《伊藤導》
蒼生ちゃんを怒らせてしまったこと、そして、光彩ちゃんと上手く友達になれなかったこと。何より、一人を選べなかったこと。今回の事件はすべて自分に非がある。そう、平手打ちが教えてくれた。
「ごめん、蒼生ちゃんだけ、愛するよ」
合格を得た進学先のように、ラブコールしてくれた彼女のことを捨てきれなかった。本当は、光彩ちゃんと付き合いたい。そんなこと言えるはずがなかった。
蒼生ちゃんの笑みが消える。
「もう、遅い! こんなこと言いたくないけど……別れよう」
蒼生ちゃんの方は本音がダダ漏れだった。いや、鈍感なボクに「女心」を明示してくれているのかもしれない。
「別れるんじゃなくて、しばらく会わないでいよう。今は頭が冷静じゃない」
「うん、わかった」
そう言って蒼生ちゃんは駅の方向に去っていった。
*
あれから十日間、蒼生ちゃんとは会うこともLINEをすることもなくなった。
布団の中で仰向けになりながら、蒼生ちゃんのLINEのトーク画面を開こうとしたそのとき、光彩ちゃんからLINEが送られてきた。
『もう、あの子とは別れた? もう一度、再会からやり直さない?』
『どうかな?』
二通のメッセージを読んで、今なら光彩ちゃんに告白すれば付き合える、と思ってしまった。その前に蒼生ちゃんと別れなければならない。
再び、愛と恋が鍔迫り合いを始めた。
やがて、傷だらけの愛と恋は融合して、一つの新しい何かに生まれ変わろうとしていた。違う、愛も恋も一人の女性の味方に付いたのだ。
蒼生ちゃんのLINEのトーク画面に
『別れよう』
と、送信して、あろうことか一瞬で既読が付く。蒼生ちゃんもボクのトーク画面を開いていたのだ。
それから、光彩ちゃんのトーク画面を開き、
『光彩ちゃんの家に行ってもいいかな。出来れば両親がいないときがいい』
と送信したが、こっちはすぐに既読が付かなかった。
スマートフォンの画面を消して、眼を瞑る。通知を報せるバイブレーションが鳴ったが、明日確認することにした。
《樹下蒼生》
そろそろ導くんと仲直りするべきだと思い立ち、導くんのLINEのトーク画面を睨んでいると、見たくもない文字が彼から送られて、不本意なことに既読を付けてしまった。
『別れよう』
これは導くんの本音なのだろうか。やはり、彼は光彩ちゃんと付き合う運命だったのだろうか。
本当に導くんとの恋人関係はセピア色に朽ちてしまったのだろうか。過去のことになってしまったのだろうか。
流れている時間でさえ、すべてが過去に感じる。情景がセピア一色に染まり、何も感受できなくなる。絶望とはこの感情を指すのか。
失った今という光を掴もうと思うほどに、死にたくなってくる。死を選んだほうが手っ取り早く希望の茜空に踏み出せる。
不思議と涙すら流れない。流れてくれない。心は涙腺の崩壊を許しているのに、無感情な私は泣くことすら出来なかった。号泣してしまえればラクなのに。この感情を洗い流せるのに、ゼロに出来るのに。
導くんからの唐突な『別れよう』というメッセージを反芻するうちに、彼の声として脳内再生されるようになっていた。
「別れよう。別れよう。別れよう。別れよう?」
「どうして。どうして、どうしてどうして……ゔぁあああ」
叫び声で時空を引き裂いて、もう一度、ラブコールしたあの日に。戻れるわけはなく、崩壊した現状だけが流血の如く垂れ流されていく。
折角、市役所職員の内定を貰えたのに、働くどころか生きる気力も湧いてこない。
私の愛が沁みなかったのだろう。彼の脚ばかり恋情を向けたって、彼の心魂は揺るがない。私という浮き島から離れて、光彩ちゃんに舵を切った導くんの航海は順風満帆なのだろうか。はぁ、嵐に遭って、転覆しないかしら。そして、私の浮き島に漂流してきた彼をたっぷりと痛めつけてから、もう一度恋を始めたい。
「あぁぁ、ゔぁぁあああああ」
どれだけ叫んでも私の嘆きは彼には届かない。
