翌朝、駅のプラットフォームで。
いつもの時間の、いつもの列車を。
いつもの乗車位置で、僕は待つ。
毎日変わらない音が、遠くからゆっくりと近づいてきて。
やがて最後のブレーキの音をさせると、目の前の扉がややぎこちなく開いて。
今日も車内へと、僕を招き入れてくれる。
「おはよう!」
いつもの、ボックスシートに向かうと。
昨日のことはさておいて。真っ先に高尾響子が明るい声で僕に呼びかける。
「お、おはようございます」
高尾先生は笑顔なのだけれど、そ、その隣の。
……み、三藤先輩?
「もう、朝からこんな調子なのよ〜」
先生が、少し首を傾けて。
困ったような笑顔で、先輩の髪の毛をやさしくなでている。
「別にいなくなるわけでも、なんでもないのにね〜」
二学期からは、朝の列車では会えなくなっても。
学校でも、部活でも一緒になる。
誠に、そのとおりなのだけれど。
やはり三藤先輩には、思うところがたくさんあるのだろう。
下を向いて固まって、先輩はハンカチを握りしめたままで。
そのまま結局、高嶺の乗る駅が近づいて。列車がスピードを落としていく。
先輩がこんな感じだと、アイツはいったいなにをいい出すやら……。
今朝は、お願いだからもめないでくれよ。
僕が、そんなことを考えながら窓の外を見ると。
ご機嫌に、手をブンブン振り回しているかと思ったアイツは。
プラットフォームで、すでにハンカチを両目に当てていた……。
「おはようございます……」
アイツは先生に、静かにそういうと。
そのまま座ると先輩と同じように、下を向いて固まってしまう。
いつもと違う、静けさに。
僕は正直、どんな声を出せばよいのかわからない。
「……あのね。わたし、別にいなくなるわけじゃないんだよー」
短めのトンネルを抜けたあとで、先生がふたりに語りかける。
「そんなのはわかっていますけれど、やっぱり寂しいんです」
三藤先輩は黙ったままで、かろうじてアイツが涙声でそう答えると。
先生の視線がゆっくり、僕に流れてくる。
「海原君は、今朝もいつもどおりだよ?」
「それは……鈍いからに決まってるじゃないですか」
「ええっ……!」
僕が思わずアイツに、それはないだろうという気持ちを声に出すと。
「そっか、わたし忘れてたわ!」
高尾先生が楽しそうに口にして、ちょっと吹き出した。
「……そうね、わたしも忘れていたわ」
み、三藤先輩までいうんですか?
「そうですよね! やっぱ鈍いヤツがいたら、感傷とかひたりにくいですよねー」
よ、よくわからないけれど……。
高嶺も、先輩もなんだか。
ちょっとは元気が出たみたいだ。
……今朝はあっというまに、乗り換え駅が近づいてくる。
「海原くん、由衣さん。きょうでお隣の高尾響子先生は、この列車を卒業します」
「は、はい。三藤先輩」
アイツも僕も、思わず背筋をピンとのばす。
「……これまでご一緒できて、うれしかったです」
そんな三藤先輩の、感謝の言葉に。
今度は高尾先生が、少し涙ぐんでいる。
列車の扉が開いて、乗客が降りていく。
そうか……。
そういえば、先生がいまの学校にこの列車でいくのも。
きょうで最後なのか。
「……海原君、そういうことだよ」
おだやかな顔で、高尾先生が僕を見る。
「やっぱアンタ、鈍いわぁ〜」
高嶺がそういいながら、僕の背中に制カバンの角を当ててきて。
「ちょっと……。きょうくらいは。おしとやかにしなさいよ」
三藤先輩が慌てて、静かにアイツに注意した、そのとき。
「ほんと、ちょっとのんびりしすぎだもんね、昴君は〜」
僕たちが驚いて振り向くと、そこには赤根玲香が。
葡萄色の花束を、手に持って。
笑顔でひとり、立っていた。
「えっ? 玲香ちゃん、どうしてここに?」
「だってさぁ、響子先生って人気者なんだよ」
玲香ちゃんは、そういうと。
「学校いったら、なかなか渡せないと思ってねぇ〜」
ほほえみながら、先生を見る。
「あなた。わざわざもう一本前の列車に乗って、駅で待ってたの?」
三藤先輩が、驚いて聞くと。
玲香ちゃんはちょっと斜め上に両目を動かして、いい淀んだフリをしてから。
「まぁ。きょうまでは……? 『四人の』邪魔はしたくなかったからね!」
そういって、高尾先生に花束を押し付けると。
「響子先生。最後に一緒に、『坂の上』までいこっ!」
笑顔で、先生に呼びかけて。
先生のあいているほうの手を引っ張って、階段へと歩き出す。
「先生! 毎朝、ありがとうございました!」
歩き出したふたりに、高嶺がいきなり大きな声でいうと。
そのまま、まっすぐに頭を下ろす。
三藤先輩と僕も。気持ちを声にしたあと、同じく一礼する。
「もう! だから、別にいなくなるわけじゃないんだってば〜」
そんなの、もちろん知ってるけど。
照れ隠しに大きな声を出したって、高尾先生の涙声はこのとき。
……ちっとも隠せていなかった。
だから僕は、つい……。
「玲香ちゃん! 高尾先生!」
いきなりで、驚いたふたりに向かって。
「いってらっしゃい!」
そう思いがけず大きな声で、呼びかけた。
「……うん、いってくる!」
「ありがとう! いってくる!」
「先生、玲香ちゃん。いってらっしゃい!」
……こうして、笑顔のふたりを無事、見送って。
「じゃぁ、そろそろ僕たちもいきましょうか?」
すがすがしい気持ちで、僕が振り向いたところ……。
「……アンタさぁ」
腕組みをして仁王立ちの高嶺が、僕をにらみつける。
「どさくさに紛れて、どういうこと?」
み、三藤先輩も。その隣で、冷たい目をしていて……。
「何度も何度も。堂々と名前を呼んでいたのは、気のせいかしら?」
ま、まずい。
や、やってしまった……。
僕の小学生時代の遊び友達の、赤根玲香。
赤根さん。いや、赤根先輩?
うーん、玲香先輩。じゃなくて……『玲香ちゃん』?
あぁ、この先……。
高尾先生のいなくなったボックスシートは、代わりに『玲香ちゃん』を迎えて。
僕の寿命がどんどん縮んでいくのだと、改めて実感した。
怒りの高嶺が、ガツガツと。
氷になった三藤先輩が、音もなく。
そして鎖で繋がれたような僕が、トボトボと。
プラットフォームの階段を下りていく。
そうやって、完全に僕たちの姿が見えなくまで。
これまでの出来事を、すべて観察していた誰かがいたことなど。
当時の僕たちにはまったく知る由もなかった。
加えて、その人物が持っていた花束が。
玲香ちゃんのそれと同じく葡萄色だったのは、単なる偶然だったのだろうか?
その答えを僕が知るのは。
……まだまだずっと、未来のこととなる。


