「夏が来る……。何としてもビッグなイベントを起こさないとまずい……。このままだと童貞のまま高校とグッバイすることになってしまう」
母が軽井沢で買って来てくれたダサいカエル柄の手拭いで僕はしたたる脂汗をふいた。クールなイベントが起きないのは自分自身の地味さが原因であり、この地味さが自分の悩みを解消する際の障害であることは重々承知していた。この焦燥感を解決するには具体的な行動に出るしかないのだ。
昼休み学食で二百九十円の天ぷらそばを食べながら今後の展開をどうするか考えていた。後ろで江口が半チャーハン大盛りを頼む声が聞こえる。僕は思案する。どうやったら童貞にアディオスできるのか? ピュアなままカレッジ進学になったら立場がさらに厳しいものになることは間違いない。そうしたら更なる悲しい状況に置かれてしまう。一生女について知っているふりをして友人に話を合わせながら過ごすなんて不毛だろう。「女? ああ、そりゃあ女だな」なんて典型的バカが言うセリフだ。
子孫だって残さなくてはならない。華麗なる大学デビューを目指すためには今のうちに下準備をしておかないとマズいのだ。
「ここ空いてる?」
悲しくそばをすすっていると隣にデカい女が来た。
(久遠苺……)
「空いています」
久遠苺は醤油ラーメンが載ったお盆をテーブルに置いた。そして着席し何も言わずにずるずるとラーメンを食べ始めた。こんな才媛でもラーメンを食べるのか。そりゃ食べるよな。
「ラーメンって最初から最後まで味が変わらないわよね」
久遠さんはクラスでは物静かで喋ったところをあまり見たことがない。というより自発的に何かを喋ることはない。もちろん先生に当てられたら正答率百パーで答えるのだが要するに必要なときにしか喋らない。ちょっと変わっている。部活にも入らずただひたすらに勉強しているというイメージである。噂によるといいところのお嬢さんだという。そんな彼女がなぜウチの高校にいるのかミステリーである。そういえば身長が高い女は大人しいという話を聞いたことがあるな。チビの女に限ってうるさいものだ。その点では人間と犬は似ている。
六時間目の那須先生の倫理の授業が終わり僕は自分の席で相変わらずあれこれ考えていた。このままライトハンド奏法だけやっているわけにもいかん。やはりここはバイトをしてそこで知り合ったギャルとオーバードライブだろう。でも何のバイトをすればいいんだ。
「巻。そろそろ夏休みだが何か予定はあるのか。予備校の夏期講習は申し込んだんか」
同じクラスの江口が寄ってきた。
「申し込んでないよ。それよりどうやって夜の夏期講習の受講票を入手するかを考えている」
「マジかよ大丈夫か受験。女? やめとけやめとけ引っ込み思案のお前にはムリだろうそりゃ。そうそう予備校の裏階段、パンチラ見放題なんだがそういう方向じゃダメなんか。お前も行こうぜ。相当いいぞあのスポット。ボキそれ用に高性能のスマホ買おうかなと思ってんだよ。レンズが三つも四つも付いているやつ。夜景モードも付いてるやつ」
よく喋るなあ。
「童貞捨てたいってまず彼女がいないと無理じゃね」
鈴木が電子タバコを咥えながらやってきた。
「店行った方が早くね」
「まあそうかもしれんが……、それでいいんかな」
「オヤジが男は店だとか言っていた」
「錦糸町になんかいい所あるらしいぜ」
「だったらいっそ吉原じゃね」
「そんな度胸ねえだろ」
「でもバイクで十五分くらいだよ」
江口は窓の外の無数にいる女子生徒を見ている。
「だからこその階段下よ。時代は擬似体験よ。VRよ。メタバースよ。合格コップが出てくるコーヒーの自販機があるんだがそこがホットスポット、いや心のパワースポット。鉄の階段で隙間から見放題」
「あのアイフォーンで下らねえ音楽聴きながら自習している女たちに切り込むのはハードだろ。バカなんだか利口なんだか分からんからな。イヤホンむしり取って話しかけるのはなかなか厳しいだろ」
鈴木は電子タバコのスイッチを入れた。
僕は立ち上がった。
「俺たちがこの二年半で何をやった? やったとすれば指を咥えてリア充を見ていたことくらいだろう。何か一つくらいビッグなことをやりたいんだよ。そうすればこのボイショーな状況を打開できると思うんだよ。そうすれば今年中にシティ・エレガンスを……」
「だったら音楽をやりなさいよ」
