ようやく部屋の中の火薬臭さが消えた。僕はギターをケースから出し知っているコードで曲を作り始めた。外は燦々と真夏の太陽(サンシャイン)が降り注いでいる。僕は部屋を締め切ってカーテンを閉めてクーラーをギンギンに効かせてギターを弾いた。時折母が様子を見にきたが僕が真剣に曲を作っているからか何も言わずに去っていった。たまに「いい曲だねえ」などと言いながら切ったスイカを持ってきてくれた。思えば母は僕のすることに反対することはない。バイクの免許を取るのも夏期講習の申し込みをしなかったのも自由にやらせてくれていた。育児書で読んだのか元々そういう性格なのかとにかく僕のすることなすことをほめる人である。
 一週間が経った。
「できました」
 僕はLINEを久遠苺に送った。
「素敵ね」
 久遠苺はそう返信してきただけだった。
 都立高校の文化祭は九月の頭に行われる。九月最初の週末だ。それにしても何のためにこんなことをしているのか? 予備校にいるような訳のわからない女を振り向かせて童貞卒業を決行するためか? それとも一方的にさせられた久遠苺との約束を守るためか? 自分にも何かができると自分自身に証明するためか? 人と歩調を合わせるためか? 芸術とはなかなか奥深いものである。
 八月に入っても久遠苺からの連絡は途絶えたままだったが僕は音楽の練習以外することもないので近所のカラオケ屋でアルバイトをした(なんとお茶屋さんが経営しているカラオケ屋である。地元で一番安いのが売り)。客が少ないときは空いた部屋で練習してもいいヨと店長が言ってくれたのでありがたかった。店長はミャンマーから来た男である。もし自分がミャンマーに行ったとしてカラオケ屋の店長にまで出世できるだろうか? すごい男だ。
 夏休みは足早に去っていき学校が始まった。始業式の後のホームルームで二学期の過ごし方を先生がひとしきり喋っていたが頭の中は一つのことでいっぱいだった。文化祭出演の交渉だ。クラスの出し物は江口の発案でフィーリングカップル五対五みたいな何か下らないマッチングサービス兼喫茶店みたいなやつをやることが一学期のときに決まっており夏休み後半から準備が始まっていた。ホームルームが終わると僕は兜暖簾(かぶとのれん)というけったいな名前の男のところに行き相談した。
「兜、お前軽音の部長だったよな」
「そうだけど。まあもう引退だけど」
「俺文化祭で歌いたいんだけどなんとかならねえかな」
「バンド?」
「いや、ソロ。弾き語り」
「うーん最近バンドも下火で全然出演者が足りないんで時間は融通できると思うんだけど弾き語りは結構大変だぞ」
「何が大変なん?」
「あれはな、ミュージシャンが全裸で客の前に立つようなものだ」
「願ったり叶ったりだ」
「さすがだな。タイスケに入れておくぜ。何分ステージが希望?」
「一曲でいいんだ」
「あっそう。じゃあバンドとバンドの合間にやる感じかな」
「それでいいよ。センキウ」
「ノープロブレム」
「悪いな。準備もあったろうに」
「気にすんなよ。オレもクラスの手伝い全然できてねえから」
「お前も出るん?」
「もちろん出るぜ。トリだ。オレはプロを目指しているからな。場数を踏まないと」
「カッケー」
 兜はギターをかついで軽音の部室に向かった。後ろ向きに手をひらひらさせながら。
「よう岩石」
 江口がニヤニヤしながら近寄ってきた。
「いやーサマーラッキースケベってのはあるもんだなあ。ふふふ……」
「なんかいいことあったのか」
「予備校のさあ自習室で可愛い女の子と知り合ってさ、ほら広尾の私立の女子校の」
「渋谷女学院か?」
「そ。ひょんなことから知り合ってさ。いやあ充実した夏休みであった。もうスマホの容量パンパンよ。勉強はまったく進まなかったからマジで学術的なことはいまだに何も分からんが。耶律阿保機って何?」
