二学期の、初日。

 僕が、駅舎に入る直前。
 赤根(あかね)玲香(れいか)の明るい声が、背中に届く。

「おはよ〜、(すばる)君!」
 いつもどおりの、その声に。
 返事をしようと振り返ると……。
「お、おはよう……」
「なになに? どしたーどしたー?」
 早朝にも関わらず、太陽はまだまだギラギラと。
 容赦なく、夏の光線を浴びせてくるけれど。
 目の前の玲香ちゃんの光線も、これまた……。
 僕にはまぶしい。

「おはよう海原(うなはら)くん。と……玲香さ……」
 ひとつ前の駅から乗っていた三藤(みふじ)月子(つきこ)が、言葉の続きをはばかる。
 次の駅のプラットフォームで、笑顔で僕たちに手を振っていた高嶺(たかね)由衣(ゆい)が。
 その大きな目を、ギョッと見開いて……。

 四人のボックスシートで、三人が玲香ちゃんに注目したまま。
 そのまた次の駅を出てもなお、話せずにいる。

「もう! いつまでみんな無視するの!」
 ……ついにたまりかねて、本人が。
 ひとりひとりの顔を覗き込みながら自己アピールをはじめ出す。
「清楚系ショートボブ、どうどう?」
「……スカート丈が、長くなったわね」
「ヘアスタイル、どうどう?」
「……靴下の長さまで、変わってる」
「髪切ったんだけど、似合うかなぁ!」
「……制カバンだけは、僕たちと同じになったんだね」
 一年生の高嶺と僕は、今年度からの新しい制服で。
 転入生とはいえ二年生だから、玲香ちゃんは旧制服。
 でもどうやら制カバンは、一年生のそれと同じになったらしく……。

「だ・か・ら! 『見た目』の解説はいいから、『中身』だよ中身!」
 ……なんだ。玲香ちゃん自身も混乱しているらしい。
「中身なら、一緒だよ」
「えっ?」
「そうね、なにも変わっていないわ」
「ちょ、ちょっと……」
「ほんと、玲香ちゃんのまんまだね!」
「う、ウソ〜!」


 そのあと、『放送室』で。
 ひさしぶりに会った春香(はるか)陽子(ようこ)都木(とき)美也(みや)のふたりが。
 ニコニコしながら、やさしく玲香ちゃんを慰める。
「外見変えても、中身は玲香ちゃんでしょ?」
「そうそう、聞きかた間違えただけだよね〜」
「やっぱり、誰もかわいいとかいってくれないし!」
 そうやって玲香ちゃんがまだ、駄々をこねていると。

「おはよう! 今朝もみんな絶好調ね!」
 顧問の藤峰(ふじみね)佳織(かおり)が、勢いよく部室の扉を開く。
「先生!」
「うん、おはよう!」
 玲香ちゃんが、祈るような顔で先生を見つめる。
「先生!」
「なに?」
「だから先生!」
「おっ、制服が新しいね!」
 ……ダメだ、乙女心なんて。とっくの昔に、枯れ果てているのだろう。
「ねぇ? まさかいまさ。なんかいった?」
 藤峰先生が、低い声で僕を刺す。
「いえ、なんでもありません……」


「もう佳織。出ないなら、教えてよ〜」
 えっ? 新しい職場の勤務初日のはずでは?
 今度は副顧問の高尾(たかお)響子(きょうこ)が、貫禄たっぷり。
 いや、サボる気満々みたいな顔で現れる。
「海原君、ちゃんと『会議の前に』ご挨拶してるからね〜」
「いや、そうじゃなくて。この時間、そのまま職員会議ですよね?」
「なに? それがどうかした?」
 ダメだ、二学期も常識が通じない……。

「ねぇ! 響子先生!」
「うん、髪切ったね!」
「キャ〜!」
 玲香ちゃん、よかったね。
 いま高尾先生、絶対適当に答えただけだけど。
 それでも涙を流しそうに喜んでいる。

「……あのさ、海原君」
 ゲッ……。今度は高尾先生の低い声がする。
 また、聞こえちゃったのか?
「美容院紹介したの、わたしだから」
 そ、そうなんだ……。高尾先生の、オススメの店だったのか。
「誰か紹介したら、次回3000円引きなのよ……」
「そうなんですか!」
 三藤先輩のつぶやきに、高嶺が反応している。
 なるほど。1000円カット、三回無料か。
 最近は、値上がりしているけれど。それでも二回無料でお釣りがくる。
「あのさ、海原君……」
 なぜか高尾先生と玲香ちゃんが、揃って僕を冷たい目で見る。
「1000円じゃないから!」
「割引って金券じゃないから! 女のプライドなめないで!」
 あと、ついでに周りのみなさんも。
「アンタってほんと、女子高生の敵」
「うちの『弟』、時代遅れだね」
「小説の設定上、私立校よ。少々見栄を張ることもあるわ」
「さ、さすがにわたしも……。フォローはしにくいなぁ……」
 好き放題、僕にいってきて。
 でもあれ、藤峰先生だけはやさしいのか?
「ねぇ、あと何人か紹介したら。無料券もらえるかな?」
 あ、あれは……。
 みんなを美容院に送客して、儲けようとしている顔じゃないか……。



