《伊藤導》
「私の家来ない?」
蒼生ちゃんにいきなり誘われた。いつかは家に行くのかな? なんて思っていたら告白の当日の夜に。ボクは返事に迷った。家では両親がボクの卒業祝いを準備して待ってくれている。
「どう、かな?」
蒼生ちゃんの顔に諦観の影が差してきた。人生相談として蒼生ちゃんに訊いてみるか。
「あのさぁ、蒼生ちゃん」
「何?」
「家で卒業祝いの準備して家族がボクを待っているんだけど、どう伝えたらいいかな?」
「……そうねぇ。卒業祝いで、クラスメイトの有志とカラオケ行くことになった、って伝えてみたら?」
「それ、妙案だね!」
スマホを操作する。
「OK。送った。これなら気付かれないね。い、いや、いずれ話すけど、蒼生ちゃんのこと、家族に」
自転車置き場の階段を上る。蒼生ちゃんも黙って付いてきてくれる。
二階にあるボクの自転車に鍵を差す。二人とも沈黙のまま階段を下りて、自転車のハンドルを握って彼女と歩いた。
「あのさ、率直に訊くんだけどさぁ、どうしてボクなんかを選んでくれたの?」
頭の中のモヤを晴らしたくて、蒼生ちゃんにそう訊ねる。彼女ははにかみながら視線を泳がせて「一目惚れ、したから、かな」と話してくれた。
ボクも光彩ちゃんに一目惚れしたから、彼女の気持ちは分かっているつもりだった。
「ありがと、ね」
「え? 何が?」
「ボクなんかに一目惚れしてくれて」
「その『なんか』って言うのやめない? 自分を卑下しないで。自信を持たなきゃ」
「そうだね。ごめん、そうする。で、蒼生ちゃんの家、ボク分からないから案内してよ」
「ここを左。しばらくはバスと一緒だよ。大通りに出るまで」
「森」と言われている一本道は自転車で快走しないと永遠に感じる。こういうときこそ話に花を咲かせたい。夜の森は季節が冬と春の中間ということも相俟って不気味さを帯びていた。
コウモリの鳴き声が悪魔の哄笑に聴こえる。車道と歩道の境界には街路樹が植わっていて、車に轢かれる心配はないが、自転車がボクらを抜かしてくるので蒼生ちゃんを守るように道の端に彼女を匿い、自転車でバリケードの如くガードを固めてあげた。
そんなボクに委ねるようにして彼女はボクの左手に右手を重ねて、少しだけ身を寄せてきた。
全身が仄かに色めき立つのを感じる。女子に手を触れられるだけでも性欲が刺激された。温かく柔いシルクのような感触だった。両手は自転車のハンドルを握っているため、蒼生ちゃんが手の次にどこを触ってきても抵抗出来ない状況に独りで盛り上がりながら、森の一本道を中間地点まで進む。
「心は、元気になりましたか?」
蒼生ちゃんは不意に訊いてきた。高校三年生の頃に課題のストレスと父親に因るストレスが原因で精神を崩して学校を休んでいた時期があった。精神を病んだあの日、保健室から教室に戻ると、ボクの症状を保健の先生がクラスメイトに伝える「特別授業」を開いていた。そのボク不在で行われたあの授業は蒼生ちゃんも受けていた。意中の男子高校生の心の話はそれなりに興味深かったのだろう。
「今も、薬を飲んでいて、治療中だけど、大分よくなったと思うよ」
「よかった。あのとき本気で心配しちゃった。導くんの心は精密機器のように取扱注意だね」
「ストレスさえ掛けなきゃ、大丈夫だから。本当は気にしないでほしいけど」
「そっかぁ……ごめん」
蒼生ちゃんの声のトーンは最初暗くゆっくりで、途中から突破口を見つけたみたいに明るく速くなっていた。
森を抜けて、大通りに出た。バスは左折するが、蒼生ちゃんは真っ直ぐ進んだ。そちらのほうが近道らしい。この先は市役所に繋がっている。
完全に夜の帳が下りていて、時刻は午後七時になろうとしていた。夜風が冷たくて、蒼生ちゃんの制服のスカートからはみ出た生脚を容赦なく凍てつかせていた。
《樹下蒼生》
「寒いね」
脚を擦って、摩擦熱であっためる。
「夜は冷えるからね。まだ家に着かないの?」
「もう、少しだね。まだあるけど」
会話よりも早く家に着くために足を前に動かすことに二人とも意識が向き始める。沈黙が鼓動のリズムを乱すと、たまに話し掛けながら、家を目指す。
*
――やっと、私のマンションに到着する。
ロビーは暖房が点いていない。部屋まで我慢するしかないみたい。
エレベーターを待つあいだ、導くんの手を握ってみたくて、彼の手のひらに触れる。自転車のハンドルを握っていたからか、汗ばんでいてヌルッとしていた。
すると導くんは制服のズボンのポケットからハンカチを取り出して、手のひらの汗を拭ってくれた。私のテレパシーが通じたのかな?
