羽の華

 ばさっ、

 白く輝く羽の羽ばたきが、無音の空にただ一つの音を与える。黒雲に覆われた、黒く、淀んだ空を、白刃が切り裂く。一瞬見える、澄んだ空。しかしすぐに、黒雲がよみがえる。

 ふわっ、

 夜空と同じ紺色の、柔らかい、猫の毛のような髪が、背中の白い羽が生み出す、強い乱気流に弄ばれ、絡まる。少年は頭を振って、短い髪の乱れを直そうとする。小顔の少年は、体も小柄で、まるで棒切れのように細かった。白い羽とは対照的に、砂のような褐色の肌を、真っ白なシャツとベージュのスラックスが覆う。

 少年は地面に降り立とうとして、眼下いっぱいに広がる草原の、とある地点を見据え、降下する。

 びゅう、

 少年の羽の羽ばたきが、草花の茎を、もげそうになるほどに、揺らす。少年は一つ舌打ちをすると、羽ばたくのをやめさせようとする。少年の命令に羽が従うころには、少年の周りの草は、傷んでしまっていた。

 否、少年が降り立とうとする前から、この草原は、葬式場となっていた。草は茶色くなり折れて、花はしおれ、花弁はしぼんでいる。

「万物に、光と恵を与えし物……もう今は、光なぞ与えてくれず、ただ絶望だけを、届けるもの……」

 少年の、小柄な体が震える。羽も、共鳴するように、震えた。羽で、自分自身を抱きかかえるように、少年はうずくまる。首だけで、空を見上げる。心までも、黒く、蝕みそうな、淀んだ空。切り裂こうとも、切り裂こうとも、蘇る、雲……

 はぁ、

 小さなため息が、口から漏れ出る。絶望の色に染まり切った、苦悩の空気を目いっぱいに孕む、そんな、ため息。少年の眉が、ゆるりと歪みゆき、目じりににじむ涙は、そこからあふれることを知らない。

 泣けない。怒れない。

 少年の心を縛る、生まれてから何度も聞かされた、戒律。泣いてはならない。怒ってはならない。苛立ってはならない。

「治さなきゃ……」

 地へ手を伸ばす。少年の手と似た色の草をかき分けて、大地に触れた。冷たかった。先ほど飛んでいた、空の中のように。

 誰も居ないのはわかっているが、間違えても聞かれないように、ぼそぼそと小声でつぶやいた。少年が言葉を紡ぐのに合わせ、少年の羽が、墨を垂らしたように、端のほうから、黒に染まる。少年は、脂汗を浮かべ、きつく瞼を閉じながら、体を震わせる。羽の中の黒が、手を伝い、大地のほうへと流れゆく。

 じんわりと、手が熱を持つ。その熱は、大地へ伝わる。冷たかった台地が、少しずつ、暖かくなっていく。

 翔、

 少年を中心に、円状に、そよ風のようにゆるい風が、地面から空へと吹き始める。少年の汗が、頤を伝い、地面に染みを作る。風が吹いているところ。むくむくと顔を出すのは、青々とした、草の芽。

枯れ草が、しぼんだ花弁が、風に乗って舞い上がる。尚も、少年は苦しそうに、自分の体を掻き抱く。

 斬、

 ひときわ大きく、風が鳴る。とてつもなく強い風が、空へ向かって吹き荒れる。少年だけが、乱気流から逃れている。乱気流の中心で、白くなり行く羽で、自分の体を守るように、包み込む。

「命を。恵みを。飢え、しぼみ、枯れ果て、折れた、者たちへ。救い給え、我が主よ。与え給え、我が主よ。もう二度と、このようなことが起こらぬよう」

 少年が、祝詞の様に、何かを謳う。その言葉に合わせ、

 しん、

 風が一斉に、止む。燦燦と降り注ぐ陽光が、少年の肌を焼いた。少年の脂汗が、ただの汗へと変わる。少年は羽の抱擁を解き、立ち上がる。

 さわっ、

 弱い風に揺さぶられ、青々とした草が靡く。いつの間にか、枯れ果てていた草が若返り、地面を緑で埋め尽くす。点々と咲く花が、彩を与える。

「よかった……」

 ひらり。

 少年が笑っている間に、羽が抜け落ちる。

 ひらり。ひらり。

 少年は労わるように、自分の羽を撫でた。

 ひらり。ひらり。ひらり。

 撫でるたびに、羽は抜け、いつの間にか、少年の周りに、羽溜まりができている。

「形在るもの、いずれ壊るる」

 謳うように、少年は言葉を紡ぎだす。

 ひらり。ひらり。

 舞い落ちる羽は、終わりを知らなくて。

「一瞬の、一生。僕は、どう生きるべきだろうね?」

 誰かに尋ねるように。少年は歯を食いしばって、ばさっと、羽ばたいた。肉が、骨が、露わになることも恐れずに。少年はぐんぐん上昇し、そして……

 ぱっ。

 少年は笑う。




 爛漫。