久遠苺が突然話しかけてきた。
「く、久遠様」
江口が坐っていた机から落ちた。落ちるときやつのスマホのカメラが画面のどこかに指を触れたのか勝手に起動していた。鈴木もメガネを拭いている。幻でも見たかのように。
「その女たちにあなたの音楽を聞かせるのよ」
久遠苺は顔色を一つ変えずそういうと去って行った。
「よく見ると足太てえー」
「おい巻、お前久遠さんと喋る仲なのか? というか彼女が自発的に喋んの初めて見た」
「いや、今日初めて食堂で会話をちょっとだけ交わしただけだが……」
「あんな才媛が…」江口がスマホを拾いながら言った。
「久遠様あんな才媛なのにスカート短いよな。知能とスカートを短くしたい欲求は関係ないのかな。確かに大根足だったな」
「何でもお父さんはアメリカだったか外国の大学を出ていてどえらい会社の役員らしいぜ。家は大田区だと。お前ん家どこだっけ」
鈴木が江口に言った。
「月島。お前は」
「亀戸。巻は」
「おれ人形町」
「悪くはないが大田区とは何かが違うな」
鈴木は電子タバコのスイッチを入れ外を見ながら言った。「蒲田も大田区だけどな」
「こう考えてみるとアニメみたいに自分の家の金を人のために惜しげもなく使う超大富豪の娘とか文武両道で巨乳で生徒会長をやっている美女とかバカと天才が同時に存在する高校とか現実的じゃあないよな」
「特進クラスのある私立とかそういうやつじゃね」
「金持ちと貧乏人が混在する私立高校なんてねえだろ。そもそも人に金使わせといて罪悪感を持たない周りの連中の精神性がやべえよな」
「転校生とか。高校で転入なんて不可能に近い。区立中学じゃねえんだから」
「東京からすぐに行けるリゾート化された無人島とかな。緯度的に寒いっての」
ひとしきりアニメの納得いかない点を言い放って鈴木と江口は予備校に行ってしまった。あのバカたちも大学に行くつもりなんだなあ。
僕は久遠苺が言ったことを思い出しながら学校から駅までの間のシャバい商店街にある楽器屋に行くことにした。すでに外はやや暗くなっていた。
「音楽か。いいかもだなあ。地元のミュージック・スターになれば野望達成に一歩近づくかもしれん」
楽器屋のショー・ウィンドウには『サマー・セール』という名の下に安っぽいウクレレが二本飾られていた。誰がポップを作っているか知らんが楽しげな店頭ポップも飾ってあった。楽器屋もがんばっているな。しかしこのしけた商店街、サマーってガラじゃないんだよな。
「そもそも音楽ってどうやるんだ? ギターを弾いて唄えばいいのか、DJか。ロックかフォークか? ピアノは難しそうだが。トランペットは吹きながら歌えないし。そもそも歌わなきゃダメなのか? あ、ギロ簡単そうだなあ……」
「ギターよ。ギターにしましょう。ギターを弾いて唄うの。自分の歌を」
僕はぎょっとして声の方を振り向くと久遠苺が汗ばんだ様子で立っていた。
「な、何か今日はよく会いますね……」
「偶然よ。ねえ、そもそも何で巻君はビッグなことをしたいの」
「それは、高校に入って何もやっていないことにちょっと焦っていて……。前から思っていたことなんだけど」
「ふうん。そこで一つビッグなことをやれば青春のいちモニュメントを建造できるというわけね」
「下らないとは思いますが僕には重要なんですよね……。あと実は、ちょっとモテたいというか女の子と高校卒業までにトロピカル・ランデヴーしたいなと思っていまして……」
「え」
久遠苺の表情から困惑の色がうかがえた。
「そ、そのためにはまず自分がゴージャスにならないとと思いまして」
「じゃあ、文化祭で巻君が自分の音楽をライブでやればいいのよ。女が振り向くわ。もしそれが成功したらトロピカル・ランデヴー? それ手伝うわ。私でもできるんでしょう? よく分からないけど」
久遠さんで卒業? 百パー死ぬだろそんなことになったら。途方もない夢を振り払い彼女を改めて見ると、短いスカートから出ている足は確かに大根足だった。エロし。すでに僕のモニュメントは建立しかかっている。色は白く目がでかい。ちょっと三白眼ぎみで白目が青っぽい。瞳は薄い茶色で黒目の縁が青い。何となくどこを見ているか分からない感じ……。長い髪は飽くまでサラサラで制服でよく分からないが胸もデカいっぽい。おデコが広い。こんな女とサマー・メモリー? トロピカル・フィーバー? 彼女、経験豊富なのか?
