ブートレッグ・カリフォルニア

「夏が来る……。何としてもビッグなイベントを起こさないとまずい……。このままだと童貞(チェリー)のまま高校(ハイスクール)とグッバイすることになってしまう」
 母が軽井沢で買って来てくれたダサいカエル柄の手拭いで僕はしたたる脂汗をふいた。クールなイベントが起きないのは自分自身の地味さが原因であり、この地味さが自分の悩みを解消する際の障害であることは重々承知していた。この焦燥感を解決するには具体的な行動に出るしかないのだ。
 昼休み学食で二百九十円の天ぷらそばを食べながら今後の展開をどうするか考えていた。後ろで江口が半チャーハン大盛りを頼む声が聞こえる。僕は思案する。どうやったら童貞にアディオスできるのか? ピュアなままカレッジ進学になったら立場がさらに厳しいものになることは間違いない。そうしたら更なる悲しい状況に置かれてしまう。一生女について知っているふりをして友人に話を合わせながら過ごすなんて不毛だろう。「女? ああ、そりゃあ女だな」なんて典型的バカが言うセリフだ。
 子孫だって残さなくてはならない。華麗なる大学デビューを目指すためには今のうちに下準備をしておかないとマズいのだ。
「ここ空いてる?」
 悲しくそばをすすっていると隣にデカい女が来た。
(久遠苺……)
「空いています」
 久遠苺は醤油ラーメンが載ったお盆をテーブルに置いた。そして着席し何も言わずにずるずるとラーメンを食べ始めた。こんな才媛でもラーメンを食べるのか。そりゃ食べるよな。
「ラーメンって最初から最後まで味が変わらないわよね」
 久遠さんはクラスでは物静かで喋ったところをあまり見たことがない。というより自発的に何かを喋ることはない。もちろん先生に当てられたら正答率百パーで答えるのだが要するに必要なときにしか喋らない。ちょっと変わっている。部活にも入らずただひたすらに勉強しているというイメージである。噂によるといいところのお嬢さんだという。そんな彼女がなぜウチの高校にいるのかミステリーである。そういえば身長が高い女は大人しいという話を聞いたことがあるな。チビの女に限ってうるさいものだ。その点では人間と犬は似ている。
 六時間目の那須先生の倫理の授業が終わり僕は自分の席で相変わらずあれこれ考えていた。このままライトハンド奏法だけやっているわけにもいかん。やはりここはバイトをしてそこで知り合ったギャルとオーバードライブだろう。でも何のバイトをすればいいんだ。
「巻。そろそろ夏休みだが何か予定はあるのか。予備校の夏期講習は申し込んだんか」
 同じクラスの江口が寄ってきた。
「申し込んでないよ。それよりどうやって夜の夏期講習(ナイトレッスン)受講票(パスポート)を入手するかを考えている」
「マジかよ大丈夫か受験。(ガール)? やめとけやめとけ引っ込み思案のお前にはムリだろうそりゃ。そうそう予備校の裏階段、パンチラ見放題なんだがそういう方向じゃダメなんか。お前も行こうぜ。相当いいぞあのスポット。ボキそれ用に高性能のスマホ買おうかなと思ってんだよ。レンズが三つも四つも付いているやつ。夜景モードも付いてるやつ」
 よく喋るなあ。
「童貞捨てたいってまず彼女がいないと無理じゃね」
 鈴木が電子タバコを咥えながらやってきた。
「店行った方が早くね」
「まあそうかもしれんが……、それでいいんかな」
「オヤジが男は店だとか言っていた」
「錦糸町になんかいい所あるらしいぜ」
「だったらいっそ吉原じゃね」
「そんな度胸ねえだろ」
「でもバイクで十五分くらいだよ」
 江口は窓の外の無数にいる女子生徒を見ている。
「だからこその階段下よ。時代は擬似体験よ。VRよ。メタバースよ。合格コップが出てくるコーヒーの自販機があるんだがそこがホットスポット、いや心のパワースポット。鉄の階段で隙間から見放題」
「あのアイフォーンで下らねえ音楽聴きながら自習している女たちに切り込むのはハードだろ。バカなんだか利口なんだか分からんからな。イヤホンむしり取って話しかけるのはなかなか厳しいだろ」
 鈴木は電子タバコのスイッチを入れた。
 僕は立ち上がった。
「俺たちがこの二年半で何をやった? やったとすれば指を咥えてリア充を見ていたことくらいだろう。何か一つくらいビッグなことをやりたいんだよ。そうすればこのボイショーな状況を打開できると思うんだよ。そうすれば今年中にシティ・エレガンスを……」