 ……さて、と。
「そろそろ終わるし。ちょっとくらい、顔出そっか?」
 そういって、会議に戻った先生たち以外のみんなで。
 始業式の準備に、講堂に移動する。
 このために早起きしたのだ、美容室のためではない。
 みんなで手早く、機器室の準備を整えると。
「いってくるね!」
 明るい声をあげて、講堂のステージの中央に都木先輩が向かう。
 ほかにも高嶺が、最後列中央の座席。
 玲香ちゃんと春香先輩が、中央列左右にそれぞれ走って移動して。
 機器室の音響調整卓を三藤先輩が操作し、隣の僕に準備ができたと合図を出す。

 インカムを通じて、都木先輩にマイクテストをお願いすると。
 なぜか先輩がこちらを向いて、少しほほえんだ。
「ねぇ海原君? ホール内だけだよね?」
「ダブルチェックします、廊下、そのほかスピーカーオフです」
 都木先輩は僕に右手で、了解のサインを出すと。
 一呼吸置いてから、壇上のマイクに向かうと……。

「……お祭りではみんな、ごめんなさい」
 えっ?
「今後は、陽子と同じく。『姉』となって部長を支えます!」
 ちょ、ちょっと!
「引退まであと少しですが。二学期も、楽しもう!」


 ……予告なく訪れた、宣言に。
 みんなが、驚いてその場でフリーズしてしまう。

 呆然と、立ち尽くしている僕を。
 三藤先輩が指で、ちょこんと背中を押す。それにつられて、僕は。
「……と、都木先輩。い、いまのはなんですか?」
 なんとか、声を出す。
 先輩の表情が、一瞬だけ迷った顔に見えたのは。
 僕の気のせいなのかもしれなくて。
「海原君、それをわたしに聞く?」
 先輩はほほえみを添えて、僕に逆に質問してくる。
「だって都木先輩、自分からそんなこといわなくても……」
「『そんなこと』って。どんなことかな、昴?」
「えっ……?」

 機器室の窓から見える、ステージ中央で光を集めるその人は。
 僕の顔を、まっすぐに見つめたまま。
 もう一度、ニコリと笑うと。
「以上、マイクテスト終了です!」
 そう気持ちよさそうに、口にすると。
 ペコリと、お辞儀した。


 パチパチパチパチ……。
 春香先輩がひとり、手を叩く。

 玲香ちゃんと高嶺が、同時に。
「それでいいんですか?」
 インカム越しに、大きな声で聞く。



「……いいんだよ、ね!」
 ……陽子先輩が、先に答えて。
「え? ……う、うん!」
 美也先輩のその返事を、聞いたとき。
 わたしはふたりの『覚悟』に、まだ『差』があるとわかった。

 アイツと程よく離れた距離で、ステージを見つめていた月子先輩と。
 たまたま機器室のガラス越しに、目が合って。
 わたしは少し、それを逸らされたと感じた。

 でも不思議と、それは不快ではなくて。
 むしろ月子先輩が、少しだけ。
 わたしに対しても、なにかと『意識』してくれているかもしれないと。
 妙だけどなんだか、うれしかった。



 ……由衣さんに、見られた。
 とっさに視線を外してから、わたしはどうして外したのかを考える。
 美也ちゃんが乱し始めた、『なにか』が。
 わたしの中で『なにか』を動かし始めている。
 そう思った矢先に、美也ちゃんはどうして。
 『そんなこと』をいったのだろう?
 わたしの迷いを、見られたのだろうか?
 それに由衣さんは、きっと。
 わたしより、『なにか』を知っている。

「え、なになに? なにこの舞台? 題名とかあるの?」
 突如、響子先生の声がして。
「ちょっと。静かにしていないと!」
 佳織先生の声も、インカムから聞こえてきた。
「ちょっと海原くん。インカムの個数くらい覚えておいてよ!」
 美也ちゃんの代わりに、わたしが慌ててそういったのに。
「うそっ、どこから?」
 もう、美也ちゃん。
 わざわざ聞かなくてもいいのに……。
 そんなの、全部に決まっているじゃないですか……。

「『自称・姉』が、勝手に増えたみたいです」
「えっ、月子?」
「わたしが決めた題名ですけど?」
 美也ちゃんが、苦笑いをしてわたしを見る。
「うわっ、月子先輩って容赦ない」
「由衣さん、聞こえているわよ」
「月子ちゃん、コワッ」
「玲香さん、それも聞こえているわ。わざといわないで」
「全員、ステージに集合よ」
 もう、マイク越しじゃ面倒よね。
 美也ちゃん。大切なことは、みんなの前で伝えてよ。


「本当に、『姉』になりきれますか?」
 やっぱり。ステージの上で、美也ちゃんは。
「えっ? 聞こえない!」
 そういって、わたしの質問から逃げ出して。
 わたしたちの横で、海原くんは。
 ……もっと、聞こえないフリをしていた。



 ……このとき。

 一連の、僕たちのやり取りを。
 密かにあけた扉から、ずっと聞いていた人がいた。

「……こんなの、許せない」
 そうつぶやいた、旧制服の女子が。

 風を切る音で、僕たちの声を振るい落とそうと。
 教室まで、全力で走っていたなんて。

 あのときの僕たちは、誰一人として。
 気がついては、いなかった。