列車が、学校への最寄駅を越えて。
ひとつ、またひとつと先に進むと。
僕たちの目的の駅へと、到着する。
初めて降りたプラットフォームに、古びた駅名標がポツリと立つ。
「おぉっ……」
どう見ても、昭和だ。このサビ具合が、最高だ。
久しぶりに、『好きなもの』を眺められる。
幸せな気持ちでそれを、じっくりと眺めようとする僕を。
「早く! いくよ!」
鉄道風情ゼロの高嶺由衣が、容赦なく急かしてくる。
「駅の名前書いてあるだけじゃん、それ」
「えっ……」
「だいたいアンタ、駅名なんて全部覚えてんだから。なにが楽しいの?」
「……あのなぁ、ここでずっと列車を見守ってたんだぞ」
「見守るって、『ゴマちゃん』じゃあるまいし。もう先にいくからいい!」
わけがわからないと、首を左右に振りながら。
アイツは先に、階段をのぼっていく。
「さすがに神社の狛犬とは、違うよね〜。はい、こっち向いて昴君」
振り向くと、赤根玲香が気を利かせて。
スマホのカメラを、こちらに向けてくれてる。
「えっと、そこだと駅名が隠れない?」
「えっ?」
「あと、ちょうどもうすぐ反対側から列車がくるからさ」
「う、うん……」
「先頭車両がちょうどこう、この角に差し掛かったあたりで……」
……って。
えっ、玲香ちゃん?
「あのね、わたし。昴君を撮ろうとしてただけなんだけどなぁ〜」
「あ、あの……」
「また次にするね!」
「えっ……?」
そういうとスマホをしまい、僕を置いて。パタパタと高嶺のあとを追い始める。
ふと気配がして、振り返ると。
三藤月子が不機嫌さを隠しもせず、駅名標の前に立っている。
これは、ひょっとしたらチャンスかもしれない。
「先輩、不機嫌なのはわかるんですが。もしかしてカメラとか……」
「あるわけ、ないわ」
……あぁ、せっかく。
ほら、うしろの山と列車と駅名標。最高の構図で。
そうしたら、機嫌も直るかもしれないのに……。
「海原くん、いくわよ」
僕の純粋な鉄道愛など、いまの三藤先輩の前では完全に無力で。
「いく、わよ!」
そう、三藤先輩は……。
現在極めて、不機嫌だ。
「……えっ、月子ちゃん?」
これより、およそ一時間前。いつもの、ローカル線で。
プラットフォームにのんびりとやってきた列車の中に、三藤先輩の姿が見えた。
僕の隣で、笑顔で手を振って列車を迎えていた玲香ちゃんが。
その瞬間、手をとめて固まってしまう。
僕は、そこまでは驚かない。
……でもまぁ、違和感がなくもなかった。
「こ、こんにちは……」
そういいながら、三藤先輩の隣に腰掛ける。
ある意味、学校のある毎朝と同じなのだけれど。
きょうは少しばかりの、違和感が……。
この日は、僕なりに。
襟付きのシャツとチノパンという、その辺のごく普通の男子としては。
ちょっとだけお出かけを意識した格好に、したつもりだった。
「昴君、いいねぇそれ!」
そういいながら登場した玲香ちゃんも。
いつもより少し大人びた感じの、洋服を着ている。
……でも、なんだ。
それで、よかったんだ。
三藤先輩はいつもの、夏服だ。そう、それは。
僕が学校で、見慣れた姿だ。
次の駅に到着すると、窓の外に『着飾った』高嶺がいて。
僕が、目を丸くする。
同時に、あいつも目を丸くしていたのだけれど。
多分あれは、自分がひとりだけ場違いだと思ったのだろう。
……まぁアイツは、いつもそんなものだ。
「『由衣』、かわいい〜!」
「『玲香ちゃん』も、なんか大人びててステキ〜!」
あれ、なんか呼びかた変わってないか?
ま、まぁそれよりも今はコイツだ。
高嶺は、世にいう『浴衣』なるものを着ていて。
いかにもどうだ、参ったか? そんな顔で僕を見ている。
「……夏って、感じだよな」
「は?」
「ちょっと昴君! ここはちゃーんとほめるとこだよ〜」
「いいんですよ玲香ちゃん。コイツのセンスは、こんなもんですから」
「それにしてもねぇ……。昴君、ほかには?」
「なんか高嶺だけ浴衣で。妙に目立ってますよね、三藤先輩?」
よくわからないので、先輩にひとことお願いしてしまえと僕は思った。
……のだけれど。
……あれ?
三藤先輩の両耳が。赤くなっている。
「海原さぁ。お祭りだよ。浴衣がドレスコードだし〜」
思いっきり目を細くした高嶺が、極めて不服そうな顔で僕を見る。
「へ、そうなの? でも玲香ちゃんは洋服だよ?」
「あのさぁ! めちゃくちゃオシャレしてるの、わかんないの?」
高嶺の声が、イラついてきている。
アイツのいうようにドレスコードが浴衣なら、洋服はマナー違反になる。
でも玲香ちゃんは、オシャレしてるんだよな?
