……月曜日の朝。
 三藤(みふじ)先輩の家を、訪れる直前。
「アンタは、外でちょっと待ってて!」
 高嶺(たかね)が、僕にいきなり告げると。
 玲香(れいか)ちゃんの手を引いて、ふたりが三藤先輩の家の中まで入っていく。

 それから、数分が過ぎたころ。
 玄関が開く気配と同時に。
「お、お母さんは! も、戻っていて!」
 門の中から、少し悲鳴に似た感じの。
 いつもよりやや甲高い、三藤先輩の声が聞こえてきた。

(すばる)君、お待たせ〜」
 玲香ちゃんが、まず門の前に出てきて意味深な笑顔でニコリとして。
「ちょ、ちょっと!」
「いいから、早く出ますよ!」
「ほらほら、いきなさい」
 三藤先輩と高嶺、それに先輩のお母さんの声が近づいてきて。


 で……。
   え……。
      ええええええっ?

 みみみみ、三藤……。
 せせせ、先輩が……。


 ジャージでも、制服でもなくて。
 紺色の膝丈ギリギリのスカートと。あと、なんですかそれ!

 か、肩に、少し穴があいている……。
 そ、そんな黄色のTシャツみたいなのを着ていて。
 き、極め付けにに……。


       ポポポポポポポ、ポニーテールッ!


「どうよ? さすがのアンタでも、ドキッとするでしょー」
 黙れ高嶺、なんなんだ? この先輩の、お姿は!
 お、お前の仕業か?
「この髪型とか、昴君わかるかなー」
「ポポポポポポポ、ポニーテールですっ……」
 玲香ちゃんは、自分から質問してきたくせに。
「キャッ!」
 なぜか、そんな声を出すと。
 顔を真っ赤にして、僕から目を逸らす。
「はいはい。月子(つきこ)先輩も、自分で聞かないとぉ〜」
 ニヤリとしながら、高嶺が。
 うしろから背中を押して、先輩を僕に近づける。
 顔も両耳も真っ赤にした、三藤先輩が。
 伏し目がちに……僕を見て。そ、それから……。

「……ど、どうかしら?」
 どうもこうも……。
 初めて見た私服姿と、髪型の。そ、その破壊力に……。
 あ、あ、あ。アゴが、外れそうで……。
 僕はなにも、言葉を返せない。

「どうかしら、海原(うなはら)君?」
 追い討ちをかけるように。
 先輩のお母さんが、重ねて僕に問いかけて。
「あ、あ、ああっ……」
 それでも、まだ言葉が出なくて。
 ついに、先輩のほうが先に……。
「や、やっぱり! ジャージに着替えてきます!」
 高く裏返った声をあげて、引き返しかけたので。僕は慌てて思わず。
「せ、先輩! ポポポポポポポ、ポニーテールが……」
「や、やめてぇ〜!」
 僕たちふたりの、珍妙なやり取りに我慢できず。
 ついに玲香ちゃんと高嶺が、腹を抱えて崩れ落ちた。

「ちょ、ちょっと昴君! 反応しすぎ〜」
「もうちょっとまともにほめなよ! おかしいから!」
 ふたりはそんなことをいいながら、涙を流しながら笑い続け。
 先輩のお母さんもそれに混じって、楽しそうに笑いだす。
 す、すすすすいません。
 月曜の朝から、ご近所の皆さん。
 うるさくてごめんなさい!


 ……それから、三藤先輩は。
 このままなら合宿には意地でもいかないと、いい張って。
「仕方ないわねぇ〜」
 結局まわりが折れて。
 先輩の髪型だけは、いつもどおり元に戻った。

 ……とはいえ。
 それでも僕には、先輩の私服姿があまりにまぶしくて。

 僕は結局、神社に到着するまでのあいだ。
 ただの一度も、先輩に声をかけられないままだ。



 ……さっきからずっと無言の、海原くんに。
 わたしは恥ずかしすぎて。とてもじゃないが、顔を向けられない。

「……え?」
「うそっ?」
「あら!」
「若っ!」
 神社に到着すると、先に集まっていたみんなが。
 わたしの姿を見て、バラバラの驚きかたをする。

由衣(ゆい)ちゃんとわたしのコーディネートです!」
「まあ、半分は元どおりなんですけどー」
 玲香さんと由衣さんが、ことの次第をかいつまんで説明すると。
 藤峰(ふじみね)先生と高尾(たかお)先生が、涙を流して笑い出す。
「ポニーテールくらい、わたしだってたまにするわよ。ねぇ響子(きょうこ)?」
「ポポポポポポポっていわないとダメよ! 佳織(かおり)!」
「も、もうやめてください!」
 わたしの代わりに、海原くんが必死に抗議している。

 おまけに、陽子(ようこ)が。
 隣の美也(みや)先輩に、別の余分なことを告げてしまう。
「月子の私服姿、わたしも初めて見た……」
「え? 遠足とかは?」
「だって月子、『制服』で来たもん」
「うそっ! 遠足に『制服』!」
「ちょっと、美也先輩っ!」
 わたしの反応が、一瞬遅くて。
 あぁ……。みんなに聞かれてしまった。
 全員の目が、一斉にわたしを見て。一呼吸おいて、再爆笑しだす。

