終業式の朝。
 講堂の機器室で、インカムをつけた春香(はるか)先輩が。
 舞台上に立つ高嶺(たかね)と僕に、マイクなどの設定について細かく指示を出す。

「いつもより、一時間以上早起きだったよねぇ〜」
 中央列付近の座席で、都木(とき)先輩がひとりごとをつぶやくけれど。
美也(みや)ちゃん、聞こえているよ!」
「あぁごめん、マイクのスイッチ入ってるの忘れてた」
「のんびりしないで、ちゃんとボリュームチェックしてよね!」
「は〜い」
陽子(ようこ)……。朝だからもう少し小さな声にしてくれないかしら?」
 最後列で、音響のチェックをしている三藤(みふじ)先輩が。
 耳から、イヤホン部分を少し遠ざけながら口にする。
「きちんとやるってるんだから、いいでしょ!」
「まったく……。なんだか由衣(ゆい)さんがふたりいるみたいで、耳に響くわね……」
「あの〜、聞こえてるんですけど?」
「あら。スイッチを切り忘れていたわ」
「いやそこ、ごめんなさいですよね!」


 あぁ……。
 春香先輩が元気なのはよかったけれど、元祖・うるさいヤツまで吠え出した。
「ちょっと海原(うなはら)君、ニヤケない!」
「すいません、春香先輩!」
 僕が慌てて謝ると、都木先輩が困ったよねーという顔をして僕を見る。

 そんな中、顧問の藤峰(ふじみね)佳織(かおり)は。
 確か機器室の中に座っている、はずなのに。
 なぜか存在が消えて、静かなままだ。
「みんな、ちょっと待ってて」
 春香先輩がそう伝えて、なにやらガソゴソ音がしたかと思ったら。
「先生! 機器室で寝ないで下さい!」
「えっ? も、もうパン焼けたの?」
 電源を切って、寝ていたのがバレたのか?
 春香先輩に、少しは真剣にやれと怒られている。


 ……事前の準備の、甲斐もあって。
 特に大きな機器トラブルもなく、無事に一学期の終業式が終わる。

 ここでようやく。
 機器室のうしろで、じっと高嶺と僕の手際を見ていた春香先輩が笑顔になる。
「これならとりあえずふたりも、大丈夫だね!」
 その言葉に、深い意味などないだろうと思って。
「まぁアンタも、まだまだだけどよくやったよね」
「お前こそ、春香先輩になにかいわれないかと緊張してただろ?」
 このとき僕たちは、そんな軽口をたたき合っていた。

「みんな、お疲れさま〜」
「初めてにしては、よかったわよ」
 都木先輩と三藤先輩が機器室に入ると、やさしく声をかけてくれる。
「コイツが途中で違うスイッチ押しそうで、ヒヤヒヤしてました〜」
「そうなの?」
「い、いえ春香先輩が怖い顔……。じゃなくて教えてくれたので、助かりました」
 そのあとも、高嶺がギャァギャァ騒ぎかけたのだけれど。
 ふと、僕は。
 ひとり静かな春香先輩に気がついた。

「先輩、どうかしましたか?」
「……ねぇ部長、お願いがあるんだけど。放課後、みんなでもう一度ここに集合してもいいかな?」
「許可は取っておくけれど、また講堂で練習する気?」
 僕の代わりに三藤先輩が、やや不思議そうな顔をして聞く。
「ま、そんな感じかな……」
 僕は一瞬、また『しごかれる』のかと思ったけれど。
「放課後、ねぇ……」
 隣で、都木先輩が。
 少し深刻そうな顔でつぶやいたほうが、気になってしまった。


 ……各教室で、一学期最後のホームルームを終えると。
 放送室に全員が再集合する。
「みんなお疲れさま。で、夏休みの予定はどうしよっか?」
「特に、決めていませんでしたね」
「まぁ来週もどのみち講習がありますし。そのときに考えませんか?」
「アンタさぁ! こんなに講習とかあるなら、入学前に教えてよね!」
 僕たちは、そうやって色々と話していたのに。
 春香先輩は、ひとりだけ。
「早く、講堂にいこうよ」
 誰の話しにも混じらず、みんなに移動をうながすだけだ。
 いったいなんなんだろう? この春香先輩の、違和感は?

 途中で藤峰先生も合流して、六人でもう一度講堂に向かう。
「みんなはちょっと待ってて」
 春香先輩は、ひとり機器室への階段を駆け上がると。
 舞台中央にスポットライトを手際よく当てて戻ってくる。
 どうやら、音響機器の設定は不要らしい。
「全員、舞台中央の最前列に座って下さい」
 ……春香先輩が、みんなになにかを伝えようとしている。
 ここまでくると、さすがの僕にも理解した。
 高嶺、僕、三藤先輩、都木先輩、藤峰先生の順で着席するのを見届けると。
 ひとり立ったままだった春香先輩は。
「失礼します」
 そう短く、ステージに向かってあいさつすると。
 なにかを噛み締めるように、舞台へと続く階段をゆっくりとのぼり。
 スポットライトの少し前で、両足をそろえた。



 ……スポットライトって、結構まぶしいよね。
 まぁ、当たり前のことなんだけれど。

 最前列に座るみんなの顔を、ゆっくりと眺めたわたしは。
 一度大きく、深呼吸をする。

 「みんなに、お願いがあるの」

 そう、出だしはこれでいい。

 あとは迷わず、伝えるべきことを口にするだけだ。



「……放送部を、辞めさせて下さい」
 陽子先輩の口から聞こえたセリフに、わたしは一瞬耳を疑った。
「放送部を、続けられません」
 よく透き通る、迷いのない声だ。
 でも、わたしは……。

