スクールカーストが顔面偏差値で決まるだなんて嘘だ。もし本当に可愛さだけで決まるなら私がミサの友達でいられるはずがない。
 ミサは私と違って可愛い。チアリーディング部に所属してちやほやされているルイやナツキより、ずっと可愛い。可愛さとスクールカーストの因果関係は逆ではないかと思う。スクールカーストの高い子が、可愛いと認識されて異性にモテる。
 友達はお互いだけ。クラスの半分以上の子とはしゃべることなく1年を終える。それでも、ミサがいればそれで良かった。

 あれは七歳くらいの頃のこと。意地悪な男の子に、よく泣かされていた。理由は、「ブスが泣くと面白いから」だって。
 あの頃の私はバカだったから、いじめっ子の言うことも馬鹿正直に信じていた。
「知ってるかー?紫の鏡って言葉を二十歳まで覚えてたら呪いで死ぬんだって。はいっ、今教えたから、横山吹雪は死にましたー!」
 言葉を覚えてるだけで死ぬなんて、こんな馬鹿な話があるわけないのに、信じ込んで泣いて、それが面白いからってエスカレートして。それの繰り返しだった。
「助けて、ミサ、死んじゃう」
「大丈夫だよ、吹雪」
 助けてくれたのはミサだった。
「呪いを解く方法がないと、教えたあの子たちだって死んじゃうでしょ? だから、呪いを解く方法があるんだよ。「水色の鏡」って言葉を覚えたら、上書きすることになるから、死ななくなるんだよ」
 「水色の鏡」を覚えているかどうかにかかわらず、死ぬわけがないのだけど、あの時のミサは紛れもなく私のヒーローだった。

 中学に入っても、私たちがスクールカーストを駆け上がるなんて奇跡は起こらない。高校受験で、今までとメンバーが変わったところで高校デビューできるわけもなく、今までと同じような教室の隅で過ごす日々が続いた。
 ミサと二人でお弁当を食べたお昼休みは大切な思い出。体育の時間、余り者同士で組んでいると嘲笑されたけれど、「吹雪が好きだから一緒にいるのにね」と無邪気に笑うミサが大好きだった。
 教室でギャーギャー恋の話に興じる人たちが嫌いだった。ミサも恋には興味がないと言っていた。なのに、大学生活はおかしなことになってしまった。

 優紫先輩の第一印象は、胡散臭い男。見るからに女慣れしていそうだと思った。ミサはその毒牙にかかってしまった。誰がどう見ても、ミサは優紫先輩と付き合っているのに、ミサは私に教えてはくれなかった。ミサが離れていってしまうようでさみしかった。それでも、ミサが幸せならそれでいいと自分に言い聞かせた。
 一ヶ月以上して、ようやく優紫先輩と付き合っていると教えてくれた。ようやくミサが打ち明けてくれてほっとした。ちょうどその頃、優紫先輩の悪い噂を耳にするようになった。全体的に男女関係にだらしない人が多いサークルだけど、優紫先輩のエピソードはクズとしか言いようがなかった。私たちが入学する少し前に、部内の女の子を妊娠させて捨てたらしい。その噂はミサの耳にも入った。
 ミサは「あの人がそんなことするわけない、酷い噂を流してる人を許さない」と本気で怒っていた。噂はすぐに鎮火した。部内唯一と言ってもいい真面目な男の人である部長がはっきりと悪質なデマだと否定したから。でも、私の目から見たら優紫先輩はそういうことを平気でしそうな人に見えた。口にはしなかったけれど。
 みんなが悪い噂を忘れた頃、ミサが急に腰まである長い髪をばっさり切った。失恋と思いきやその真逆だった。優紫先輩の好みに合わせるためらしい。ミサの長い黒髪、好きだったのにな、なんて言えなかった。ミサはどんどんきらびやかな服装とメイクになっていく。彼氏持ち補正もあって、ミサが可愛いとみんなが言い始めた。今更気づいたのか、ミサは昔から可愛かったよ。心の中で見る目のない群衆に対して毒づいた。
 年明け、ダーツ大会の会場付近の駅でミサを見つけたと思って声をかけたら西村彩希葉だった。彼女はミサと同じ紫のコートを着ていた。彼女のことは部の公式SNSの二年前の投稿で何度か見たことがある。部員数人による宅飲みも個人情報が特定されない範囲で載せる風習があったので、この人の家でも女子会と称した宅飲みをしていた画像があった。ミサの家にあった昔流行ったキャラのぬいぐるみと同じぬいぐるみがいつも映っていた。
「すみません、人違いでした」
 西村彩希葉。私が嫌悪する陽キャの権化。サークル紹介冊子の付録に、ミス麗宝のインタビュー記事が載っていた。
「ここだけの話なんですけど、小さい頃から、ぬいぐるみがないと眠れないんですよ。あと、ぬいぐるみってどの子も愛着あるから、部屋が狭くなるって分かってても実家から全員連れてきちゃいまして」
 あざとい女だと思った。忙しさを理由に普段サークルに全然来ないくせに、大会の時だけ来て、それでいて大会では好成績を収めて、打ち上げではちやほやされる。そういうところも全部大嫌いだった。
 ミサにはたくさんの友達が出来て毎日楽しそうだ。しゃべり方も自信に満ちあふれていてかっこいい。クリスマスに先輩にもらったと言っていた紫のコートは西村彩希葉が着ていたものに似ていた。とても似合っていた。サークルに未だにうまく馴染めていない私と違って一部の同期に「彩希葉2世」というあだ名をもらっていつも、みんなの中心にいる。サークル以外でも毎日忙しそうなミサは、色々なグループに所属して遊んでいる。でも、SNSを見る限り2人で遊ぶのは私とだけだ。髪の色や着飾り方がどんなに変わっても、昔と変わらない笑顔を私に向けてくれる。仄暗い独占欲はそれだけで満たされていた。
 優紫先輩は何でもない日にミサにおしゃれで高価なプレゼントをするような人なのに、三月の終わり、十九歳の誕生日プレゼントにかぎってセンスの悪い安物のペンダントだった。時代遅れなデザインの紫色の万華鏡のペンダント。安っぽくて玩具みたいだった。そもそも都市伝説の「紫の鏡」みたいでめちゃくちゃ縁起が悪い。でも、ミサは喜んでいたから、水を差すのはやめておいた。
 ミサが少しずつ塗りつぶされて、十年来の親友の私ですら遠目では見間違えるほどに西村彩希葉に変わっていく。内心嫌だ。でもミサはミサだ。

