都立高校の二学期は九月一日スタート、文化祭は九月の十日・十一日の土日の二日間でブートレッグ・カリフォルニアの出番は日曜日の午後二時くらいに決まった。練習期間は十日あったがクラスの出し物の準備や予備校だのバイトだので意外と忙しいものがあった。セッティングは兜がやってくれるというので安心していたが練習場がないので鈴木の家のバイク屋のガレージで行なった。江口は奈美ちゃんが見に来るといいうので張り切って一弦ベースの練習に余念がなかった。霊岸島高校は私服なのでステージ衣装も自由なのだが奇抜な服も持っていないので各自自分が一番格好いいと思う服を着てくることにした。
 文化祭が始まった。三年六組のフィーリングカップル喫茶は意外に好評でかなり儲かっていた。学校から出た予算が一万二千円だったのだが軽くペイできそうなので打ち上げがゴージャスにできそうだった。久遠さんもウエイトレスとして働いていたが神々しかったのでよその学校の生徒も遠巻きに眺めることしかできなかった。僕らもジュースを作ったり会計をしたり忙しかった。発案者江口は司会を務めていた。
 二日目、ついにブートレッグ・カリフォルニアの出番がやってきた。前のバンドは二年生のバンドで何か青春感溢れる音楽をやっている。客のウケも良かった。僕らの後がトリで兜暖簾のバンドが出ることになっていた。会場は講堂でいきなりのデビューライブがこんなに大きなステージなのは非常に嬉しいものがあった。観客は二百人はいるだろう
「奈美ちゃん来た」
 江口が舞台袖から一人の女の子に指を差しながら言った。べらぼうに可愛かった。奈美ちゃんは友達と来ているようだった。
「それにしても結構お客さん入ってんなあ」
 鈴木は人ごとのように言った。
「まあここらへん何もないしみんな暇なんだろう」
 前のバンドの演奏が終わりついに僕らがステージに立つときが来た。兜は僕らのドラム(スタンド付きタンバリン)をセットしそこにマイクを当てた(ドラムセットは使い回しなんだから別に持ってこなくてもよかったのにとか何とか言っていた)。あらかじめバミってあった僕の立ち位置にもマイクをセットし、ギターリードをアンプに繋いだ。江口のベースもアンプと繋がった。皆音を出してみる。ジャーン。ボーン。中々良いゾ。
 板付きの状態で客電が落ちた。兜が舞台袖で親指を立てた。
「こんにちは。ブートレッグ・カリフォルニアです。一曲だけだけどやります。聞いてください。『バイ・ザ・ビーチ』」
 僕はカウントを出した。
「ワン・ツー・スリー・フォー♪」
 
 遙かなる水平線(メモリー)
 たなびく君の髪
 自由なる(ラヴ)はどこへ
 いつか僕は旅に出る
 
「何だこのバンド」
「あいつバット演奏してんぞ」
「ドラム、タンバリンじゃんかだっさ」
 会場がどよめいているのが分かった。しかし人の喜びそうな曲をやっているわけではない。やり切っちゃうぜ。
 