「だったら音楽をやりなさいよ」
 久遠苺が突然話しかけてきた。
「く、久遠様」
 江口が坐っていた机から落ちた。落ちるときやつのスマホのカメラが画面のどこかに指を触れたのか勝手に起動していた。鈴木もメガネを拭いている。幻でも見たかのように。
「その女たちにあなたの音楽を聞かせるのよ」
 久遠苺は顔色を一つ変えずそういうと去って行った。
「よく見ると足太てえー」
「おい巻、お前久遠さんと喋る仲なのか? というか彼女が自発的に喋んの初めて見た」
「いや、今日初めて食堂で会話をちょっとだけ交わしただけだが……」
「あんな才媛が…」江口がスマホを拾いながら言った。
「久遠様あんな才媛なのにスカート短いよな。知能とスカートを短くしたい欲求は関係ないのかな。確かに大根足だったな」
「何でもお父さんはアメリカだったか外国の大学を出ていてどえらい会社の役員らしいぜ。家は大田区だと。お前ん家どこだっけ」
 鈴木が江口に言った。
「月島。お前は」
「亀戸。巻は」
「おれ人形町」
「悪くはないが大田区とは何かが違うな」
 鈴木は電子タバコのスイッチを入れ外を見ながら言った。「蒲田も大田区だけどな」
「こう考えてみるとアニメみたいに自分の家の金を人のために惜しげもなく使う超大富豪の娘とか文武両道で巨乳で生徒会長をやっている美女とかバカと天才が同時に存在する高校とか現実的じゃあないよな」
「特進クラスのある私立とかそういうやつじゃね」
「金持ちと貧乏人が混在する私立高校なんてねえだろ。そもそも人に金使わせといて罪悪感を持たない周りの連中の精神性がやべえよな」
「転校生とか。高校で転入なんて不可能に近い。区立中学じゃねえんだから」
「東京からすぐに行けるリゾート化された無人島とかな。緯度的に寒いっての」
 ひとしきりアニメの納得いかない点を言い放って鈴木と江口は予備校に行ってしまった。あのバカたちも大学に行くつもりなんだなあ。
 僕は久遠苺が言ったことを思い出しながら学校から駅までの間のシャバい商店街にある楽器屋に行くことにした。すでに外はやや暗くなっていた。
「音楽か。いいかもだなあ。地元のミュージック・スターになれば野望達成に一歩近づくかもしれん」
 楽器屋のショー・ウィンドウには『サマー・セール』という名の下に安っぽいウクレレが二本飾られていた。誰がポップを作っているか知らんが楽しげな店頭ポップも飾ってあった。楽器屋もがんばっているな。しかしこのしけた商店街、サマーってガラじゃないんだよな。
「そもそも音楽ってどうやるんだ? ギターを弾いて唄えばいいのか、DJか。ロックかフォークか? ピアノは難しそうだが。トランペットは吹きながら歌えないし。そもそも歌わなきゃダメなのか? あ、ギロ簡単そうだなあ……」
「ギターよ。ギターにしましょう。ギターを弾いて唄うの。自分の歌を」
 僕はぎょっとして声の方を振り向くと久遠苺が汗ばんだ様子で立っていた。
「な、何か今日はよく会いますね……」
「偶然よ。ねえ、そもそも何で巻君はビッグなことをしたいの」
「それは、高校に入って何もやっていないことにちょっと焦っていて……。前から思っていたことなんだけど」
「ふうん。そこで一つビッグなことをやれば青春のいちモニュメントを建造できるというわけね」
「下らないとは思いますが僕には重要なんですよね……。あと実は、ちょっとモテたいというか女の子と高校卒業までにトロピカル・ランデヴーしたいなと思っていまして……」
「え」
 久遠苺の表情から困惑の色がうかがえた。
「そ、そのためにはまず自分がゴージャスにならないとと思いまして」
「じゃあ、文化祭で巻君が自分の音楽をライブでやればいいのよ。女が振り向くわ。もしそれが成功したらトロピカル・ランデヴー? それ手伝うわ。私でもできるんでしょう? よく分からないけど」
 久遠さんで卒業(トロピカル)? 百パー死ぬだろそんなことになったら。途方もない夢を振り払い彼女を改めて見ると、短いスカートから出ている足は確かに大根足だった。エロし。すでに僕のモニュメントは建立しかかっている。色は白く目がでかい。ちょっと三白眼ぎみで白目が青っぽい。瞳は薄い茶色で黒目の縁が青い。何となくどこを見ているか分からない感じ……。長い髪は飽くまでサラサラで制服でよく分からないが胸もデカいっぽい。おデコが広い。こんな女とサマー・メモリー? トロピカル・フィーバー? 彼女、経験豊富なのか?