 二年生の五月。ダーツの大学生大会があった。ハコが小さいせいでレーティングでの足切りがあり、私は出場できなかった。ミサの応援に行きたかったけれど、残念ながら見学禁止だったので行けなかった。
 週明けに学内の各所で噂話を聞いた。西村彩希葉がダーツの大会で元カレ公開告白を受けたがバッサリ振ったらしい。ミサ以外に友達のいない私でも、学食や教室の隣の席で誰かが話しているのを少なくとも三回は聞いた。西村彩希葉以外の個人名は出て来なかったけど、ゴシップに盛り上がってみんなヒマなんだなと思った。

「ねえ、何か聞いてたりしなーい?」
「私たち水彩都のこと心配でぇ」
 ある日、ルイとナツキが笑いながら私に聞いてきた。何事かと聞くと、「ええー、ダーツサークルなのに知らないのぉ?」と馬鹿にしながら楽しそうに話してきた。
「水彩都の彼氏が彩希葉先輩に公開告白したんだってぇ」
「十五年間ずっと好きで今でも忘れられないって言ったんだってぇ、水彩都、完全に弄ばれてるよねぇ」
「やばいよねー」
 私は何も知らなかった。まさか公開告白をした元カレとやらがあいつだなんて思わなかった。サークル内でもその話で持ちきりだった。ミサと優紫先輩が部室に入ってくると水を打ったように静かになり、部長がわざと明るい声で「さあ、活動始めるぞー!」と言った。
 数日後の日曜日の朝、ミサが泣きながら電話してきた。
「好きな人が出来たから別れようって言われた」
 出来た、じゃないだろ。最初からずっと西村彩希葉が好きだったんだろ。ミサを西村彩希葉の代わりにしたんだろ。稀代の大嘘つきは振るときでさえ、ミサに嘘をついた。ミサはクソ男を問い詰めることはしなかった。
「優紫が彩希葉先輩に告白した現場、見てた。でも、優紫フラてたし、その場に人いっぱいいたから見なかったことにすれば、なかったことに出来ると思った」
 許さない。優紫先輩も、面白半分にミサを傷つけた野次馬たちも。
「私のところに戻ってきてくれるならそれで良かった。彩希葉先輩の代わりでも良かった。付き合い続けてれば、いつかまた本当に愛してくれるって思った」
 偽りの愛を求めて泣き続けるミサに私は何も出来なかった。

