりてぇ」

 鈴が小首をかしげた。

「一泡って、黒川に?」
「そう。『今回は俺の負けです相原様ごめんなさい』って言わせてぇ」
「無茶苦茶だな」

 鈴は呆れたような表情を浮かべるが、意外にも花音は乗り気だった。甘いメイクをほどこした顔に小悪魔のような微笑を浮かべ、私の耳元でささやく。

「じゃあこういうのはどぉ? 学校祭のときにさ――」