6時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室中は解放感に包まれた。
「みんなは部活やってる? 私、帰宅部だから今から遊べるよ」
「私もやってないよぉ」「あたしも」
「えー、私は入ってるよ。今日サボっちゃおうかなぁ」
隣の席で女子4人組が放課後の予定を立て始めた。全員初めて同じクラスになったらしく、まずはそれぞれの情報を引き出している。
「じゃあみんなで行けるね! どうする? カラオケにする?」
カラオケか。中学の時に行って以来だ。一人で行ってみようかと考えてみるも、今行けばこの4人組に会うかもしれない。学校の人とはなるべく関わりたくないし、やっぱりやめておこう。
私はリュックに荷物を詰め、足早に教室を出た。
先週の小テストで赤点を取ってしまったせいで、現代文の先生に課題を提出しに行かなくてはいけない。渡り廊下を歩き、国語準備室のある南棟へ向かう。朝から降っていた雨は、いつの間にか上がっていた。
昔から国語は苦手だ。文章を読んで、作者が言いたいこと、登場人物の気持ちを考えろ、なんてそんなこと分かるわけない。その時の作者の気持ちなんて本人にしかわからないし、登場人物は物語の中にしか存在しない。そんなものの考えを、一体どうやって答えろというのか。私にはさっぱり理解できない。「気持ち」なんて不確かなもの、私は一番嫌いだ。
「明星さん?」
聞き覚えのある声に振り向くと、大きなエナメルバッグを持った藤井君が立っていた。
「もしかして課題の提出?」
「うん。藤井君も? あ、教科書ありがとう。いなかったから机に置いたんだけど、気づいた?」
藤井君が頷く。
「……新しい現代文の先生さ、厳しいよな。俺、ちょっと寝てただけなのに」
「うーん。寝てたらだめだと思う」
「そういう明星さんは? なんで課題?」
「私は小テストの点数が8点だったから」
「え? あのテストほとんど感想文書くだけだったけど」
「感想文書くだけだったね」
私たちはごく自然に、同じ速度で歩いて南棟の中へ入った。南棟は教室がある北棟よりも静かで、空気がしんとしている。
無言で階段を上がっていると、放課後特有の音色が聞こえてきた。
一つずつ音階を上がっていくトランペット、規則正しくリズムを刻むドラムロール。キンッとバッドが野球ボールを打ち返す音、パコン! とテニスのサーブが決まる音。
放課後の音を聞く度、動かしている足が重くなっていく。頭の隅に中学のあの教室が蘇ってきて、心音にちらちらと覗かれているような気分になるからだ。
「やべ。もう部活始まってる」
藤井君が独り言のように呟く。
「先行っていいよ。私、階段上るの遅いから。高校は部活やってないし、体力落ちたみたい」
それでも藤井君は速度を上げず、「いや、いい」と私に視線を合わせた。
「明星さんはレアキャラだから」
「なにそれ。どういう意味」
「隣のクラスなのに、こういうイベントがないと会えない。今日は2回目だけど」
「それなら藤井君もレアキャラだ」
「俺は別に……あー、明星さんからすればそうなのか」
「そうだよ」
妙に納得した顔の藤井君がおかしくて、私は我慢できずに笑ってしまった。「そんなに笑わなくても」と藤井君は呆れた声を出したけれど、その顔はなんだか嬉しそうに見えた。
ようやく3階に辿り着き、私はふぅと息を整えた。
「あのさ、明星さん」
藤井君はというと、さすが現役野球部。苦しさなんて見えない、いつも通りの淡々とした表情だ。
「なに?」
藤井君は一度目を伏せ言い淀むような素振りをしたあと、しっかりと私を見据えた。
「……教科書、また借りにきてもいいよ」
「え、私そんなに忘れ物しないよ」
「じゃあ、借りに行く」
「うん。藤井君になら貸してあげてもいいかな」
「なんか、上からだな」
藤井君がじとっとした目を向けてきた。
「私はレアキャラだから。レアキャラの教科書はレアなんだよ。特別だよ」
「それは俺も同じでしょ」
2人で顔を見合わせ小さく噴き出した。
こんな些細なことだけれど楽しい。学校で笑ったのはいつぶりだろう。
久しぶりに、もっと話していたいと思った。
