……夕方まで続く、高校三年生向けの講習のお昼休み。
 部室で藤峰(ふじみね)佳織(かおり)が、何度目かのため息をついている。

「みんなが楽しんでいると思うと、うらやましいよねぇー」
 ……まったく。
 本音を語ってくれるのはいいんだけれど、忘れていません?
「目の前にいるのは、受験生なんですけど?」
 わたしが、そうやって返答してみたところ。
美也(みや)はそれでいいじゃない。わたしなんて、受験生じゃないんだよ!」

 ……いや、高校の先生なんだから仕方ないでしょ。
 でも、そんな理屈。
 佳織先生には、通用しないんだよな……。
「はぁ〜」
 もう、そんなにため息つかなくてもいいのに。
 なんだか、わたしが悪いことでもしてるみたいになる。


「仕方ないですね。一回、連絡してみます?」
「え! いいの美也?」
 いきなり元気になった先生は、立ち上がってわたしのスマホを受け取ると。
「よし、響子(きょうこ)に連絡!」
 なんの迷いもなく、通話のボタンを押してはしゃいでいる。


「どした? 佳織?」
 ……『わたしの』、スマホなのに。
 相方の高尾(たかお)響子(きょうこ)も迷いなく、相棒の名前を口にする。
「なんなんだか、このふたり……」
「えっ、なに?」
「なんでもないです、お話しの続きをどうぞ」
 すると、佳織先生は。
「響子、暇?」
「え? 暇じゃないわよ」
「絶対、暇してるでしょ?」
 なんだか、暇だといわない限り許してくれなさそうなことをいっている。

「……だって月子(つきこ)ちゃんは寝てるでしょ。由衣(ゆい)ちゃんと海原(うなはら)君にはとっておきのアイスあげちゃったし……。あと、その前に陽子(ようこ)ちゃんと玲香(れいか)ちゃんを追いかけ回してたから……。ほんと、こっちは大忙しよー」
「ねぇ響子。どう考えても、すんごい暇そうじゃない?」
 うん。
 わたしも、佳織先生の意見に一票。
「違う違う。わざと、暇そうにいってみただけよ」
「本当?」
「本当はみんなそれぞれ忙しくて。いないのは参拝客くらいかな?」
 えっ……。
「なぁんだ〜。じゃあ安心だね〜!」
「でしょ! だからこっちは大丈夫!」
 なんだか、それで安心していいのかな?
 やっぱり、このふたりは。
 どこかが、なにかズレている……。

「ちょっと、美也これ見て!」
 わたしの心配をよそに。いきなり先生が、画面を目の前に出してくる。
「ちょっと佳織、人の話し聞いてる? なにか見えたの?」
「見えたよ。響子が、コスプレしてる!」
「ちょっと、コスプレじゃなくて本物。わたしたち『巫女』してるのよ〜」
 えっ!
 みんな、そんな楽しそうなことをしてるの?
 ならばと、わたしは。
「も、もしかして! 海原君もコスプレしてるんですか?」
 ……そう聞いてみたけれど。

「ううん。彼は『ゴマちゃん』の前で、ダンプ相手にスコップで頑張ってる!」
 響子先生が、ニコニコしながら教えてくれて。
「いいねぇ〜! で、『レオ』は元気?」
 それを聞いた佳織先生が、うれしそうに話しているけれど。
 ダメだ、いうことがホント不思議ちゃんすぎて。
 わたしには状況が、まったく理解できない……。


「もう、こっちのことはいいから。ふたりともきちんと学校で勉強しなさい!」
「え〜」
「ええっー!」
「まったく。教師のほうが文句が長くてどうするの……。もう、切るわよ」
 ようすを知ろうと連絡したはずが。
 終わってみれば、ふたりとも余計に寂しくなる。
 いつもにぎやかな部室なのに、なんだかふたりには大きすぎて、静かすぎて……。

「……でもさ、先生」
「どうした?」
 ふたりだけっていうのも、ちょっと懐かしいかも……。
 わたしはふと、昔のことを思い出した。



 ……あれは、一年生の二学期。
「わたしたちもきょうで辞めるから、あとはよろしくね」
 それまで仲良くしてくれていたと思っていた、先輩たちが。
 なぜか一斉に、部活を辞めてしまった。

