三藤月子が、ゆっくりと教室に入ると。
わたしの机を、静かに前に移動させる。
「お待たせ、遅くなってごめんね。玲香ちゃん、立てる?」
春香陽子が、スッと前に出て。
やさしい笑顔を添えて、手を差し伸べてくれる。
月子ちゃんは、丁寧に机を元に戻すと。
同級生たちの顔を、ひとりひとりゆっくりと眺めていく。
「同じクラスにいながら、これまでお話ししなかったことは……」
「えっ……」
「わたしにも非があるかもしれないので、ごめんなさい」
「あの……」
「ただ、わたしをダシに。わたしの『親友』の悪口をいうのは」
月子ちゃんが、わたしにチラリと目を向けると。
「今後は二度と、やらないでもらえないかしら?」
そういって、静かにわたしの肩に。
……その白い右手を、のせてくれた。
「ご、ごめ……」
そういいかけた子に、三年生が邪魔をしてくる。
「ちょっと、なに勝手に……」
今度は陽子ちゃんが、三年生の前に出る。
「わたしの知っている三年生は、下級生の見本になろうとしてくれます」
「え……」
「それに上級生だからと、一年生にだって無理強いはしません」
「ちょっ……」
月子ちゃんが、もう一度。
「それに、過去のことを。誰も責めたりはしません」
そこまでいったあと、ふと思い出したように。
「もし、みなさんがイジメの犯人で転校したあとに」
「犯人? 転校……?」
「わたしが次の学校の子たちにいいふらしたら、喜んでくださいますか?」
「……あとさぁ。他人の恋愛事情に、口を突っ込まないで欲しいんだけどなぁ」
いつのまに、現れたのだろう?
「なんだったら、長岡君へのアピール材料として」
美也先輩が、うしろの壁にもたれながら。
「バスケの三年女子って。こんな青春してるんだよって、教えてあげたらいい?」
青春の桁が違うんだって顔で、相手の三年生たちを黙らせる。
今度は突然、廊下中に叫び声が響き渡る。
「きゃー! オマケが叫んでるよー! キャ〜!」
なにそれ?
わざとフラットだけど、すんごい大声……。
由衣ちゃん。廊下でふざけてない?
「きょうのオマケは、声が小さいわね」
「えっ?」
「普段だったら、特別棟の向こうの校庭からも苦情がくるレベルよ」
「ウソっ……」
月子ちゃんがいうと、二年生の顔がひきつっている。
「じゃぁ月子、やり直すようにいってこようか?」
「陽子とふたりで、やってきてもらえるかしら?」
「ちょ、ちょっと……」
別の誰かも、うろたえる。
……えっと、これで人数では九対五だけど。
きっとそういう問題じゃないんだよね、昴君?
「遅くなりました。ちょっと探していたので、すいません……」
九人全員が、声のしたほうを振り向く。
そうだよ、みんな見てよ。
これが『一年のくせに』。
わたしたちの、自慢の部長。
昴君が、失礼しますと律儀に一礼してから教室に入る。
「えっと、女子バスケ部のかたですよね?」
「そ、そうだけど……」
「放送部部長の海原昴です。早速ですが部員が転部する場合の手順を確認します」
「えっ?」
「まず、赤根玲香さんの入部届に……」
そういうと昴くんは、仰々しくバインダーを開き、『わたしの』届けを出す。
「退部届をつけて。次に転部届と、あとそちらの入部届を出す必要があります」
「え? そうなの……」
「ほかの部のことは、よくわかっていなくて申しわけありません。でも放送部は色々と、手続きが多いんです」
それ本当なの、昴君?
「いやぁ、覚えるのに苦労しました。でも『委員会』の資料よりは簡単ですよ」
「い、委員会……?」
「部長会とか、体育祭・文化祭の調整とかですけど? 放送部の部長が司会なんですが、仕切りきれないとご迷惑をかけるので。これを機に、そちらで引き継いでいただいても……」
「そ、そういうのは……」
「あと、恐縮ですが」
「ま、まだあるの?」
「転部の理由をヒヤリングして、将来の後輩のために残したいんです」
「ええっ……」
「ほら、先輩が怖いとか。無理になにかさせられたりとかだと。その先の学校生活が、ちっとも楽しくないですから。記録に残さないと」
完全に、昴君に押されている三年生が、それでも。
「ちょ、ちょっと! 一年なのにさぁ……」
無理矢理、反論しかけると。
「学年の問題かしら?」
「なんて?」
「三年生は、存在するだけでえらいんですか? わたしたち二年生は、絶対に従わないといけないんですか?」
月子ちゃんが、一歩前に出る。
「一年生でも、彼はわたしたちの部長です。それでなんの問題もありません」
陽子ちゃんが、隣に立つ。
「ねぇ。わたしはあなたたちと同じ三年だけどさ」
美也先輩も、ふたりに並ぶと。
「わたしは、海原部長がちゃんと部員のこと考えて動いてくれるから、それに喜んで従ってるよ。あと、とっても頼りにしてる。おまけに、海原君ってね……」
えっと……なんだか。
ただの部長『以外』のニュアンスが、入っている気がするけれど……。
ちゃんと『姉宣言』、有効なんだよね?
「……ねぇ、嫌なことは、やめない?」
陽子ちゃんが、同級生たちに語りかける。
「な・か・よ・し、楽しいよー」
由衣ちゃん、うるさいから!
