記憶の中の彼女

 そして、和也はなんとなくブランコの前に立ってみる。前にブランコの前に立った時だ。あの少年が現れたのは。
「もうすぐ、運命の時がやってくるよ」
 そして、その声が聞こえた時。
 和也は全身が凍り付く感覚に襲われる。横から聞こえた、その声の方向を振り向くとそこに、居た。
 あの、少年が。
「……運命って?」
 誰もいなかった筈なのに、急に現れたその少年が発した言葉の意味を訪ねる。
「君の高校ではもうすぐ文化祭が始まるよね」
 何故、その事を?
 そんな質問をする間もなく、少年は立て続けに話す。
「その文化祭の前日。それが、君にとって運命の時なんだ」
「それって」
 今日の昼休み。凛は文化祭の前日に、追い込みの作業があって遅くまで作業をするという話をしていた記憶がここではっきりと思い起こされる。
「その運命は一度、体験する事になるかもしれない。だから、彼女と出会ってからその日に至るまでの事を忘れないでいて欲しい」
「待て。一体何を伝えたいんだ?」
 その時、突然強い風が吹いてくる。
 和也の顔にその風が直撃して、思わず目を瞑る。そして、次に目を開けた時にはその少年は目の前には居なかった。
「は……?」
 呆気に取られる。直後に気づいて、周囲を見渡してみるもののその少年はどこにも。
 どこにもいなかった。
『彼女と出会ってからその日に至るまでの事を忘れないでいて欲しい』
 あの少年から伝えられた事。彼女、というのは一体誰の事を指しているのか和也は何故かすっきりと理解できてしまう。記憶に異変が生じたのも、あの少年が目の前に何度も現れるようになったのも。
 ……凛と出会ってから、起きる様になった事だった。
「伊豆野さんに、何かあるのか……?」
 ここまでの流れを整理しても、凛に何かがあるという事なのだろうか、と和也は考察をしてみるが、考えても、どれだけ考えてもわからなかった。
 一体、文化祭の前日に何があるというのか。


  *

「もうすぐ文化祭だから、大変なのよね……」
 今日の昼休みは、廊下で話をしている中で凛はそう言うと、ため息を吐く。恐らくここ数日の疲れが溜まってきているのが、こうして反映されているのだろう。
「少しでもいいから、休憩した方がいいんじゃ?」
「そうかもだけど、皆が頑張っている中私が休んではいられないような……」
 和也の提案に少し遠慮気味な様子を見せる。責任感が強い事は大事ではあるが、こういう時こそ素直に休んでほしいと思う。
「それに、今日は最後の仕上げで遅くまでやるから猶更休んでいられないの」
「……でも、それで無理して倒れたら元も子もないと思う」
 和也は凛に休んでもらいたかった。こういう時だからこそ、少しでも休んだ方が良い。
「せめて、適度に休みながら頑張って明日の文化祭に間に合うようにした方がいい」
「でも……う~ん、高野くんが言う事も確かか」
 凛は少し気の迷いを見せてはいたが、和也の言う事が最もだと判断したようだった。この様子を見た和也は何だか少し、安堵をする。
 一方で和也には気になる事がずっとある。あの日、公園で……三度目の遭遇となったあの少年から告げられた事。今日、何かがあると言っていたあの言葉。けれど、昼休みに至るまで大事件らしい大事件は、起きていない。
 出鱈目な話かもしれないけれど、気がかりではあった。何だか、少し心配になってくる。
「……もし、今日何かあったら連絡……とか」
「えっ。どうしたの、高野くん?」
 凛がきょとんと、目を丸める様子を見て和也は急すぎたと自己反省をする。
「……ごめんなんでもない」
 その後、すぐにこの事を誤魔化す様に話題を変えた。なんだか、いつもより対応が不器用になっているようなそんな気がして仕方ない。

 放課後。凛と少し会話をしてから帰宅した和也はずっと、頭の中で引っ掛かった出来事を何度も、何度も反芻する。
『彼女と出会ってからその日に至るまでの事を忘れないでいて欲しい』
『じゃあ、その事はちゃんと忘れないようにしていてね』
『彼女が危険な事に遭わない様にできるのは、君だけだ』
 全部、あの少年から告げられたこと。まるで、自分を誘導するかの様にヒントを出しては消えて行っている。……それに、それを告げた後すぐにどこかへと消えていく。すぐに周囲を捜しまわしても、少年の影は一つたりとも見当たらない。
 正直、不気味な話である。言葉にするのは難しいのだが、通常の人とは何かが違う様な……そう。根本的な所から何か相違が出ている様な、超越したような。
 和也は、何度も脳裏に蘇る彼の言葉のその意味を考えながら、ずっと歩いていた。そして、気づいた時には家の前を過ぎていた。
「うわ……マジか」