 ミサはスクールカーストの一軍から転落した。ダーツ部に全く関係ないはずの内部生のグループラインでも、ミサの彼氏がミスキャンパスに告白して玉砕したとミサを名指しで騒ぎ立てて、みんなが面白がった。ハタチにもなって、中学生みたいに他人の恋愛を昼ドラ感覚で楽しむのがマジョリティならこの世界は間違っている。間違っている人たちによって構成された世界で、ミサは好奇の目にさらされた。
 「彩希葉2世って言うより偽彩希葉じゃん」とふざけた馬鹿に、私は激高して相手を怒鳴りつけた。もともと私は陰で「水彩都にくっついてる犬」と言われていたのは知っている。ミサを傷つける人たちに噛みついていたらいつしか私は「狂犬」と呼ばれるようになっていた。私はミサの番犬。ミサをいじめるやつは喉を噛みちぎって殺してやる。
 優紫先輩を白眼視する人が二割、やるじゃんモテ男ともてはやす馬鹿な男が一割、ゴシップを面白がるパパラッチもどきが七割。SNSや匿名掲示板によると、面の皮の厚いあの男は西村彩希葉を口説き続けたらしい。しかも、あの男は去年も女絡みでやらかしていたとか。
 ミサは気まずくなったのかサークルに顔を出さなくなった。ミサが行かないなら私も行かない。元々入るつもりもなかったし。

 みんながくだらない噂話に飽きた頃、あの屑はまた余計なことをした。西村彩希葉を被写体にした写真が何かの小さな賞を取った。どうか、このニュースがミサの耳に入りませんようにと願った。
 そして、昨日ミサからラインが来た。
「優紫先輩の子を妊娠しました。駆け落ちします」
 意味が分からなかった。何度電話をかけても繋がらない。しかも、今日は部室で追いコンがあるらしく、優紫先輩は出席に丸をつけている。
 部室に行くと、入口のあたりで後輩たちに囲まれて暢気にお酒を飲む優紫先輩の姿があった。どこまで腐っているんだと思った。ミサと駆け落ちするんじゃないのか。またミサを騙したのか。
「私の親友たぶらかしてんじゃねーよ!」
 優男の仮面をかぶった悪魔をグーで思いっきり殴った。
「十八歳の女の子弄んで楽しかったかよ! 何も知らない純粋な子を騙して、それが大人のやることかよ!」
 汚い口調で罵倒しながら殴り続けた。生まれて初めて人を殴った。優紫先輩は私を殴り返さなかった。私は一つ上の男の先輩たちに二人がかりで制止された。誰かが「またかよ、いい加減にしろよ」と呟いた。
 この一連の騒動を、部室の奥の方で飲んでいた西村彩希葉も遠巻きに見ていた。彼女の左手の薬指には、大きなダイヤの指輪が光っていた。
 優紫先輩が口を開く。
「悪かったとは思ってるけどさ、十ヶ月以上も前のこと今更言われても困る」
「振っておいて、またミサの未練を利用して、元カノの代わりにしたんじゃないんですか」
「どうせ変な噂話だろ。俺は知らない。水彩都がサークルに来なくなってから、一度も連絡とってないよ。元カノとかいちいち言うなよ。関係ないだろ」
 妊娠は嘘で、駆け落ちも嘘で、なのにミサは失踪した。ミサは死ぬつもりかもしれない。ミサは明日で二十歳、「紫の鏡」を覚えていたら死んじゃう年齢。ミサにとっての「紫の鏡」は言葉じゃなくて、「叶わなかったクズ男との初恋」なんだ。普通なら忘れて前に進むようなものを、ミサは優しいいい子だから忘れられずに苦しんじゃうんだ。
 ミサがいないと生きていけない。他に何もいらないから、ミサを返してください。
 神様に祈りながら必死で探し回った。一秒でも早く泣いているミサを探し出して、抱き締めてあげるんだ。ミサは何も悪くないよ、悪いのは全部あの男だよって言ってあげるんだ。
 ミサの話していたことを必死に思い出しながら探して、ようやくお台場の海でミサを見つけた。ミサはうっとりとした顔でお腹をなでていた。
 どうしてこんなことになった? どこで間違えた? いつからおかしかった? たぶんきっと最初から。ミサは破滅への道を自分で選んで歩き続けていたんだ。ごめん、ミサ。ミサは悪くない、なんて言えないよ。でも、一番悪いのは私だ。ミサがおかしな方向に進んでいくのを止めなかった。
 何も言えなかった。だって私には自分がない。ミサに拒絶されるのが怖くて、こんなになるまでミサを全肯定することしかできなかった。
 元カノの妊娠自体は嘘でも、まともな男はそこまで恨まれたりしないよ。ルイとナツキはミサを利用してるだけだよ。ミスコンなんて出たらミサをよく思ってない人たちから反感買うよ。周りの人たちは、ミサが元カノみたいに捨てられたときに絶対面白がるから調子に乗りすぎないほうがいい。
 ミサに嫌われてでもはっきり言うべきだった。親友気取りでいたくせに私たちはとっくの昔に対等な関係じゃなかった。友情じゃなくて依存だった。
 神様、一度だけチャンスをください。嫌われてでも、ひっぱたいてでも、今度こそ二人で正しい道に帰るから。