「それにしても意外とギターって高いね……。スクーターを売るしかないかなあ」
「スクーターを売ってはだめ。あれはあなたの命よ。ギターならあるわ。兄が買ったけれどまったく弾けず二日で投げ出したエレキとアンプが家にある」
「それ貸してくれるの?」
「差し上げるわ。どうせ使われていないんだもの。明日学校に持ってくるから。じゃあね」
 そういって久遠苺は地下鉄の駅の方にさっさと去っていった。
「自分の音楽か。考えたこともなかったな」
 終業式が終わった後僕が教室で久遠苺からもらったギターをつまびいていると江口がやってきた。
「大分上手くなったじゃんか。最近久遠さんと仲良いんけ」
「うーん、このギターも彼女からもらったんだよな。でもそれっきり特に接触はないな」
 僕は久遠さんからもらった古びたエレキ・ギターの指板と古本屋で買った昭和のギター教則本を交互に見ながら言った。
「もう見せてもらったんか」
「何を?」
「何をって決まってんだろ。パイよパイ」
「そんなわけあるか」
「まあそうだよな。あの霊岸島高校きっての美女がお前に熱を上げるってことはないよな」
「ないね。ただ文化祭でライブやるって約束しちゃったんだよね」
「は?」
「でライブが成功したらエキサイトしようって」
「何? っていうかエキサイトって何だよ」
「分からん。自分の歌を唄えって言われたんだよな」
「曲を作るってことか。お前作れんのかよ」
「何とかなんじゃね」
「そうだな。俺ピアノ習ってたけどガキの頃適当な曲作ってたぜ。『ガールスカウトに入りたい』とかいい曲あったぜ」
「お前楽器弾けるの?」
「ピアノ弾ける」
「バンドやろうぜバンド。一人じゃ心細くてさ」
「やらねえよ。予備校行って撮影しないとなんないから余計なことをしている暇はない」
「冷てえなあ」
「まあお前もそこそこにして勉強しないと母ちゃんテンパるぜ。浪人確定じゃんか。お、時間だ。予備校の階段下(ヘヴン)行って来るわ」
「おう」
 江口が教室から出て行ったあと僕は夏休み(サマー)プランを考えた。それもとびきり抽象的なやつを。
「曲を作らねばならんがやはり詩人は何かにぐっとこないとダメだよな。インスピレーションをどうやって得るか」
「あなた独り言が多いわね」
 僕は肝を冷やした。また久遠苺が現れたからである。どうして彼女は急に現れるんだ?
「旅行よ。旅が人を大人にするのよ」
「久遠さん何でいつも急に……。あと何でおれがインスパイアされたいことがわかったの?」
「旅に出ましょう。私も同行するわ。明日から夏休みだし」
 話聞いてねえ〜。久遠さんはにこりともせず、しかしこちらを真っ直ぐに見つめて言った。
「明日朝九時に私の家に迎えに来て」
「え」
「スクーターで。詳しい住所を教えるからLINEのIDを教えて」
 まさかの久遠さんIDゲット。しかも向こうから交換しようとは奇なる事が起こるものだ。
 翌日大岡山で彼女をピックアップした。久遠さんはタンクトップにジーンズだった。いとおかし。そして僕は十八年生きてきて最大の衝撃を受けた。何だこの下半身は。こんなにむっちりしていたのか久遠さんの下半身。すごい重量感というか尻がデカいというか足が長いというか太ももが太いというかふくらはぎの筋肉がすごいというか。ヘイシリこういうときどうすれば良い?
