「おはようございます」
「おはよう!」
「……海原(うなはら)くん、おはよう」
 ローカル線の車内に入り、今朝も高尾(たかお)響子(きょうこ)三藤(みふじ)月子(つきこ)のふたりに挨拶すると。
 僕はいつもの、『指定席』に腰掛ける。
 進行方向に向けて座席の向きを変えられる、転換式クロスシートは。
 もちろん今朝も、座席が向かい合わせになっていて。
 四人がけとなったボックス席は次の駅で、高嶺(たかね)由衣(ゆい)を迎えると。
 乗り換え駅までの三十分間が、スタートする。

「明日で、この列車ともお別れね……」
 長いトンネルを抜けると、高尾先生がやや感慨深い声になる。
「先生とは、一年以上隣同士でしたよね」
 三藤先輩にも、思うところがあるのだろう。
 先生が、やさしい笑みを浮かべながら。先輩の黒くて長い髪を、そっと撫でる。
「まぁでも、学校にいったらまた会えるでしょ!」
 確かに……。
 現在、この先の乗り換え駅にある『坂の上』の高校で教えている高尾先生は。
 二学期から、僕たちが学ぶ『丘の上』の学舎(まなびや)にやってくる。
 いまこうして過ごす、毎朝の三十分間はなくなるけれど。
 秋からは、英語教師兼副顧問として。いままで以上に、同じ時間を過ごすことになるのだろう。

「そういえば先生の引越し先は、学校に近いんですか?」
「うわぁ……。アンタさぁ〜。女の人の家とか聞いて、どうする気なの?」
「由衣さん。海原くんに、そこまで深い意図があるとは思えないのだけれど?」
「まぁ、確かに。なにも考えてないだけかもしれませんね」
「でも、もしかして本当は……」
 せっかく、三藤先輩がフォローしてくれたのに。
 当の高尾先生が、路線変更を許さない。
「由衣ちゃんがいうように、なにか変なこと考えてたとか?」
 ……あぁ、このイタズラっぽい表情が。
 藤峰(ふじみね)佳織(かおり)、うちの顧問にそっくりだ。

 ふたりは、僕たち『坂の上』の元・同級生、要するに僕たちの『先輩』で。
 わざわざ同じ大学に一緒に進学し、いまも大の仲良しだ。
 あの藤峰先生の親友だけあって、やること考えること。
 あと僕の扱いがどうも……。


「それはそうと。赤根(あかね)玲香(れいか)さんは、最近はいかがお過ごしですか?」
 ときにやさしい三藤先輩が、サラリと話題を変えてくれた。
 僕の小学生時代の遊び友達の、玲香ちゃん。
 いまは高尾先生と同じ『坂の上』の生徒だけれど。
 こちらも二学期からは、『丘の上』に転入してきて三藤先輩たちと同級生になる。
 玲香ちゃんと僕の家は同じ駅が最寄りで、これからは高尾先生の代わりに。
 『毎朝』一緒に、通学することになる上。
 部活まで同じになるのだけれど……。
 それでも玲香ちゃんと、相変わらず他人行儀なのが。
 三藤先輩らしいよなぁ……。

「元気にしてるわよ。もしかして早く会いたいとか?」
「そんなことはありません」
 即答の三藤先輩に、高尾先生が思わず笑い出す。
「海原君は、苦労しそうだよねぇ〜」
 笑顔で、僕に話しを振らないでくださいよ。
 先輩の目が、そんなことはないといえと圧力をかけてくる。
 高嶺が、あきれたように。
「ほんと、世話するわたしの身にもなって欲しいですよねぇ〜」
 問題児が自分のことを棚に上げて、好き勝手いっている。


「……思い出したわ! 一日早いけど。はいこれ、みんなにプレゼント!」
 高尾先生が、突然声をあげると。
 僕たちひとりひとりに。丁寧に包装された、なにかを渡し始める。

「ありがとうございます。あけていいですか!」
 問題児は、今度は目をキラキラとさせて。
 返事など、聞くつもりもない勢いで。
 自分の髪の毛の色と同じ、栗色の和紙を開きだす。
「きゃ〜。かわいい〜!」
 中から出てきたのは。えっと……なんだそれ?
「海原くん。あれはシュシュといって、髪の毛をまとめるリボンのようなものよ」
「えっ……」
「月子先輩?」
 高尾先生と、アイツが目を見開いて三藤先輩を見る。
「……わたしだって、家では使いますけど?」
 思わず僕も加わって。三人でシュシュなるものを頭に巻く先輩の姿を想像する。
「あのね……。巻かないわよ。束ねるだけだからね」
 どうやら、ちょっと使用イメージが違うようで。
 じれったくなったのか、高嶺が。
「こうするの!」
 僕に向かって、シュシュなるものを後頭部につけて見せてくる。

