「……あのー。最近わたしの出番、少なくないですか?」
「由衣だけじゃなくて、わたしも少ない気がする。作者、サボってるのかなぁ?」
「そういうの、どこに抗議したらいいんですかね?」
……日曜日の朝。
わたしは、玲香ちゃんと早朝のランニングを終えると。
互いの家の中間にある、小さな公園で休憩中だ。
金曜日の午後をもって、急遽合宿は中止になった。
昼食後、本殿前をみんなで掃除していると。
響子先生のお母さんが、驚いた顔でやってきた。
「ちょっと、きょうは掃除しても仕方ないわよ」
「なんで、お母さん?」
「もう響子。あなた教師なんだから、もう少し先回りして考えなさいよ……」
……どうやら、この時期にしては珍しく。
大きな台風が、急速に近づいてきていて。
夕方からは、大荒れになるらしい。
「よし、解散!」
佳織先生が即決する。
「えー、いきなりですかー?」
「別に台風過ぎるまで、ここにいるでいいんじゃないですか?」
玲香ちゃんとわたしが、そういうと。
「宿坊が雨漏りしたり。ほら、裏の木もお年だから、屋根に倒れてきたり大変よ」
響子先生が、妙にもっともらしいことをいう。
「い、一応そのあたりは去年手入れしたわよ……」
先生のお母さんが、そこまで古くはないのよと謎のフォローを入れると。
「でも、地割れしたら大変よ!」
先生が、ぶっ飛んだ想像力を披露する。
「……あの。さすがに台風で地割れはしないと思いますけど」
海原そうだ、たまには頑張んなよ!
そう期待したのに、佳織先生が今度は。
「まぁ、またやったらいいでしょ?」
「ま、またやるんですか……」
ちょっと! アンタすぐに戦意喪失しないでよ!
結局、最後に。
「停電とか、嫌い……」
美也先輩がそういったので、先生たちに押し切られてしまった。
「停電好きな子とか、普通いませんけどね!」
恨めしかった台風は、夕方には結局進路を全然違う向きに変えたばかりか。
土曜日の朝に海の上で、あっさりと消えたらしい。
「なんだか尻切れトンボってやつ? 消化不良になっちゃったねー」
「ほんと、お盆の間は暇ですよね〜」
「もう一回合宿できるといいけどね〜」
「ほんとですよぉ〜」
あの時代遅れの部長と副部長には、スマホがない。
だから相談しようにもできないし……。
……ってまさか、このまま夏休み終わっちゃうとかないよね?
「そっか!」
なぜだか、陽子先輩を経由すればどうにかなるかと思った。
「え、陽子ちゃん『また』スマホ持ったの?」
「あれ? 前に留学いくから買うんだ、みたいなこといってませんでした?」
「あー、あれねー」
玲香先輩が、乾いた笑いをしている。
「ウチに泊まってたときに、試しに使ってみたらっていったんだけどね」
……ロック解除とか、通知とか、既読とか色々説明してるうちに。
いつのまにか寝てしまったらしく。
次の日の朝、面倒くさいからギリギリに買うか考える、といっていたそうだ。
「留学やめたし、絶対買ってないと思う」
「……なんか。放送部なのに、機械と無縁というかなんというか」
「だって陽子ちゃん、ワイヤレスマイクだと不安だからって」
「いつも行事で、有線マイクばっかり用意してますもんねぇ……」
ダメだ。
『あの三人』は、やることが昭和すぎる……
……ふと、ふたりで沈黙する。
由衣ちゃんとわたしは、同じことを考えているのはわかったけれど。
わたしは口にするのが少し、怖かった。
「ねぇ、陽子ちゃんだけどさぁ……」
「アイツのこと、好きだったんですよねぇ……」
「……由衣ちゃん、すごいね」
「どうしてですか?」
「だってあっさりと、いっちゃった」
「玲香先輩だって同じこと考えてたんですよね? だったら数秒の差ですよ」
……その数秒差が大きいのに、とわたしは思った。
由衣ちゃんは、それきり。
栗色の髪の毛を指先でくりくりと回しながら、再び沈黙する。
次に口を開くべきは、わたしのほうなんだろうけれど。
いったいどう、話しをつなげればいいんだろう……。
「誰もまだ、本人には告白していないんですよ」
由衣ちゃんがまた数秒先に、わたしと同じ意見を口にした。
「陽子ちゃんは好きだって思って、自分で飲み込んだんだよね……」
由衣ちゃんが、小さくうなずく。
続きを、いいたいけれど。
口にしたらわたしも、自分の気持ちをいわなくてはいけなくなるだろう。
「いいなぁ、好きだって思えて……」
え? 由衣ちゃんは違うの?