「何。何黙っているの」
「いや、何でも」
「じゃあ海に行きましょう」
 二人でヘルメットをかぶり愛車ホンダスペイシー100は発進した。いいなあスペイシー。俺も久遠さんに乗られたい。あのヘヴィな股ににはさまれたい。
 海といったら湘南か房総か。ちょっと遠くね? ガソリンどこかで入れなきゃ……。
「遠いところは大変だから城南島に行きましょう」
 僕たちはニケツで城南島に向かった。薄々予想はしていたが久遠さんの胸が背中に密着し相当エキサイティングな状況になった。かっちかちです。ハード・アズ・ア・ロック。「アズ」の使い方はAC/DCで覚えた。そんな事情を知ってか知らずか久遠さんはぴったりと密着してくる。もっと緩いパンツを履いてくればよかった。痛い。しかし女ってのは胸を押し付けているときそれを自覚しているのか? わざとか? 無自覚か? 神経は通っているのか? 亀の甲羅は神経が通っているそうだが。感覚はあるのかないのか。胸を押しつけられた男の心情は読み取れているのだろうか。
 こけないように慎重に二十分くらい走ると城南島海浜公園に着いた。白い砂浜が広がり向こう側には羽田空港が見える。飛行機がえらく低空飛行をしているのが物珍しかった。
「こりゃすげえ。こんなところがあったんですね」
「きれいね」
 城南島の海岸は人工海岸だが本物のビーチのようだった。潮風(バラード)が心地よい。水平線を見ながら波打ち際で遊ぶとちょっとカリフォルニアに来た気分になった。行ったことないけど。風は吹いていなかった。真夏の日差しが僕のサヌークから出た足にジリジリと照りつけた。久遠さんの下半身の動きはつねにエロかった。彼女はジーンズの裾をまくって波打ち際でたたずんでいたが、
「暑いからあちらの桜の木の下のベンチに坐りましょう」
 と言い、僕らはビーチの手前の離れ公園みたいになっているところの木陰に坐った。
「それで巻君。ギターは弾けるようになった?」
「AとDとEは弾けるようになりました。これで曲は作れるらしいです。ちなみにA7とD7とE7にするとシブくなることも分かりました」
「さすがね。兄は二日で根を上げたわ」
「これにあとBmとF#mが弾けるようになればいけます」
「素晴らしいわ。ねえ、それでどういう曲を作るつもりなの」
 久遠苺は学校にいるときとは違い二人きりだと打って変わってよく喋る。
「そうですね。YouTubeでバズるようなやつを考えてるんですが中々参考になるような曲がなくて」
「YouTubeでバズって何になるの。本物の音楽をやらないと。画面越しで受けとる女の反応に意味がある? それに私はあなた自身の音楽をやってほしいと言ったの。妙な音楽を参考にしてもろくなものができないわ。三十秒聞いただけで良いと思えるような音楽は芸術ではない」
 僕らは長い間語り合った。かいつまんでいうと久遠苺は僕に誰も聞いたことのないような音楽を作ってほしいということだった。というよりそういう気概で作った音楽じゃないと意味がないということらしかった。誰の真似でもない自分の音楽。それが結果的に何かに似ていたとしても。そして彼女は簡単に感動できるものは簡単に忘れ去られるという考えを持っていた。モテるには本物の音楽が必要だと。
「一生忘れられないようなものを作って」
 暑かったのか久遠さんは髪をかき上げた。そのとき腋毛の剃り跡が見えた。おかし。国立大学に行ける学力の女も腋毛は剃るのか。いつ頃剃るべきだと気付いたんだろう。僕は私服の久遠苺と制服姿の彼女に共通点が見いだせなかった。
「何を見ているの」
「いや……、何も」
 気がつくと日が暮れようとしていた。こうしてみるとどんどん暗くなっていくが一分間に何度くらい地球は回っているのだろうか。地球が一回転するのが二十四時間で角度は三六〇度だとすると?
「花火やらない? 持ってきているの」
 相変わらず無表情に久遠苺は言った。女神レベルの女に海どころか花火まで誘われるとは今月の運勢は恐ろしいことになっている。
「公園事務所でバケツ借りてきます」
 ようやく部屋の中の火薬臭さが消えた。僕はギターをケースから出し知っているコードで曲を作り始めた。外は燦々と真夏の太陽(サンシャイン)が降り注いでいる。僕は部屋を締め切ってカーテンを閉めてクーラーをギンギンに効かせてギターを弾いた。時折母が様子を見にきたが僕が真剣に曲を作っているからか何も言わずに去っていった。たまに「いい曲だねえ」などと言いながら切ったスイカを持ってきてくれた。思えば母は僕のすることに反対することはない。バイクの免許を取るのも夏期講習の申し込みをしなかったのも自由にやらせてくれていた。育児書で読んだのか元々そういう性格なのかとにかく僕のすることなすことをほめる人である。
 一週間が経った。
「できました」
 僕はLINEを久遠苺に送った。
「素敵ね」
 久遠苺はそう返信してきただけだった。