……それって思いっきり、矛盾した話しじゃないのか?
玲香ちゃんの目が、わたしになにかいえと訴えてくる。
でも、うかつなことを口にすると血を見そうで。
え、えっと……。
「きょうもスカートと、半袖だね!」
「は?」
「えっ?」
「だってほら、三藤先輩と一緒で……って、イ、イ、イテッ……」
玲香ちゃんが、僕の手に思いっきり爪を立ててくる。
なんで? 無難に答えたのに、なんで怒るの?
「あのね! スカートじゃなくて、檸檬色のレトロワンピースなの!」
「う、うん……」
「しかもこのリボン! よく見てよ!」
胴回りの、ベルトみたいなやつ?
「腰じゃなくて、首元のリボン!」
そっちか! では失礼して、その白い首元のほうに視線を動かすと。
なんか、虫、じゃなくて糸くず?
「これはね、刺繍! わかんないの?」
「ご、ごめん……」
「まったく。お祭りってね、いつもと違うんだから! 大体、昴君だってちゃんと服とか着てきたでしょ!」
まぁ、いつも服は着てるんだけどさ。
……え?
……と、ということは。
もしかして、お祭りに『制服』って……。
「し、仕方ないわよ! 合宿のときに誰かさんが無遠慮にジロジロ見てきたから、変わった格好をするのが恥ずかしかったのっ!」
三藤先輩が、僕と目が合った瞬間に早口になる。
「ほら〜、昴君のせいだよぉ〜」
「アンタが悪い〜」
そうだった、例のポポポポポポポ、ポニーテール……。
そうか!
ごめんなさい、三藤先輩!
「学校での姿しか知らなくて、物珍しくってつい……」
「ちょ、ちょっと……」
「気をつかわせて、しまってすいませんでした!」
「あーあ……」
僕としては、謝罪のつもりだったのだけれど。
「アンタそれ……。逆に月子先輩を、恥ずかしがらせてるだけだからさぁ……」
……というわけで。
『制服姿』の、三藤先輩は。
それからずっと不機嫌だ。
……初めて降りた駅前は、人がそれなりに多かったけれど。
都木美也と春香陽子の姿は、すぐに見つけられた。
いや。
目立つのですぐにわかった、が正しいのかもしれない。
「おぉっ……」
まずは高嶺が代わりに、感想を述べてくれた。
「さてはお姉ちゃんに、見とれちゃったな〜?」
「そうなの? わたしの浴衣は……どうかな?」
列車の中では、そこまで気にしていなかったけれど。
向日葵、金魚、朝顔の柄が並ぶと、確かに。
浴衣姿の三人が、急に輝いて見えてきた。
「いまさら、みとれるな!」
「まさか照れてきた、とか?」
「あ、ありがとね……」
そういってから、三人が歩き出す。
「い、いきましょうか……」
不機嫌な三藤先輩に、なんとか声をかけると。
先輩は僕のシャツの袖を、やや強めに引っ張って。
「……あのね、海原くん」
「は、はい……」
それから、小さく、小さく。
「わたしだって、浴衣くらいは着られるわよ……」
そういってやや恨めしそうに、僕を見た。
歩行者天国になっている駅前を、みんなでのんびりと歩いていく。
「意外とさぁ。浴衣の中だと、制服も目立つよね」
「陽子のそれ、フォローのつもりかしら?」
少し機嫌を戻しつつある三藤先輩が、そんなふうに答えている。
確かに、三人の浴衣姿は文句なしに綺麗なのだけれど。
大勢の中でひとり、制服姿の三藤先輩も。
それはそれで、道ゆく人たちが。
思わず目で追ってしまう存在感を放っている。
「なんかぁ、わたしも浴衣か制服にしとけばよかったなぁ〜」
「えっと、玲香ちゃんはどうして着なかったの?」
「制服はまぁ、思いつかなかったよ」
ま、まぁそれはなんとなくわかる。
「でも浴衣ってお腹きついと……。食べにくいかな……って」
「なにそれ!」
都木先輩が、楽しそうに声をあげると。
「わ、忘れてた……」
その横から高嶺が、絶望したような声を出す。
そうか、なるほど。
だったらコイツには、一年中浴衣を着せておけば。
毎年失敗しているとかいうダイエットが、ようやく実現できるかもしれない。
「アンタ、なんかいま。すっごく失礼なこと考えてなかった?」
い、いえ。な、なにもいってませんけど……。
「顔に書いたあるからだよ、『昴』」
さらりと僕の名前を口にした春香先輩に、みんなの目が一点集中する。
「よ、陽子……」
「な、なんだかかまだ。聞き慣れないねぇ……」
「いつのまにか、貫禄がついてきてませんか……」
「お姉ちゃんの余裕、だからねぇ〜」
春香先輩は、そういうと。
ドンと、僕に肩をぶつけてから。
「昴、迷子にならないんだよ!」
もう一度、堂々と僕の名前を呼んで。
みんなの先頭を、歩きだした。


