朝、六時五十二分。
三人を降ろしたローカル線の列車が、ホッとした感じで駅から離れていく。
周囲の木々では、セミが大合唱をしていたけれど。
「おはよう!」
高尾響子のよく通る声に、セミたちが驚いて鳴くのをやめて。
同時に僕たちも、誰もあいさつを返せずに固まった。
「……みんな、どうかした?」
引き続き僕たちの目は、点になったままで。
代わりにセミたちのほうが、再びにぎやかに騒ぎ出す。
三藤月子が、僕の服の袖に少し触れて。あなたが聞きなさいと催促する。
「あ、あの。先生、その格好は……」
「ん? どうかした? 伝えたじゃない。わたし、『神社の娘』だけど?」
いや、聞きたいのは『所属』じゃない。
「なに先生! めちゃくちゃかわい〜」
赤根玲香と高嶺由衣の発想は、どうやらまた僕とは違うようで。
「まさか『巫女姿』のまま、駅までくるなんて……」
三藤先輩の常識レベルは、間違いなく僕と同じで。
「さすが、響子先生だよねぇ〜」
春香陽子のそれも。比較的僕たちの側……だと思う。
「海原君、細かいこといわないの。すぐそばなんだから、別にいいでしょ?」
先生、距離の問題じゃないんです。巫女姿で、駅にいるんですよ?
「うーん。でも、かわいいからいっか!」
えっ、春香先輩って?
こっち側の人間じゃなかったんですか……。
「なんだか、この先が思いやられるわ……」
隣の三藤先輩の嘆きに、僕は同感です……。
しかし、駅のすぐ近くに。
そこそこ大きな神社があるのは知っていたけれど。
まさか、ここが高尾先生の実家だったとは。
そして……確かに。
先生が駅で『巫女姿』だったことなど、些細なことでしかなかった。
「レオ、ゴマちゃん。ただいま!」
「へ?」
「海原君、どうかした?」
あぁ。石像だけど、ペットの感覚なんですね……。
高尾先生が鳥居の横の狛犬たちに、ニコニコしながら手を振っている。
「ちゃんと名前があるんだねー」
春香先輩が、変なところに感心して。
「しかもかわいい〜」
高嶺、狛犬だぞ。石だぞ、食べられないぞ!
「ゴマちゃ〜ん」
石像に手を振れる、玲香ちゃんの適応力が高いのはいいとして。
「レオさん、お世話になります」
三藤先輩が丁寧にお辞儀してますけど……。なんだか律儀すぎませんか?
「まだまだいるから、紹介するね!」
そうやって笑顔だった、高尾先生が。
今度は突然、真顔になってスッと背を伸ばし。
優雅に一礼してから、鳥居をくぐる。
その姿は、先ほどまでとは一転して。
巫女らしい、いや美しくて。
……僕は思わず、立ち止まってしまった。
「あのね、海原君?」
「は、はい」
「学生時代に、年配の人にお辞儀でほめられてね……」
先生が少し、昔を懐かしむような目でゴマちゃんを見上げる。
なんだろう、ほめられて人生が変わったのか?
「店長だったから。カフェのバイトの時給、あげてもらっちゃった!」
……ま、真面目に聞いて損したー!
鳥居で一礼し、長い参道を歩き出すと。
左右の至る所に、砂利の山が築かれている。
「なにかの工事でもするんですか?」
「丁度入れ替え時期でねぇ。助かったわ、海原君」
「へっ?」
「まずはこれが、君のタスクってこと!」
藤峰先生ばりの、無駄なウインクをされても。
僕の魂は、既に真夏の空へと消えてしまって。……すぐには反応できない。
「うわっ。先生結構多くない?」
玲香ちゃん、いいこといってくれてありがとう。
ね! 多いですよね、先生?
「そりゃぁいつもは、造園屋さんがショベルカーとか使ってやるからねー。あ、でも安心して。ちゃんとスコップは用意してあるから頑張ってね!」
……静かに、回れ右をして。
足音を立てず消えようとした僕の袖を、誰かがぐっとつかむ。
「部活のためだよね、海原部長?」
春香先輩が、容赦ない。
「海原くん。これはあなたへの試練よ」
さり気なく春香先輩の手を離させながら、三藤先輩が僕の目をじっと見る。
も、もしかしてまだ……。朝のこと、根に持っていませんか?
「ま、いい運動でしょ」
高嶺が、自分の担当じゃないからと偉そうなことをいっている。
「あ、あとで鳥居の周りとかにも。何台かダンプカーで追加の砂利入れてくれるらしいから、よろしくね!」
……いまからでも、レオとゴマちゃんにきちんとご挨拶したら。
なにかから、解放されたりするのだろうか?
僕は、そんなことを考えながら。
やたらと長い参道を、最後尾でトボトボと歩いていた。
「……まずは社務所に、荷物とか置こっか!」
本殿の近くまできて。既に廃人と化している、僕以外は。
初めて入る世界に、目をキラキラさせている。
「ただいまー!」
いつも以上に、透き通った声で高尾先生がいうと。
なんというか、高尾先生とよく似た顔立ちの年配の女性が。これまた先生と同じ笑顔でふわりと現れる。
「あら、みなさんいらっしゃい!」
僕たちが、自己紹介を終えると。
「本当は響子の父が、宮司なんですけどねぇ。昨日寄り合いで、鯱鉾みたいに飲み過ぎましてねぇ。まだ寝たままなのよ……ごめんなさいねぇ」
高尾母が、宮司の名誉や威厳なんてこの世に存在しないみたいなことを。
初対面の高校生たちに平気で披露する。
「鯱鉾って、お酒飲めるんだ……」
「ちょっと、かわいいね」
いったい誰だよ、いま会話してるのは!
泳ぐパンダみたいなのとは別の、想像上の動物ですよ!
「それじゃぁ、あとは響子よろしくね。みなさん、本当にありがとう」
なんだか高尾母が、相当うれしそうだけれど。
ただの手伝いのはずなのに。なんなんだろう、この違和感。
「お母さんいってらっしゃい、お土産よろしくねー!」
けさから、既に何度も目が点になっている気がするけれど。
あの、先生……?
「あぁ、母はきょうから『みんなと』旅行にいくのよ」
「へっ?」
「は?」
「まさか?」
「ということはもしかして……」
「え? 海ですか、山ですか?」
誰だよ、最後にまた変なこといったのは!
「いやぁ。みんなのおかげで親孝行というか、神社孝行できてうれしいねぇ〜」
「あの……響子先生。もう少し詳しくお聞かせ願えませんでしょうか?」
異変を察知した三藤先輩が、グイグイ迫る。
そうです、お願いしますよ先輩!
……なるほど。
決して、納得したわけではなく。
そういうことなんだ、というのはよーくわかった。
「きょうから一週間、この神社は『わたしたちのもの』なんですね!」
玲香ちゃん、それはちょっと違う……。
「神社貸切だよ! アンタも喜びなよ!」
高嶺、やっぱりそれも違う。
「一週間も、この神社に幽閉されるようなものね……」
「でも、月子。ちょっと楽しそうじゃない? 神社だよ、神社!」
春香先輩が前向きなのはわかりましたけれど……。
いわせていただきますが、僕たちはまんまと。
神社の維持・管理を……。
丸々一週間、押し付けられたのだ!