 都立高校の文化祭は九月の頭に行われる。九月最初の週末だ。それにしても何のためにこんなことをしているのか? 予備校にいるような訳のわからない女を振り向かせて童貞卒業を決行するためか? それとも一方的にさせられた久遠苺との約束を守るためか? 自分にも何かができると自分自身に証明するためか? 人と歩調を合わせるためか? 芸術とはなかなか奥深いものである。
 八月に入っても久遠苺からの連絡は途絶えたままだったが僕は音楽の練習以外することもないので近所のカラオケ屋でアルバイトをした(なんとお茶屋さんが経営しているカラオケ屋である。地元で一番安いのが売り)。客が少ないときは空いた部屋で練習してもいいヨと店長が言ってくれたのでありがたかった。店長はミャンマーから来た男である。もし自分がミャンマーに行ったとしてカラオケ屋の店長にまで出世できるだろうか? すごい男だ。
 夏休みは足早に去っていき学校が始まった。始業式の後のホームルームで二学期の過ごし方を先生がひとしきり喋っていたが頭の中は一つのことでいっぱいだった。文化祭出演の交渉だ。クラスの出し物は江口の発案でフィーリングカップル五対五みたいな何か下らないマッチングサービス兼喫茶店みたいなやつをやることが一学期のときに決まっており夏休み後半から準備が始まっていた。ホームルームが終わると僕は兜暖簾(かぶとのれん)というけったいな名前の男のところに行き相談した。
「兜、お前軽音の部長だったよな」
「そうだけど。まあもう引退だけど」
「俺文化祭で歌いたいんだけどなんとかならねえかな」
「バンド?」
「いや、ソロ。弾き語り」
「うーん最近バンドも下火で全然出演者が足りないんで時間は融通できると思うんだけど弾き語りは結構大変だぞ」
「何が大変なん?」
「あれはな、ミュージシャンが全裸で客の前に立つようなものだ」
「願ったり叶ったりだ」
「さすがだな。タイスケに入れておくぜ。何分ステージが希望?」
「一曲でいいんだ」
「あっそう。じゃあバンドとバンドの合間にやる感じかな」
「それでいいよ。センキウ」
「ノープロブレム」
「悪いな。準備もあったろうに」
「気にすんなよ。オレもクラスの手伝い全然できてねえから」
「お前も出るん?」
「もちろん出るぜ。トリだ。オレはプロを目指しているからな。場数を踏まないと」
「カッケー」
 兜はギターをかついで軽音の部室に向かった。後ろ向きに手をひらひらさせながら。
「よう岩石」
 江口がニヤニヤしながら近寄ってきた。
「いやーサマーラッキースケベってのはあるもんだなあ。ふふふ……」
「なんかいいことあったのか」
「予備校のさあ自習室で可愛い女の子と知り合ってさ、ほら広尾の私立の女子校の」
「渋谷女学院か?」
「そ。ひょんなことから知り合ってさ。いやあ充実した夏休みであった。もうスマホの容量パンパンよ。勉強はまったく進まなかったからマジで学術的なことはいまだに何も分からんが。耶律阿保機って何?」
「気楽でいいなあ。俺学祭に出ることにした」
「そうそうそれそれ。これ見てくれよ」
 江口がバットケースのような筒から何かを取り出した。バットだった。
「何これ」
「ベース。お前がバンドやりたがってたから鈴木に注文して作ってもらったんよ。あいつ手先器用じゃんか」
 それはバットを削り太い金属製の弦が一本張られている楽器だった。バットの先端から電線が生えていた。
「すげー!」
「あいつすげえな。さすが理系クラス。ネットでエレキギターの構造をちらっと見ただけでこれを作っちまった」
「音出んの?」
「あいつんちで試したけど出た。弦は一本なのは構造上の問題なんだがなんとかなるだろ。木材は耐久性を考えてバットにしたんだと。何でもこのコイルで弦の振動を電流に変えているらしいぜ。晩夏の東京にオレのエレクトリック・バットが火を吹く予定」
「お前ベース弾いてくれるんけ」
「だから作ってもらったんだよ。ボキ奈美ちゃんに言っちゃったんだよね。あ、渋女のね。学祭でバンドやるから来てくれって」
「ナンパするときバンドやってるって言っちゃったんか」
「そ。嘘を本当にするしかない。外堀から埋めるのがボキのスタイル」
 江口のスピリットには見習うべきものがあるなあ。
「で今鈴木のやつ、ドラム作ってるぜ」
「え」
「あいつがドラムよ。実家がバイク屋っていいよな。作業場があるってのはいいよ。大体できたって昨日LINEが来たぞ」
 江口が見せてくれた鈴木が制作している写真はスタンドにタンバリンが一つ付いた楽器だった。
「すげえ。ロックンロールができる」
 バンドを組んだ旨を兜暖簾に伝え僕らのバンドの文化祭出演は本決まりになった。
「どう首尾は」
 久遠苺がやってきた。
「ああ久遠さんお久しぶりです」
「久遠様、ご機嫌麗しう」
「こんにちは」
「久遠さん、バンドで出ることにしました。さっき兜に掛け合って一曲だけだけど出演させてもらえることになって」
「それは最高ね。バンドメンバーは?」
