講堂のステージに、波野(なみの)姫妃(きき)が立つと。
 スポットライトを、当てていないのに。
 その輝きが、増したような気がした。

 最前列中央の席に座る高嶺(たかね)が思わず、声をあげると。
 隣で玲香(れいか)ちゃんが、渋い顔をしている。
「ちょっと、なにしてるの……」
「まぁ、いいじゃない」
 春香(はるか)先輩が苦笑いをしながら、それをなだめる。
「そうそう。もうひとりだって、立派なもんだよ」
 都木(とき)美也(みや)は、そういうと。
 僕の背中を押してから、ゆっくりと座席に腰を下ろした。

 ステージの脇にあるステップをあがり、僕は舞台袖にいるその人に。
「本当に、こんな場所でいいんですか?」
 思わず、聞かずにはいられなくなる。
「前にいったわよね? わたしは演劇部じゃないわよ」
 ですよね。
 やっぱり、なにも講堂のステージでやらなくても……。
「……だから、必要以上に注目される趣味はないわ」

 ……え?
 と、ということは……。
「必要とされるくらいまでなら、注目されるのは嫌でもないの」
 三藤(みふじ)月子(つきこ)は、その藤色の瞳を僕に向けると。
「……理解してくれて、ありがとう」
 そうつぶやいて少しだけ、ほほえんだ。


「いってくるわ、海原(うなはら)くん」
「い、いってらっしゃい」
 三藤先輩が、舞台の中央に向かって歩き出す。
 その歩幅には、迷いがなくて。

 ……ただただ、美しかった。



 ……三藤さんって、きれいに歩くんだね。
 彼女はまっすぐに、わたしに向かってくると。
 背筋を伸ばし、一礼する。

 わたしがスカートをひらりとあげて、お辞儀をすると。
「あなたの狙いは、いったいなに?」
 彼女が、口火を切る。
「もう伝えたよね?」
「もう一度どうぞ」
 なにそれ。そんなに何度も、聞きたいの?

「海原君との時間を作るには、誰の許可が必要なのか教えて欲しいだけ」
「誰の許可も必要ないと、伝えたはずよ」
「それなら今朝、わざわざ会話に割り込んできたのはどうして、三藤さん?」
「答えたく、ありません……」
「ねぇ。そしたらこうして話している意味が、なくなっちゃうよ……」
 わたしはそういうと、やや大袈裟に肩を落としてみる。
 ところが目の前の女の子は、安いわたしの挑発に乗ることはなくて。
「あなたの狙いがわかれば、意味はあるわ」
 そう斬り返すと、もう一度わたしに答えろと伝えてきた。


「狙い、ねぇ……」
 いいながらわたしは、客席に並ぶ四人の顔を。
 ひとりひとり、眺めていく。

 赤根(あかね)さんは、少し不愉快そうにわたしを見ている。
 そりゃそうだよね。
 なにしにきたんだよって、思うよね?
 隣の高嶺さんは、少しわくわくしてくれている。
 演劇部員として、素直にありがとう。
 春香さんは、見守っているんだよね。
 ただし対象は、わたしではなくて。
 ……ステージの上の、もうひとり『だけ』を。
 都木先輩は、信じているんだよね。
 なにが起きても、自分たちは揺るがない。
 それだけ強固な信頼を、みんなに寄せている。

 そして、目の前に立つ三藤月子。
 認めるしかない、断言できる。
 悔しいけれど、あなたはいま。

 ……わたしより、輝いている。


 
 ……あぁ。
 なんか、バカらしくなってきた。
 わたしの負けだ、なんかごめん。
 もうどうだっていいから、帰ろう。
 身勝手すぎなのはわかるけど。ちょっとだけ相手してくれて、ありがとう。

「ごめんなさい。わたしの間違いでした」
 わたしは、吐き捨てるようにいってから。
 ステージの中央から、海原君のいる舞台袖とは逆のほうをむく。
 彼も、トバッチリだったね。なんか、ごめんね……。

