「……おい、美也(みや)! 大丈夫か?」
 えっ?
 ど、どうして……。
 長岡(ながおか)君が、なぜここに?

「ちょ、ちょっと(じん)先輩! どうしたんすか急に? あっ……。え……ええっ?」
 そんな、バケモノじゃないんだからさ……。驚きすぎでしょ?
 えっと、君は確か……。
 あ、海原(うなはら)君のクラスの山川(やまかわ)(しゅん)君、だったっけ?
 でも、バレー部のふたりがなぜここに?

「あ、いや。すまん、転びそうだったんで、つい……」
 長岡君が、頭をかきながらわたしに謝る。
「う、うん。仁君、あ、ありがとう」
 ……と、そこまでは。
 いや。

 ……そこまでだけで、よかったのに。


 長岡君は、向きを変えると。
 海原君に、遠慮なく近づいていく。

「おい! 海原!」
「な、長岡先輩……。お、おひさしぶりです……」
「海原! お前さっき、無理矢理美也を引っ張っただろう!」
「へっ?」
「とぼけんな! そもそもなんでお前が、こんなところで一緒にいるんだ!」

 長岡君の声が、大きくて。
 周りの人たちが少し、ざわつき始める。
 山川君、だっけ? この子は、基本突っ立っているだけで。
 同じ部活なら、先輩をとめるとかしてくれないの?

「ちょ、ちょっと仁君! 誤解だってば」
「なんだよ!」
「わたしが勝手に、つまづいたんだって」
「そうやってかばわなくても、見てたからわかるんだよ!」

 あぁ……。
 いまにも、海原君に手を出してしまいそうな『彼』を見て、失敗したと思った。
 そうだ。
 わたしは『仁君』なんて、呼んではいけなかったんだ。


 ……海原君は、わたしが話したから知っている。
 長岡君は中学の頃からずっと、陽子(ようこ)に片思いをしていた。
 でも、陽子に必要なのは。
 恋人ではなくて、同学年の親友だと勝手に決めたわたしが。
 長岡君のニセの彼女になって、バレーに集中できるように仕向けてきた。

 ……そう。
 わたしは、長岡君を利用して捨てた。
 身勝手な自分を、重ねに重ね。
 海原君や、みんなといたくなったから。

 ……『機器部』に戻って、長岡君を捨てた。
 

 長岡君は偽りの関係も、その終わりも納得はしてくれていた。
 でも、きっと。
 それはすべて、陽子のためだ。
 結局、陽子も手に入れられず。身勝手に振る舞う女が、目の前で転びかけて。
 そしてまた、『仁君』と呼んでしまった。

 長岡君は、海原君がすべてを知っているなんて思っていない。
 わたしは表向き、元カノだ。
 でも海原君は、いろんなことがわかるからこそ。
 なにもいわず、黙っている。
 決して、とぼけているわけじゃないの。
 あぁ……。すべてはわたしが、招いた結果だ。
 長岡君の、こんな姿を作ってしまったのは。


 ……この、わたしだ。


「おい海原っ!」
「は、はいっ」
「お前は、美也のなんなんだ? え? なんなんだか、いってみろ!」

 ……そんなの、海原君が。

 答えられるわけ、ないでしょ?

 ただの先輩だといえば、長岡君を傷つける。

 でも恋人だと嘘をつくことを、海原君はしない。

 ……だってそれは。

 ……『わたし』を、傷つけると。


 ……海原(うなはら)(すばる)『だけ』が、思っているから。



「お願い! 静かなところに移動して。わたしが全部、話すから!」

 なにも答えず、耐えてくれている海原君に。
 わたしが返せる感謝があるとすれば。

 ……ただ、ひとつだけ。



 少し離れた、築堤の上までやってきた。
 もうここなら、ほかの人には迷惑をかけないだろう。
 頼りない向こうの一年生は、本当はいないでくれてよかったのだけれど。
 そう伝えて、長岡君を刺激してはダメだと思うから。
 ここは我慢するしか、ないだろう。

「海原。一方的に大声で、お前を責めたことは謝る」
「いいえ。すぐに答えなかった僕のほうこそ、申しわけありませんでした」

 ……海原君。謝らせてしまい、ごめんなさい。
 ここでいわないと、いけないのはわかるのに。
 どうしよう、タイミングがわからない。
 いや、違う。
 わたしが、口にすればいいだけなのに。
 それですべてが、変わってしまうのが……。
 わたしは、とてつもなく怖いんだ。