「ドラムス、鈴木(スズキ)丸麻(ガンマ)、ベース、江口才人、そしてギターとボーカル、巻岩石。どう?」
「トリオ、素敵ね。江口くんってエロサイトって呼ばれているけど本当にサイトという名前だったのね」
「え、オレそんな風に呼ばれてんの?」
「ええ。みんなそう呼んでいるわ」
 江口は涙ぐんだ。
「バンド名は決まったの?」
「あ」
「バンド名がないバンドなんて聞いたことがないわ。決めないと」
「ヤング・ポッキーズってのはどうかな。ボキポッキー好きだから」
「却下」
「なんだなんだ」鈴木がやってきた。顔が赤い。
「何の話してんの? おわっ久遠さん」
「バンド名を決めてんだよ。お前なんで顔が赤いの」
「理科室のエチルアルコールをコーラで割ってチビっと飲んできた」
「え?」久遠さんが目を見張った。
「すごいわね鈴木君。尊敬するわ」
「そう?」鈴木はもじもじした。
「『ブートレッグ』はどう? 密造酒って意味だけど」
「かっこいいです久遠様」
「いいねえ。あと一つパンチが欲しいけど」
 僕は久遠さんと行った城南島を思い出した。偽物のカリフォルニア。
「『ブートレッグ・カリフォルニア』にしよう」
「長げえ」
「いや、これでいく。みんないいだろ」
「久遠様に決めてもらおう。いかがですか久遠様」
「『ブートレッグ・カリフォルニア』、素敵だと思う」
 久遠苺が目を閉じて言った。
「決まったな。多分高校における俺たち最初で最後の晴れ舞台だ。このしょぼくれた高校生活を土壇場で逆転させる千載一遇のチャンスだ」
 この後四人で理科室に忍び込んで決起集会をとり行った。そんなに真っ赤な顔になっちゃって君たち塾は大丈夫なの?
 都立高校の二学期は九月一日スタート、文化祭は九月の十日・十一日の土日の二日間でブートレッグ・カリフォルニアの出番は日曜日の午後二時くらいに決まった。練習期間は十日あったがクラスの出し物の準備や予備校だのバイトだので意外と忙しいものがあった。セッティングは兜がやってくれるというので安心していたが練習場がないので鈴木の家のバイク屋のガレージで行なった。江口は奈美ちゃんが見に来るといいうので張り切って一弦ベースの練習に余念がなかった。霊岸島高校は私服なのでステージ衣装も自由なのだが奇抜な服も持っていないので各自自分が一番格好いいと思う服を着てくることにした。
 文化祭が始まった。三年六組のフィーリングカップル喫茶は意外に好評でかなり儲かっていた。学校から出た予算が一万二千円だったのだが軽くペイできそうなので打ち上げがゴージャスにできそうだった。久遠さんもウエイトレスとして働いていたが神々しかったのでよその学校の生徒も遠巻きに眺めることしかできなかった。僕らもジュースを作ったり会計をしたり忙しかった。発案者江口は司会を務めていた。
 二日目、ついにブートレッグ・カリフォルニアの出番がやってきた。前のバンドは二年生のバンドで何か青春感溢れる音楽をやっている。客のウケも良かった。僕らの後がトリで兜暖簾のバンドが出ることになっていた。会場は講堂でいきなりのデビューライブがこんなに大きなステージなのは非常に嬉しいものがあった。観客は二百人はいるだろう
「奈美ちゃん来た」
 江口が舞台袖から一人の女の子に指を差しながら言った。べらぼうに可愛かった。奈美ちゃんは友達と来ているようだった。
「それにしても結構お客さん入ってんなあ」
 鈴木は人ごとのように言った。
「まあここらへん何もないしみんな暇なんだろう」
 前のバンドの演奏が終わりついに僕らがステージに立つときが来た。兜は僕らのドラム(スタンド付きタンバリン)をセットしそこにマイクを当てた(ドラムセットは使い回しなんだから別に持ってこなくてもよかったのにとか何とか言っていた)。あらかじめバミってあった僕の立ち位置にもマイクをセットし、ギターリードをアンプに繋いだ。江口のベースもアンプと繋がった。皆音を出してみる。ジャーン。ボーン。中々良いゾ。
 板付きの状態で客電が落ちた。兜が舞台袖で親指を立てた。
「こんにちは。ブートレッグ・カリフォルニアです。一曲だけだけどやります。聞いてください。『バイ・ザ・ビーチ』」
 僕はカウントを出した。
「ワン・ツー・スリー・フォー♪」
 
 遙かなる水平線(メモリー)
 たなびく君の髪
 自由なる(ラヴ)はどこへ
 いつか僕は旅に出る
 
「何だこのバンド」
「あいつバット演奏してんぞ」
「ドラム、タンバリンじゃんかだっさ」
 会場がどよめいているのが分かった。しかし人の喜びそうな曲をやっているわけではない。やり切っちゃうぜ。
 
 悲しみのビーチ
 真実の言葉
 すべて夢ならば
 すべて夢なれば
 
 観客からの反応は薄かったが僕らは懸命に演奏した。
 
 潮風(バラード)が聞こえる
 君は風を見たか
 君のすべてを
 夏に焼き付ける
 
 歌っていると客席の真ん中の方に久遠さんが見えた。泣いているように見えたけど……。やっぱヒドすぎる?