……九人が、沈黙した。
「あの……。赤根さんの件が勘違いでしたら、ごめんなさい」
昴君は、そういうと。
「お先に、失礼します。また委員会とかで、いじめないでください」
律儀に一礼して、教室を出る。
「う・な・は・ら、待て〜」
はいはい。
ありがとね、由衣ちゃん。
「もういいでしょ? 三年同士、帰ろっか?」
美也ちゃんが、四人を連れて部屋を出る。
なんかすっごく、格好いいよね。
……月子ちゃんと、陽子ちゃんとわたし。
これで五対三。
だけどもう、そんなんじゃないよね。
さて。どうやって、幕を下ろそうか?
わたしが傷ついたことなんて、どうでもいいけれど。
あの三年を含め、ほかのみんなをバカにしたことはまだ許せていない。
「わたしは『玲香』を含めた、ここにいるみんなに話しかけたのだけれど……」
月子ちゃんが、また口を開く。
「だからせめて感想くらいは、聞かせてもらえないかしら?」
……って、なにそれ?
思わず、陽子ちゃんの顔を見る。
「へへっ……」
えっ、その笑顔は……。
そうか! そうだよね!
放送部の仲間は、『過去のことを、誰も責めない』。
それでいいんだ。
「……部活、誘ってくれてありがとう。うれしかった」
五人が驚いた顔で、わたしを見る。
そう、これでいいんだ。
「でも、わたしは放送部に入りたいの。だから、ごめんね」
「ごめんなさい!」
「わたしも!」
「ごめんね!」
ひとりが、いいいだすと。
口々に全員が、ごめんなさいと謝り続ける。
えっと……。
こういうときは……。
「困ったときは、なんでもいいわ。話しかけてくれていいからね」
また、月子ちゃんが助けてくれた。
だからお礼に、わたしは……。
「そうそう! すっごく無愛想で、皮肉とか小言すごいけれどね!
「……えっ?」
「『月子』ってたまにはやさしいよ! 黙っといたほうが、絶対美人だけどね!」
「ちょ、ちょっとあなた……」
「あと『陽子』もね! 天使みたいな顔しときながら、ドス黒いとこがあってね!」
「あのさぁ……」
気がつくと、微妙な顔で。
ふたりが両側から、わたしのスカートを引っ張っている。
え?
いまもしかして、わたしって……。
「副部長権限で。あなたの退部届出すよう、海原くんに掛け合ってくるわ……」
「わたし、『玲香』は『除名』でもいい気がする」
「え、えっ! ちょっと月子、陽子!」
「名前呼び禁止!」
「あ〜あ。ふたりともいっちゃったね……」
わたしを置いて、ふたりが消える。
「あ、いいのいいの!」
半分はワザとだろう。
いや、でもそうしたら残りの半分は怒ったことになるの?
「もう、悪口とかやめるね」
「約束する!」
「三年生にも、いってみる!」
そう、この結末のために。
みんながわたしを、助けてくれた。
「放送部って、仲いいんだね」
「ちょっとうらやましい」
誰かがいって、ほかの子たちが何度もうなずく。
「まぁね! 部長がいい味だしてるんだ。わたしの幼馴染なんだけどね……」
その瞬間。
みんなの目が、別の意味で女子高生のようにキラリと光った。
「え、なになに?」
「でさ、いったい誰が『彼女』なの?」
「もしかして、意外とあの子とか?」
「えー、絶対ドロドロだよ!」
「まさか、『玲香ちゃん』だったりする?」
えっと、そ、それだけは。
うちの部活じゃ。こ、答えようがないよ……。
その話題『だけ』は。
みんなではまだ、できないんだよぉ〜!
……始業式の日。
『情報屋』の山川俊が、『ふたつ目』のとっておきとして。
女子バスケ部と僕の部活のあいだに、不穏な動きがあると知らせてくれた。
その日の午後。
藤峰先生が、僕にテキストを運ばせながら。
「うちのクラスじゃないけどさ。前にね……」
部内での嫌がらについて、ちょっとした相談を受けていたことも判明して。
「『丘の上』の誇りにかけて。玲香ちゃんを守りなさい」
いつものウインク付きなのが、余分だけれど。
こうして密かに、対抗策が準備された。
「……ところで、ねぇ昴君。わたしって入部届書いたっけ?」
「い、いや……」
「だよねぇ。じゃああれって?」
「はい! わたしです」
「由衣ちゃんが?」
「だってコイツが、どう見ても男文字で書くから。バレないようにやりました!」
得意げだった由衣ちゃんが、ご機嫌に講堂の機械を調整にいったあと。
昴君がこっそり、教えてくれた。
「正直、叫ぶだけの役しかない高嶺をなだめるのが、一番の難関だったんです」
「で、入部届け書いてもらったの?」
「スパイの真似だといって、重要任務だぞって……」
わたしは、ちょっとだけ由衣ちゃんに同情した。
「三年の連中も反省してたよ、ありがとう!」
「『美也ちゃん』、ありがとう!」
「そ、それはいいんだけどね……」
「えっ……?」
振り返ると、月子と陽子と、目が合って。
「は、反省します……」
「そうね、それが重要ね」
「そうだよ、玲香!」
そんなやりとりがあって、わたしたちは『また』、仲良くなった。
……蛇足ながら。
このあとしばらくして、二年一組は、ふたつにわかれた。
美人が多くて浮かれている男子たちと、仲良しの女子たち。
訂正しよう。
こうしてふたつに、『まとまった』。
「……いいなぁ、一組」
そんな評判が、二年生中に広まって。
それから、数年もかからずに。
藤峰佳織、高尾響子といえば。
誰もがそのクラスに入りたいと思う、憧れの先生たちとなる。
ちなみに、そのまた未来に。
ある先生が、その秘訣を尋ねると。
本人たちはいつも同じことしか、いわなかったそうだ。
「だって、クラスをつくるのはね……」
「クラスのみんなだよ!」