導くんの大きな手と私の手を重ねると指が絡み合い、手を繋ぐことに成功した。彼の手は冷たかった。夜風に晒されていたからだと思う。決して、彼の心が冷酷なわけではないだろう。
エレベーターに乗って5階のボタンを押す。まだ私の手を握ってくれている。
降りてすぐの扉が私の住む部屋。握手をほどいて鍵をポーチから取り出す。彼は私の部屋番号502を暗記しているみたい。
私が先に玄関で靴を脱ぐ。
「ただいまぁ、お客さん連れてきたよー」
私の大声に気付いた母親はリビングと廊下を隔てる扉を開けて固まる。
「あなた? 蒼生ちゃんが彼氏みたいなの連れてきたわよ」
父親に大声で伝言している。近所に聞かれていたらと思うと恥辱的だった。
私の背後で導くんが靴を脱ぎ終えて、手を腰にピタッとくっつけて直立していた。
父親も顔を出す。
「ありゃ、本当だ」
父親のリアクションに笑みが零れる。
「伊藤導くんでーす」
私は出来立ての彼氏を紹介した。
「伊藤導と申します。どうも。今日、告白されて家に来てと蒼生ちゃんが言うもんですから」
「あら、蒼生ちゃんが告白したの? そんなこと出来る子だったのね」
母親が想像しているのは「付き合ってください」という言葉だと思うが、実際はラブコールだし、ハートマークを彼に見せただけだ。
「あ、まぁ」
だから、曖昧な返事しか出来なかった。
「せっかくだし、上がってちょーだい。今、お茶入れるわね。あら、夕飯、蒼生ちゃんのしか用意してないから作らなきゃね。LINEしてくれればいいのに」
「サプライズ、にしたかったから」
と言ったあとで、母にLINEしないで帰ってきちゃったことを今更ながら反省した。
《伊藤導》
リビングに招き入れられて、食卓の席に座らされた。
クマさんの描かれた緑のプラスチックのコップに熱々の緑茶が注がれる。
母親はボクの分の手料理中で、父親は新聞で顔を隠している。蒼生ちゃんはボクの隣に座っていて「いただきます」と手を合わせて晩飯タイムのようだ。
ハンバーグに目玉焼きにマグロの刺身と白飯、ポテトサラダを彼女は頬張っていた。よっぽど腹が空いていたのか、ボクを気にする素振りを見せずに箸を動かしている。テレビは点いていないので、耳に蒼生ちゃんの咀嚼音が忍び込んでくる。父親の新聞をめくる音と母親のフライパンの音を聴いている。気まずい。
母親はボクの料理を運んできてくれた。「わざわざ申し訳ないです」と母親に伝えると「そんなのいいのよ」と返された。蒼生ちゃんの晩飯のメニューとほとんど変わらなかった。蒼生ちゃんはボクの存在を思い出したかのようにこちらを見る。
「ごめん。夢中で食べてた。歩いたらお腹空いちゃって」
「いつも通りの蒼生ちゃんでいいよ」
「私のと一緒だ」
ボクの前に置かれたメニューを見て蒼生ちゃんはそう呟いた。猫っ手で猫舌なので冷ましていた緑茶に口をつける。まろやかな茶葉の香りがした。
「ごちそうさま。私、部屋の片付けしてくるね」
そう言って蒼生ちゃんは席を離れてしまった。父親も母親も話し掛けてこない。時折ボクを見ているだけだった。気まずい環境の中、蒼生ちゃんの母親が用意してくれた晩飯を口に運んでいると、新聞を読み終えた父親はテレビを点けてくれた。音楽番組の卒業ソング特集のようだ。
テレビを観ながら食事をするだけで気まずさは和らいだ。滞っていた箸も進み、食べ終わる。