「どう、かわいいでしょ?」
 アイツが、僕に聞くけれど。
 それは容姿なのか、髪型なのか。
 はたまたは、シュシュなるもののことなのだろうか?
「どうなのよ!」
 僕は、急かされたので仕方なく。
「よくわからんが……。なんかいつもより、さらに頭が大きくなった気がする」
「えっ……?」
 高尾先生が、慌てたような顔で僕を見たけれど。
「サイテー」
 アイツはそういうと、思いっきり革靴の踵で僕のスネに蹴りを入れてきた。
「……わたしに対しても、失礼よね」
 痛がる僕に、三藤先輩は冷たくて。
「ありがとうございます」
 そういって、先輩のイメージカラーそのものの。
 藤色の包装紙を、大切そうに広げはじめる。

 ……どうやら中身は高嶺のものより、随分と小そうだけれど?
「これは……」
「随分前に、気になっていたでしょ? とりあえず小さいのだけど、気に入ってくれればうれしいな〜」
「よ、よろしいんですか?」
「もちろんよ〜。ちゃんと使って……ね!」
 高尾先生の、意味ありげないいかたはともかく。
 その箱の中のなにかに気づいた、三藤先輩が。プレゼントを慌てて、カバンの中に入れてしまって。結局僕には、中身が見えなかった。
「あの〜? わたし、中身見えなかったんですけどー?」
 さすが高嶺だ、容赦なく先輩に聞いている。でも実は、僕もその中身が少し気になるので。このツッコミはありがたい。

 ところが……。
「まぁ、いいですけどぉ……」
 へ? いいんですか?
「ごめんね由衣ちゃん。なんか気を使わせちゃったかな?」
「響子先生は別にいいんです。秘密主義なのは、そちらの先輩のほうなんでー」
 三藤先輩は、その挑発には乗らず。
 なにやらせっせとカバンを開いて。
 包装紙を律儀に、最初の状態にまで戻している。
 なんというか、いつもほんと、折目正しいよなぁ……。



 ……三藤先輩は引き続き真剣な顔つきで、プレゼントの包装紙を眺めたままだ。
「で、アンタのそれ。薄いけどいったいなに?」
「その包み紙の色はねぇ、菖蒲(あやめ)っていってねぇ。あ、どんな漢字かわかる?」
「電車の駅名にありますから、漢字で書けます」
「あのさぁ、電車オタク自慢はいいから。早く中身見なよ!」
 まったく。お前、絶対書けないからいってるだけだろ?
 わかったから、高嶺。頼むから、いちいち吠えるな。
 僕だって、受け取ったときから……。
 なんだかこの、妙なやわらかさが気になってるんだ。


 僕が、その包みを開くと。
「……え、先生。これって?」
「さっき、明日で最後っていったでしょ? だから、ね……。お願い!」
 中からスクールバスの出る駅前にある百貨店の商品券と、一筆箋が出てきて。

「なんて書いてあるの?」
 高嶺が僕から強奪して、三藤先輩もそれに釘付けになる。
 まぁ、僕も……。
 もし、『仮に』。見られて困るものだったらどうしようかと。
 一瞬のあいだに、先に読みましたけどね……。

 で……。
「響子先生って、意外とかわいい字を書くんですね……」
「え! いまそこ?」
 三藤先輩のつぶやきに、高嶺がずっこけながら反応する。
 いやほんと、いまはそこじゃないですよ先輩。
 で、改めまして高尾先生。
 なんですか、これ……?

「放課後に購入。冷蔵庫で保管。明朝ヨロシク!」
 一筆箋には、明日の先生のお昼ご飯となる『パンのリスト』が記されていて。
 しかも包みの中に、まだなにかやわらかいものがあると思ったら……。
「ほ、保冷剤?」
「だって、独身の高校生男子になんか買うのって、気が引けるでしょー?」
「はいっ?」
「だからその商品券は。パン買う代わりっていう扱いでヨロシクね!」

 あのぅ。世の中、独身『じゃない』男子高校生なんて。
 そうそうお目にかかれない気が、するのだけれど……。
「もう! いちいち細かいことは、い・わ・な・い・の!」
 ……なんですか、その変な発声練習みたいないいかたは?
 ところが、そうこうしているうちに。
 列車はタイミングよく、乗り換え駅に到着してしまって。
「じゃ、また明日ね!」
 高尾先生はそう明るくいうと、ひとり先に降りていってしまった。


「海原くん……」
 少し同情した目で、三藤先輩が言葉を添える。
「よければわたしも、帰りにパン屋さんに付き合うわ」
「そんな! 月子先輩だけだとなんか危険なんで、わたしもいきます!」

 ……なんだか、それはそれでまたもめそうだけれど。
 ありがとう先生。おかげで友情だけは、つながりました……。

 ただそれ以上に。
 一筆箋を裏返して一瞬目にした言葉に、僕は……。

「『最後の日』に、なかったなんてないよね?」

 別に、今生の別れじゃないのに。
 こんなにプレッシャーをかけてくるなんて……。


「三藤先輩。あの先生、もうすぐうちの学校にくるんですよね?」
「そうね、海原くん。おまけに、副顧問になるのよね……」
「ま、楽しむしかないでしょ!」

 シュシュだかポッポだかを頭につけて、喜んでいるヤツはさておいて。
 三藤先輩と僕は。

 ……ちょっとだけ未来が、心配になっていた。