もしかしたら、藤井君なら大丈夫なのだろうか。もう、あんなふうに傷つけることも、怖い思いをすることも、本当にないのだろうか。
「みんなは部活やってる? 私、帰宅部だから今から遊べるよ」
「私もやってないよぉ」「あたしも」
「えー、私は入ってるよ。今日サボっちゃおうかなぁ」
隣の席で女子4人組が放課後の予定を立て始めた。全員初めて同じクラスになったらしく、まずはそれぞれの情報を引き出している。
「じゃあみんなで行けるね! どうする? カラオケにする?」
カラオケか。中学の時に行って以来だ。一人で行ってみようかと考えてみるも、今行けばこの4人組に会うかもしれない。学校の人とはなるべく関わりたくないし、やっぱりやめておこう。
私はリュックに荷物を詰め、足早に教室を出た。
先週の小テストで赤点を取ってしまったせいで、現代文の先生に課題を提出しに行かなくてはいけない。渡り廊下を歩き、国語準備室のある南棟へ向かう。朝から降っていた雨は、いつの間にか上がっていた。
昔から国語は苦手だ。文章を読んで、作者が言いたいこと、登場人物の気持ちを考えろ、なんてそんなこと分かるわけない。その時の作者の気持ちなんて本人にしかわからないし、登場人物は物語の中にしか存在しない。そんなものの考えを、一体どうやって答えろというのか。私にはさっぱり理解できない。「気持ち」なんて不確かなもの、私は一番嫌いだ。
「明星さん?」
聞き覚えのある声に振り向くと、大きなエナメルバッグを持った藤井君が立っていた。
「もしかして課題の提出?」
「うん。藤井君も? あ、教科書ありがとう。いなかったから机に置いたんだけど、気づいた?」
藤井君が頷く。
「……新しい現代文の先生さ、厳しいよな。俺、ちょっと寝てただけなのに」
「うーん。寝てたらだめだと思う」
「そういう明星さんは? なんで課題?」
「私は小テストの点数が8点だったから」
「え? あのテストほとんど感想文書くだけだったけど」
「感想文書くだけだったね」
私たちはごく自然に、同じ速度で歩いて南棟の中へ入った。南棟は教室がある北棟よりも静かで、空気がしんとしている。
無言で階段を上がっていると、放課後特有の音色が聞こえてきた。
一つずつ音階を上がっていくトランペット、規則正しくリズムを刻むドラムロール。キンッとバッドが野球ボールを打ち返す音、パコン! とテニスのサーブが決まる音。
放課後の音を聞く度、動かしている足が重くなっていく。頭の隅に中学のあの教室が蘇ってきて、心音にちらちらと覗かれているような気分になるからだ。
「やべ。もう部活始まってる」
藤井君が独り言のように呟く。
「先行っていいよ。私、階段上るの遅いから。高校は部活やってないし、体力落ちたみたい」
それでも藤井君は速度を上げず、「いや、いい」と私に視線を合わせた。
「明星さんはレアキャラだから」
「なにそれ。どういう意味」
「隣のクラスなのに、こういうイベントがないと会えない。今日は2回目だけど」
「それなら藤井君もレアキャラだ」
「俺は別に……あー、明星さんからすればそうなのか」
「そうだよ」
妙に納得した顔の藤井君がおかしくて、私は我慢できずに笑ってしまった。「そんなに笑わなくても」と藤井君は呆れた声を出したけれど、その顔はなんだか嬉しそうに見えた。
ようやく3階に辿り着き、私はふぅと息を整えた。
「あのさ、明星さん」
藤井君はというと、さすが現役野球部。苦しさなんて見えない、いつも通りの淡々とした表情だ。
「なに?」
藤井君は一度目を伏せ言い淀むような素振りをしたあと、しっかりと私を見据えた。
「……教科書、また借りにきてもいいよ」
「え、私そんなに忘れ物しないよ」
「じゃあ、借りに行く」
「うん。藤井君になら貸してあげてもいいかな」
「なんか、上からだな」
藤井君がじとっとした目を向けてきた。
「私はレアキャラだから。レアキャラの教科書はレアなんだよ。特別だよ」
「それは俺も同じでしょ」
2人で顔を見合わせ小さく噴き出した。
こんな些細なことだけれど楽しい。学校で笑ったのはいつぶりだろう。
久しぶりに、もっと話していたいと思った。
もしかしたら、藤井君なら大丈夫なのだろうか。もう、あんなふうに傷つけることも、怖い思いをすることも、本当にないのだろうか。