「気楽でいいなあ。俺学祭に出ることにした」
「そうそうそれそれ。これ見てくれよ」
 江口がバットケースのような筒から何かを取り出した。バットだった。
「何これ」
「ベース。お前がバンドやりたがってたから鈴木に注文して作ってもらったんよ。あいつ手先器用じゃんか」
 それはバットを削り太い金属製の弦が一本張られている楽器だった。バットの先端から電線が生えていた。
「すげー!」
「あいつすげえな。さすが理系クラス。ネットでエレキギターの構造をちらっと見ただけでこれを作っちまった」
「音出んの?」
「あいつんちで試したけど出た。弦は一本なのは構造上の問題なんだがなんとかなるだろ。木材は耐久性を考えてバットにしたんだと。何でもこのコイルで弦の振動を電流に変えているらしいぜ。晩夏の東京にオレのエレクトリック・バットが火を吹く予定」
「お前ベース弾いてくれるんけ」
「だから作ってもらったんだよ。ボキ奈美ちゃんに言っちゃったんだよね。あ、渋女のね。学祭でバンドやるから来てくれって」
「ナンパするときバンドやってるって言っちゃったんか」
「そ。嘘を本当にするしかない。外堀から埋めるのがボキのスタイル」
 江口のスピリットには見習うべきものがあるなあ。
「で今鈴木のやつ、ドラム作ってるぜ」
「え」
「あいつがドラムよ。実家がバイク屋っていいよな。作業場があるってのはいいよ。大体できたって昨日LINEが来たぞ」
 江口が見せてくれた鈴木が制作している写真はスタンドにタンバリンが一つ付いた楽器だった。
「すげえ。ロックンロールができる」
 バンドを組んだ旨を兜暖簾に伝え僕らのバンドの文化祭出演は本決まりになった。
「どう首尾は」
 久遠苺がやってきた。
「ああ久遠さんお久しぶりです」
「久遠様、ご機嫌麗しう」
「こんにちは」
「久遠さん、バンドで出ることにしました。さっき兜に掛け合って一曲だけだけど出演させてもらえることになって」
「それは最高ね。バンドメンバーは?」
「ドラムス、鈴木(スズキ)丸麻(ガンマ)、ベース、江口才人、そしてギターとボーカル、巻岩石。どう?」
「トリオ、素敵ね。江口くんってエロサイトって呼ばれているけど本当にサイトという名前だったのね」
「え、オレそんな風に呼ばれてんの?」
「ええ。みんなそう呼んでいるわ」
 江口は涙ぐんだ。
「バンド名は決まったの?」
「あ」
「バンド名がないバンドなんて聞いたことがないわ。決めないと」
「ヤング・ポッキーズってのはどうかな。ボキポッキー好きだから」
「却下」
「なんだなんだ」鈴木がやってきた。顔が赤い。
「何の話してんの? おわっ久遠さん」
「バンド名を決めてんだよ。お前なんで顔が赤いの」
「理科室のエチルアルコールをコーラで割ってチビっと飲んできた」
「え?」久遠さんが目を見張った。
「すごいわね鈴木君。尊敬するわ」
「そう?」鈴木はもじもじした。
「『ブートレッグ』はどう? 密造酒って意味だけど」
「かっこいいです久遠様」
「いいねえ。あと一つパンチが欲しいけど」
 僕は久遠さんと行った城南島を思い出した。偽物のカリフォルニア。
「『ブートレッグ・カリフォルニア』にしよう」
「長げえ」
「いや、これでいく。みんないいだろ」
「久遠様に決めてもらおう。いかがですか久遠様」
「『ブートレッグ・カリフォルニア』、素敵だと思う」
 久遠苺が目を閉じて言った。
「決まったな。多分高校における俺たち最初で最後の晴れ舞台だ。このしょぼくれた高校生活を土壇場で逆転させる千載一遇のチャンスだ」
 この後四人で理科室に忍び込んで決起集会をとり行った。そんなに真っ赤な顔になっちゃって君たち塾は大丈夫なの?