陽菜と衝突してからというもの、俺は自室に閉じこもり、ひたすら考え続けていた。陽菜の涙と、最後の「もう知らない」という言葉が、耳の奥で何度も繰り返される。そのたびに、胸が締め付けられ、息苦しくなった。
最低なのは分かっている。彼女が一番辛い時に、寄り添うどころか、さらに傷つけるようなことしかできなかった。自分の臆病さが、不器用さが、腹立たしくて仕方なかった。壁を殴りつけたいような衝動に駆られたが、そんなことをしても何かが変わるわけではない。
けれど、深い自己嫌悪の底で、同時に、何かが吹っ切れたような感覚もあった。
もう、逃げるのはやめだ。
自分の気持ちから逃げるのも、陽菜との関係から逃げるのも。
このまま、何もせずに卒業の日を迎えてしまったら、俺はきっと一生後悔するだろう。陽菜を傷つけたという事実と、何もできなかったという無力感を、ずっと引きずっていくことになる。それは、告白して砕け散るよりも、ずっと辛いことのような気がした。
机の上に置かれた、黒い金属の塊が目に入った。父から譲り受けた、Lumina Vision Classic 2。手に取ると、ひんやりとした感触と、ずしりとした重みが伝わってくる。ファインダーを覗いても、レンズキャップをしたままでは、もちろん何も見えない。暗闇だけが広がっている。今の俺の心の中みたいだと思った。
このカメラで、俺は何を撮りたかったのだろう。
ただ綺麗な景色を撮りたかったのだろうか。それとも、過ぎ去っていく時間の一瞬なのだろうか。
違う。俺が本当に撮りたかったのは、きっと、もっと個人的で、もっと切実な何かだったはずだ。
写真には嘘がつけない。樹はそう言った。
だとしたら、俺が今、向き合うべきなのは、このカメラのファインダーを通して見える世界であり、そして、自分自身の心なのだろう。ピントが合わなくても、構図が決まらなくても、シャッターを切らなければ何も始まらない。失敗を恐れて、何も撮らないまま終わる方が、よっぽど惨めだ。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。そして、部屋の隅にある小さな保冷庫を開ける。中には、数本のフィルムが眠っていた。その中から、一本だけ、特別なフィルムを取り出した。モノクロフィルムだ。以前、個性の強い粒子と、深い黒の諧調に惹かれて買ったものだが、なんとなく使う機会がないまま、今日まで仕舞い込んでいた。
カメラの裏蓋を開け、フィルムの先端をスプールに差し込む。指先が、微かに震えているのが分かった。慎重に、しかし確かな手つきでフィルムを巻き上げ、裏蓋を閉じる。フィルムカウンターが『S』から『1』へと動いた。最後の、36枚撮りフィルム。
これで、陽菜を撮る。
そして、伝えるんだ。
俺の、本当の気持ちを。
卒業式の日に。
それが、俺にできる、唯一の誠実な向き合い方のような気がした。結果がどうなるかなんて分からない。きっと、陽菜をさらに困らせてしまうだろう。関係は、完全に終わってしまうかもしれない。それでも、伝えなければならない。この曖昧で、苦しいだけの関係に、自分の手でけじめをつけなければならない。
この最後のフィルムに、何が写るのだろうか。
陽菜の笑顔か、それとも涙か。俺自身の、情けない顔か。
分からない。けれど、もし、このカメラが、このモノクロフィルムが、言葉にならない想いや、隠された真実を、ほんの少しでも写し取ることができるのなら──。
俺は、カメラをそっと机の上に置いた。窓の外は、もう夜の帳が下り始めていた。卒業式まで、あと二日。静かな決意が、冷たい金属の感触と共に、俺の胸の中に広がっていく。それは、冬の夜空に瞬く、遠い星の光のように、ささやかだが、確かな道標となっていた。
最低なのは分かっている。彼女が一番辛い時に、寄り添うどころか、さらに傷つけるようなことしかできなかった。自分の臆病さが、不器用さが、腹立たしくて仕方なかった。壁を殴りつけたいような衝動に駆られたが、そんなことをしても何かが変わるわけではない。
けれど、深い自己嫌悪の底で、同時に、何かが吹っ切れたような感覚もあった。
もう、逃げるのはやめだ。
自分の気持ちから逃げるのも、陽菜との関係から逃げるのも。
このまま、何もせずに卒業の日を迎えてしまったら、俺はきっと一生後悔するだろう。陽菜を傷つけたという事実と、何もできなかったという無力感を、ずっと引きずっていくことになる。それは、告白して砕け散るよりも、ずっと辛いことのような気がした。
机の上に置かれた、黒い金属の塊が目に入った。父から譲り受けた、Lumina Vision Classic 2。手に取ると、ひんやりとした感触と、ずしりとした重みが伝わってくる。ファインダーを覗いても、レンズキャップをしたままでは、もちろん何も見えない。暗闇だけが広がっている。今の俺の心の中みたいだと思った。
このカメラで、俺は何を撮りたかったのだろう。
ただ綺麗な景色を撮りたかったのだろうか。それとも、過ぎ去っていく時間の一瞬なのだろうか。
違う。俺が本当に撮りたかったのは、きっと、もっと個人的で、もっと切実な何かだったはずだ。
写真には嘘がつけない。樹はそう言った。
だとしたら、俺が今、向き合うべきなのは、このカメラのファインダーを通して見える世界であり、そして、自分自身の心なのだろう。ピントが合わなくても、構図が決まらなくても、シャッターを切らなければ何も始まらない。失敗を恐れて、何も撮らないまま終わる方が、よっぽど惨めだ。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。そして、部屋の隅にある小さな保冷庫を開ける。中には、数本のフィルムが眠っていた。その中から、一本だけ、特別なフィルムを取り出した。モノクロフィルムだ。以前、個性の強い粒子と、深い黒の諧調に惹かれて買ったものだが、なんとなく使う機会がないまま、今日まで仕舞い込んでいた。
カメラの裏蓋を開け、フィルムの先端をスプールに差し込む。指先が、微かに震えているのが分かった。慎重に、しかし確かな手つきでフィルムを巻き上げ、裏蓋を閉じる。フィルムカウンターが『S』から『1』へと動いた。最後の、36枚撮りフィルム。
これで、陽菜を撮る。
そして、伝えるんだ。
俺の、本当の気持ちを。
卒業式の日に。
それが、俺にできる、唯一の誠実な向き合い方のような気がした。結果がどうなるかなんて分からない。きっと、陽菜をさらに困らせてしまうだろう。関係は、完全に終わってしまうかもしれない。それでも、伝えなければならない。この曖昧で、苦しいだけの関係に、自分の手でけじめをつけなければならない。
この最後のフィルムに、何が写るのだろうか。
陽菜の笑顔か、それとも涙か。俺自身の、情けない顔か。
分からない。けれど、もし、このカメラが、このモノクロフィルムが、言葉にならない想いや、隠された真実を、ほんの少しでも写し取ることができるのなら──。
俺は、カメラをそっと机の上に置いた。窓の外は、もう夜の帳が下り始めていた。卒業式まで、あと二日。静かな決意が、冷たい金属の感触と共に、俺の胸の中に広がっていく。それは、冬の夜空に瞬く、遠い星の光のように、ささやかだが、確かな道標となっていた。
