彼女の誕生日プレゼントに「何が欲しい?」と聞いたら。
「月が欲しい」と言われた。

 *

「いや、意味わっかんねーんだけど!」

 ドン、とビールのジョッキをテーブルに叩きつけて、俺は会社の同期との飲み会で愚痴を零した。

「いーなぁ、ノロケ」
「これがノロケに聞こえる?」
「可愛い彼女のわがままじゃん」
「可愛いで済まねーよ。俺もう三週間正解探してるんだけど」

 そうなのだ。彼女に何が欲しいか、と尋ねたのは、誕生日の一ヶ月前。
 旅行などを希望された時のために、早めに聞いた。
 返ってきた答えは、謎かけのような言葉だった。当然俺は何を意味するのか尋ねたが、彼女は「自分で考えて」と教えてくれなかった。
 回答の回数制限はないらしく、俺はしつこくならない程度に、何度か彼女に確認した。
 プラネタリウムだろうか。展望台だろうか。望遠鏡? モチーフのアクセサリーか、それとも名を冠した菓子か。
 しかし、どれもこれもハズレだった。
 既に三週間が経過している。誕生日まで、もう一週間しかない。正直、お手上げだった。

「あんたの彼女、いつもそんな面倒くさいの?」
「いーやぁ。今まではもっとストレートで楽だった。有名店の菓子が欲しいとか、予約しないと行けないレストランとか、一緒に買い物行ったりとか」
「えー優しい。めっちゃ具体的」
「そうなんだよ。だから悩む必要なかったんだけどさぁ」

 なんで今更、と不満を漏らす俺に、同期の女は意地悪そうに笑った。

「だからじゃないの?」
「あ?」
「あんたがそんなんだから。ちょっとは自分のことで、頭いっぱいにして欲しいんじゃないの。いじらしーじゃん」

 女の意見は参考になる。参考にはなるが、それではまるで、俺が彼女のことを考えていないみたいだ。
 ――いや、当たっているかもしれない。
 彼女と付き合って、もう五年は経つ。同棲してからは、二年。
 俺は、すっかり彼女に世話されることに慣れてしまった。仕事も忙しくなって、彼女に構うことも少なくなったが、彼女は不満を漏らさなかった。俺は面倒を言わない彼女のことを、よく出来た女だと思っていた。
 だから急に意味のわからない謎かけをした彼女に対して、正直いらいらしてしまっていた。
 これは、彼女の意思表示なのかもしれない。

「頑張って考えなよ。わかんなかったら、別れられるかもね」
「縁起でもねーこと言うな」

 *

 誕生日が間近に迫って、俺は情けないと思いながらも、彼女に尋ねた。

「なー。ヒントだけでも、くんない?」
「んー……お金は、かかんないよ」
「なんじゃそら。買うもんじゃないってこと?」
「そうだなぁ」

 ますます意味がわからなかった。金を使わずに手に入る月って、なんだ。

「それさぁ……当たらないと、なんかある?」
「さぁ、どうだろ」
「おい」

 ふふ、と彼女は小さく笑った。否定しろよ。
 
 *

 誕生日当日。結局考えてもわからなかった俺は、珍しく彼女よりも早起きをして、朝食を作った。
 起きてきた彼女は、目を丸くしてテーブルの上を見た。

「わあ。どうしたの、これ」
「エッグベネディクト」
「うん。美味しそうだねぇ」

 彼女は、ぽけぽけと笑った。まだ寝ぼけていそうだ。
 俺は照れくささもあって、ぶっきらぼうに答える。

「いっつも、飯作ってもらってばっかじゃん。だから、ハズレだとは思うんだけど、月。卵で、表してみた」

 彼女はぱちぱちと瞬きすると、優しく笑った。

「そっか。嬉しい、ありがと」
「……ん」

 二人で席について、コーヒーを飲みながら朝食を食べる。

「……で、結局正解ってなんだったの?」
「んふふ、なんだろーねぇ」
「いや、さすがに当日なんだから教えろよ」
「明日ね」

 釈然としないながらも、今日は彼女の誕生日。機嫌を損ねるわけにはいかない。
 その後は、二人で映画を見たりと、のんびり過ごした。

 *

 その夜。眠っていると、玄関の音がした。
 寝坊したのかと思って跳び起きたが、周囲はまだ真っ暗だった。
 焦った、彼女がもう仕事にでも出かけたのかと思った。
 しかし、隣に彼女の姿はない。ということは、玄関の音は彼女だろう。
 まさかこんな夜中に買い物にでも行ったのだろうか。
 何か連絡が入っていないかとスマホを確認するが、なんのメッセージもない。
 不安になって、寝室からリビングに出る。何故か部屋の中がほんのり明るかった。
 見ると、カーテンが開いていた。月明かりで照らされているようだった。
 何故カーテンが開いているのかと窓辺に寄ると、そこには水槽が置かれていた。
 魚など飼っていないので、ぎょっとして覗き込む。

 ――そこには、月があった。

 水面に映った月を見て、ああ、これが答えだったのか、と思った。
 だったらこれは、彼女のいたずらだろうか。
 水槽の横には、年季の入ったCDが置かれていた。ケースを開けると、歌詞カードの裏に、手紙が一枚入っていた。

『ばいばい』

 ただ、その一言だけ。

「――……は」

 待てよ。もうちょっとなんか、あるだろ。説明しろよ。
 そんな風に思いながらも、本当はわかっていた。
 この曲を、二人で一緒に聞いた時のことを。
 忘れていたのは、俺の方。

 別れを告げてくれただけ、彼女は優しかった。