……夏休み第一週。
我が『丘の上』では、夏期講習が絶賛開催中だ。
とはいえ講習は、午前中だけで終了し。
昼からは例によって、みんなで部室に集合している。
ただその前に、この日も僕は担任でもない藤峰先生の野暮用を済ませて。
一度教室に戻ろうと、中央廊下を歩いていた。
「……ねぇ、海原君?」
控えめに、ただターゲットを定めたように。三組の女子が、声をかけてくる。
「あの、もしかして……」
そこまでいいかけて、その子は左右を素早く見回したあと。
小さな声で、妙なことを聞いてくる。
「『坂の上』の制服、知ってる?」
「へ?」
「わたしね、中学の親友が『坂の上』だから。あそこの制服、よく知ってるんだ」
「う、うん……」
その子のいうことが、さっぱりわからない。
「制服『好きな人』は、知ってるけど……」
僕は以前、三藤先輩から聞いたことを思い出しながら、答えたのだけれど。
「なんかそのいいかた、聞いたわたしは複雑だよ……」
そうか、先輩は自分から制服に詳しいといった気がするから……。
どうやらこの子は、制服が『趣味』ではないようだ。
「でね、その制服の人が海原君を探してたよ」
「そ、そうなんだ……」
その子は、チラリと僕を見てから。
「その人が、彼女なの?」
「へ?」
また、わけのわからないことを聞いてくる。
その女子は、まだなにかをいいかけていたのだけれど。
なんらかの『物体』を発見したようで。
「じゃ、じゃぁ……」
それだけいうと、高速で僕から離れていく。
おそらく、この勢いで女子が逃げていくとすれば。それはきっと……。
「し、師匠っ!」
や、やめてその呼びかた。そしてやっぱりお前か!
挙動不審すぎるスピードで、首を左右に振りながら。
山川俊が僕を目掛けて、廊下の中央を進んでくる。
さっきの女子は、どうしてもその生き物から逃れたいらしく。
必死に壁際によって、そいつをかわしている。
「なんすかー! あの美女はー!」
なんだよ、また『誰か』きたのか?
……でもあれ?
山川が認知していいない、美女って誰?
「……ちょっと、あなたの出番はもう終わりよ。消えなさい」
僕の背中側から、容赦ない声がすると。
「ヒ、ヒィッ……」
山川が、喉にワラでも詰まらせた鹿みたいな声をあげて消えていく。
で、その有無をいわさぬ冷たい声って……。
「どうして『あの子』が、乱入しているのかしら?」
お、怒ってるんです……ね。
三藤先輩が、極めて冷たい視線を僕に送っている。
「あ、あの?」
「なにかしら?」
「ま、まさかとは思いますけど……」
先輩は、僕の視線の先を追いかけて。先ほどまで話していた三組の女子の姿を捕捉すると、あきれたような声で僕に……。
「あのね、いくらヒトに興味がなくてもね」
「は、はぁ……?」
「由衣さんと同じ『制服』を着ていれば、一年生だとはわかるわ」
なるほど。
先輩の『あの子』とは、三組の子ではないようだ。
「聞いたでしょう。『外来種』が、学内に乱入しているのよ」
三組の女子、そんなふうにいってたっけ?
「ねぇ?」
ゲッ……。同学年女子、話しかけてきただけなんです!
「あの子も『制服好き』なの?」
なんだ……。同じ趣味かどうかを確認したかったのか。
「詳しいだけで、好きではないようです」
「そうなの、まぁそれでいいわ」
よくは、わからないけれど……。
どうやって先輩が、先ほどの会話を知ったのかとか。
どこまで聞こえていたのとかも、深く聞いてはいけない気がする。
そうだ、平和に生きよう。
なんといっても、夏休みが近いのだ。
「……お話し、戻していいかしら?」
す、すいませんでした……。
「ちょっと気に入ったのでもう一度いうわよ。あの『外来種』が……」
妙な言葉を好きになった先輩が、そこまでいいかけると……。
「あ、昴君。やっほー!」
まさかの、声がして。
『坂の上』の『制服姿』で赤根玲香が、笑顔で手を振っている。
おまけにその隣では、春香先輩が。
とんでもなく不満げな視線を、僕に向けているじゃないか!
「えっ。『外来種』って、もしかして……」
「海原くんが、わざわざ呼んだっていうのは本当かしら?」
三藤先輩は、僕の質問など完全無視で。
「昴君、そうだよねー? 早く会いにきてくださいっていってくれたもんねー」
「へ?」
玲香ちゃんが、ズンズン歩いてきて話しに割り込んでくる。
「そうか海原君って、そんなに軽い人だったんだ〜。相当見損なったよ」
「春香先輩。ち、違いますよ!」
まったく心当たりがないけれど。事実、玲香ちゃんが校内にいる。
でも、こういうときってたいてい……。
「あ! 玲香ちゃんここにいたんだ〜!」
やっぱり!
都木先輩まできてしまった! これはまずいぞ……。
ん?
……あれ?
いま。都木先輩見て固まったよね、玲香ちゃん?
「……ごめんごめん月子ちゃん。単なる冗談だよ〜」
「趣味が悪いわ、『赤根さん』」
「そこは、『玲香さん』で決着したよね〜?」
「月子が元に戻っても構わないし。うん、あんまり笑えない」
「陽子ちゃん、ちょっとひどいよぉ〜」
二年生の三人が、盛り上がっているけれど。
被害者、僕じゃないんですか?