 演奏が終わったが拍手はまばらだった。しかし僕らは無事に演奏ができたのでホッとして客席にお辞儀をし、ステージ上手から退場した。
「お前ら……。何だよあれ」
 兜が真剣な顔で話しかけてきた。
「ごめん。ぶち壊した?」
「逆だよすげえよ。あんなの見たことも聞いたこともない。オレにも見えたよ自分の方向性が。やりたいようにやるのがカッコいいのか……。ありがとな」
「そ、そうか。兜も頑張れよ」
「おう。じゃ行ってくるぜ」
 兜は自分のバンドのメンバーを連れてステージに上がって行った。
 文化祭は三時に終わり片付けが始まった。江口は奈美ちゃんに振られた。
「あんなダサいバンドなんて知らなかったってそんなに俺たちダサかったか?」
「別に普通じゃね?」
 クラスの誰かから差し入れでもらった電子タバコを吸いながら鈴木は言った。
「オレは面白かったけどね」
「予備校行きづれえ。顔合わせたくない」
「次から次へとどんどんいい女は出てくるって。まあ世界に一石は投じたんじゃない? 何かを成し遂げたという点では成功だろ」
「確かに何かをやった感はあるな。のう、岩石。久遠様は何か言ってた?」
 僕は久遠苺から来たLINEを読んでいた。
『後夜祭のときちょっと時間ある? プールのところに来て』
「何か話があるから後で来てくれって」
「ダメ出しだな。怖え〜」
「やだなあ」
「じゃあそろそろ俺たちも片付けっかあ」
「結構儲かったから打ち上げは派手にできるな」
 後夜祭のファイヤーなんとかが始まった。校庭の真ん中で焚いたキャンプファイヤーみたいなやつの火の粉が舞い上がり晩夏の涼しい風に運ばれリア充たちを攻撃していた。
「あちちち」
「きゃあ」
 僕がプールに着くと久遠さんはすでにそこにいた。
「お疲れ様」
「ありがとうございます。久遠さんのおかげです」
 久遠苺は微笑んでいた。初めて笑った顔を見た。やはり人間笑った顔がいいよね。
「私ちょっと泣いちゃった」
「ヒドすぎて?」
 久遠さんはちょっと怒った顔になり、
「素敵だったからに決まってるじゃない」
 と言った。
「私ね、本命の私立の高校には受からないって言われて推薦でここに入ったの」
「都立の推薦って宝くじレベルですよ」
「中学受験にも失敗していて……。だから高校受験はさせてもらえなかった。父の想定する学校の偏差値に届かなくて。兄も妹も順風に第一志望の超難関校に受かったのに私だけ毎回失敗している。要は家では落ちこぼれなのよ。父は厳格な人で子供には最高水準の教育を提供したいと考えているんだけどそもそも土俵に上ることさえできなかったというわけ。こうなるともう私がすることすべてが否定の対象なのね。当然大学は最後の挑戦となるんでしょうけれどもう家族から期待されている感じではないの」
「大変でしたね」
「そういうわけで高校に入ってもずっと勉強づけで何もしてこなかったでしょう。背水の陣なわけで。だから友達もいないし。私も実は青春のいちモニュメントを作りたかったの。私はロックンロールが好きで、自分のバンドでライブをやりたかったけど事情が事情でできるわけもないし。それで自分では何もできないから巻君にそれを託した。卑怯な話よね」
 伏せ目がちにぼそぼそとそう話す久遠さんはいつもより小さく見えた。
「卑怯だなんて、久遠さんのおかげで僕はモニュメントを建立できたんですから」
「私が自分のモニュメントを巻君に作らせたようなもので」
「でもなんで俺だったんですか。他のやつにやらせても良かったでしょうに」
 久遠さんは空を見た。人は悲しいと空を見るのだ。
「暇そうだったから」
「やっぱり?」
「うそ。現国の授業のとき先生が詩を作れって言ったでしょう」
「はあ」