「それにしても意外とギターって高いね……。スクーターを売るしかないかなあ」
「スクーターを売ってはだめ。あれはあなたの命よ。ギターならあるわ。兄が買ったけれどまったく弾けず二日で投げ出したエレキとアンプが家にある」
「それ貸してくれるの?」
「差し上げるわ。どうせ使われていないんだもの。明日学校に持ってくるから。じゃあね」
そういって久遠苺は地下鉄の駅の方にさっさと去っていった。
「自分の音楽か。考えたこともなかったな」
母が軽井沢で買って来てくれたダサいカエル柄の手拭いで僕はしたたる脂汗をふいた。クールなイベントが起きないのは自分自身の地味さが原因であり、この地味さが自分の悩みを解消する際の障害であることは重々承知していた。この焦燥感を解決するには具体的な行動に出るしかないのだ。
昼休み学食で二百九十円の天ぷらそばを食べながら今後の展開をどうするか考えていた。後ろで江口が半チャーハン大盛りを頼む声が聞こえる。僕は思案する。どうやったら童貞にアディオスできるのか? ピュアなままカレッジ進学になったら立場がさらに厳しいものになることは間違いない。そうしたら更なる悲しい状況に置かれてしまう。一生女について知っているふりをして友人に話を合わせながら過ごすなんて不毛だろう。「女? ああ、そりゃあ女だな」なんて典型的バカが言うセリフだ。
子孫だって残さなくてはならない。華麗なる大学デビューを目指すためには今のうちに下準備をしておかないとマズいのだ。
「ここ空いてる?」
悲しくそばをすすっていると隣にデカい女が来た。
(久遠苺……)
「空いています」
久遠苺は醤油ラーメンが載ったお盆をテーブルに置いた。そして着席し何も言わずにずるずるとラーメンを食べ始めた。こんな才媛でもラーメンを食べるのか。そりゃ食べるよな。
「ラーメンって最初から最後まで味が変わらないわよね」
久遠さんはクラスでは物静かで喋ったところをあまり見たことがない。というより自発的に何かを喋ることはない。もちろん先生に当てられたら正答率百パーで答えるのだが要するに必要なときにしか喋らない。ちょっと変わっている。部活にも入らずただひたすらに勉強しているというイメージである。噂によるといいところのお嬢さんだという。そんな彼女がなぜウチの高校にいるのかミステリーである。そういえば身長が高い女は大人しいという話を聞いたことがあるな。チビの女に限ってうるさいものだ。その点では人間と犬は似ている。
六時間目の那須先生の倫理の授業が終わり僕は自分の席で相変わらずあれこれ考えていた。このままライトハンド奏法だけやっているわけにもいかん。やはりここはバイトをしてそこで知り合ったギャルとオーバードライブだろう。でも何のバイトをすればいいんだ。
「巻。そろそろ夏休みだが何か予定はあるのか。予備校の夏期講習は申し込んだんか」
同じクラスの江口が寄ってきた。
「申し込んでないよ。それよりどうやって夜の夏期講習の受講票を入手するかを考えている」
「マジかよ大丈夫か受験。女? やめとけやめとけ引っ込み思案のお前にはムリだろうそりゃ。そうそう予備校の裏階段、パンチラ見放題なんだがそういう方向じゃダメなんか。お前も行こうぜ。相当いいぞあのスポット。ボキそれ用に高性能のスマホ買おうかなと思ってんだよ。レンズが三つも四つも付いているやつ。夜景モードも付いてるやつ」
よく喋るなあ。
「童貞捨てたいってまず彼女がいないと無理じゃね」
鈴木が電子タバコを咥えながらやってきた。
「店行った方が早くね」
「まあそうかもしれんが……、それでいいんかな」
「オヤジが男は店だとか言っていた」
「錦糸町になんかいい所あるらしいぜ」
「だったらいっそ吉原じゃね」
「そんな度胸ねえだろ」
「でもバイクで十五分くらいだよ」
江口は窓の外の無数にいる女子生徒を見ている。
「だからこその階段下よ。時代は擬似体験よ。VRよ。メタバースよ。合格コップが出てくるコーヒーの自販機があるんだがそこがホットスポット、いや心のパワースポット。鉄の階段で隙間から見放題」
「あのアイフォーンで下らねえ音楽聴きながら自習している女たちに切り込むのはハードだろ。バカなんだか利口なんだか分からんからな。イヤホンむしり取って話しかけるのはなかなか厳しいだろ」
鈴木は電子タバコのスイッチを入れた。
僕は立ち上がった。
「俺たちがこの二年半で何をやった? やったとすれば指を咥えてリア充を見ていたことくらいだろう。何か一つくらいビッグなことをやりたいんだよ。そうすればこのボイショーな状況を打開できると思うんだよ。そうすれば今年中にシティ・エレガンスを……」
「だったら音楽をやりなさいよ」
久遠苺が突然話しかけてきた。
「く、久遠様」