 そうやって、ステージから逃げようとして。
 誰かに右手を、つかまれる。
 いや、つかむといういいかたは不適切だ。


 ……わたしが思わず握った、醜い拳を。
 三藤さんがやさしく、包み込んだ。


 その力が、やわらかいだけでなくあたたかで。
 わたしは思わず振り返って、彼女をみる。

 すると。
 やや物憂げで、ほんのり潤みがちで。
 それでいてどこまでも澄んだ、藤色のふたつの瞳が。
 ……まっすぐにわたしを見つめていた。


「波野さん?」
「は、はい……」
「ここは、あなたのステージよ。あなたの想いを、伝えて欲しい」
 彼女はわたしにそう告げると。
 わたしの返事も待たず、そのまま舞台から客席へと移動して。
 一列に並ぶ四人とは、少し離れた場所で。
 ひとり優雅に、着席した。



「……お祭りの日に、偶然見てしまったの」
 わたしは、三藤月子の魔法にかかってしまったのだろう。

 ……なぜだか自然に言葉が、出てきてしまう。
 舞台の上なのに、演技はいらなくて。
 嫌な自分も含めて、ここでなら。
 正直な気持ちを、すべてをさらけ出すことが。

 ちっとも恥ずかしくないと、わかってしまった。


 ……あの日はなんだか。
 ウチの学校の人たちが集まっているな、そう思って。
 ただ、ちょっと深刻なことっぽい?
 そんな興味が、湧いただけ。

「……片想いなの」
 思わず、耳を疑った。
 これって『現実』の話し?

「わたしが一方的に、海原君を好きになったの……」
 すごい『場面』を、見てしまった。

海原(うなはら)(すばる)君が、好きなの。大好きなの!」
 あんなに『本気』で想いを伝えている人の姿が、衝撃だった。

 それからの都木先輩と、先輩を取り囲んだあなたたちも。
 題名が、つけられないくらい。
 とんでもなく素敵な『舞台』にいて。
 ……目に焼きついて、離れなかった。


 ……そう、わたしには。
 まぶしくて、まぶしくて。
 おまけに、うらやましくて仕方がなかった。

 わたしは、演劇部が大好きだ。
 でも部員が、どんどん減っていて。
 ついに今年は、わたしと三年生の部長のふたりだけしかいなくなった。
 だから今度の文化祭で、先輩が引退したら……。
 わたしはひとりぼっちになって……。
 そのまま演劇部は、廃部になる。

 部長は、わたしに。
「悲しいだろうけれど、だからこそ完璧な舞台を。最後にふたりでやり遂げよう」
 そういって、ずっと励ましてくれている。
 わたしは、部長が書き下ろした恋愛物語を、完璧に演じたい。
 でも、夏休みのあいだに、どれだけ練習しても。

 ……わたしはフィナーレが上手に、演じられない。

 最後のシーンで、過去のトラウマから頑なに心を閉ざしたままの主人公は。
 わたしの愛の告白によって、ようやく心を動かされ。
 結ばれて、ハッピーエンドを迎えるはずだ。
 ありがちな展開だと、思うだろうけれど。
 台本には部長からの、『宿題』が課せられている。

「姫妃の言葉で、『演劇部を締めくくって』欲しい」
 これが、いままで一緒にやってきた部長からの願いで。
 だから台本の、最後のセリフは空白のままで。
 わたしが、決めなければならないの。


 ……わたしは『演じる』のは、大好き。
 でも、物語をつくるのは苦手。
 決められた役とセリフなら、工夫できるけれど。
 自分で言葉を、組み立てたりするのは、苦手。

 人間関係も、友達関係も同じ。
 クラスのみんなは、演じているわたしをほめてくれるけれど。
 普段は誰とも、交わらない。
 わたしは、単なる演者でしかなくて。
 客席のみんなとのあいだには。
 透明な仕切りが常に、壁のようにそびえ立っている。