「改めて聞かせてくれ。海原、いったいお前は。美也のなんなんだ?」
 長岡君が、彼をまっすぐに見つめて問い直す。
 海原君がなにか答えようと、口を開きかけて。

 ……いまだ、いましかない。


「……片想いなの」
「え?」
 長岡君が、驚いた声をあげる。
「美也、いまなんて?」
 しかも、もう一度聞き返された。


「わたしが……。わたしが一方的に、海原君を好きになったの……」
 もう、もうとめられない。
 とめちゃ、ダメだ。

「海原昴君が、好きなの。大好きなの!」
 ……涙が、出てきた。

「わたしが大好きな人は、長岡君のことを裏切れない。だから、適当なことをいったり、誤魔化したりしないの!」
 ……おまけに、心がとっても痛い。

「こんな形でいいたくなかった! 伝えたくなかった!」
 ……涙が、とまらなくて。

「でもそうしないと、この場は収まらないでしょ? だって、わたしの大好きな人は……。わたしを好きだと、嘘をつけないの!」
 ……目の前が、なにも見えない。


 ……もう、海原君を、怖くて見られない。



「だから、わたしがいってるの。そうしないと、海原君を傷つける」
 ……これで、最後だ。

「だからいいたくないけど! これはわたしの受けた罰なの! ふたりともごめんなさい! 長岡君、ごめん。海原君、ごめん、ごめん!」
 もう、声が出ないよ……。


「お願いだから、許して……」
 枯れた声が、最後に少し出て。
 立っていられずに、その場に崩れ落ちようとした、そのとき。

 ……誰かが、わたしを力強く抱きしめた。


 あぁ、聞かれてしまった。

 わたしより少し背が低くて、わたしより華奢で、わたしより年下だけど。
 わたしより、ずっとずっと。
 わたしの大好きな人に、ふさわしい女の子。

 やっぱり現れるんだね、あなたって……。


 柔らかな風が、川から堤にあがってきて。
 とても控えめだけど、いい香りがして。

 わたしは、この女の子に救われたと思った。



「……もう、よろしいですか?」
 わたしを包んでくれている女の子が、そう聞くと。

「わ、悪かったふたり。というか、さ、三人か……」
「し、失礼します!」
 長岡君ともうひとりが、その場を離れようとして。

 ……そのとき。


「長岡先輩。なにも答えず、すいませんでした!」
 とてもまっすぐな声が、あたりに響いた。

「お、俺のほうこそ、悪かった……」

「すいませんでした!」
 その声は、どこまでもわたしの心の中に染み渡って。
 わたしは、改めて。



 ……その男の子が大好きなんだと、わかってしまった。



 声の余韻が。
 少し日の傾きかけた夏空と、ほどよく馴染んだころ。

 ……わたしを抱きしめていた力が、やわらいだ。

「まったく。合宿の成果、ここで発揮する必要ないじゃない……」
 えっ、あなたって……。
 いま、それいうの?
「……そう思いませんか、『美也ちゃん』?」

 わたしがそのやさしい声につられて、顔を上げると。
 やや物憂げで、ほんのり潤みがちで。
 どこまでも澄んだ、藤色の瞳の女の子が。

 ……わたしをまっすぐに、見つめていた。

「本当だね。海原君って、そういう感じだよね……」
 涙を拭いながら、わたしが答える。
「……少し、違いますよ」
「え?」
「わたしには、まっすぐな女の子の声も。同じくらいよく、聞こえていました」


 涙がまた、溢れ出す。
 すると三藤(みふじ)月子(つきこ)は、もう一度。
 なんの迷いもなく、わたしを力強く抱きしめた。



 ……ぞろぞろと、わたしの大好きな子たちがやってきたのが。
 顔を上げずともその気配でわかる。
 ここは勇気だ。
 わたしだけが、三年だから。
 なにか、なにかいわなけらば。

「いまは、力を抜いてください」
「えっ?」
「いいんです。わたしが、ついています」

 ……あぁ、この女の子にはかなわない。
「『月子』、ありがと」
「どういたしまして」

 それからみんなが、わたしを、抱きしめてくれたけれど。
 ただしこの輪は、今回も。
 いつもと同じく、『女子限定』だった。



 ……日が、さらに傾いた頃になって。
 わたしたちを見守ってくれていた彼の、遠慮がちな声が聞こえてくる。

「あの……。そろそろ、団子固くなりますよ……」

「アンタさぁ! こんな美人の公開告白聞いといて、なに考えてんのよ!」
「えっ……」
「昴君だよ〜。気がきくわけないよ〜」
「お姉ちゃんとして、情けなさすぎる!」
「海原くん……。絶望的ね……」

 そうか、わたし。
 大胆にも『公開告白』なんてしちゃったのか……。

 改めて、そういわれると。
 なんかだかもう、笑うしかないよね……。



 ……みんなで食べた、お団子の味は。
 正直、ちっとも覚えていない。
 でも、夕陽を眺めながらみんなで一緒に食べたのだから。

 それだけで十分なご馳走だったのだけは。


 いつまで経っても、忘れない。