「ご、ごめん! 月子ちゃん!」
「わたし、帰ります……」
「いいじゃないですか〜。もう聞いちゃいましたしぃ〜」
「とりあえず、写真撮っとこ」
「い、いや〜! やめて〜!」
 笑い声と、悲鳴が混じったわたしたちの周りは。

 そのうるささのためか、セミたちも逃げ出したようで……。
 なんだか、とてつもなく恥ずかしい気持ちと同時に。
 それでも少しだけ、みんながまた少し。
 ……仲良くなれた気もした。



「……月子ちゃん。さっきはごめん!」
 ……ひとまず、『宿坊』に荷物を置きにきて。
 わたしはもう一度月子ちゃんに、ごめんねと声をかける。

「いいんです、美也先輩。ただ私服って、とても難しいですね」
「えっ……?」
 月子ちゃんが、一瞬わたしに『本音みたいなこと』をいった気がするけれど。
 ……気のせいかな?

「どうかしました?」
 まっすぐにわたしを見つめてくるその目に、きちんと応えたくなったわたしは。
「せ、制服を貫くのも。割と難しい気がするけれど?」
 少しだけ遠慮がちがに、でも素直に感想を述べてみる。
 ……数秒の、沈黙が訪れて。
 やっぱりまだ、そこまでの距離感で会話するのは無理だったかな?
 そんなことをわたしが考え始めた、そのとき。

「……どうですか?」
「えっ?」
「失礼しました。この私服姿に、ついてです」
「ご、ごめん。そういう質問か……」
「やっぱり、似合わなかったんですね」
「ち、違うよ!」
 月子ちゃん、その逆だよ。
 檸檬色(れもんいろ)のフレンチニットと、そのスカートの組み合わせが似合う子なんて……。
 逆に、なかなかいないから!
 いや、正直ね。
 改めて月子ちゃんを見たら。
 わたしだって、一瞬。心を奪われそうになったくらいだよ!

「……ありがとうございます」
 とっても似合っていると、必死に説明したら。
 どうやらお世辞ではないと。わかってもらえた。
 ただわたしは。『心を奪われた』という点までは……。
 さすがに口にすることが、できなくて。
 加えて。
「海原君が、ポニーテールに心を奪われただけなら、まだよかった〜」
 そんな本音も……。絶対にいえなかった。


 月子ちゃんは、もちろん。
 由衣も、玲香ちゃんも。
 昨日買い物したというお洋服がとても似合っている。
 きょうがもし、ファッションショーの日だと知っていたら。
 わ、わたしだって……。


「はいはい!」
「そろそろ合宿、始めるよー!」
「オシャレ女子たち。せっかくの私服姿なのに、ごめんね!」
「でも、運動するから着替えよっか?」
 ……さすがに、こんな展開を予測したわけではないだろうけれど。
「はいこれ、お揃いだよ!」
 先生たちが、わたしたちに向日葵色(ひまわりいろ)のTシャツを用意してくれていて。

 ……わたしはちょっぴり、ホッとした。


「よかった……」
 どうやら、隣のオシャレさんも。
 わたしとは別の意味で、ホッとしたらしい。 
 受け取ったTシャツに着替えようと、ニットに手をかけた月子ちゃんを見て。
 なぜだかわたしは、このままではもったいないと突然思った。
「ねぇ、写真撮ろっ!」
「えっ?」
 不意打ちで、わたしは月子ちゃんの横に顔を並べると。
 そのままカシャッと音を立てる。
「この表情は……」
「どう?」
「都木先輩だけが『かわいく』撮れているので、却下です」

 ……いままでなら、わたしとのツーショットなんて。
 絶対に撮らせてくれなかった『あの』月子ちゃんが。
 いまは、『かわいく写りたい』だなんて。
 なんだかとっても、不思議だね。
「いいよ、消してあげる!」
「当たり前です」
 ……あぁ、いつもの月子ちゃんが戻ってきた。

「その代わり、お互いが納得できるまで。付き合ってくれる?」
 笑顔で聞いたわたしに、あなたは少しだけ考えてから。
「……作り笑顔は苦手なので、長くはできません」
 正直にまた、応えてくれた。

 心配しないで。
 あなたに、作り笑顔は似合わないよ。

「こら! 時間を無駄にしないよ、急いで〜!」
 ……もう。
 いいところだったのに、高尾先生の催促する声が、廊下に響く。
「まったく。無駄にやる気がありますね」
 月子ちゃんがまた、『らしいこと』をポロリと話してくれて。
 それから……。

「一発で、決めましょう」
「えっ?」
「ほら、都木先輩。いまです」



 ……ついに、『放送部』の合宿が始まった。


 そんな朝の、月子ちゃんとのツーショットが。

 わたしの人生の中でも。


 最高の一枚のひとつに、なるなんて。


 このときのわたしたちは。
 まだ誰も、考えていなかった。