「もしかして、昨日の委員決めに関してですか?」
 僕は『だんごヘア』に、とりあえず聞いてみる。

「……どうしてそんなことを、思ったの?」
 いきなり目の前の先輩が、ウルウルした目で僕を見る。

「しょ、書記決めのときに……。手を挙げて、すぐ下ろしたので……」
「それはいいんです。だって、わたしを見つめてくれたから……」
 なんですか、その乙女みたいな感じ?

「いや、思いっきり目をそらされたと思うんですけど……」
「あなたの思い違いだよ、海原(うなはら)(すばる)君」
 どうしてそんな低い声で、僕のフルネームを……。

 ふたりで、並木道を歩きながら。
 そうか、この人は『演劇部』だったと思い出す。
 その変化自在な、声芸に付き合っているうちに。
 玄関に到着したので、これで解放されると安心したも束の間。


「逃げないでね、すぐ戻るから!」
「え?」 
 ものすごいスピードで、上履きに履き替えて。
 あっというまに『だんごヘア』が、目の前に戻ってくると。
「じゃ、いこっか!」
「えっ?」
 僕の腕を、両手でつかんだ『だんごヘア』が。
 そのまま一年生の教室が並ぶ廊下へと、進みはじめる。

「ちょ、ちょっと待ってください!」
「どうしたの?」
「いや、二年生ですよね? 教室、三階ですよ。この階段、のぼるんですよ!」
「あぁ〜」
 え、なに?
 なにそのニヤケ顔?
「もぅ。わたしの教室にいきたいの? どうしよう、キキ困っちゃう……」

 あ、頭が頭痛する。
 ず、頭痛が痛い……。
 いったい、なんなんだこの人は?
 僕たちふたりをうかがうようにしながら、生徒たちがとおり過ぎていく。
 まずい、も、もし知り合いにでも見られたら……。
 い、命がいくつあっても足りなくなる……。
「じゃぁ、約束して!」
「へ?」
「お昼休みに、また会おうねっ!」
「ちょ、ちょっと……」
波野(なみの)姫妃(きき)、キキだよ。ねー、う・な・は・らくん!」


 恐怖の『だんごヘア』は、そう一方的にいい切ると。
 ほかの生徒の合間をぬって、階段を駆け上がる。
 ……残された僕はふと視線を感じ、周囲を見回す。
「朝から、アツいねぇ〜」
「学年差カップルかぁ〜」
「あれ? でも彼って確か……」
 三年、二年、一年……。
 数はそれほど、多くないけれど。
 目撃者の熱い視線が、僕に集中する。
 と、とりあえず、こんな場所に長居は不要だ。
 僕は、『敵』の正体を探る手段を考えながら。
 自分の教室へと早足で移動すると……。

 一年一組の、扉をあける直前に。
 貧乏神、じゃなくて。
 おあつらえ向きの人物が、声をかけてきた。


「よう! カイハラ!」
 僕の苗字は、海原(うなはら)だけど。
 も、もしかしたら……。
 救世主なのか? 山川(やまかわ)(しゅん)
 ……残り時間は限られているが、もしかしたら、山川ならいけるかも。
「なぁ、頼みがある……」

「どうか昼までに、頼む! 報酬はこれだ」
 果たして。
 人はカレーパン一個で、どれだけ他人のために働けるのか?
 いま、僕の中では切実で。
 割と壮大に聞こえる社会実験が、開始された。



「へい! カイハラ」
 三時限目が始まる前に、妙な呼びかけをしながら山川がやってくる。
「で、例の件なんだがな……」
「う、うん」
 ……ふと、至近距離に獣の気配を感じる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、山川。それと高嶺(たかね)……」
「ん? なによ……」
 いまは……。髪の毛当てんな、それと鼻息を……などといって。
 アイツともめている余裕はない。
 ここは仕方がない。すまん、山川!

 僕がいつになく、真面目な顔で高嶺を見て。
 やった! さすがのアイツも一瞬ひるんだ。
 間髪入れず僕は、高嶺の耳の近くに手を伸ばすと。
 いかにも大事な案件だという、フリをする。
「実は、山川がな」
「な、なによ……」
「……オリジナル恋愛ソングの、歌詞を読んでくれっていってきた」
「うぇっ……」
 効果は、抜群だ。
 高嶺が、すでにバイキンにでも触れたような顔になる。
「僕も嫌なんだけど……。誰かがやらないと。……慈善事業なんだよ」
「わかった。ごめん山川! 邪魔しないからっ!」

 いますぐにでも、手でも洗いたくなったのだろう。
「ないないないない! なにも聞いてない聞こえない、うわぁこわぁ……」
 不思議な呪文を、小声で唱えながら。
 アイツが急いで、教室を出ていく。
 山川は不思議そうな顔だけれど。
 邪魔者は、これで当分近寄らない。すまん山川!


「高嶺さん、大丈夫か?」
「おななが空いただけだろう、心配ない」
「そうか。女子って、わかりやすいな」
 ……意味のわからない感想だけれど、あえて指摘するのはやめよう。
「それはいいから、頼む」
 僕がそういうと。山川が恐ろしく汚い字のメモを、仰々しく読みあげる。

「演劇部副部長、波野姫妃」
 ふーん。
「身長、俺マイナス約十五センチ。体重不明、多分四月生まれ」
 よくわからんし、どうでもいいぞ。
「小動物系のかわいさ」
 小動物って……イグアナとか、カメ? なんだか、微妙なほめかただな……。
「二年五組」
 一組しかわからん。いや、むしろあの学年は、一組だけで十分だ。
「バレー部で振られた人数、七名。しかも全員瞬殺」
 か、かわいそうに……。

 しかし、振られた人数が七人って?
 山川がニヤリとした顔を僕に向ける。なんか、こういうの好きなんだな、お前。

「参考までにな、三藤(みふじ)パイセンと春香(はるか)パイセンも、同じ数だ」
「……こんなところで、わたしの名前を出さないでもらえないかしら?」
 あぁ、そんな声が聞こえてきそうだ。
 そういう情報は、知らせないでくれ!
「ちなみに、基本男子とは話さないらしい」
 えっ、またそのキャラなの?
 なんなんだ、二年生?
「人呼んで、二年の演劇女子」
 ほとんどそのまんまだろう……。
 それ多分、いま考えただけじゃないのか?


「……まぁ要するに」
 ヘボ探偵が、妙に得意げな顔をして僕を見る。
「平民の俺たちが、相手になるような女子じゃないってことよ」
 ……なるほどねぇ。
 で、どうした山川?
 今度は、鼻の穴がヒクヒクしてるけど?
「す、すいませんでした! し、師匠……」
 なんだよ? いきなり、どうしたんだ?

「ねぇ、海原君……。海原君ってば……」
 近くの女子が、小声で僕を呼んでいる。
「どうかした?」
 僕は、その女子のほうに振り向いて。
 ん?
 その指先が恐る恐る廊下に向いて……って!
 ゲゲッ……。


 廊下から、『藤色』の怒りのオーラが僕を呼んでいる……。

「じゃ、じゃぁ約束のカレーパンを……」
「さらば山川。生きて帰ったら、渡すからな……」

 すまんがこれ以上、一秒でも遅れたら流す血が増えるだけだ。
 僕は、カレーパンを『早弁』できず。
 涙を流しそうな山川を置き去りにすると。

 ……恐怖に怯えながら、廊下に出た。