……ということにしている。本当は、預けられた先の叔父様も叔母様も良い人だったけれど、本当の家出理由は言いたくなかったから。
「そうか……それでは、住みづらかったんだね」
「ええ……」
亡くなってしまった彼らに罪を着せるようで胸が痛むけれど……家出の理由は言いたくない。誰にも。
「それで、シュゼットが家出したという目的からして、タルエイには住まずに、すぐに違う街に出たんだろうと思った。親戚の家や君のご両親のところに行って、家出したシュゼットを探していたけれど、君は見つからなかった……」
「ええ……すぐに、リベルカ王国を出たの。もう家には戻らないと決意していたから」
今思い出してみると、あの時の私の覚悟は、相当なものだった。長距離馬車に飛び乗った。今ならば躊躇するだろうことも、平気でしていたと思う。
何も知らずに、無鉄砲だったのだ。今ならばそれがどれだけ危険なことだったのか、身にしみてわかってしまった。
「そして、俺はシュゼットに似た人が、この飛空挺に乗っていたという情報を得たんだ。乗船名簿にはいくら探しても、君の名はなかった。事情があって偽名で乗っていたなら、それは納得」
「それだけで……飛空挺に乗っていたの? クロード」
私の似た人が居るだけの、不確かで頼りない情報なのに……。
「それだけでも、十分だ。探し当てる可能性が1%でもあるなら、賭けたかった。こうしてシュゼットに会えた。俺は、賭けに勝った。だから、それはやる価値があった挑戦だということになる」
「……クロードはなんだか、変わったね。昔はただ可愛いだけだったのに」
年下の可愛い笑顔の天使は、今では芸術的な彫像のような鍛え抜かれた身体を持つ勇者なのだ。
時の流れは、残酷……いいえ。お互いにただ、育って世の中を知ったとも言えるけど。
「シュゼットは昔も可愛かったけど、今は綺麗になって色気が出たね。あの頃の俺が可愛いと思って居るなら、それはそうした方がシュゼットに好かれると思って居ただけだよ」
「……どういうこと?」
好かれると思ってそうしていた……? 演技だったということ?
「そういうこと。あの頃の俺はシュゼットの期待通りに動いていたし、君を喜ばせたかった。シュゼットのことが好きだったからだ。今だって、それは変わらない」
「ふふ。そうね。私はクロードが、お気に入りだったもの……どこに行くにも連れて行ったから、お父様とお母様にも止めるように言われていたわ」
それはお気に入りのぬいぐるみを、手放せないのと同じ感覚だった。
可愛いという表現が似合わない素敵な男性になってしまったクロードを横目で見て、私は今はもうそれは出来ないと思った。
ただお気に入りだからって、自分の言うことを聞かせたいだなんて思えない。
「今もそうしてくれて良いよ。俺はシュゼットと居られれば嬉しいし」
まるで思考を読んだかのようにクロードは言ったので、私はそれを無視して窓の外を見た。
「……ここよ。クロード。私が住んで居る集合住宅。たぶん、狭くて驚くと思うわ」
馬車が停まって、私たちは外に出た。
ほぼ揺れることのない、飛空挺での快適な空の旅だった……とは言えるけど、やはり、地に足がついた場所で眠れるのは嬉しい。
私が住む場所は一階に十ほど部屋のある集合住宅で、私は三階の角部屋。ローレンス侯爵の口利きもあるし、女性一人暮らしだからという配慮もあった。
暗い階段を上がるとふきっさらしの長い廊下を抜けて、奥の部屋まで歩く。鍵を開けて部屋に入れば、私が出て行った時からこもっていた空気がそこにはあった。
ここが、私が稼いだお金で借りたお城。
狭い部屋の中には、大きなベッドと小さな机と椅子があって、玄関前には浴室とお手洗い。
ただ、それだけの簡素な部屋。
けれど、私にとっては『自分の家と言える唯一の場所』だった。
「……どうぞ。先に言っておくけど、ほんっとうに、狭くて汚いからね」
私は警告のつもりで言ったんだけど、クロードはにやっと笑った。
「すごく気持ち悪いこと言うけど、狭い部屋にシュゼットのと二人なのは、俺は嬉しいね」
「……クロード。あの……」
「俺だって、予告はしたよ」
なんとも言えぬ表情で私は背の高い彼の顔を見上げたけれど、確信犯のクロードは余裕ある仕草で軽く肩を竦めた。
玄関先で立ち止まり話をしている場合でもないので、扉を開けて私は先に部屋の奥へと進み、大きな張り出し窓を開けた。
新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで、吐いた。
「はー……っ!! 久しぶりの我が家だわ! 手紙を渡して返事を持って帰るだけだけれど、ずっと移動中なのは疲れてしまうもの」
「うん。お疲れ様。シュゼット」
クロードは室内を見回して、肩に掛けていた小さな鞄を置いた。
旅をしているはずのクロードの荷物があまりに少なすぎると私が言ったら、空間収納魔法を使えるから、財布やその日使うもの以外は宿屋の部屋などで出し入れしているらしい。