「あの、玲香先輩は。アイツのことが好きですか?」
由衣ちゃんの大きな瞳がふたつ、わたしをじっと見つめてくる。
……どうしよう、心の準備ができていない。
「わかっちゃいました。わたしと同じですね」
「えっ? どういうこと?」
……陽子先輩が、雨の中飛び出したあの日。
美也先輩が、月子先輩のシャワー中にタオルなどを準備して。
わたしは同じように、陽子先輩の分を用意していた。
陽子先輩に、いわれたとおりに。
荷物から必要なものを取り出していた、あのとき。
「ん?」
偶然、手に当たったものがあった。
もちろん。触れるつもりも、見るつもりもなかったけれど。
五月の連休にみんなで海にいった、そのときの帰りのバスで。
陽子先輩が。
なぜかアイツの隣に座ったことを、思い出した。
……席に座ると、互いに暑いとでもいっていたのだろう。
海原が仰ぐ仕草で、そのとき手にしていたのは。
何度か見覚えのある、鉄道好きのアイツのタオルハンカチだった。
そのあと、わたしはなんとなく見ないようにして。
途中から駅までは、本当に寝てしまった。
「ちょっと、手くらい拭きなよ」
帰りの乗り換え駅で、アイツがトイレから戻ってきたとき。
「いや、それがさ」
アイツはどこかで、ハンカチを落としたのだといっていた。
「あの特急のマークが入ったやつ、覚えてないか?」
「なにそれ?」
「去年の夏に家族で乗りにいってさ。向こうの駅でしか買えないんだよなぁ……」
特急の名前とか、変な番号とかいわれてもわからないけれど。
ただ、菫色の列車だったのだけは、覚えていて。
……そしてそれと、同じものが。
なぜか陽子先輩の荷物の中に、入っている。
アイツは、器用な嘘なんてつけない。
それにわたしは、深くなんて考えていなかった。
次の日に、冷やかしの気持ちで。
陽子先輩に質問したときの表情を、わたしはいまも覚えている。
「もしかして陽子先輩って、アイツのことが好きですか?」
誓って、いうけれど。
不意打ちする気なんて、これっぽっちもなかった。
「まさか!」
そんなふうに、驚いてくれて。
ハンカチを返すチャンスが、たまたまなくて。
合宿でアイツに渡すために持ってきたことがわかれば、それでよかったから。
だから、わたしは。
とっても軽い気持ちで、聞いただけだ。
「……さっきの玲香先輩の表情は、そのときの陽子先輩とは違いました」
どうやら玲香先輩もわたしも。
陽子先輩とは違うらしい。
そう、わたしたちはまだ『恋』をしてはいない。
ただ、アイツがなんとなく、好きなだけ。
「わたしたちとは、レベルが違ったんだね……」
そう、陽子先輩はあとからやってきて。
いつのまにか、階段を何段も先に進んでしまった。
それから、自分の気持ちを確かめた上で。
違う道を選んだと思った。
「わたしたちはまだまだだねぇ〜」
「似たようなところに、もうひとりいますよね?」
「それだけじゃないよ。あともうひとり、ずっと上の段にいる」
「玲香先輩も、そう思います?」
「だって、陽子ちゃんのことがわかったら……。割と簡単じゃない?」
やっぱり、そうなんだ……。
わたしは、思わず。
「あの人に、かなうかかなぁ……」
ふと思ったから、口にしただけだったけれど。
「ねぇ由衣ちゃん、さりげなくそれって失礼だよ」
玲香先輩の声が、少しだけ固くなったのを感じた。
先輩は立ち上がると、近くにあったブランコに飛び乗る。
「これってひさしぶり〜」
そういいながら立ちこぎして、笑顔で。
「もし、もしだよ……」
ブランコの勢いが、少し強くなる。
「色んな人が、階段をのぼっててもね。わたしが動きだしたら!」
もっとブランコが早くなって。
「……一番強いのは、わたしだから!」
そういうと玲香先輩は、勢いをつけてブランコから飛び降りる。
「いやー、ひさしぶりにやってみたけど、たのし〜」
そうか、そうだった。
もし、もしわたしが、階段をのぼり始めたら。
ライバルはひとりじゃない、ふたりでもないのだ。
「『もし』そんなときが来たら、わたしだって先輩たちには負けません!」
玲香先輩がわざとらしく、余裕の笑みを見せてわたしを見る。
「望むところよ!」
それから、大きく息を吸い込むと。
今度は、すでにギラギラと照り始めた太陽に負けないくらい。
まぶしい笑顔でわたしをみる。
「でもそれまでは、仲良くしようね! 由衣ちゃん!」
「もちろんです!」
「その証として、じゃないけどね……」
それから、玲香先輩は。
「これからは『玲香ちゃん』って呼んでね、『由衣』!」
そういって、空に腕を伸ばして。
わたしにハイタッチを求めてくれた。
……すると、それをまるで見届けたかのように
タイミングよく、美也先輩からふたりのスマホにメッセージが入る。
「水曜日、お祭りいかない?」
思わずふたりで、顔を見合わせる。
「……スマホ、盗聴器とかついてないよね?」
「やるとしたら、月子先輩くらいですよ」
「でもあの子、アナログ派だよ?」
「じゃぁ、誰にも聞かれてませんよね!」
……翌日、月曜日の朝。
三藤月子、海原昴、そして春香陽子の『アナログ三人組』の家のポストに。
同じ文面の手紙が、入っていた。
「水曜日、お祭りに集合!」
「まったく……。もう少し考えたりしないのかしら?」
「高嶺も玲香ちゃんも……。いったいなに考えてんだ?」
「美也ちゃーん! 時間も場所も、わからないよ〜!」
もちろん、投函した当人たちはそんなことなどつゆ知らず。
……火曜日に、ポストに入っていた問い合わせの手紙を見て。
その夕方に、再度投函にいって。
スマホがないせいで、互いにとても『無駄』なことをしながらも。
それでも、水曜日を楽しみに。
思い思いのときを、過ごしていた。


