俺はカメラを下ろし、息を吐く。シャッター音の余韻の中、俺たちはしばらく、何も言わずに見つめ合っていた。重苦しいけれど、同時に、何か大きなものが流れ去った後のような、不思議な静けさが、そこにはあった。ファインダー越しではない、現実の陽菜が目の前に立っている。涙の跡が残る頬、赤くなった目元。けれど、その瞳には、先ほどまでの混乱や怯えとは違う、強い光が宿っているような気がした。
やがて、陽菜が手の甲で乱暴に涙を拭うと、少し鼻声になりながらも、はっきりとした口調で言った。
「……湊、ありがとう。言ってくれて」
「……いや」
「私、ちゃんと、蓮と話してみる。自分の気持ちも、蓮の気持ちも、ちゃんと確かめる。……それで、もし、ダメだったら……。そしたら、その時は、ちゃんと一人で立つ練習しなきゃね」
その声は、まだ少し震えていたけれど、そこには確かな決意が見られた。逃げるのではなく、自分の弱さや、目の前の問題と向き合おうとする意志。その姿は、俺が知っていた『明るいだけの陽菜』ではなかった。
俺は、黙って頷いた。励ましの言葉も、同情の言葉も、今の陽菜には必要ない気がした。ただ、彼女の決意を、静かに受け止めるだけでいい。それが、今の俺にできる、唯一のことだと思った。
コートのポケットを探り、指先に冷たい感触が触れた。俺はそれを取り出し、陽菜の前にそっと差し出した。青いイルカの、色褪せたキーホルダー。
「これ……」
陽菜は、一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、ゆっくりとそれを受け取ると、小さなイルカを指先で撫でた。
「覚えてるか? 小さい頃、二人でお揃いで買ったやつ」
「……うん。覚えてるよ。すっごく欲しくて、二人でお小遣い貯めたんだよね」
陽菜の口元に、懐かしむような、そして少しだけ寂しそうな微笑みが浮かんだ。
「まさか、まだ持ってたなんて」
「……もう、いらないだろ。区切り、だしな」
俺が言うと、陽菜はキーホルダーをぎゅっと握りしめた。
「……ううん。これは、大事な思い出にする。ありがとう、湊」
その言葉には、俺たちの長かった幼馴染としての時間に、確かにピリオドが打たれた響きがあった。恋愛という形にはならなかったけれど、共有した時間や記憶は、決して消えるものではない。そういった確認のようなものが、二人の間に流れた気がした。
「……じゃあ、俺、行くわ」
どちらからともなく、別れの言葉を切り出すタイミングが来ていた。
「うん」
陽菜も頷く。
「……元気でね、湊」
「……陽菜もな」
短い言葉。けれど、そこには、言葉以上のたくさんの想いが込められているように感じた。
俺たちは、最後に一度だけ、視線を交わした。そこに、以前のような気安さはもうなかった。けれど、互いの痛みや決意を理解し合った者どうしの、少しだけ温かい眼差しがあったように思う。
陽菜が、先に背を向け、中庭の出口へと歩き出した。俺は、その背中が見えなくなるまで、ただ黙って見送った。ピンク色のワンピースの後ろ姿が、冬の弱い日差しの中に小さくなっていく。
一人残された中庭には、また静寂が戻ってきた。失恋の痛みは、まだ鈍く胸の奥で疼いている。けれど、それ以上に、何か大きな役割を果たし終えたような、不思議な疲労感と、ほんのわずかな解放感が、俺の心を支配していた。
空を見上げると、雲ひとつない、どこまでも青い空が広がっていた。それは、あまりにも綺麗で、少しだけ、皮肉なほどだった。
やがて、陽菜が手の甲で乱暴に涙を拭うと、少し鼻声になりながらも、はっきりとした口調で言った。
「……湊、ありがとう。言ってくれて」
「……いや」
「私、ちゃんと、蓮と話してみる。自分の気持ちも、蓮の気持ちも、ちゃんと確かめる。……それで、もし、ダメだったら……。そしたら、その時は、ちゃんと一人で立つ練習しなきゃね」
その声は、まだ少し震えていたけれど、そこには確かな決意が見られた。逃げるのではなく、自分の弱さや、目の前の問題と向き合おうとする意志。その姿は、俺が知っていた『明るいだけの陽菜』ではなかった。
俺は、黙って頷いた。励ましの言葉も、同情の言葉も、今の陽菜には必要ない気がした。ただ、彼女の決意を、静かに受け止めるだけでいい。それが、今の俺にできる、唯一のことだと思った。
コートのポケットを探り、指先に冷たい感触が触れた。俺はそれを取り出し、陽菜の前にそっと差し出した。青いイルカの、色褪せたキーホルダー。
「これ……」
陽菜は、一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、ゆっくりとそれを受け取ると、小さなイルカを指先で撫でた。
「覚えてるか? 小さい頃、二人でお揃いで買ったやつ」
「……うん。覚えてるよ。すっごく欲しくて、二人でお小遣い貯めたんだよね」
陽菜の口元に、懐かしむような、そして少しだけ寂しそうな微笑みが浮かんだ。
「まさか、まだ持ってたなんて」
「……もう、いらないだろ。区切り、だしな」
俺が言うと、陽菜はキーホルダーをぎゅっと握りしめた。
「……ううん。これは、大事な思い出にする。ありがとう、湊」
その言葉には、俺たちの長かった幼馴染としての時間に、確かにピリオドが打たれた響きがあった。恋愛という形にはならなかったけれど、共有した時間や記憶は、決して消えるものではない。そういった確認のようなものが、二人の間に流れた気がした。
「……じゃあ、俺、行くわ」
どちらからともなく、別れの言葉を切り出すタイミングが来ていた。
「うん」
陽菜も頷く。
「……元気でね、湊」
「……陽菜もな」
短い言葉。けれど、そこには、言葉以上のたくさんの想いが込められているように感じた。
俺たちは、最後に一度だけ、視線を交わした。そこに、以前のような気安さはもうなかった。けれど、互いの痛みや決意を理解し合った者どうしの、少しだけ温かい眼差しがあったように思う。
陽菜が、先に背を向け、中庭の出口へと歩き出した。俺は、その背中が見えなくなるまで、ただ黙って見送った。ピンク色のワンピースの後ろ姿が、冬の弱い日差しの中に小さくなっていく。
一人残された中庭には、また静寂が戻ってきた。失恋の痛みは、まだ鈍く胸の奥で疼いている。けれど、それ以上に、何か大きな役割を果たし終えたような、不思議な疲労感と、ほんのわずかな解放感が、俺の心を支配していた。
空を見上げると、雲ひとつない、どこまでも青い空が広がっていた。それは、あまりにも綺麗で、少しだけ、皮肉なほどだった。
