卒業式を明日に控えた。夜、俺は自室の机に向かい、告白の言葉を考えようとしていた。けれど、白いノートの上には、意味のない落書きが増えるばかりで、伝えたいはずの言葉は、かけらも見つからない。

「陽菜、あのさ……」
「ずっと、言えなかったんだけど……」
「俺、お前のこと……」

 声に出してみても、どれもしっくりこなかった。あまりにも陳腐で、軽々しくて、この重たい気持ちを表すには足りなすぎる気がした。緊張で、指先が冷たい。何度も深呼吸を繰り返すが、胸のドキドキは収まらない。

 隣の棟、陽菜の部屋から明かりが漏れている。微かにではあるが、陽菜の声が聞こえてくる。誰かと電話で話しているらしい。内容は聞き取れないが、やけに甲高い笑い声や、早口でまくし立てるような話し方が、断続的に耳に届いた。無理に明るく振る舞っているような、そんな印象を受ける。数日前、カフェで見た、涙を堪えていた彼女の姿がフラッシュバックする。今、彼女は本当はどんな気持ちでいるのだろうか。蓮との関係は……俺への怒りは……確かめたいことは山ほどあるのに、確かめる術はない。

 俺は椅子から立ち上がり、部屋の中を意味もなく歩き回った。窓の外に目を向ける。蒼葉市の夜景が、宝石箱をひっくり返したように広がっていた。無数の光が瞬いているけれど、どれもどこか俺には冷たく、遠いものに感じる。

 ふと、ベランダに出たくなった。コートを羽織り、窓の鍵を開けて外に出る。三月の夜風は冷たく、肌を刺した。手すりに寄りかかり、空を見上げる。都会の空は明るすぎて、星なんてほとんど見えない。それでも、目を凝らすと、一等星なのか、あるいは飛行機の灯りなのか、小さな光点が瞬いていた。

 視線を移す。陽菜の部屋のベランダだ。洗濯物が干してあるのが見える。俺たちの間には、ほんの少しの空間と、そして部屋を仕切る窓があるだけだ。物理的な距離は、ほんの数メートル。けれど、心の距離は、どれだけ離れてしまっているのだろう。

 明日、俺はこの境界線を越える。
 自分の言葉で、自分の足で。
 その先に何があるのかは分からない。陽菜の笑顔はないかもしれない。もう二度と、昔のように話せなくなるかもしれない。それでも、越えなければならないのだ。この曖昧な場所に、留まり続けるわけにはいかないから。

 冷たい夜気が、火照った頬に心地よかった。俺はもう一度、空を見上げた。遠い光が、瞬いている。大丈夫だと、誰かが囁いたような気がした。いや、そう思いたかっただけなのかもしれない。

 俺は静かに息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。胸の奥の緊張はまだ解けないけれど、腹はもう決まっていた。明日、何があっても、俺は自分の気持ちを伝える。

 部屋に戻り、机の上に置いたLumina Vision Classic 2にそっと触れる。冷たい金属の感触が、不思議と心を落ち着かせてくれた。最後のフィルムは、もう装填されている。あとは、明日を待つだけだった。