……まあ、財布もその気になったら持たなくて良いんだろうけれど、何もない場所から財布を取り出している男性を見れば、私だって焦ってしまうものね。
別に疑ったことなんてないけれど、本当にクロードは勇者様なんだわ。
「クロード。ご飯はどうする……? 外で食べても良いし、良かったら、軽く作っても良いわよ」
「ああ……シュゼットは着替えるだろうし、俺が何か、すぐに食べられる物を買ってくるよ。長旅の後だし、楽な格好をして」
そう言ってクロードは返事も聞かず、さっさと出て行ってしまった。
私も彼から言われて、はたと気が付いた。
今着用しているような貴族令嬢が着るドレスは、狭い洗面所でなんて着替えられない。ふんわりと膨らんだスカートの下にはバッスルがあって、一旦これを外さなければいけない。
このドレスは特別製で一人でも脱ぎ着出来るものだけれど、クロードが出て行かなければ私は彼の前で着替えることになっていたのだ。
「……気が利くんだから。それとも、優しいから? 幼い時からずっと、優しかったけど」
そう呟きながら、私はひとつひとつ留め具を外し、洗える箇所は綺麗に畳み、洗えない箇所には消臭で霧吹きをかけた。
そして、久しぶりに髪をひとつにして高い位置に括り、なんのへんてつもないワンピースに着替えた。
堅苦しくもないゆったりとしたつくりの服に、ほうっと息を吐く。
貴族令嬢のドレスは美しいけれど、重いし苦しい。何も締め付けられていない状態が、驚くほどの解放感だった。
「お疲れ様。やっぱり君は、何着ても可愛いね。シュゼット」
大きな紙袋を手にして戻って来たクロードは、私の着替えた姿を見て頷いた。
「クロード! お帰りなさい」
「うん。何でも食べたいもの選んで」
「まあ! ありがとう……何にしようかしら」
私は彼に渡された食料一杯の紙袋を覗き込んだ。
お金のない私には縁のなかったご馳走ばかりで、とても美味しそう。
「……シュゼット。泊まって良い?」
「え? けれど、眠る場所ないわ。クロード。宿屋の方が良くないかしら」
私は部屋の中を見回したけれど、ベッドはひとつしかないのだ。それも、クロードのような身体が大きな人が使うようなベッドではない。
「いや、俺は床で良いよ」
「床は駄目よ」
「シュゼットが寝心地を心配しているんなら、俺はどこでも眠れそうな寝袋出せるんだよね。ほら」
クロードは『どこか』へ手を伸ばし、次の瞬間、寝袋は床に落ちていた。
寝袋は驚くほどふかふかとしていて、なんなら、私のベッドよりも寝心地良さそう。
「まあ……すごいわ。クロード。それなら、別にここに居ても良いわよ。眠る場所さえ大丈夫なら」
「よくこれで、今まで……無事だったね。驚くよ。シュゼット」
私が微笑んで許可を出せば、クロードはしみじみとした口調で言った。
「何を言ってるの? クロードは、幼なじみでしょ!」
「うん。それは、まあね。間違いないね」
クロードは寝袋を調整しはじめたので、私はテーブルの上に食事を並べることにした。
私はベッドの上、クロードは小さな椅子に腰掛けて、晩ご飯を食べる。
「美味しい……ありがとう。クロード。飛空挺に乗っている時の食費は出してもらえるけど、普段の生活でなかなかこんな物食べられないもの」
肉汁たっぷりのサンドイッチにかぶりつく私を見て、クロードはしみじみして言った。
「なんだか……変わったね。前は、どこからどう見ても、育ちの良いお嬢様だったけど」
お嬢様は手掴みで食事することなんて、絶対にありえない。それは、クロードの言う通り。
「変わらなければ、生きられなかったのよ。仕方ないわ」
「そっか……これまで、大変だったね」
クロードは窓の外に目を向けて、そう言った。赤い夕日が沈む。もうすぐ、本格的な夜がやって来る。
「一人で生きるって、快適よ……」
「そっか」
詳しいことを知りたいだろうクロードは、私の話を聞いて相づちを打ってくれるばかりになり、それからは何も聞かなかった。
ふと目が覚めて瞼を開ければ、寝袋で就寝していたはずのクロードは窓の外を見ていた。
「……あ」
「シュゼット。起きたの?」
ぼんやりと夜景を見ていたクロードは、私が起きたことに驚いたらしい。
「ええ……眠れなかったの……?」
「うん……シュゼットと会えて、興奮して嬉しくて眠れない。今が夢かもしれないと思うから」
私は身を起こして、彼に近付き背中をさすった。クロードは驚いた表情を浮かべて、私を見た。
「小さい頃こうしてたら、すぐ笑顔になった」
「……いや、子ども扱いはやめてよ。ひとつしか変わらないんだから」
苦笑いしたクロードはもう一度、窓の外へと視線を戻した。
私だって彼と会わなくなって色々あったけれど、クロードだって同じことかもしれない。
「お使いに行って来た次の日は、休みなの。朝になったら、観光でも行く?」
ノディウ王国の王都は、住民はあまり行かないけれど、観光出来る場所も多い。