 三年生は、文化祭も体育祭も終わったから引退だと理解できる。
 でも、二年生がいきなり辞めるなんて。
 わたしは聞いていなかったし、そもそもなんの前触れもなかった。
「だって春まで、やることなんてないしねー」
「それに都木《とき》さん、ひとりでもこなせそうだしー」
「そうそう。それに三年生になったら大変そうだから、あとはよろしくね!」

 わたしは唯一の一年生だから、頑張っただけだ。
「人助けだと思って、お願い!」
 三年の先輩に、どうしても部員がいないと困ると頼まれただけだ。

 三年生二名、二年生三名、だから一年生は一名でいいといわれたときに。
 きっと断るべきだったのだろう。
「偶数ってちょうどいいから、大歓迎!」
 かつて二年生たちは、そういっていた。
 それなら、三年生が引退しても。合計四名なら、問題ないはずなのに……。

 おそらく、あの先輩たちは。
 この部室のテーブルが六人のほうが、『収まり』が良くて。
 でも、四人になってしまうと。
 三人組の誰かが、わたしと組まないと『いけなくなる』から。
 ついでに、辞めてしまおうと思ったのだろう。

 ……だが、責めても仕方がない。
 三年生の上にいた先輩も、そのまた先輩も、似たようなものだったらしい。
 だから、いつのまにか。
 有名だったらしい『放送部』が、『機器部』と呼ばれるようになったそうだ。
 本当は、わたしも辞めてしまいたかったけれど。
 この部活は、『ないと困る』らしい。
 ないと困るのに、一名でもいたら困らない。
 そんなのはおかしいと、わたしは思っていた。


 ……それからしばらくして。
 突然担任の佳織先生が、『機器室』に現れた。
 無気力のくせに、ずっとダラダラ居続けていた顧問が。
 どうやらいきなり、学校ごと辞めたらしい。

「というわけで、きょうからわたしが顧問ね。よろしく!」
「……なんか、貧乏くじですね」
 わたしがそういうと。
「そうかな? 部員がひとり、わたしとふたり。なんでもできていいじゃない!」
 佳織先生は、こともなげにそういうと。
 今度はやさしい声で、わたしに。
「もう、ひとりにはしないから。安心しなさい」
 そういって、ニッコリと笑ってくれた。

 言葉どおり、藤峰先生は。
 陽子と月子ちゃんがくるまで、ずっとわたしの相手をしてくれた。
 そのあと、わたしが『わがままなこと』をしても怒らずに。
 間違いにようやく気づいて、ここに戻ってきたあとも。
 いつも変わらず、近くにいてくれる。


 ……えっ?
 ということは、あれ?
 も、もしかして……。


「……先生?」
「ん? どした?」
「本当は、三年の講習担当じゃなかったんじゃない?」

 ……そうだ。
 よく考えれば、すぐにわかる。
 先生は、講習担当に当たってしまったんじゃなくて。
 担当になれるように、してくれたんだ。
 だってそうしないと、わたしはまた……。

「なになに? どしたどした?」
 出たよ、その謎ウインク。
 そうか、そうだよね……。

 わたしの反応に満足したのか、先生は。
「……部室がにぎやかになったのは、うれしいよ」
 穏やかな声で、そういうと。
「でもふたりで話せる時間も、たまにはいいよね?」
 そういってまた、ニッコリとほほえんだ。


 ……わたしは、藤峰佳織の笑顔が大好き。
 あのときも。
 そしていまも。
 この笑顔に、いつもわたしは救われているんだ。


「先生、わたしね……」

 いまは、ふたりの時間を大切にしよう。

 それから、先生とみんなで。
 もっともっと、楽しもう。



 ……そのあとは、珍しく美也が。
 びっくりするくらい、よくしゃべり出した。

 わたしは、そんな姿を見つめながら。
 冷房の効いた『放送室』の、少し開いた窓の隙間から。
 やさしい風が、そっと流れこむのを感じている。

 その風が吹くとき、わたしは力をもらう。
 それはいままでも何度もあって、これからも変わらない。

 なぜ、その風がわたしの力になるのか。
 この子も、この子たちもまだ知らないけれど。
 そう遠すぎない未来に、話せるときがくる予感はある。


 ……満足したのか、静かに風がやむと。
 わたしは窓から見える、『その先』を見て。

「いつも、ありがとう」
 心の中で、そっとつぶやいた。