 陽子先輩のいっている意味が、わからない。

 隣のアイツの顔を、見ようとする前に。
「どういうことなの! 説明しなさい!」
 アイツのもう少し向こうから、厳しい声がして。
 わたしは、声の主にも驚いた。

 あの美也先輩が立ち上がって……。怒っている。
「陽子、どういうこと?」
 美也先輩が、少しだけ怒りを抑えて。
 もう一度ゆっくりと、問いかける。
 思わずわたしも立ち上がって、声を出そうとしたけれど。
 ……ダメだ、なぜかわからないけれど、涙が出てきて声にならない。

 月子(つきこ)先輩が立ち上がり、座ったままの海原の足元を越えてから。
「座ってもらえるかしら? あと、使っていいわよ」
 やさしい声でそういって、真っ白なハンカチをわたしに渡してくれた。

 わたしが座るのを見届けた先輩は、今度は美也先輩に顔を向けると。
「ここは、座りましょう。陽子の話しを、まっすぐ聞きましょう」
 穏やかな声で、そう伝えると。
 美也先輩の肩に、そっと手をのせた。


 藤峰先生が、ほっと息をしたのがわかる。
 月子先輩だって、きっと驚いたはずだ。
 だけどそれ以上に、わたしたちのことを思いやってくれて。
 そしてなにより、春香先輩に対してやさしかった。



 ……月子、ありがとう。
 美也ちゃんがそんなに怒るなんて、予想外だった。
「陽子、お待たせ」
 月子の瞳が、きょうはいつも以上にとってもやさしくて。
 わたしはあなたの親友で本当によかったと、心から感謝した。
 出だしで思わず、つまずいたけれど。
 引き続き迷わず、伝えるべきことを口にしないといけないね。

「……好きな人ができたの」
 ついに、いっちゃった……。
 もう、誰にもとめられないよ。

「恋をしてしまったの。だから、『恋愛禁止』のルールがある部活にはいられない」
「そんなルール、陽子が辞める理由にはならないわ」
「どうして月子? そのルール、無くすって決められる?」
「そ、それは……」
「無くせないでしょ? だから部活にはいられないよ」
 ……月子、意地悪ないいかたでごめんなさい。
 でも、あなたが静かになってくれないと。
 わたしの覚悟は、報われないよ。

「いや、でも辞めるようなことでもないでしょ?」
「なんで? 美也ちゃんは、前にそれで辞めたよね?」
「いや、あ、あれはね……」
「わたしだけが特別なんてことはない。だから、前例に倣《なら》うだけだよ」
 ……別に、美也ちゃんは悪くないよ。
 でも、もう怒れないでしょ?
 いや、違う。
 もう、わたしの『ため』に。
 色々なことに縛られるのはやめて。


「あの……。陽子先輩、別にそんな理由で辞めなくても……」
「由衣ちゃん」
「は、はい」
「わたしが好きな相手によって。由衣ちゃんのいうこと、変えたりしないよね?」
「いや、それをちょっといま聞くのはどうかと……」
「ね。こうやってもめる原因になるなら、部活にいられないよ」
 ……ごめんね。
 由衣ちゃんに、敵意はないよ。
 あなたのことは、いまは大好きになったから。
 だから、お願い。
 わたしがいないほうが、きっとあなたにとってもいいことが訪れるから。
 わかりましたっていってくれれば、いいからね。


 ……よし、ここまでは順調だ。
 あとは、もう一度辞めると宣言してしまえば……。


「本当の理由ですか?」
 嫌! 海原(うなはら)(すばる)
 それをあなたが?
 あなたがわたしに聞くの?

「春香先輩」
「な、なに……?」
「本当に『恋愛禁止』ルールで辞めてしまうなら……。そんなもの、もういますぐこの場で無くてしまいましょう」
「……海原君。あなたいま、自分のいってる言葉の重み、わかってる?」
「重みとかどうとかは、関係なくて。そもそも人の気持ちを縛るルールと部活動に関連性がないのであれば、そんなものは無くせばいいと思います」

 ……理想を語ってくれるのは、いいけれど。
 そんなの、綺麗事だよ。
 それに、君が『恋愛禁止』のルールを語るのはね……。

「じゃぁ聞くけど? これまでの、卒業した部活の先輩たちを前にして。海原君は直接『そんなルールが』なんて、本当にいい切れる自信ある?」
 ……海原君が一瞬、答えに詰まった。
 だよね。
 そう簡単にいままでのルールなんて、変えられないでしょ?


 講堂の中が、沈黙に包まれる。
 これで、終わりにしよう。
 そう、これで終わり。

 ……ところが。
「それは違うわ!」
 わたしが知らないくらい、大きな声で。

「顔も名前も知らない、卒業した先輩とかどうでもいいじゃない!」
 『あの』、月子が……。

「いまの部活は……。いま、このときを過ごしているわたしたちのものなの! だから……。わたしたちが決めればそれでいいのよ!」

 月子のこんな声を聞いたのは、初めてだ。
 
 月子が、初めてわたしに訴えてくる。
 この感覚と感情が、たまらなくうれしい。


 ……でも、だからこそ。
 わたしはこの部活には、いられない。

 だって、わたしの想いなんかじゃ。
 到底、かないっこないんだから。



 ……もう、恋するだけでは、終われない。


 わたしは、もう。
 この部活には、残れないんだよ……。