 そうやって、悩んでいたとき。
 偶然あなたたちの『舞台』を見て、衝撃を受けた。

 そこには、ステージも客席もなくて。
 あなたたちみんなで、ひとつの『舞台』を作りあげていた。


 ……ごめんなさい、あなたたちのことを『舞台』に例えていて。
 でも、それが。
 わたしの間違いのはじまりだ。


 放送部の、『空気を読まなそうな』唯一の男子。
 あんな美人の都木先輩や、かわいい女子だらけなのに。
 告白されても、なにも起こらないなんて……。

 ふと、春香さんが客席で苦笑いしているのに気がついた。
 ちゃんと、話しを聞いてくれているんだ。ありがとう。

 それからわたしは、バカなことを思いついた。
 ……わたしが、奪ってしまおう。
 そう、もし海原昴を『落とせれば』。
 恋愛劇のセリフは、完成するはずだ。

 だから、彼に近づいて。
 その気にさせようと、企んだの。


 ……ごめんなさい。
 文化祭の、演劇部の『舞台』のため。

「ただそれだけのために、海原君とみなさんを利用しました……」


 ……講堂が、静かになる。
 ステージにいるわたしが、話すのをやめたのだから当然だけれど。

 客席の誰かに、責められるかと思ったから。
 わたしは少し、拍子抜けした。

 無音の客席に、わたしは少し不安になる。
 ……声をかけるのさえ馬鹿馬鹿しい、そんな雰囲気なのだろうか?
 それなら、まだ罵声を浴びたほうが。
 みじめなわたしには、ふさわしいのに……。


 ……いったい、どのくらい経ったのだろう?
 実際は、数分もなかったのだろうけれど。
 わたしにとっての、長い沈黙の時間を。

 三藤さんが、ついに破ってくれた。
「いったはずよ。ここはあなたのステージよ」
「えっ?」
「……まだ『続き』が、あるんじゃないかしら?」
 あぁ……。
 あなたって、意地悪なの? それともやさしいの?

「波野さん」
 赤根さんが、わたしにニコリとしてから。
「月子はね、基本無愛想だから。悪気はないんだよ」
 結構、すごいことを教えてくれる。
「ちょ、ちょっとどういう意味よ、それ!」
 いわれた当人が思わず席を立って、抗議の声をあげると。
「本当だし仕方ないよ。あ、あとね、波野さん?」
 今度は、春香さんが。
「おまけに、性格暗かったりもするけど。それは内緒だよ」
 ぜったい聞こえてるのに、内緒だなんて……。
 変だよ、それ……。
「ふたりとも、いい加減に……」
 そういいかけた三藤さんに、高嶺さんが。
「結構、怒りっぽいですしね〜」
 楽しそうにして、怒りかけている本人に笑いかけている。

「……要するに、月子ってそんな子でね」
 都木先輩は、わたしだけでなくて、みんなに同意を求めるように。
「みんなもわたしも、だから月子が好き」
 そういうと、とっても自然に笑顔になって。
 そのやさしい目のまま、三藤さんの手をひいて隣に座らせた。

「まったく。わたしのことはもういいですから……」
 少し耳を赤くした、三藤さんは。
「美也ちゃん、代わりにどうぞ」
 そういって、わざと面倒くさそうなそぶりをしてから。
 きちんと背筋を伸ばして、客席に座り直す。

 指名を受けた、『公開告白』した先輩がわたしを見る。
「あのね、波野さん」
「はい……」
「わたしたち、ちゃんと聞くよ」
「えっ……」
「だから、最後までどうぞ。案外スッキリするよ」


 ……都木先輩の、ほほえみの延長線上にある。
 その言葉と、重みに。

 わたしは、突然。
 舞台のスポットライトが。


 ……一気に、強くなった気がした。