「……みんなお疲れさん! おかげで一週間を乗り切ったぞ!」

 高尾(たかお)先生が、珍しく苦笑いしている。
「なんだかいうことがズレてて、ごめんね……」

 ……金曜日の、夕方。
 社務所では、旅行帰りの先生のお父さんとお母さんを加えて。
 ささやかな慰労会が始まった。

「乗り切ったのはわたしたち。お父さんたちは、ただの旅行でしょ?」
「それでも、響子(きょうこ)が急にいけというから。そのせいで大変だったんじゃ」
「なにが?」
「授与所のおばさんたちがな、巫女の衣装と着替えを間違えて持ってきての」
「それくらい、別にいいじゃない」
「えっ。……いいのかな?」
 ちょうど、僕のうしろをとおりかかった春香(はるか)先輩が、僕にささやく。
「バスに座りにくいとか、食べにくいとか、いちいちうるそうてな」
「……えっ、まさか巫女の衣装で観光したんですか?」
 春香先輩と、隣でおかわりを運んでいた玲香(れいか)ちゃんが。
 驚いて目を見開いている。

「なぁに、醤油くらいこぼしても洗えば済む!」
「染み抜きとか、自分でしたことのない人のセリフよね……」
 三藤(みふじ)先輩、ツッコム所はそれですか?
「それより庭師の爺さんがな、枝切りバサミをカバンに入れたまんまでな」
「あぁ、だから海原(うなはら)君に頼めなかったんだよねぇ〜」
「高尾先生、まだまだ押し付ける気だったのね」
 先輩が再度、ボソリとつぶやいてから。
「観覧車に乗るときに誰かに見られたらしくてな。警官に囲まれたわい!」
 宮司がそういって、ケタケタ笑っている。

「まだまだあるぞ青年! どうじゃ、聞きたいか?」
 僕は王様席で、演劇調になっている高尾父に背中をバシバシ叩かれながら。
 向かい側に座って、おいしそうにビールを飲んでいる先生を見る。
「もうわかったから、お父さん。それよりお土産は?」
「おぉ。『いき』の列車の中に忘れたから取りにいってくれ、海原君!」
「え〜、楽しみにしてたのに〜! 海原君、お土産忘れたってよ!」
 ……ちょ、ちょっと待って高尾先生。
 土産をいきに買うの、とか。
 教え子に取りにいかせないでよ、とか。
 ほかにいうこと、ないんですか?
「あと悪いんだけどねぇ、山田(やまだ)さんがお清めのお塩を忘れたらしくて」
 え……。
 先生のお母さん?
「ついでにそれも、お願いしていいかしら?」
 山田さんって、誰ですか?
 旅行に塩って、いるんですか?
 あとそこ、笑顔でいうとこですか!

「おぉ、えらい重たそうにしとったのは。なんじゃ、塩か?」
 おぉ塩か? じゃじゃなくて、塩ですよ!
 旅行にいらないでしょ!
「えぇ、気合いを入れてみなさんにと。カバンにずっしりと入ってましたよ」
「旅先のおすそ分けが『塩』とか、わたし絶対に嫌だ……」
 あのな高嶺(たかね)。そんなの、みんな嫌だから。
 それにしてもなんなんだ、この夫婦。
 高尾先生!
 お願いだから娘として、なにかいってくれないんですか?
「それで、お土産の賞味期限っていつまで?」
 そ……それじゃないでしょ!


「……つい先日お会いしたばかりなのに、随分と馴染んでおられるようで」
 三藤先輩が、僕によそよそしくいい放ち。
「いっそこのまま、ここで働けばー」
 高嶺もこういうときだけは、先輩に同意する。
「それはそうと、(すばる)君。あの話を聞いてみようよ!」
 でも、玲香(れいか)ちゃんが話題を逸らしてくれた。
 もっとも、自分の興味が優先なだけかもしれないけれど。
「そうだね、海原君のことは別にいいからさ」
 春香先輩がどうも、最近やさしくない……。

 ……昨日の紅葉や、三藤先輩の『金縛り』。
 結局、この五日間で。
 (はら)さんに僕たちが関われたのは、この二回だけだ。
 たった二回だけれど、不思議な経験。
 ちなみに先生には昨日、高嶺が紅葉の葉を見せたのだけれど。
「ふーん。原さんが、ねぇ……」
 そういったきり。
 僕たちがなにを聞いても、色よい反応は得られなかった。

「ねぇ、宮司さんならわかるんじゃない?」
 昨夜帰り道に、春香先輩がいい出して。
 きょうは朝から、玲香ちゃんを筆頭に。
 ようやく、原さんについて聞けるかもしれないと。
 みんな一日中、楽しみにしていたのだ。
「ほら、早く!」
 高嶺が、早く聞けと僕の背中をつついてくる。
 ちょうど高尾父が、三本目の瓶ビールを飲み干した。
 そうだ、酔っ払う前に、聞かないと!