「玲香ちゃんが、夏休みで暇だってメール送ってきたからね」
「それなら遊びにきたらどうですかって、誘ったんですよね〜」
都木先輩と、いつのまにか合流した高嶺が。のんびりした声でいう。
「それならせめて、『制服』くらい着てきなさいよ」
「え? 月子ちゃん。ちゃんと前の着てきたよ?」
「いいえ、『丘の上』のを着てくるべきよ」
「月子ちゃん、なんでそんなに『制服』にこだわるの?」
「そ、それはちょっと……」
制服好きのこだわりだとは、三藤先輩がいえるわけもなく。
かといってもちろん、僕が補足するわけにもいかず。
「ねぇ、どうして?」
でもそうやって粘る玲香ちゃんと、三藤先輩の姿はなんだか。
……ちょっとだけ、おかしかった。
……やれやれ、お昼はこれで平和に食べられるだろう。
そう思って、『機器室』に入ると。
「お腹すいたね〜!」
講習に入ってからは、ランチも一緒に食べるようになった藤峰先生が。
玲香ちゃんを見ても、驚くようすもなく手を振っている。
よし、やっとお弁当だ!
張り切って、みんなの湯呑みを用意しよう。そう思ったのに……。
「そこだけはダメ!」
こ、今度は。都木先輩ですか……。
珍しいセリフですけど、いったい……?
「れ、玲香ちゃん?」
「ん?」
あろうことか、隣で玲香ちゃんが。
僕の『指定席』にちょこんと座ろうとしている。
「あ、昴君のってことだね。じゃ、半分こでいいよ!」
玲香ちゃん、お願いだから笑顔でいわないで……。
「赤根さん、あなたはあちらにいきなさい」
極めて事務的な声で、三藤先輩が移動するようにうながす。
「えー。昴君の隣でいいよー。だって……」
いいかけた玲香ちゃんが珍しく固まる。
あぁ……。
目の前のサンドウィッチに心を奪われている、藤峰先生以外の女子たちが。
みんな、玲香ちゃんを見ながら。
空いた椅子を、じっと指さしている。
おまけに。
「ここ、だからさ……」
都木先輩が、低い声でうながしていて。
……なんでか知らないけれど。
ものすごーく。こ、怖いっ……。
「へへっ。ちょっとした冗談だよ、ねぇ由衣ちゃん?」
「知りません」
高嶺まで、冷たい声だったので。
さすがの玲香ちゃんも、指定された席へと移動する。
……と思ったら、まだ粘るらしい。
「ねぇ、じゃぁさ。じゃんけんしない?」
「ダメっ!」
ちなみに、そう答えたのは。
意外にも、春香先輩が一番早かった。
「……う〜ん、すごい団結力〜」
背伸びしながら、藤峰先生がなにかいっている。
逆にあの鈍感力、僕にも少しわけてくれないかなぁ……。
こうして結局、講習中の部室の長机の『指定席』は。
いわゆる王様席が部長の僕。対面が藤峰先生。
長辺の窓側に三藤先輩、春香先輩が並んで。
その反対側に都木先輩、玲香ちゃん、高嶺が座ることになった。
いわば猛獣を、珍獣と猛獣使いが挟む感じですね、はい。
「……でさでさ、午後はなにするの?」
今度こそお昼ご飯を食べ始めると。玲香ちゃんが目を輝かせながら聞いてくる。
「とりあえず最初の一時間は、勉強よ」
「そうなの、月子ちゃん?」
「嫌なら、帰りなさい」
「せっかくきたのに、つまんなーい」
玲香ちゃん、口ではそういってるけど、僕にはわかる。
あぁ、なんだかまた余分なことをいい出しそうな顔をしている……。
だ、大丈夫なのかな?
「ま、いっか!」
「へ?」
「わたし、ここでも『トップ』取りたいからやるしかないね!」
……部屋の中が一瞬、静まり返る。
「あなた、なんの話をしているの?」
「え? だって月子ちゃん、勉強するんでしょ?」
「そうよ……。でもあなたいま、なにか口にしなかったかしら?」
「えっと……。『トップ取らなきゃ』って、いったけど?」
「どういうこと?」
今度は、陽子先輩が驚いて。続いて玲香ちゃんが、サラリと。
「えー、わたし。去年からずっと、学年一位だよ?」
また恐ろしいことを、口走る。
「……ここの一位はわたしか、陽子の指定席なのだけれど?」
三藤先輩が、戦闘モードに入ったと思ったら。
「え、そうなの? うーん……。『丘の上』は確かに、わたしのところより少しレベル高いけど……」
「けれど?」
「でも、負けないように頑張ってみる!」
あっけらかんといわれて、一気に戦意を喪失したようだ。
多分、先輩もお腹が空いたのだろう。でも、ちょっと気になったみたいで。
「ね、念のため聞くけど……。どんな感じの一位なのかしら?」
「えっ、もしかして気になる?」
なんて答えようかと、ワクワクしている顔の玲香ちゃんが。
いかにもたったいま思いついた、みたいな顔になると、高らかに宣言する。
「えっとねぇ、ぶっちぎり!」
「うわーっ、すごいのきた〜! 月子と陽子、大ピンチ!」
極めて平静を装おうと、必死の三藤先輩を見つめながら。
藤峰先生が、完全に遊んでいる。
都木先輩は、やれやれという顔でため息をつき。
春香先輩は、といえば……。留学してよかった、みたいな苦笑いですね、それ。
最後に、高嶺が少し憂鬱そうな声で。
「な〜んか、わたし学年三十番って……」
そこまでいいかけて、玲香ちゃんが。高嶺の肩をポンと軽くたたいて。
「大丈夫、由衣ちゃん!」
「えっ?」
「わたしたち、学年違うから!」
高嶺は、そういう問題じゃないんだよねぇ……という顔をしていて。
……たまに玲香ちゃんも、ズレたことを口にするよな。
さすがの僕でも、そう思ってしまった。