「そのとき巻君が『ちょっと心にぐっとくることが起こるまで待ってくれませんか。無感動状態では詩は書けません』と言ったの」
「そんなこと言いましたっけ」
「そのときこの人すごい!って思っちゃったんだ。職人的に書く気はないんだって」
「人のツボは分かりませんね」
 久遠さんの魅力はこの距離感の取り方だなと思った。
「とにかくこれは一緒にやったんですよ。二人の共同作業です。決して人に作らせたのではなくて。久遠さんがいなかったらできてませんもん。なんて……」
 久遠さんはこっちを向いた。遠くでファイヤーなんとかの喧騒が小さく聞こえている。
「楽しかったの。スクーターで二人乗りしたり花火をしたりバンド名を考えたりみんなで理科室でお酒を飲んだり電子タバコを吸ったり兄のギターを盗んだり」
 やっぱりね。盗品だと思った。
 久遠さんは切なげに地面を見ている。彼女にも感情があったんだなと思うとちょっと悲しくなった。この変な契約関係に感情が入り込んだら、それはもう終わり(コーダ)だ。
「そうだ。いいことを思いつきました」
 僕は江口と鈴木に楽器を持ってプールまで来てくれとLINEで連絡をした。
「久遠さん、四人で演奏しましょう」
「いいね。久遠様も交えてなんてもう死んでもいい」
「え。私演奏できない」
「久遠さんバチをどうぞ。オレと交互に叩こう」
「ベース、エロサイト。ギター、巻岩石(ロックンロール)、ドラムス、スズキガンマと久遠苺。またの名をストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー。ブートレッグ・カリフォルニアです。聞いてください。『バイ・ザ・ビーチ』」
 僕らは後夜祭の騒ぎをバックにどんちゃん演奏した。ほぼチンドン屋である。鈴木が持ってきたペットボトルに入れたエチルアルコールのコーラ割りを飲みながら、電子タバコを回し呑みしながら。
 結局高校生のうちに童貞を卒業するミッションはコンプリートできなかったが、無事に浪人生(フリー・ガイ)になることには成功した。予想通り江口と鈴木もどこの大学にも受からなかった。僕らは大渋谷ゼミナールという超小さな予備校のバカコース(本当にBコースという名称なのだ)に通うことになった(二人が現役の頃から通っていたところである。奈美ちゃんは明治大学に入ったのでもういない)。
 四月の渋谷はごみごみしていたが活気のある町で楽しい感じだ。
「大学なんてぶっちゃけどこでもいいんだよな。女が多いところなら」
「俺も入れればどこでもいい」
「オレはどうせすぐに家を継がなきゃならんからなあ。単なる時間稼ぎ」
 久遠苺は無事に慶應大学の文学部に入学したらしい。
「久遠様すげえよな」
「それでも家的には失敗なんだろ」
「じゃあどこなら成功なんだ」
「知らね。東大じゃね」
「俺たち親がバカで良かったよな。大学名なんて全然知らないもんな。日本マグロ大学に行くっつったらイイねとか言ってんだもん」
「あの神々しかった久遠様もチャラい大学生の餌食か。社会という海の藻屑と化したな」
「悲しいねえ」
 それにしてもあと一年何をやればいいんだろう。長いぞ浪人生活(フリー・タイム)。早めに勉強しすぎて燃え尽きる人がいるとよく聞くが勉強をしないまままた受験シーズンになりそうな気がしてコワい。
「そういえばバイク入荷したぞ」
「マジか。バイト代むっちゃ溜まってんから即金で払うぜ」
「物好きだなホンダダックスとは。スズキにしろよ」
「いや、バイクはホンダ一択だ」
「遅いぜ」
「速いバイクは怖いんだよ」
「おい、お前らそろそろ階段下(パラダイス)行こうぜ。二限が終わる」
「行ってみるかあ」
「スマホ機種変しなきゃだな」

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