初めて入る森の中を、今日初めて乗る馬にゆっくりと歩いてもらいながら観察する。普通の森のように思えるが、やはり人が少し手を加えた形跡がある。刈られたのか雑草の背が少し低いところもあったし、木が綺麗に剪定されているところもあった。
「……誰が入っているんだろう」
候補は二つ。お偉い方か、大人数か。この森が噂にも上がらないことから孤児院の者たちは入っていないのだろう。入るとしたら、大人か。大人数入った形跡はなく、馬の蹄の跡は二頭分。つまり、大人数入るための整備ではなくお偉い方が入るための整備だ。
「お偉い方……そういえば、今日院長様が馬でお出かけになっているとあの人は言ってた……じゃあ、この馬の蹄の跡は、もしかして……」
院長様の。そう考えて、ぶるっとみぶるいした。
私の心の動きが伝わったのか、少し馬がこちらを見た。
「あ……大丈夫」
名前を呼ぼうとしたが私は知らなかったので、ただ素直に気持ちだけ伝えた。馬はまだ少し不安そうだったが、前を向いて歩き出す。
私は、この子の仮の名前も付けてあげないとなあと頭の片方で考えながら、院長様だったらどうしようともう片方で考えた。
「貴方、クルスっていう名前で呼ばせてもらうね」
ぶるる、と馬もといクルスは嬉しそうに鼻を鳴らした。よし、これでクルスの名前の話は大丈夫。問題は、この先の屋敷に院長様がいらっしゃる可能性が高くなってしまったことだ。
私はただの孤児。身なりも多少は整えてきたが、院長様には遠く及ばず汚いだろう。私のことを見て追い出されてしまうだろうか。それはまずい、だってここにはヒントがあるかもしれないのだから。メテオ様がせっかく星を読んでくださったのに、無駄にするわけにはいかない。
じんわりと嫌な汗がにじみ出てくるのを押さえられずに、少しだけ服が湿ったのを私は感じた。なぜ院長様に会うかもしれないというだけでこんなに不安になるのか、今はわからない。
クルスがちゃんと道を選んでくれたみたいで、しばらくクルスに乗っていたら自然とあのお屋敷が見えた。クルスが鳴く。厩があった。そこにつながれているのは、綺麗に手入れされている馬だ。
「やっぱり、お偉い様が……クルス、刺激しないように、ゆっくり静かに近づいてくれる? 私が良いと言ったらゆっくり離れて」
クルスは賢い子のようだった。言われたとおりに慎重に歩いていく。私は鞍のほうを注視した。そして、目的のものを発見してしまった。
あっ、と思わず声を漏らしかけて、慌てて塞ぐ。そして、クルスにもういいよ、と合図をした。クルスは私に言われた通り、ゆっくりと離れる。にじむ汗の量が増えた気がする。
あの鞍に焼いてあったのは、院長様の家の家紋だ。この家紋をようく覚えているように、とスズに叩き込まれた。私はクルスの顔をのぞき込む。
「……クルス、あそこには貴方を入れることができない。草むらの側にこの手綱を括り付けることになっちゃうけど、貴方、それでも許してくれる? 私のこと、待っててくれる? 場所はわかったから、今からあなたを厩舎に戻してくることもできるけど」
クルスはしばらくじっと私を見つめていたが、やがて私に鼻面を押し付けてきた。そして、なんとなくクルスの気持ちが伝わってくる。気にするな、という気持ちが。
「ふふ、ありがとう、クルス。じゃあ、こっち」
私はクルスをあまり人に見つからなさそうな草むらに連れて行くと、太い木に手綱を括り付けた。私が知る特殊な方法で結んだから、なかなかほどけないはずだ。試しにいろいろくいくい動かしてみたけどやはりほどけなかったので大丈夫だろう。
「じゃあ、またあとで、クルス」
私が小声でそう言うと、クルスは黙って草を食み始める。頭いいな、と私は改めて感心した。
クルスのような逸材をあんなとこに押し込めておくなんてもったいない。いつかシエルとスミアを誘って乗馬でもしようか、とかんがえながら、洋館の扉の前に立つ。
これは、馬鹿正直に正面から行って大丈夫なのだろうか。でも、だからと言って何か裏道を知っているわけでもない。わかりやすい正面から行くしかない。
私はメテオ様のアドバイスを思い出す。何か思い立ったことをしろ。
「当たって砕けろ」
どこかで教えてもらった言葉を口にして自分を鼓舞しながら、私はそっと扉に触れて、力を込めて、ぎゅっと押した。