「……オ、オトウサン!」
 しまった!
 思いがけず、僕の声が大きくなって。
 ついでに裏返ってしまった。
 向かいに座る高尾先生が、さっきまでの話しでは驚かなかったくせに。
 途中駅で買ってきてもらったという、大好きな駅弁屋の稲荷寿司を。
 なぜかこのタイミングで、箸のあいだからポロリと落とす。

「ちょ、ちょっと待て、青年!」
 高尾先生の『お父さん』が、目を見開く。
 いや、そんな大声で返事しないでくれても……。
「続きはゆっくり、聞かせてもらおうか!」
 それから、まるでうなるような声をあげると。
「母さん、気つけに頼む」
「はい……」
 四本目のビールをコップに注いでもらうと、それを一気に飲み干した。

「よし」
 少し下がって正座して、宮司らしく背筋を伸ばす。
「ついに、響子にも。こんなときが訪れたのですね……」
 高尾母が、エプロンを外しながら神妙な面持ちで僕を見る。
「えっ……?」
「お待ちください『海原さん』。わたくしも、夫の横に添わせていただきます……」

 イ……。
 イッタイ、ナンノコトデスカ?
 そんなに声が裏返ったのが、マズかったんですか?

 いまいち、事情がわからない。
 高尾家のリアクションの解説を求めて、先生の顔を見ると……。
 先生が好物の稲荷寿司を拾えないままで。
 め、目が……。
 点になっている。


 え、え?
 エーーーーッ!


 うろたえる僕の隣に、三藤先輩が隣にスッと現れて。
 先輩は、宮司夫妻と同じくらい姿勢を正して正座すると。
 両手をきっちり揃え、高尾父と母を交互にじっと見つめる。
「高尾先生の、お父様、お母様……」
 思わず。僕も、ゴクっと唾を飲み込むと。

 ……先輩が、次の言葉を発する前に。
 僕の背中に、ガツンと拳が突き刺さった。
「か、勘違いです! んなわけありませんから!」
 ようやく事態を飲み込めたらしく、高嶺が大声をあげる。

「ちょっと、海原君。早く謝りなさい! この罰当たり!」
 春香先輩……。やっぱり最近、きついですよ。
「昴君、それは違ったなぁ〜」
 玲香ちゃん、お願いだから。そんな目で見ないで……。


 ……窓の外でカラスが二、三度鳴いている。
 漫画だと完全に、カラスに馬鹿にされているシーンだけれど。
 
 この場では、カチ、カチ、カチ……。
 社務所の小さな置き時計の、カウントが聞こえるくらい。
 恐ろしいほどの、静寂が訪れた。


「……冗談じゃ冗談!」
「ちょっとからかってみただけよ〜」
 高尾家の両親が思いっきり笑い出す。

 へ?
 もしかしてみんなまとめて、遊ばれた?


「ちょっと、ふたりともいい加減にして〜!」
 高尾先生が、大きな声で叫ぶ。
 先生は、続いて僕にも。
「海原君! 紛らわしいことは二度としない!」
 そういって、あとは真っ赤な顔をしたまま下を向いてしまった。

「す、すいません!」
 慌てて謝る、僕の隣で。
「……心臓に悪いので、次はないわ」
 三藤先輩が、迫力満点にボソッとつぶやく。


「ったく、バカにも程度ってもんがあんでしょ!」
「この絶望的な空気の読めなさが、海原君なんだよねぇ……」
「ほんと。昴君の、そういうところだよ」


 ……それからの『宴』は。
 なぜか、縮こまったままの高尾先生と。
 いじられ続けた僕以外は、ワイワイと過ごせたと思う。



 なお、余談ではあるが……。

 僕が大人になったずっとあとで、こんな出来事があったと。
 ある人が教えてくれた。


「……娘の結婚、随分とあっさりとお認めになりましたね?」
「それはのぅ……。心構え、いや。前に予行練習した甲斐があったんじゃ」

 そんな会話をした、やや歳の離れた夫婦がいたそうだ。


 普段はやや気むずかしいというその人は。
 お気に入りの人間を前にすると。

 ……どうも演劇がかるクセがあるらしい。