「ごちそうさまでした」と母親に礼を言うと、母は「泊まりたかったら、泊ってもいいわよ」と言ってくれた。
「蒼生ちゃんの部屋ってどこにありますか?」
「部屋ならトイレの向かいの扉。トイレはリビングを出てすぐ右側の扉よ。蒼生ちゃんをよろしくね。あの子、ミステリアスだから」
*
蒼生ちゃんの部屋の扉をノックすると、母親だと勘違いされた。
「ママ?」
「違うよ、ボクだよ」
「あら、入ってもいいよー。片付け終わったし」
「失礼します」
扉を開けると、白い壁に掛けられたアナログ時計とその下の勉強机が目に飛び込んできた。勉強机の脇には書棚があり、教科書や卒業アルバムなどが並んでいた。
木目調の床の中央にはピンクの枠の楕円形の白いカーペットが敷かれていて、そこに裸足が置かれていたので見遣ると、蒼生ちゃんはパジャマに着替えていてベッドに座っていた。
白地に赤リンゴと緑リンゴが交互に描かれた長袖のシャツから赤いブラジャーが透けていて、下はダボダボのフェアリーピンクのズボンを履いていた。
制服のボクは自分のリュックサックをカーペットの上に置いて、ブレザーを脱いでワイシャツ姿になった。彼女と合わせた恰好になりたかったのと、ブレザーがよそよそしさを放っていたからである。
「導くん、食事は?」
「済ませたよ。美味しかった」
「あら、そう」
それだけ確認して蒼生ちゃんはおもむろに立ち上がり、ボクの脇を通過して、部屋の扉に鍵を掛けた。二人きりの密室空間。ゴクリと生唾を飲む。対して蒼生ちゃんは思いっきり欠伸をした。ベッドには枕が二つ置かれていて、暖かそうなライトグレーの羽毛布団の上で蒼生ちゃんは足をブラブラさせている。何かを求めていそうで、今にも一人で寝てしまいそうな仕草にボクの心は翻弄されていく。
《樹下蒼生》
「私は……導くんの、生脚が見たいです!」
制服のズボンは美脚を包んでいて、そのベールを剥がしたくて、半ば衝動的に告げていた。
「わかった」
気づくと私は導くんのベルトを外していた。彼は目をキョロキョロと逸らしながらも無抵抗で私のされるがままになっている。家族からのノックもなさそうなので、いよいよベールを剥がして、彼の生脚をこの目に焼き付けるときが来たと悦びをひた隠して、導くんのズボンを下ろしていく。
すぐに黒のボクサーパンツが露わになって、彼の「あ」という吐息も相俟って、興奮を抑えられなくなってきた。
ズボンを下ろすたびに彼の美脚が露出して、自転車で鍛えられているのか、紡錘形の腓腹筋は本当に美しかった。
ズボンは床に触れて、彼の足許を覆った。私が脚に触れると、彼は足を上げて輪になったズボンを脱いでくれた。
「脚長い! そして腰が高いね、やっぱり。ねぇ、脱毛する気はないの?」
「脚だけならしてもいいけど」
「絶対やったほうがいいよ。いつか脱毛した美脚見せてほしいな」
「一緒についてきてくれる? 脱毛」
「もちろん。脱毛デートね」
これで脱毛デートの約束が出来た。脱毛デートっていうネーミングに笑いかける。
「履いていいよ。大丈夫。もう満足したから」
彼は一瞬でズボンを履き、再び制服姿になった。
「風呂入ってくるね。帰りたかったら帰ってもいいよ。もし、戻ってきたときに導くんがまだいるようなら、一緒に寝ようね」