江口が坐っていた机から落ちた。落ちるときやつのスマホのカメラが画面のどこかに指を触れたのか勝手に起動していた。鈴木もメガネを拭いている。幻でも見たかのように。
「その女たちにあなたの音楽を聞かせるのよ」
久遠苺は顔色を一つ変えずそういうと去って行った。
「よく見ると足太てえー」
「おい巻、お前久遠さんと喋る仲なのか? というか彼女が自発的に喋んの初めて見た」
「いや、今日初めて食堂で会話をちょっとだけ交わしただけだが……」
「あんな才媛が…」江口がスマホを拾いながら言った。
「久遠様あんな才媛なのにスカート短いよな。知能とスカートを短くしたい欲求は関係ないのかな。確かに大根足だったな」
「何でもお父さんはアメリカだったか外国の大学を出ていてどえらい会社の役員らしいぜ。家は大田区だと。お前ん家どこだっけ」
鈴木が江口に言った。
「月島。お前は」
「亀戸。巻は」
「おれ人形町」
「悪くはないが大田区とは何かが違うな」
鈴木は電子タバコのスイッチを入れ外を見ながら言った。「蒲田も大田区だけどな」
「こう考えてみるとアニメみたいに自分の家の金を人のために惜しげもなく使う超大富豪の娘とか文武両道で巨乳で生徒会長をやっている美女とかバカと天才が同時に存在する高校とか現実的じゃあないよな」
「特進クラスのある私立とかそういうやつじゃね」
「金持ちと貧乏人が混在する私立高校なんてねえだろ。そもそも人に金使わせといて罪悪感を持たない周りの連中の精神性がやべえよな」
「転校生とか。高校で転入なんて不可能に近い。区立中学じゃねえんだから」
「東京からすぐに行けるリゾート化された無人島とかな。緯度的に寒いっての」
ひとしきりアニメの納得いかない点を言い放って鈴木と江口は予備校に行ってしまった。あのバカたちも大学に行くつもりなんだなあ。
僕は久遠苺が言ったことを思い出しながら学校から駅までの間のシャバい商店街にある楽器屋に行くことにした。すでに外はやや暗くなっていた。
「音楽か。いいかもだなあ。地元のミュージック・スターになれば野望達成に一歩近づくかもしれん」
楽器屋のショー・ウィンドウには『サマー・セール』という名の下に安っぽいウクレレが二本飾られていた。誰がポップを作っているか知らんが楽しげな店頭ポップも飾ってあった。楽器屋もがんばっているな。しかしこのしけた商店街、サマーってガラじゃないんだよな。
「そもそも音楽ってどうやるんだ? ギターを弾いて唄えばいいのか、DJか。ロックかフォークか? ピアノは難しそうだが。トランペットは吹きながら歌えないし。そもそも歌わなきゃダメなのか? あ、ギロ簡単そうだなあ……」
「ギターよ。ギターにしましょう。ギターを弾いて唄うの。自分の歌を」
僕はぎょっとして声の方を振り向くと久遠苺が汗ばんだ様子で立っていた。
「な、何か今日はよく会いますね……」
「偶然よ。ねえ、そもそも何で巻君はビッグなことをしたいの」
「それは、高校に入って何もやっていないことにちょっと焦っていて……。前から思っていたことなんだけど」
「ふうん。そこで一つビッグなことをやれば青春のいちモニュメントを建造できるというわけね」
「下らないとは思いますが僕には重要なんですよね……。あと実は、ちょっとモテたいというか女の子と高校卒業までにトロピカル・ランデヴーしたいなと思っていまして……」
「え」
久遠苺の表情から困惑の色がうかがえた。
「そ、そのためにはまず自分がゴージャスにならないとと思いまして」
「じゃあ、文化祭で巻君が自分の音楽をライブでやればいいのよ。女が振り向くわ。もしそれが成功したらトロピカル・ランデヴー? それ手伝うわ。私でもできるんでしょう? よく分からないけど」
久遠さんで卒業? 百パー死ぬだろそんなことになったら。途方もない夢を振り払い彼女を改めて見ると、短いスカートから出ている足は確かに大根足だった。エロし。すでに僕のモニュメントは建立しかかっている。色は白く目がでかい。ちょっと三白眼ぎみで白目が青っぽい。瞳は薄い茶色で黒目の縁が青い。何となくどこを見ているか分からない感じ……。長い髪は飽くまでサラサラで制服でよく分からないが胸もデカいっぽい。おデコが広い。こんな女とサマー・メモリー? トロピカル・フィーバー? 彼女、経験豊富なのか?
「それにしても意外とギターって高いね……。スクーターを売るしかないかなあ」
「スクーターを売ってはだめ。あれはあなたの命よ。ギターならあるわ。兄が買ったけれどまったく弾けず二日で投げ出したエレキとアンプが家にある」
「それ貸してくれるの?」
「差し上げるわ。どうせ使われていないんだもの。明日学校に持ってくるから。じゃあね」
そういって久遠苺は地下鉄の駅の方にさっさと去っていった。
「自分の音楽か。考えたこともなかったな」