 悲しみのビーチ
 真実の言葉
 すべて夢ならば
 すべて夢なれば
 
 観客からの反応は薄かったが僕らは懸命に演奏した。
 
 潮風(バラード)が聞こえる
 君は風を見たか
 君のすべてを
 夏に焼き付ける
 
 歌っていると客席の真ん中の方に久遠さんが見えた。泣いているように見えたけど……。やっぱヒドすぎる?
 演奏が終わったが拍手はまばらだった。しかし僕らは無事に演奏ができたのでホッとして客席にお辞儀をし、ステージ上手から退場した。
「お前ら……。何だよあれ」
 兜が真剣な顔で話しかけてきた。
「ごめん。ぶち壊した?」
「逆だよすげえよ。あんなの見たことも聞いたこともない。オレにも見えたよ自分の方向性が。やりたいようにやるのがカッコいいのか……。ありがとな」
「そ、そうか。兜も頑張れよ」
「おう。じゃ行ってくるぜ」
 兜は自分のバンドのメンバーを連れてステージに上がって行った。
 文化祭は三時に終わり片付けが始まった。江口は奈美ちゃんに振られた。
「あんなダサいバンドなんて知らなかったってそんなに俺たちダサかったか?」
「別に普通じゃね?」
 クラスの誰かから差し入れでもらった電子タバコを吸いながら鈴木は言った。
「オレは面白かったけどね」
「予備校行きづれえ。顔合わせたくない」
「次から次へとどんどんいい女は出てくるって。まあ世界に一石は投じたんじゃない? 何かを成し遂げたという点では成功だろ」
「確かに何かをやった感はあるな。のう、岩石。久遠様は何か言ってた?」
 僕は久遠苺から来たLINEを読んでいた。
『後夜祭のときちょっと時間ある? プールのところに来て』
「何か話があるから後で来てくれって」
「ダメ出しだな。怖え〜」
「やだなあ」
「じゃあそろそろ俺たちも片付けっかあ」
「結構儲かったから打ち上げは派手にできるな」
 後夜祭のファイヤーなんとかが始まった。校庭の真ん中で焚いたキャンプファイヤーみたいなやつの火の粉が舞い上がり晩夏の涼しい風に運ばれリア充たちを攻撃していた。
「あちちち」
「きゃあ」
 僕がプールに着くと久遠さんはすでにそこにいた。
「お疲れ様」
「ありがとうございます。久遠さんのおかげです」
 久遠苺は微笑んでいた。初めて笑った顔を見た。やはり人間笑った顔がいいよね。
「私ちょっと泣いちゃった」
「ヒドすぎて?」
 久遠さんはちょっと怒った顔になり、
「素敵だったからに決まってるじゃない」
 と言った。
「私ね、本命の私立の高校には受からないって言われて推薦でここに入ったの」
「都立の推薦って宝くじレベルですよ」
「中学受験にも失敗していて……。だから高校受験はさせてもらえなかった。父の想定する学校の偏差値に届かなくて。兄も妹も順風に第一志望の超難関校に受かったのに私だけ毎回失敗している。要は家では落ちこぼれなのよ。父は厳格な人で子供には最高水準の教育を提供したいと考えているんだけどそもそも土俵に上ることさえできなかったというわけ。こうなるともう私がすることすべてが否定の対象なのね。当然大学は最後の挑戦となるんでしょうけれどもう家族から期待されている感じではないの」
「大変でしたね」
「そういうわけで高校に入ってもずっと勉強づけで何もしてこなかったでしょう。背水の陣なわけで。だから友達もいないし。私も実は青春のいちモニュメントを作りたかったの。私はロックンロールが好きで、自分のバンドでライブをやりたかったけど事情が事情でできるわけもないし。それで自分では何もできないから巻君にそれを託した。卑怯な話よね」
 伏せ目がちにぼそぼそとそう話す久遠さんはいつもより小さく見えた。
「卑怯だなんて、久遠さんのおかげで僕はモニュメントを建立できたんですから」
「私が自分のモニュメントを巻君に作らせたようなもので」
「でもなんで俺だったんですか。他のやつにやらせても良かったでしょうに」
 久遠さんは空を見た。人は悲しいと空を見るのだ。
「暇そうだったから」
「やっぱり?」
「うそ。現国の授業のとき先生が詩を作れって言ったでしょう」
「はあ」
「そのとき巻君が『ちょっと心にぐっとくることが起こるまで待ってくれませんか。無感動状態では詩は書けません』と言ったの」
「そんなこと言いましたっけ」
「そのときこの人すごい!って思っちゃったんだ。職人的に書く気はないんだって」
「人のツボは分かりませんね」
 久遠さんの魅力はこの距離感の取り方だなと思った。
「とにかくこれは一緒にやったんですよ。二人の共同作業です。決して人に作らせたのではなくて。久遠さんがいなかったらできてませんもん。なんて……」
 久遠さんはこっちを向いた。遠くでファイヤーなんとかの喧騒が小さく聞こえている。
「楽しかったの。スクーターで二人乗りしたり花火をしたりバンド名を考えたりみんなで理科室でお酒を飲んだり電子タバコを吸ったり兄のギターを盗んだり」
 やっぱりね。盗品だと思った。
 久遠さんは切なげに地面を見ている。彼女にも感情があったんだなと思うとちょっと悲しくなった。この変な契約関係に感情が入り込んだら、それはもう終わり(コーダ)だ。
「そうだ。いいことを思いつきました」
 僕は江口と鈴木に楽器を持ってプールまで来てくれとLINEで連絡をした。
「久遠さん、四人で演奏しましょう」
「いいね。久遠様も交えてなんてもう死んでもいい」
「え。私演奏できない」
「久遠さんバチをどうぞ。オレと交互に叩こう」
「ベース、エロサイト。ギター、巻岩石(ロックンロール)、ドラムス、スズキガンマと久遠苺。またの名をストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー。ブートレッグ・カリフォルニアです。聞いてください。『バイ・ザ・ビーチ』」
 僕らは後夜祭の騒ぎをバックにどんちゃん演奏した。ほぼチンドン屋である。鈴木が持ってきたペットボトルに入れたエチルアルコールのコーラ割りを飲みながら、電子タバコを回し呑みしながら。